古びて赤錆だらけの両手剣(未鑑定)④
――もう後がない。万策が尽きた。
ただそれでも心は折れていなかった。
絶望はすでに味わった。でもあの人のおかげでどん底からでも立ち上がることができた。
まだその恩を返していない。どうやって返すかも分からない。
だからせめてまず約束だけは果たそうと思った。
諦めない。挫けるつもりもない。死ぬつもりはない。最後の最後まであがいて生き残る。
「さあ兄様、稽古の続きです」
やるべき事は分かっている。
まず甲冑を脱ぎ捨てる事。右小手の留め金を口で外し、足具も脱ぐ。後退しながら鎧部分も脱ぎ捨てる。肌着だけの無防備な姿になる。
この状態からなら一撃で殺される自信がある。だが引き換えに身軽になることで、また立ち上がることができた。
駆け出す。
熱に浮かされたように身体が熱い。節々が、身体じゅうが痛い。でも走ることはできる。これまでの過酷な迷宮での生活はきっと、自分の身体を鍛え上げてくれたに違いない。ならば並みの戦士くらいの体力はついているはず。そう自身に言い聞かせる。
落とした剣を拾い上げる。
駆け抜けながら、右手で構える。鳥の尾羽根のように軽かったはずの、それはとても重い。一度振り抜いただけで腕が動かなくなりそうだ。
でも扱い方はよく知っている。これまで何百万回も、何千万回も振るってきた。だから後、数回振るうくらいわけないはず。
今、自分はきっと強くない。
でもきっと弱くもない。
首なしの騎士が巨大な剣を構え、待ちかまえている。まだ雷槌の後遺症が残っているらしく、ややぎこちない動作で、だが剣を振りかぶってくる。
防具はない。当たれば死ぬ。
だからすべてをかわすつもりで、臆することなく真っ直ぐに進む。
初撃――巨大な剣身が断首台の鎌のように飛んでくる。
身体を低くしくぐり抜ける。髪だけが斬られ舞う。
二撃目――中段から下段。
身を低くしたまま跳ねて避ける。かかとが僅かに斬られ血が飛んだが気にしない。
返す刀での三撃目――素早いだが狙いも何もない、雑な逆一文字。
見切る。前屈みの姿勢から、胸を反らすようにして、僅かな動きでかわす。
剣を突き立てるように構える。
狙いは胸当て。雷鎚を受けたせいかその周辺だけは黒化していない。そこなら多分呪いによる『反撃』はない。
突突突!!!
故に紋章目掛けて攻撃を当て続ける。硬い鋼鉄を貫ける程の威力はなく、弾かれるも戦果はあった。僅かだが亀裂ができている。
そして身を捻りばねを作る。全身全霊、身体が軋むぐらい極限まで振りかぶり――。
斬!!!!!
同時に横殴りの一撃を受けて吹き飛ぶ。
一瞬、呼吸ができない。外すことのできなかった右腕の籠手が盾代わりになってくれた。お陰で胴が真っ二つになるのは回避できた。多分、今ので肋が何本か折れた。喉の奥から込み上げてきたものを吐き出すと、足元に血だまりができた。
でもまだ立ち上がれる。
「……」
首なしの騎士は何事もなかったかのように立っている。
俯いて胸の辺りを見ていた。アネモネの狙いは正しかった。手応えはあったのだ。何故なら甲冑を打ち破れずとも胸のひびは拡大している。おまけに小規模ではあるが穴もできており、そこからは黒い霧のようなものが漏れ出している。
彼はそっと手を伸ばし、被害の大きさを確認しようとしていた。いやもしかしたらそれは再び、甲冑を黒化する為の予備動作だったのかもしれない。
だがどちらにしろそれは叶わない。何故なら――。
ピシリ――乾いた音が鳴る。
胸当て全体に干からびた地面のような細かい亀裂が入り、砕ける。大量の黒い霧を放出しながら腕具が、足具が、腰当てが瓦解する。地面に転がり落ちて――そのまま動かなくなる。
そして首なしの騎士は消滅した。
◆
その日の午後も、兄とふたりで剣を交えた。
雲一つない青空で、絶好の稽古日和だった。
家庭教師による剣術の授業時間はそれぞれに設けられてはいたが、ふたりが一緒で学ぶことはない。そして子女であるアネモネは護身術しか学ぶ事ができなかった。
だからこうして毎日、午睡の時間にこっそり、兄と屋敷の庭園で稽古をする事のが、小さなアネモネにとって何よりの楽しみだ。
「やったあ。また兄様に勝ったよ!」
「アネモネ。随分強くなったね」
「えへへへ」
小さなアネモネは褒められて得意になる。
そうだった。この頃はまだ、わざと勝たせてもらっている事に気づかず、よく上機嫌で浮かれていたのだ。
「うーん。僕ももっと強くならないと迷宮都市に行けないかもなあ」
「めーきゅーとしってなあに?」
「怖いモンスターとか凄いお宝とかがある場所さ」
「面白そう。アネモネも行きたい!」
「じゃあたくさん剣の稽古をしないとね」
「お稽古する。兄様と行く」
「うん。じゃあ大きくなったら二人で行こう」
「わーい」
だが残念ながら、その夢が果たされることはない。
いやある意味皮肉な形で実現することになる。
ただそんな先の事を、何ひとつ知らない小さなアネモネは、無邪気に、まだ見ぬ場所に思いを馳せている。
ふと見上げる。兄が哀しそうな顔をしてこちらを見ている。
小さなアネモネは不安な気持ちにかられて泣きだしそうになる。何か彼を傷つけるような事をしてしまっただろうか、それとも具合でも悪いのだろうか。
「あ、う、兄様……どうしたの?」
「……うん」
アドニスもまた泣き出しそうな顔をする。
それから何かを堪えるように無理やりに笑みを浮かべて、小さなアネモネの髪をくしゃくしゃに撫でてくる。
「ごめんね。ありがとうアネモネ」
兄が何故謝罪と感謝の言葉を口にしたのか分からなかった。
ただ小さなアネモネは心の何処かで、これが現実ではない事を理解していた。これはただの夢。ただの幻想だ。
でもだからこそ彼女はただされるがままに撫でられながら、彼にぎゅっとしがみついた。
それが、ふたりにとって別れの挨拶だった。
◆
「……気づかれたのですね」
見知らぬ女性の声がした。
膝枕されているらしい。微かに香草の香りが染みついたローブスカート越しの太腿が柔らかい。
頬が濡れている。どうやら泣いていたらしい。
「このまま安静になさって下さい」
「あ……た……は?」
貴方は、と尋ねようとして、まともに声が出ないことに気づく。
首だけをあげ、膝枕の主を確認してぎょっとする。
彼女は魔術師然としたゆったりとしたローブを身につけながらでも、はっきりと分かる女性らしい身体つきをしている。だがその顔には奇妙な嘴の面を被っている。
「喉もそうですが、肋骨の骨折が酷いのです。内臓を傷つけている可能性もありますから、どうか動かないで下さいね」
彼女には見覚えがある。道中、何度か仲間にならないかと声をかけてきた探索者のひとりだ。妖しげだったので逃げ回った記憶がある。
名前は確か、デネブだ。
「……さあこれを」
「な……ん……?」
「オリジナルの治癒薬です。霊薬(エリクサ―)とまではいきませんが体力と魔力を回復することができるでしょう」
差し出された澄んだ濃い緑色の液体が詰まった透明のガラス瓶を受け取り、口元まで運ぶ。
奇妙な匂いがする。
思いきって口にする。
草を煮詰めたような渋みとえぐみ、そして爽やかな酸味が渾然一体となった不思議な味が広がってくる。感想を述べることを控えたい味だったので一気に飲み干した。
「お代わりはいかがですか?」
「も……い……」
もう十分です、という言葉を身振りで示そうとしたが、うまくいかなかったらしい。何故か、味を褒められたと勘違いしたらしく、彼女は嬉しそうに作り方を説明してくれる。飲んだのを後悔するような素材ばかりだった。
それから
「礼ならあの子たちにもしてあげて下さいね」
彼女はそう言って嘴を向ける。
その先には見知った者達がいる。老翁面と桶兜だ。
彼女たちは地面に座り込み、デネブと同じような嘴面を被った女性から傷の手当てを受けている。どうやらあの修羅場を、無事生き延びることができたようだ。
「貴方が無事なのは、あそこの二人が死にもの狂いで、怨霊から守った結果です。後で声をかけてあげて下さい。きっと喜びますから」
「……」
成程、そうだったのか。
彼女たちには何度も窮地を救われた事になる。何故、駆けつけれくれたのか、何故、そこまで助けてくれたのかは分からない。ただ何度礼を述べても足りなかった。楽しそうな二人だったから、ちゃんとおしゃべりがしてみたいな。今度お礼がてら話しかけてみようと思った。
それから改めて周囲を見回す。
あれだけいた怨霊や幽騎の軍勢は影も形もない。本当に駆逐されたらしい。代わりに探索者たちが地面に転がっている幽騎の躯などを調べて回っている姿がある。
「……」
「まだ残党はおりますが、殆ど片はついたようです。今は例の箱を探しています」
「……そ……か」
ふと目に入るものがある。
それは地面に転がった甲冑だ。自分が脱ぎ捨てたものではないが、見覚えがある。首なしの騎士、いや兄が着用していたものだ。
あれだけアネモネを追い詰めた、甲冑はもう微動だにしない。それはつまり『百鬼夜行』に囚われていた兄の魂が解放された何よりの証拠だ。
アネモネは安堵すると共に、どこか寂しさを覚えていた。
――そうか終わったのか
そしてアネモネは暫くの間、ただ物としてそこに存在しているだけのそれを眺めていた。
◆
鑑別証『硬きひとすじの雷鎚の剣(高級品)』
『汝、喪中の騎士に告ぐ、血を三万五千七百十二滴捧げろ――さすれば世界は、百億の火の針を生め、千万回それを叩き、百万度それを凍てつかせ、万度それを研ぎ、数千の雷槌を造らん、グリスミルドの樹木のように』
『湖畔の貴婦人の賜り物』と呼ばれるかの高貴な聖剣。その偽物が世に数多く出回っている事は、武器屋の間では周知の事実です。
金に困った貴族や、自称英雄の末裔などが持ち込み、店主が苦笑しながら、同時に心の何処かで期待しながら、その真偽を確かめているという場面もそれほど珍しくはありません。
またあまり武器屋に出入りしない方でも、怪しげな露天商が錆びた銅剣を並べ、下手くそな聖剣王の冒険譚を謡いながら投げ売りしている光景くらいは見たことがあるのではないでしょうか(まああれに本気で手を出す人はいないとは思いますが……)。
これほどまでにかの剣の贋作・模造品・紛い物・類似品、あるいは複製で溢れかえってしまった原因は、おそらく『聖杯伝説』が有名になり過ぎてしまったからでしょう。
ただあまりにも種類が豊富であるため、本物には及ばないにしても強力な能力を持つ偽物が存在するようです。
この『硬き雷鎚の剣』もまたそのひとつ。造り手は無名の魔術師ですが、伝説で謳われる『三十の松明よりも輝きを放つ剣身』という下りにあやかって造り上げられたと言われております。
とても強力な魔剣で雷鎚を繰り出すことができます。その威力は『雷撃』の呪文よりも強力で広範囲、使い手の腕次第では一度に百匹もの小鬼を炭に変え、葬り去る事ができるそうです。
ただ使い勝手が良過ぎるからとあまり多用してはいけません。
血中の魔力含有率は種族差、個人差がありますが、体内を流れる血液の半分以上を失うと、著しい精神的失調、またはショック死に至るとされております。
以上が遠征軍との戦いの経緯である。
◆
……。
…………。
「おや? おやおや? 探索者の皆さんは大いに喜んでいるようですねえ?」
古城の主は玉座に浅くだらしなく腰かけながら、ワタリガラスの運ぶ髑髏から『共有視』した視界によって古戦場の様子を楽しみながら、嘲笑う。
果たして彼らは理解しているのだろうか。
遠征軍を倒しても意味がないことを。
結局のところこの百鬼夜行が何も終わってないことを。
「うれちいでしゅかああああ? 戦いに勝てて良かったでちゅねええええ?」
古城の主はこれから彼らの顔に浮かぶ喜びが、恐怖と混乱に変わる様を想像して舌舐めずりをしながら、膝の上の不気味な音を奏でる箱を撫でるのだった。
「……まあいいや。諸君ら、もうちょっと遊んであげるようううう?」
◆
というわけで過去編ほぼ終わりましたが、もうちょい続きます
あと3、4話で、サクッと俺TUEE展開→ENDな感じでいければと思ってます。
あと新刊出たので是非!




