屍者のオルゴール(未鑑定)③
お庭番衆はどんな罠も、どんなモンスターも、死ぬことすらも恐れたりはしない。
恐れるのはただひとつ、下された任を果たせないことだけ。
主であるモルガンの名前に傷をつけることだけだ。
ここでしくじれば百鬼夜行を止めることはできない。
だがこの状況では、命を投げ打っても『屍者のオルゴール』を持ち出し、鑑定士のところまで辿り着ける可能性は低い。
「止むえん。オルゴールを壊せ。その音を止める事ができればこの馬鹿騒ぎは収まるはずだ」
だが配下たちは未だ、オルゴールを回収することができずにいた。
カリギュラの死体が抱え込んだまま離そうとしないのだ。
「――なっ!」
突然、首のない身体はおもむろに起きあがると、人間離れした跳躍を見せ、蜥蜴のように広間の壁に張りき、上の方へと逃げていく。
動きが早すぎる。
イゴールは追うことを断念し、胸元から取り出した手裏剣で撃ち落とそうとした。
「させないよお……毒の叢雲おおお……」
「これは……?」
急に現れたおどろおどろしい煙によって、視界が遮られる。
それは紅い餓沙髑髏によって吐出される息吹だ。
匂いから判断するに、ただの煙幕ではない。
吸い込んだのは微かな量にも関わらず、急激に多幸感に襲われて目眩が起きる。思考が鈍り、舌と喉に痺れが回ってくる。
配下たちのなかにも昏倒しかけている者や、気をおかしくして笑っている者が出ている。それは瘴気――修練の結果、身につけた忍者の毒耐性などあざ笑うかのような強力な猛毒のようだ。
「うっふっふ……仮初めの幸福と引き換えに、麻痺、混乱、目眩、その他もろもろの悪症状を引き起こしてくれる素敵な煙さあああ」
紅い餓沙髑髏が身体をがしゃんがしゃんと鳴らし、石畳の床を揺らしながら進み出てくると、遙か頭上からぎょろりとふたつの目玉でイゴールを見下ろしてくる。
そして巨大な拳を固め、緩慢な動きで高らかに振り上げた。
だが思うように身体が動かせず、避けることができそうにない。
イゴールはせめて相打ち覚悟で自爆し、オルゴールを破壊すべきだったと後悔する。そして心の中で、主であるモルガンに、目的を果たせなかったことを詫び、辞世の句を考えることにした。
「……不覚」
だが何も起こらない。
痛みも衝撃もイゴールの元には届いてこない。
見上げれば、何故か巨大な骨の拳は途中で停まっている。
まるで目に見えない壁にぶつかったように、腕を振りきることができないまま、巨大な上腕骨が軋みを上げている。
そして目の前には、いつの間にか誰かが立っていた。
「やあどうも」
彼はこちらに振り返りにっこりと笑う。
その顔には見覚えがある。
だがありえない。
彼がここに現れるはずがない。
何故ならそれはイゴール自らが城の外に置いてきた人物だった。
攻撃を阻止された紅い餓沙髑髏が、駄々をこねる子供のように何度も拳を振りかざしてくる。
だがその度に弾かれる。
見えない壁に阻まれ、激しい物音が響くだけで、こちら側まで通らない。
「何なのよおおお」
「『聖なる旗』です。聖域化された領域には、何人たりとも侵入することはできません。例え赤竜の息吹であっても通すことはないでしょう」
見たことも聞いたこともない名前だったが、付与道具なのだろう。
いつの間にか、すぐ近くに槍のように長く伸びた棒が突き立てられている。
旗だ。先端に括りつけられた青い布が風もないのにはためいている。
そしてそれを中心にして、足元では青白い光の線が魔法陣が展開し、イゴールを含めたお庭番衆たちを取り囲んでいる。
「鑑定士殿……」
「忠告にきました。呪われた付与道具の扱いは慎重でなければいけません。触ることでさえ、よけいな災いを呼ぶこともあります」
「どうやってここまで?」
あの絶壁を越えなくては、この広間まで辿り着くことは不可能だ。
仮に城内に入れたとしても、見張りがいる。隠密の技能がなくては気づかれて排除されるだろう。
目の前の人物は、それらの障害を乗り越える能力はないと言っていた。剣の腕も、探索で役立つような魔術も扱えないこの男がどのように、ここまで辿り着いたというのか。
「ええっと『姿隠しの指輪』と『略奪者の地図』と『壁抜けの取手』を使いました」
それらの名称には聞き覚えがある。
確かダンジョン探索に置いて、非常に有効な付与道具のはずだ。
但し、存在自体が希少な上、使用できるのが基本的に盗賊職や罪人に限られる為、活用している探索者は極少数だったと記憶している。
「泥棒三セットって御存知ですか?」
「泥棒ですか……?」
「ええ今言った三つがあれば、誰でも、どんな場所でも、誰にも気づかれずに、潜り込めという事でそう呼ばれているんですよ」
鑑定士ーー名前はフジワラだったか。
彼は場違いにも嬉々としながら、腰巻き鞄から古ぼけた地図やら、壊れたドアノブのようなものを取り出して説明し始めた。
「僕自身は何もできませんが、こういう道具を扱うのはわりと得意な方なんです」
「……」
初対面の時、何故このような軟弱そうな男が、◆級の踏破の称号を持っているのだろうと疑問だった。恐らくは金を積み、屈強な探索者を雇って手に入れたのだろうと高を括っていた。
だがそうではないようだ。
どうやら自分はこの男を甘く見ていたらしい。
彼は自分には真似できない、彼独自のやり方で、道を切り開く術を持っていた。今頃になってイゴールはそれを何となくではあるが理解することができた。
「鑑定士……いやフジワラ殿」
イゴールは床に両膝をつき、平伏した。
それは土下座だ。
極東に伝わる、最大級の謝意を表す場合に使用する身体言語。
そうすることで彼の能力を侮った事、命を助けられた事への礼を表した。
「助けて頂いたこと感謝致します」
「いやいやいや。そんな事をされても困ります」
この聖域とやらが、どれだけ保つのかは分からない。
だがイゴールは望みは繋がったと思った。
これで御庭番衆としての役目を最後まで果たすことができる。
配下の何名かが、状態回復できるまでの猶予さえあれば御の字。そうすればこの身と引き換えにしてでも『死者のオルゴール』を奪還し、部下とフジワラだけでも城外に逃せるだろう。
いや是が非でもそうするのだ。
「では、ちょっと百鬼夜行を止めてきます」
「正気ですか! ひとりでどうしようというのです!?」
こちらの決意とは裏腹に、思わぬ行動に出ようとしていたフジワラを慌てて引き留める。
いくら何でもそれは無茶だろうと思った。
仮に百歩譲ってこの男に何か手があるのだとしてもだ。この周囲を取り囲んでいる大量のアンデッドモンスターたちを何とかできるとは、到底思えない。
何よりも目の前には二体の餓沙髑髏までもがいるのだ。
「この状況は何とかできる者が、何とかしなくてはいけません」
「……貴殿には何とかできると?」
フジワラは答えなかった。
だがこわばった顔でにっこりと笑って、頷いてくる。
何という男だろう。
果たして自分はこの状況下で、笑みを浮かべることができるだろうか。
「……」
イゴールは観念する事にした。
地面に座り、正座の姿勢になるとこのまま大人しく目の前の男に命運を委ねることに決める。
そして頼りない足取りで、だが真っ直ぐに聖域の外へと踏み出していく、不思議な鑑定士のその背中を見送ることにしたのだった。
◆
「……ふむ?」
ふと妙な胸騒ぎがして、アネモネは立ち止まった。
元きた道を振り返る。延々と続く長く通路の向こうは暗がりで見通せない。
あの先にある下りの階段を行けば地下十四階だ。
「アネモネさんどうしたっすか? 置いていくっすよ?」
「いやすまない。何でもないんだ」
どうも地下十四階を離れる直前で見かけた、あの外套の人物の事が気になっていた。
何となく知り合いに似ていた気がするのだ。
だがまさか戻って確かめるわけにもいかず、足を止めて待ってくれている戦友たちの元へと、向かう事にする。
まあそんなはずはない。
何故ならあの人は見るからに脆弱だ。こんなダンジョンの奥深くまで来られるわけがない。
多分、地下二階あたりでへばってしまうのが関の山だろう。
「何というか小鬼にも負けそうだからな。というか粘菌以下だからな、うん、うん」
そう自らに言い聞かせるようにして、アネモネは何度も頷いたのだった。
四話では蹴りがつかない模様です……。




