古びて赤錆だらけの両手剣(未鑑定)①
「ふむ。甲冑のおかげで『死者の愛撫』を気にする必要はなくなったがーー」
アネモネは周囲を見回して、嘆息する。
「状況は依然、変わらないな」
怨霊たちの数はあまりにも多過ぎた。
正直、百を越えたあたりから倒した数を覚えていない。
斬っても斬っても一向に減る様子がなく、囲まれたままだ。
こうなっては奥の手を使わざるを得なかった。
「こいつはとっておきだったんだが仕方ないな」
アネモネは手にしている剣を腰の鞘に収め、代わりに別の剣を引き抜いた。
ざらついた手応え。
現れたのは古びて赤錆だらけになった刀身の両手剣。
お世辞にも切れ味が良さそうだとは言い難い代物だった。
だがアネモネは中段の構えをとり、握りしめた柄に力を込める。
頭のなかで、ごくりと何かが喉を鳴らすような音。
同時に、力がごっそりと抜き取られていくような虚脱感が訪れる。
体内を循環している魔力が消費されたのだ。
手元の柄を介して、剣へと何かが蓄えられていく感覚があった。
バチ……。
一瞬、剣身の周りで光の筋が踊った。
攻撃の手を止めたことで、怨霊たちが殺到してきた。
おんぼろの鎧を身に纏った戦士たち――彼らは怒濤のような勢いで、自らの掌を一斉に押しつけ、『死の愛撫』によって生命を奪おうと試みてくる。
だがその攻撃は一切通らない。
何故なら銀色の甲冑が防いでくれるからだ。
それどころか仄かな青い輝きを放ち、彼らの存在そのものを灼き払ってくれさえする。
「よし……この様子なら甲冑に防御を任せても――むっ?」
ふと地面に、何かが落ちている事に気がつく。
黒い水たまりにも似たそれは澱。
怨霊たちが蒸発しそこない、残していった粘液のようなものが集まり、溜まったものらしい。
よく見るとその一部が、粘着質な動きでアネモネの身体によじ上ってきている。
鋼鉄の表面が発する蒼い光りに、絶えず灼かれふつふつと泡立たせながらも、すでに腿当てを越えて、草擦に及んでいた。
今のところ害はなさそうだ。
だが身体を這われるのはあまり気分の良いものではない。
できることなら払い落したかった。
ただ今手にしている付与道具のせいで動くことができない。威力を十分に引き出す準備ができるまで、構えを解く事ができない代物なのだ。
バチバチバチ……。
剣身の周辺を、乾いた音を立てながら、現れては消えていく火の粉にも似たその煌めきは次第に勢いを増していた。
バチ、バババババババババババババババチ、バババババババババババババチ、バチ、バババババババババババババババチババババババババババババ……。
そして火薬が爆ぜるような音と、無数の閃光へと変化していく。
またそれを発生させる剣身も自ら輝き始めていた。
それは松明を幾本も重ねたような目映いまでの光だった。
澱が喉元まで迫ってきていた。
鎧の隙間から侵入される危険はなく、未だこの生命は守られている。甲冑の効果がしっかりと及び、彼女を包み込むように守ってくれているようだ。
だが檻が兜までたどり着くと、何かを囁くような複数の不気味な声が聞こえてきていた。
そして――
ふいに視界が覆われ、目の前が真っ暗になる。
澱がついに兜を覆ったらしい。
覗き穴から侵入してくるようなことはなかったが、何も見えないのは恐怖だった。
兜を脱ぎ出したくなるのをぐっと耐えた。
そしてただひたすら、剣が発生させる音にだけ耳を傾けていた。
バチ、バババババババババババババババチ、バババババババババババババチ、バチ、バババババババババババババババチッバババババババババババババチ、バババババババババババババババチ、バババババババババババババチ、バチ、バババババババババババババババチバババババババババババババチ…………………………………………………………。
加速度的に勢いづいていた騒がしさが、ふいに止んだ。
急に静かになり耳鳴りがしてくる。
他に聞こえてくるのは、甲冑を覆い這い回る澱の囁きだけだ。
アネモネは考えた。
果たして準備は整ったのか。
この付与道具を使用するのは初めてだった。
フジワラには剣身が松明三十本分の明るさになるまで、発動を待てと言われていたが、目元を覆われた状態では確かめる術はない。
だがこれ以上、考えても仕方がない。
時が満ちたのだと判断し、腰を深く落とす。
腕を動かそうとしたが、途轍もない重みがあった。
それでも無理に前に出そうとすると、剣が駄々をこねるように暴れ始める。
「電鎚のはげしきーー」
無理矢理ねじ伏せる。
地面を強く踏みしめ、ゆっくりとだが全力で腕を前に出す。
剣先から巨大な何かが解き放たれていく手応えがある。
同時に前方から突風に煽られているような圧を感じる。
「いちげき!!」
次の瞬間、耳を突き刺すような轟音。
急に視界が晴れていく。
目映いまでの光の洪水が、まとわりついていた怨霊の澱を剥がしていった。
そして眼前に広がる雷鎚。
それは剣身から生えた巨大な光の樹木だ。
まるでいびつな幹のようにぎざぎざにどこまでも伸び、また無数の枝を分岐させ、広く幅を利かせている。
そしてアネモネの視界にいた多くの怨霊たちがその幹や枝々に捉えられていた。
腹を、膝を、頭を、胸を、貫かれている。
彼らはその顔に恍惚を湛えたまま、まるで凍ったように固まった状態になり、だがすぐに、砂の像が風に吹かれるようにして姿を失っていった。
光の樹木もまた消失していく。
小さな光の粒子になって薄れ、本来の姿ーーアネモネの手元にある錆びだらけの両手剣へと戻っていく。
凄まじい威力だった。
あれだけ目の前に溢れかえっていた怨霊たちが、一瞬で跡形もなく消えてしまっていた。
まるで古き良き魔術師となり魔術を振るったと錯覚してしまいそうだった。
「……ふう」
どっと疲れが押し寄せてくる。
強力な付与道具を行使した代償だろう。
できることならば一息つきたかった。
だがまだへたばる時ではない。
今片づけたのは、身の回りと、前方にいた怨霊たちのみ。
まだ右にも左にもそして背後にもうようよと控えている。
今はただ前に進むしかなかった。
◆
だが思うように事は運ばない。
開かれた道の向こう側から、何かがやってくるようだった。
「火輪の紋章……きてしまったのか……」
見覚えのある赤い旗がはためいている。
その中心に刻まれているのは西国王族の証を示す紋章だ。
それを掲げているのは二十余名の集団。
アネモネは彼らを知っている。
怨霊ではない。
実体があり、騎士のような装いをした者たちだ。
けれども人間ではない。
彼らは幽騎だ。
兜から覗かせた顔に双眸を持たず、代わりに底知れぬ虚空を湛えたアンデッドモンスター。
遠征軍の本隊。
かつて元探索者や騎士団だった者たちの成れの果てだった。
「何故やることが、こうも裏目裏目に出るんだ……」
切り札の付与道具を使ったのは、決して遠征軍の本陣と邂逅する為ではない。怨霊地獄から抜け出して、仲間たちと合流する為だった。
状況はかなり絶望的だ。
幽騎は強い。
こちらに向かってくるその挙動を見ただけで分かる。
一体一体ならばいなしきれる相手だが、一度に二十を越える数を相手にするのは至難の業だ。
何よりあの奥には、彼が控えている。
彼の強さは幽騎の比ではないはずだ。
正直一人で勝てる見込みはない。
ならば残された選択肢は、逃げの一択。
だが問題は「どこに」「どうやって」逃げるのかだ。
唯一の逃げ道はたった今塞がれてしまった。
仮に、背後や左右に逃げたとしても怨霊たちがいる。
彼らを蹴散らしながら移動しても、すぐに幽騎に追いつか背中から斬りかかられるのが落ちだ。
「打開策はひとつだけ」
それはもう一度、付与道具を行使する事。
だができることならば二度目を使いたくはなかった。
アネモネは溜息をついて、鞘に納めたばかりの両手剣に、再び手を伸ばす。
◆
「これは『硬き雷鎚の剣』といいます」
「ひどく古びた剣だな」
それは百鬼刈りに立つ直前に交わしたフジワラとの会話。彼は手短にと前置きをしながら、手渡した剣の使い方について説明をしてくれた。
「こんな状態では、ただのナマクラの方がましではないのか?」
「ええ、普通の使い方はできないでしょう。ただこれは五千滴の血と引換に、多くの敵を巨大な雷鎚で薙ぎ払うことができます。敵に囲まれた状況から抜け出す時等に重宝するはずです」
「ほう、それは便利そうだな」
「但し、扱いには十分、注意して下さい」
「どういうことだ?」
「貴方は加護持ちです、貴方の魔力は普段、貴方の身体に刻まれた魔術回路を活動させる為に使われています。だから使える魔力に限りがある、魔術の使い手でも三度振るえば虚脱するこの剣を、貴女が振れる機会は恐らく一度限りでしょう」
「それ以上振るうとどうなるのだ?」
「それは多分、貴女が一番ご存知のはずです」
◆
そう。この剣はアネモネにとって諸刃の剣だ。
何度も使うことはできない。
その後どうなるのかは、確かに自分がよく分かっている。
恐らくまず魔力が枯渇する事になる。
そうなればアネモネの身体に宿る加護ーー『英雄の心臓』への供給が絶たれ、機能が停止する。
それはアネモネの強さそのものだ。
彼女の大鬼の如く怪力も、沼驢馬のごとく治癒力も、闇を見通す目や、遠くの微かな物音にすら反応できる耳も、すべて『英雄の心臓』がもたらしてくれる恩恵だった。
もう一度振るえば、ただの人間に戻る。
甲冑を身につけて身動きとることすらできない弱い身体になる。
それはこの過酷な戦場を数刻も生き残れないような状態に陥る事を意味していた。
「……だがそれでも、他にこの場を切り抜ける手はない。だからあれを今一度背後の怨霊たちに向けて、一掃し、逃げ道を作るしかないのだ」
アネモネは自らに言い聞かせ、覚悟を決める。
柄に手をかけ、握りしめる。
そしてーー。
剣を鞘から引き抜くことができなかった。
まるで中で錆びついてしまったみたいに、固く動かなかったのだ。
「……? ……どう……なって……る……?」
思わず上げた声がうまく出ない。呂律が十分に回らないのだ。
自分の問題だと気づく。
腕が動かないのだ。
いや、それだけではなく身体がうまく動かない。
下半身にどれだけ力を込めてみても、足の裏と地面が縫いつけられたようになっている。
まるで全身が麻痺か石化してしまったようだ。
そして違和感に気づく。
こちらに向かってくる幽騎。
彼らの双眸は先程まで、暗い虚空だったが、今は爛々とした妖しげな赤い光が宿っていた。
彼らは間違いなく何か妖術のようなものを行使している。
「あれ……か……!」
アネモネの勘が、彼らの目が原因であることを告げていた。
この類の対処法は把握している。
彼らの眼光が視界に移らなくなれば、魔術は解けるはず。
だがどうしても首が動かせない。
視線を外すどころか、瞬きもできない状態だった。
息苦しい。
身体の強張りが加速して、呼吸さえも困難になっていた。
このままでは意識を失いかねなかった。
彼らに辿りつかれる前に何とかして術を解き、『硬き雷鎚の剣』を抜かなくてはいけなかった。
幽騎たちが徐々に近づいてくる。
彼らの気配がこちらに伝わってくる。
急に周囲の気温が下がった気がした。彼らが前に一歩ずつ踏み出してくる度に、足下の草花を凍り付かせ、枯らせてしまうなまがまがしい冷気のような威圧感が迫ってくる。
そして――
「ああ……」
アネモネは呻くように声を漏らしていた。
恐れていた事態が起きてしまった。
この状況でそれはあまりにもタイミングが悪すぎた。
それ聞いてしまった。
幽騎達の軍靴に混じった音。
響いてくるのはひずめ。
それが何を意味するのか分からないはずはなかった。
「兄……上……」
この百鬼に参加した理由が――。
アネモネの探し求めていたものが――。
いずれ合間見えるつもりではいた存在が――。
首なしの騎士となったアネモネの兄が――。
訪れることを告げていた。




