屍者のオルゴール(未鑑定)②
古城――天守の広間。
奥部の玉座に浅く腰かけたカリギュラ公爵は、瞼を閉じ、腹に置いたオルゴールにうっとりと耳を澄ませている。
軽妙でどこか物悲しい、歪さを含んだ旋律だ。
彼にとってそれは非常に心地よく、何度聞いても胸に響くものがある。
彼は充実していた。
すべてはこの『屍者のオルゴール』のおかげだ。
命と引き換えに、これ以上ないものを手に入れることができた。
こうして屍者の王に成る事ができた。
屍者どもを扱う術を身につけることができた。
そしてついに五千を越える軍勢を揃えることができた。
後はただ望みを叶えるだけ。
それは地上に出て、恐怖、狂気、哀しみ、絶望の種をばらまいて、そこらじゅうを死という名前の花で埋め尽くす事。
だがまだ少しだけ面倒事が残っている。
カリギュラはアンデットモンスターになった事で、この迷宮の一部と化した。
故に客から配役者となったこの身ではもはや門から出ることは叶わない。
だからこの場所から屍者を操り、迷宮の残りを攻略。ダンジョンの最下層――地下二十五階にある、どんな願いをも叶えることのできる大釜を奪取する必要がある。
それさえ手に入れれば、軍勢と共に地上に降臨できるのだ。
遠征軍との戦争ごっこは所詮、それまでの余興。
すべては願いを叶える為の暇潰し。
せいぜい彼らの心を折らぬよう、希望を与えつつ、じわじわと追い詰めてやらなくてはいけない。
「……さあ」
カリギュラ公爵はうっすらと瞼を開いた。
そしてこの広間まで辿りつく事の出来た侵入者に向けて声をかける。
「出ておいで鼠ちゃあああああん?」
◆
恐らくは魔術の類でこちらの様子を窺っていたのだろう。
城内に踏み込んだあたりから、どこからともなく不気味な『視線』がこちらに向かっている事に、イゴールは気づいていた。
気配を解くと、わざと靴音を立てながら、広間へと通じる階段を下りていく。自分がここにいることをアピールして注意を引き寄せるためだ。
「カリギュラ閣下とお見受けるする」
「貴方はああああん?」
階下の広間で、玉座にだらしなく腰かけている人物がこちらを見上げて、小首を傾げる。
化粧を施し、女物の衣装を身に纏ってはいるが、明らかに声は男のものだ。
その女装というも道化じみているけばけばしい風体は、記憶がある。数年前に、遠征軍なるダンジョン攻略勢を立ち上げた貴族。西国の大貴族で王位継承候補者のカリギュラ公爵だ。
「御庭番衆のイゴールと申します。どうか手にしたその箱をこちらに引き渡して頂きたい」
「ああ魔女の手下? ていうかさあ下っ端の分際でえ、西国の大貴族様に上から話しかけるなんて外交問題じゃなああい?」
カリギュラは興味を失ったように、付け爪をいじりながらそう言ってくる。
侵入者を前にして護衛も呼ばず、落ち着きを払った様子。
はったりではなく、何か手を隠しているのは間違いないだろう。
だが、とイゴールは思う。
如何なる策があろうとも、こちらに無防備な姿を晒してしまった時点で、彼は詰んでいる。
「残念ですが、西国での貴方はもはや故人だ」
「……」
「遠征軍の失敗で、貴方は爵位も、地位も取り上げられたので、仮に生還されても庇護者はいない。更に言えばこのダンジョンは治外法権。どのように果てようが、どこからも文句がくることはないでしょう――」
イゴールは懐から取り出した葉巻を咥え、指を弾いて火をつける。
たっぷりと吸い込んで肺を満たし、ゆっくり深く一息をついて、言った。
「故に死ね」
その言葉は合図だった。
闇に紛れながら王座までたどり着いた、配下のひとりが音もなく立ち上がり姿を現すと、標的めがけ、問答無用で手刀を振りかざす。
侵入者の魔の手を防ぐものは誰もおらず、城主自身もまたその身に迫る危険には気づいていない。
故に、それだけでカリギュラの首は、あっさりと刎ね跳んだのだった。
◆
「うふっ。うふふふふふふふふふふふふうふふふふふうふふ。ひゃははははははっはははははははっははははははは――」
だが床に転がったカリギュラの生首が笑っている。
口紅を引いた口元を醜く歪め、笑っている。
心の底から愉快そうに、この世のすべてを嘲るように、笑っている。
それはまるで悪夢のようなおぞましい光景だ。
「腐れ外道。アンデッドに身をやつしたか」
イゴールは玉座の前までやってくると、黙って左足を上げた。
踏み潰す。革靴の底で、念入り砕き、踏みにじる。
それでようやく何もかもが動かなくなった。
聞こえてくるのは、もはや首のない死体が抱えるオルゴールからの不気味な旋律だけだった。
「頭領」
「はっ」
「オルゴールを回収しろ」
「はっ」
恐らくまだ何かある。
今の笑い声で、近くにいるアンデッドモンスターが異変を嗅ぎつけ、やってくる可能性もありえる。早くここから出た方がいいだろう。
だがそう思った時には、すでに頭上から物音が響いている。
みしり、みしり……。
見上げると、二階廊下の手摺りから、ぬっと半身だけを晒した異形。巨大な骨だけでできた化け物。
餓者髑髏だ。
それは眼窪に、何故か存在する目玉を、ぎょろりと動かせてこちらを確認すると、あざ笑うようにケタケタと顎を鳴らしてくる。
「……ちい」
何より問題なのは、退路を塞がれた事。
この広間に窓はない。正面入口から城門を抜ければ大量のアンデッドモンスターが待ち構えている。
あれの背後にある廊下を通らなければ、この城からは脱出できなかった。
つい先日、熟練の探索者たちが数日かかりで、この化け物を退治した話を耳にしたばかりだ。総出でかかれば倒せるが、長期戦は避けられないだろう。
「……む」
床が微かに揺れている。
今度は広間の外から、次第に近づいてくるのが分かる。ずしんずしんと大型の何かが足を踏みならす音が聞こえてくる。
ふいに音が止むと、広間の入り口の向こうにちらつく大きな影がちらつく。入り口の壁を請わないように、這うようにしてぬっと入り込んでくると、それの全身が明らかになった。
「あれは……なんなのだ……!?」
イゴールは地下二十一階までを踏破した経験を持つが、未だかつて見たことのない化け物だった。
それはまたしても餓沙髑髏だった。
だが頭上にいるものよりも一回りも大きく、異様に紅い骨格を持った個体だ。
ただの骸骨が何百人もの命を奪った結果、希に真紅の骸骨に変化する事がある。それは凄まじい防御力と、凶悪な戦闘力を持つアンデッドモンスターだ。
目の前にいるこれも、同じ理屈で生み出されたのだろうか。
もしそうだとすれば一体どれだけの命を奪ってきたのか。
そして餓者髑髏がただの骸骨に相当するのであれば、どれだけ強いのか。
想像すらできなかった。
「頭領」
「……わかっている」
更にその脇から、たたみ掛けるようにぞろぞろと入り込んでくる者達がいる。骸骨、 怨霊、 屍鬼、 鬼火、 泣き女、 亡者の金貨、 幽騎、 南瓜お化け、 多種多様、数限りないアンデッドモンスターたちの入場行進が始まった。
まさにそれは百鬼夜行の地獄絵図だった。
「うっひゃああはっはっはああ!」
どこからともなく楽しげな声が響いてくる。
それは先刻殺したばかりのカリギュラのもので間違いなかった。
「さあさあ、楽しい時間の始まりだよおおう!!」




