古びて赤錆だらけの両手剣(未鑑定)③
どうやら50話目のようです。
首なしの騎士による怒濤の剣撃。
アンデッド化したことで強化された膂力と、超重量級の大剣によって生み出された圧倒的な威力。
それを何とか凌ぎ切り、後退。体勢を立て直す。彼は踏み込んでくると思っていたがそうはせずに、じっくりと間合いを測るように対峙してくる。
防戦一方。つけいる隙がないどころか、相手の攻撃を受け流すのが精一杯の状況だ。
だが苦戦しながらも、どこかに楽しんでいる自分がいる。ほんの少しだけ、幼い頃に戻った気がしていた。
理由はわかっている。
彼の剣筋のせいだ。
当時よりも数段は洗練されている。独自の工夫アレンジも加わっている。多分、それは彼が故郷を出て修行を積んだ成果。交流が途絶え、剣を交えることのなかった時間の重みの差分だろう。
でも根底に流れるものは何も変わらない。よく知る流儀。ふたりで学び、体得した型。
紛れも無くそれは兄の剣だった。
◆
首なしの騎士が足を止める。
そして握っていない方の手をそっと右胸に添え、まるで礼をするような仕草をする。
胸当てに刻まれた紋章を撫でるように触れている。
それは兄の生前の癖だった。
「……!?」
ずずず……。
次の瞬間、異変が起きた。
甲冑の至る隙間から黒い霧のようなものが噴き出してくる。
先程の黒槍を形作っていた何か、と同質の霧。
それが彼の面頬、胸当て、草擦から鉄靴に至るまでをじわじわと蝕むように変色させていき、黒に染め上げていく。
具体的に何をしているのかは分からない。だがそれは不吉で、冒涜的な何かだ。
恐らくは何かの能力を発動させている。
自らの身体を塗り替えた意味を考えれば、身体能力の強化――膂力、俊敏性、防御力、の何れかが向上を促すものである可能性が高い。
もしその推察が正しければ状況は、この戦闘は更に不利になるだろう。
にわかに焦燥感が沸き上がってきた。
◆
その姿を黒一色に変貌させると首なしの騎士は、また襲いかかってくる。
間合いを詰めながら袈裟斬りを仕掛けてくる。右上段から抉るように落ちてくる深いその攻撃を、アネモネは正面から受ける。腕の痺れと引き替えに何とか受けきる事ができた。その動作も威力も、常人離れしてはいるが、これまでと変わり映えしない。別に身体能力が強化されたわけではないようだ
ただ変化はあった。
剣質――そこにあったはずの兄の面影が消えていた。何故か繰り出してくる攻撃は粗く、隙だらけになっていた
首なしの騎士のは連続刺突を左右に躱す。強引な袈裟斬りを受け流す。更に返す刀の袈裟斬りを流しながら、この瞬間ならば反撃できないだろうと、強く前に踏み込む。
容赦なく剣を叩き込んだ!
「……ぐっ!?」
確かな手応え。
だが同時に襲い掛かってくる全身に言いようのない悪寒。頭部を鈍器で殴られたような鈍い痛みが生まれ。更に吐き気と虚脱感が苛んでくる。
肉体的な損傷はない。だが怨霊の『死者の愛撫』にも似た苦痛を受けていた。
何か起きたのか分からない。攻撃したのはこちらの方だ。相手からの攻撃は一切受けていない。
にも関わらずアネモネは不可解な痛手を負っていた。
◆
気分が悪い。
何とか体調が戻るまでの時間を稼がなくてはいけない。
アネモネはよろめきながら後退。だが首なしの騎士は猶予をくれない。すぐに距離を詰めてくると、猛然とした剣撃を繰り出してくる。
勇ましいといえば響きはいいが、明らかに守りについての一切を放棄した無謀な攻めだ。まるでその動きはこちらの攻撃を誘っているようにも思えた。
「……」
敢えて、隙を曝け出している?
そう考える事で今受けた苦痛、彼が身体を黒化させることで得た能力が何なのか察しがついた。あれは恐らく『反撃』。攻撃を加えてきた相手に対して、苦痛を与える呪術の類だ。もしまた黒化した甲冑を斬りつければ、『反撃』を受けることになる。攻撃と引換に、のたうち回りたくなるような耐えがたい苦痛を受けることを考えると、うかつに手が出せない。
非常に厄介だった。
「……っ!」
苦痛を引きずったまま鍔迫り合いになり、力負けした。体勢を崩し、後方によろめいたところで、容赦ない首なしの騎士の斬撃がくる。剣で防いだが代わりに、手元から弾け飛んだ。
地面に腰がついたところで、襲ってくる更なる追撃。その軌道は、間違えなくアネモネの喉笛を噛み千切ろうとしている。絶望的な気分になりながら、苦し紛れにできたのは手甲で庇う事だけ。
腕と顔面を襲う強い衝撃。
意識が飛ぶ――。
「う……あ……?」
気がつくと地面に転がされていた。
眩暈と耳鳴りが頭を支配している。頭部に手を当てようとして、兜が犠牲になった事を知る。額のあたりから垂れてくる何かが、触れた手甲をべっとりと赤く濡らす。そういえば左腕の感覚がない。首をかばって剣を受けたせいで使い物にならなくなっている。籠手の潰れ具合から察するに、骨が粉々になっていても不思議ではない状態だ
ふらついた視界のなかで這いながら、すぐに立ち上がらないといけないと自分に言い聞かせていた。そして手放した剣を探さなくてはいけない。すぐに首なしの騎士と対峙しなければ、殺されてしまう。
「!?」
突如、髪の毛を掴まれる。
引きちぎらんばかりの勢いでひっぱられ、身体が吊り上げられる。
目の前に首なしの騎士。彼は大剣を手放すと、黒い鋼鉄の指先を、喉にのばしてくる。強く締めつけられた。まともに呼吸ができない。外そうとするが片手の力だけでは足りない。どうにかしてこの状況から逃げ出さなくては、そうでなければ待っているのは死。
「電鎚のはげしき……」
アネモネはまだ動く右手で、腰の錆びた両手剣を引き抜いていた。
ありったけの魔力を叩き込む。後先は微塵も考えていない。ただこの状況から抜け出すことだけを考えていた。
「……いち……げき……っ!!」
そして目の前にいる首なしの騎士に向かって、剣を突き立てた。
◆
にわかに明るくなる剣身。
光の筋を蒔き散らしながら、剣先に生み出されていく圧倒的な光。
至近距離から放たれた小規模の雷鎚が、首なしの騎士の胸当てを穿つ。
目の前が真っ白になり、気づくと反動で後方に吹き飛ばされている。
地面に投げ出され、土煙のなかで咳き込みながら、思う存分呼吸をした。喉が痛い。声が出ない。
だが最悪の状況だけは回避できた。まず生き延びることだけはできた事に安堵する。
「……」
首を巡らせ、首なしの騎士を探す。
彼は轍をつくり、片膝をついて蹲るようにしていた。電槌と化した剣を受け、胸のあたりから白い煙を棚引かせている。あわよくばそのまま沈んでくれる事を望んだが、あの中途半端な雷鎚がまともに効いたとは思えない。案の定、ぎこちない動作で立ち上がった彼は、すぐに足下に落ちた自らの大剣を見つけ、拾い上げる。勿論、それはアネモネを殺す為だ。
自分も立ち上がらなくてはいけない。剣を拾い上げ立ち向かわねばいけない。
だができない。
全身が怠く、重たい感覚。
まともに身動きがとれない。一瞬、幽騎の『魔眼』や首なしの騎士の『呪い』の後遺症を疑うが、そうではないと思い至る。単に肉体が、甲冑の重量にも耐えられなくなった。膝を突いた状態のまま立ち上がることすらできないだけだ。あらゆる恩恵が失われ、体力や筋力も低下し、軟弱な肉体に戻ってしまっただけだ。
それは当然の報い。
正当な代償だ。何故なら、アネモネは一度限りと言われていた付与道具を、三度も使用した。
だから魔力が底をついた。
ついに『英雄の心臓』が効果を切らしたのである。
◆
「では最後にここに署名して下さい」
「ふむ……こうか?」
アネモネは差し出された羊皮紙に、名前を認める。
それを受け取ると、フジワラは目を細め満足そうな笑みを浮かべる。
「はい。では契約成立です。お買い上げ有難うございました」
「……契約?」
アネモネは首を傾げた。
「ええ貴女の新しい装備の代金は、しめて一千万ゲルンになります。即金では無理だと思うので借金にしてみました」
「……一千万ゲルン? ……借金?」
更に首を傾げる。
彼が何を言っているのか分からない。
そういえば前にも同じようなやりとりをした気がする。
そう。あれはフジワラに二度目にあった時のことだ。彼は今と同じ笑みを浮かべながら、えげつない商売を仕掛けてきたのだ。
「はい。貴方はそれを返済する義務があります」
「聞いてないぞ!」
「今言いましたから」
何て奴だと思った。
幾らなんでも一千万ゲルンという法外な借金を返済できるわけがない。西国にいる叔父を頼ってもそんな費用は捻出できるわけがない。だいたいビスケット何枚分だ。そんなものを背負うくらいなら買わないほうがましだ。
こんなものいらない。アネモネはそう言って、受け取った装備を突き返そうとした。
「利息も、期限もありません。でも何年かけてでもきっちり返済してもらいます。だからそれまで絶対に、死ぬ事は許されません。これはそういう契約書です」
彼がにっこりと笑みを浮かべながら、そう言ってくる。
「だから。ちゃんと生きて帰ってきて下さいね」
「……何故、私にそこまでしてくれるんだ?」
「前にも言いましたが貴方はただの常連客ではありません。大事な友人です」
「……」
アネモネは、彼のその言葉に心が満たされていく。
と同時に、何故か物足りなさを覚えた。
その気持ちが何なのか分からないまま、アネモネは気が付くと小指を差し出している。それはフジワラから教わった作法。彼の故郷で約束を交わす際にする行為だった。
「分かった。約束しよう」




