至る所にお経の刻まれた甲冑(未鑑定)
「おや『古き良き魔術師たちの時代』へようこそ。
もしあんたが探索者で、ダンジョンから持ち帰った未鑑定アイテムがあったらここに持ってくればいい。
細剣、薬瓶、長盾、指輪、帽子、書物、革靴、御札、どんなモノでもすぐに鑑定してやろう。
……まあだが今日のところは面倒なので弟子に任せるとしよう。
たぶんあんたの手にあるそのアイテムも付与道具のはずだ」
アネモネは戦場を駆け抜けていた。
目に映るのは憂鬱な顔の群衆ばかり。
彼らはアンデッドモンスターだ。
遙か昔に死んだはずの古兵――今なお戦う事への欲求に駆り立てられて顕現し、この地に憑いている怨霊だ。
探索者の主導者からは『常に仲間と行動し、逃げ道を確保しながら戦え』と指示されていた。
だがいつの間にか戦列を外れ、敵の行軍に飲まれてしまっていた。
要は迷子の状態だ。
未だに退路も、仲間探索者の姿も見つからない。
自分がどの辺りにいるのかも分からなかった。
――でもこのままでいい。
アネモネはすれ違い様に斬った怨霊の紙切れのような手応えを感じながら、アネモネは思った。
群れるのは苦手だし、単独行動が向いている。
独りでいるほうが気楽だった。
◆
「……むう」
駆けまわっていれば、いずれ包囲網から抜け出せる。
そう考えていたが、むしろ状況は悪化する一方だった。
怨霊たちは疎らになってく様子もなく、それどころか密集の度合いが増している。
たぶん敵陣の中心に向かって進んでしまっているのだろう。
次々と襲いかかってくる彼らをひたすら薙ぎ払い、群れと群れの間に出来た隙間を縫うようにして駆け回る。
だがやがて歩みは徐々に遅くなり、気づくとその場から動けなくなってしまっていた。
「こいつは面倒だな」
おおおおおおおぉぉぉぉ……。
四方八方を埋め尽くす怨霊たち。
彼らは呻き声を上げながら、こちらにじりじりと近づいてきていた。
各々腰や背中に武器を備えていたが、手にとり構える様子はない。
代わりにまるで手招きでもするように、あるいは何かを求めるようにただただこちらに向かって手を伸ばしてくる。
それは――
皺だらけの。爪の黄色い。青白い肌の。毛深い。指の欠けた。血だらけの。指が螺子曲がった。
手。手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手。
無数の手がわらわらと、前後左右から迫ってくる。
それが何よりも危険な代物であることをアネモネは知っている。
『死者の愛撫』。
怨霊の恐るべき能力。
彼らは相手の肉体に触れることで、生命力を吸い取ることができた。
こちらには、あれを防御する術がない。
アネモネは全身甲冑を纏っていたが、彼らは霊体だ。
物質を透過し、簡単に肉体へと接触してくる。
更に言えば、この状況下では一度でも受けるのは危険だった。
何故なら『死者の愛撫』をくらえば、体力を奪われるだけでなく、暫く衝撃で身動きがとれなくなる。
その隙を突かれて、他の怨霊たちに畳み掛けられたら終わりだ。
嬲り者になれば、ただ衰弱するだけでは済まされない。
精神を根こそぎ削り取られ正気を失う事になるだろう。
だからアネモネはひたすら剣を振るった。
全方位から伸びてくる彼らの手を漏らさず捌く。
指一本でも身体に到達させないように、片っ端から斬り落としていく。
その最中、ふと視界の端で何かがちらついた。
足元に目を向けると、そこに両足を断ち切られた怨霊がいる。
いつの間にか這いながら背後から近づいていたらしく、今まさにアネモネの脛当ての足首を掴もうとしていた。
不覚!
回避しようとしたが間に合わず、アネモネは反射的に身構える。
だが――。
何も起こらなかった。
体調に変化はない。
「!?」
代わりに、怨霊の様子がおかしかった。
まるで火に触れたような反応を見せ、離した手を震わせているのだ。
アネモネはよくわからないまま剣を振り下ろして、足下の怨霊を始末。
返す刀で、再び迫りくる無数の手を対処にとりかかった。
「……」
不意の一撃を回避することはできたが、安堵はできなかった。
ほんの一瞬であったにしろ、今し方のやりとりで、生じてしまった間隙は大きかった。状況は更に不利な方向に傾いていた。
何とか敵の攻撃を凌いでいたが、じりじりとその物量に圧されていく。
「……!」
アネモネの剣が届かなかった怨霊たちが三体。
兜の頸部、甲冑の背、篭手の腕――計三か所に接触してくる。
どの程度、身体に影響があるのかは分からなかったが、恐らく無事では済まされないだろう。隙を作らないところか、立っていられるかすら定かではない。
「……くっ!!」
ただ身構え、訪れるであろう生命力の強奪に備えることしかできない。
だが想定外の事態が起きた。
怨霊に接触されたにも関わらず、アネモネは一切のダメージを受けていなかった。
体力を奪われた感覚はなく、体調の変化も感じられない。
代わりに触れた怨霊たちが固まったまま動きを止めていた。
何故か触れた箇所から、灼けたような煙を発している。
そして呻き声を上げ続け、全身を蒸発させて消えてしまう。
「……どうなってる!?」
目の前の状況が飲み込めなかった。
疑問は二つある。
まず何故、怨霊たちは突然、消失してしまったのか。
そして何故、彼らは自分の身体に触れなかったのか。
『死者の愛撫』が発動しなかったのは彼らが甲冑部分――脛当てや兜、小手などに触れていたからだ。。
霊体である彼らにとって、盾や鎧など存在しないようなもの。相手がどんなに分厚く鎧おっていようがすり抜け、直接肉体に直接接触してくるはずだった。
アネモネは身に纏っている銀色の甲冑へと目を向ける。
怨霊たちに触られていた部分が仄かに青い光を放っている。何かの模様のようだったが、よく見ると見たこともない奇妙な文字によって構成されていた。
『では約束の品物です』
ああ、と腑に落ちる。
今更になって思い出していた。
今、装備しているものが聖防具であることを。
百鬼狩りに出る直前に、あの人が用意してくれたものであることを。
『この甲冑一式は悪霊からの干渉を、阻害する素材で造られています。更にちょっとした仕掛けもあって、怨霊程度であれば貴方に指一本触れることのできないでしょう』
この全身甲冑が、怨霊たちの攻撃を透過させずに、アネモネを守ってくれたのだ。
そして気付かされる。
自分の愚かさと傲慢さを。
自分は独りではなかったことを。
いつでも守られていた事を。
「……」
今回だけではない。
これまで何度もそうだったはずだ。
なのに忘れるところだった。
ここまでの道程を独りで歩いてきたものと勘違いするところだった。
また迷子になるところだった。
せっかく手に入れたものを手放してしまうところだった。
「ふうぐっ……」
いきなり嗚咽がこみ上げてきた。
だがこんな場所で泣き出すわけにはいかない。
「……すん」
アネモネは下唇を噛みしめながら、堪える。
そして涙で滲みかけた目を、周りに向けた。
怨霊たちは仲間の異変を感じ取っているようだ。
アネモネの甲冑を警戒しながら、こちらの様子を伺っている。
今なら体制を立て直す事ができそうだ。
先ほどまで怨霊の攻撃をすべて迎撃することに、神経を注いでいたせいで、余裕がなかった。
だがここまで怨霊に対して頑強な甲冑であれば、他にもやりようがある。
まずははぐれた仲間たちと合流しよう。アネモネはそう思った。
◆
鑑別証『耳なしの鎧(高級品)』
『汝、彷徨える不死者に告げる、その淀み歪みし魂の欠片を徴収する――さすれば世界は罠にかけろ、擦れ、灼け、燻せ、そして浄火せよ、ジャバラムラワーの花弁のごとく』
ある昔話を元に造られた甲冑で、悪霊に対して強い抵抗力を持っています。
元となったお話もユニークなのですがこの付与道具自体もかなりユニークです。まずこの甲冑は罠式と呼ばれる仕組みの付与道具で、着用者は一切の魔力を必要としません。代わりにやってきた悪霊が甲冑を透過しようとした瞬間、甲冑の表面に刻まれた魔術回路の契約が発動する仕組みになっており、使用者となった悪霊は契約に従って生じた、強力な耐死霊用の障壁によって強制昇天します。
この甲冑は物語上の教訓がきちんと活かされており、全身を護るよう一式揃っており、これで悪霊退治もばっちりです。
但し、表面の魔術文字が掠れたり、削れたりしてしまわないよう、くれぐれもご注意ください。破損した箇所から悪霊の侵入を許して、昔話の僧侶と同じ運命を辿ることになるやもしれません。




