微熱を帯びたショートソード(未鑑定) ③
「ふっふっふっ……」
フジワラは眼鏡を光らせてほくそ笑む。
雨のせいで客足は途絶え、閉店作業もアネモネに任せている。数時間前にダンジョンから戻ってきた知り合いの持ち込み鑑定も片付けてしまったのでちょうど退屈していたところだ。
「……腕が鳴りますねえ」
フジワラが指の関節をごきゅごきゅ鳴らし、ひとりで悦に浸っていると、ソアラが真っ青な顔をしてこちらから遠ざかろうとしていた。
「……はっ」
「……」
鑑定のこととなると周りが見えなくなる時があるので、よくアネモネに注意されているのだがまたボロを出してしまったようだ。新規のお客様におかしな誤解を抱かせてしまうのはマズイ。
咳払いをして誤魔化すと、フジワラは営業モードの微笑に努める。
「えっと……調べてもらえるんでしょうか?」
「ええ勿論ですとも」
その言葉に、ソアラと名乗った少年はほっとした表情を浮かべる。
垢抜けない顔つきから察するにまだ十代半ば。身につけているまだ傷の少ない新調したての防具類や、アンティークという言葉に馴染みがないところから、本当に駆けだしたばかりの探索者であることが見てとれる。
全てが新しく面白く輝かしく見える反面、始めたばかりで不慣れな生活や稼業に躓きやすい時期だ。色々苦労をしているのかもしれない。
「さて、まず鑑定するにあたってまずひとつ伺わせて下さい」
それはフジワラにとって大切な案件だったので、眼鏡のやまを中指と人差し指で持ち上げきりっとした顔で宣言するように言った。
「鑑別証は如何しましょう?」
「えっと……それって何でしょうか?」
ソアラは鑑別証のことを知らないらしい。フジワラは説明する為に、棚から適当に薬壜に入った商品を持ってくると、壜の蓋に紐で括られたカードを見せた。
「これが鑑別証です。これにはアイテム名、用途、能力、品質、製造者など、私が鑑定した内容が記されているんです」
「へえ成分表も書いてあるんですね」
「御希望とあれば用量、用法、使用上の注意も御付けできます」
そもそもダンジョンから回収されるアイテムというのはすべからく未鑑定品だ。
例えばヒーリングポーションというアイテムがある。体内の治癒力を高める効能があり飲み干すだけで浅い傷程度であればたちどころに塞がる薬品で、地下ダンジョンの浅い層において比較的簡単に取得できるものだ。
だが探索者の多くは地上へと持ち帰るまでそれを使用することができない。
何故なら鑑定が終わるまでは、それが何の薬なのか判別することができないからだ。その大半がラベリングされてないし、されていたところで中身が違う可能性もある。また小瓶に入っているもの、栓抜き付きの試験管のもの、魔法瓶のもの、などに容器は多種多様。のみならず溶液自体も作り手のアレンジによって粘度、色合い、匂いが変わってくる。
たぶんやおそらくで、毒が混入しているものをうっかり飲んでしまうわけにはいかない。
だから迷宮都市に戻って、専門の知識、専門の技術、専門の道具が揃った鑑定士の元で『鑑定』をしてもらう必要があるのだ。
「そして鑑定後、アイテムを売却する際にはこの鑑別証が必要になってくるんです。逆にこれがあれば買い取る商店を変えてもわざわざ鑑定をし直さなくてもいいし、査定の手続きも簡単に済ませられるでしょう」
「成る程」
「それから買い叩かれるようなトラブルはまず起こらないのもメリットの一つですね」
「じゃあお願いします」
「畏まりました」
「――失礼します」
★
ソアラが声のした方を見ると、バックヤードの方からがっしゃんがっしゃんと音を立てて人影が近づいてくる。
彼女は全身を重装備に包みながらもそれをものともせず、美しい姿勢で優雅に歩行している。おまけに魔法瓶を二本とカップを三つ乗せたトレイを持ちながら、危なげなくそれを運んでいた。
アネモネーーこの店に連れてきてくれた人物だ。
雨に濡れたので着替えてくると言っていたので、素顔が見れるかもしれないと期待していたが、先ほどと変わり映えのない全身甲冑とフリルエプロン。違いがあるとすればボディの色が鈍色から赤紫になった事と、エプロンに可愛い花のワンポイントが刺繍されているくらいだろうか。
「お茶をお持ちしました」
「やあ素敵な銅製のフルアーマーですね」
「倉庫で埃を被っていたので引っ張り出してきました」
「在庫を勝手に着ないで下さいね、うん」
にこやか注意を促す黒エプロンさんを無視しながら、アネモネは手際よくお茶の用意を始めた。
マグカップに魔法瓶の中身を注いだ後、角砂糖を三つ放り込み、ティースプーンで混ぜ、ソアラの傍のカウンターにそっと置く。彼女が
最近買ってきた客用の猫の小さなイラストがついるマグカップからわきたつ湯気の向こうにちらりと見えたのは薄い灰色の液体だ。
「どうぞソアラ様、こちら牛乳を多めにしたカフェオレです。苦いのが苦手な方でも飲めるかと思います」
「わあありがとうございます」
「珈琲はブラックで飲んでこそなのになあ」
「勿論、店長のはクソ苦いブラックです……どうぞ」
マグカップに注がれている液体が漆黒であることを確認し、嬉しそうな顔をする黒エプロンさん。どうやらあの苦い飲み物が大好きなようだ。
さっそくマグカップの匂いを嗅いで独り言のように「癒される」とか「これがないと仕事ができないですよねえ」とか呟いている。アネモネが反応していないので、相槌を打つべきなのか迷ったがソアラもそれに習うことにした。
マグカップ手をつける。冷たくなっていた指先に熱が伝わってくる。
「頂きます」
両手で持ち上げるようにしてゆっくりと口をつける。ほのかな珈琲の香りと砂糖と牛乳の甘みが広がる。温かくてすごく美味しい。そういえばダンジョンにいる間からろくに水も飲んでいなかったのを思い出す。
「……ふう」
息をつく。思いの他、身体が冷えていたらしく、全身を温かいものが巡って強ばりがほぐれていく気がした。いつのまにかマグカップのなかはいつの間にか半分くらいに減っていた。
それからフジワラが微笑みながらこちらを見ているのに気がつき、ソアラは恥ずかしくなって肩をすぼめる。
「美味しいでしょう。何といっても珈琲が良いですから。近くにある『モグラ亭』という酒場のオリジナルブレンドなんです」
「お代わりも御用意できますので遠慮なくどうぞ」
「ありがとうございます……」
恐縮するソアラの様子を見てか、アネモネはさっそくマグカップに魔法瓶の中身を継ぎ足し始めてくれた。
★
「それでソアラさんはどのような鑑定をお望みですか?」
ソアラの二杯目のマグカップが空になったあたりで、フジワラは依頼の話を進め
ることにした。
今回の依頼はどちらかと言えば通常の『鑑定』とは違うものだろうと考えている。依頼人であるソアラという少年にとってその剣は未鑑定品ではなくある程度どんなものなのか把握している。
つまり鑑定はもっと踏み込んだ内容になるはずだ。真贋鑑定、構成素材の調査、製造元・製作者の特定など可能性は多岐に及ぶ。
どちらにしろ腕が鳴りますね。口元がにやつくのをフジワラは我慢する。
「僕が知りたいのは、この子の扱い方なんです」
ソアラがベルトを外しカウンターに乗せたのは、さきほどフジワラが目視で鑑定してみせたショートソードだ。
古びたその状態からは作製されてからすでに千五百年近い歳月が経過しており、付与道具であることがわかる。
紛れもなくそれは『古きよき魔術師たちの時代』に造られた付与道具ーーファイアソードだ。
「これを手にしてもう三ヶ月以上使っていますが……僕はまだ使いこなせずにいます」
「使いこなせないというのは?」
「というか火の粉すら出せた事がないんです」
ファイアソードの特色は炎による剣撃の強化である。使用時には剣身に炎を纏わせることができ、通常の斬撃に加えて燃焼によるダメージも与えてくれる。アンデッドモンスターを始めとする火を苦手とする敵には極めて有効な装備だ。
火の粉も出せていないとなると全く使用できていないのと同じである。
「ふむ。基本的な扱い方はご存知ですか?」
「ええ。掌の皮膚を軽く切って、持ち手を握ればいいんですよね?」
フジワラは頷いた。
付与道具を始動させるには、使用者が魔力供給を行わなくてはいけない。魔術師であれば掌でただ触れて念を込めるだけで血流に含まれる魔力を操作と放出をすることが可能だ。だが魔術未修得者の場合そう簡単にはいかない。裁縫針の先で軽く突くなどして、一旦障壁となる皮膚を裂くことで魔力を外に出し易くしてやる必要があるのだ。
「魔力が足りないのかと思って、頑張ってみたんですが結局うんともすんとも言いませんでした」
「ふむ」
「……実はダンジョンの攻略に手間取っているんです」
「ほう、どのあたりまで進んでいるんだ?」
アネモネが興味深そうに尋ねる。見た目からして武闘派な彼女は元々探索者だ。今でこそオールドグッドで働いているが、少し前までは『死の足音』という愛称を持っているくらいには名を馳せていた。、
「地下三階です。どうしてもそこから先に進めなくて」
「あそこはメタルモルドの巣窟だな。鉄くずを主食にしている硬さと弾力を備えたスライム系のモンスターだ」
「ええ。そいつらが問題なんです。斬撃や打撃ではまるで歯が立たないんです」
グレイモルドのような物理的攻撃の通用しにくいモンスターを攻略するには、攻撃系の魔術によってダメージを与えるのが定石だ。だからソアラのようにそれができない剣士や狩人、盗賊などの職業には天敵でもある。
一般的な対抗策は魔力でコーティングされた武器かもしくは付与道具を使用する事とされていた。
「なるほどそれでここを訪れたのですね」
「はい。あいつらを退けるにはどうしてもこのファイアソードの力が必要なんです」
ソアラが視線を落とす。剣を持ったその両手には、どちらにも包帯が巻かれている。先ほどの『頑張ってみた』という言葉の意味がそれなのだろう。魔力供給の為に、ナイフで深く抉るくらいのことはやってみたに違いない。本気でこの剣を使いこなそうとしている、その必死さが伺えた。
「他に条件があるのかもしれませんね」
「条件ですか?」
「ええ『資格』か『代償』の問題かな。……ともあれそういう話なら一から調べてみる必要があります」
残りの珈琲を飲み干してフジワラはカップを置いた。
「鑑定を始めましょう」