黒光りする水晶玉(未鑑定)②
◆
「どうするんだ?」
ブルトンが訊いてくる。
「どうもこうもねえさ。棚上げだよ。ここは地下十四階で、俺達にはまだ大きな仕事が残ってる。帰りの心配はその後だろう?」
「……だな」
だがこの情報は、士気に大きく影響するだろう。
帰り道の心配をしながら全力を注ぎ込めるほど人は器用に出来ていないからだ。
気を取り直して、酒瓶を傾けようとすると――地面が揺れた。
のしのしと重量感をだして歩きながら、こちらにやってくる大柄な亞人がいる。
硬質な深緑の鱗に覆われた体表と、体幹の後部についた歩く度に左右に揺れる立派な尾、肩に下げた超弩級の斧――蜥蜴人のグエムルである。
「最終点呼ノ、結果ガ出タゾ」
確かにグエムルは良いやつだ。頼りになるし、冗談も通じる。
だが空気が読めないのが玉に瑕である。
これ以上不味くなる前に酒を飲みきりたかったと思いながら、ダイスは紙束を、受け取る。
そこには掲載されているのは地下十四階到達時点での、点呼結果だ。
各パーティの主導者に確認させた、各員の人数や、職業や所有技能などの他に、健康状態などを集計したものである。
「あー……どうやら、この場にお集まり頂いた皆さんは六十八名のようですね」
地下一階の時点では三百七十八名だった。
つまりここまでの道程で、ほぼ八割近くが途中で脱落した事になる。
目の前にいるので数えてみれば大体分かるのだが、こうして実際に数字として認識すると状況の苛酷さが、実感としてわいてくる。
これは当初計画していた人数を大きく下回るもので、軍勢相手に喧嘩をしかけるには、あまりにも無謀な人数だった。
聴衆から「少ねえな」とか「集まったほうでしょ?」とか「大丈夫かよ」などの声が、笑い声とともに返ってくる。
「それから疲労や、怪我、状態異常によって著しく体調を崩している者もいらっしゃいますが、治療が間に合ってないのが現状です」
今度は「ふざけんな」とか「左腕が折れたままなんだけど?」とか「殺す気か」などの声が、ブーイングとともに返ってくる。
これについては頭の痛い話だ。
単純に治療を最優先にするよう僧侶に指示すれば即解決できる問題だったが、それができる状況にない。
彼らには体力を温存して貰っている。何故ならこれから行う戦闘の際『抵抗』をかけてもらう必要があるからだ。それは魔術による抵抗値を上げる為の祈祷。 この死者がアンデッドになってしまうこの環境において、数少ない事前対抗策だった。
「グエムルさん、この結果についてどう思われますか?」と振ってみる。
「問題ナイ。我慢シロ」
「だそうです皆さん我慢して下さい」
聴衆からの更なる大ブーイング。
だがグエムルはそれを物ともせず、のしのしと退場していく。
彼女は出稼ぎ探索者だ。
自分の部族を養う為に、数年前に迷宫都市にやってきた。だが百鬼夜行のせいで稼ぐことはおろか、帰郷する為の資金すら集まらずにいる。
残してきた旦那も子供たちとも連絡が途絶えているそうだ。
◆
「他に報告があるやつは――」
「私だ」
聴衆の遙か後方から女の声が上がる。
そして彼らをかきかけて前に出てこようとする者がいた。
あちこちから起きる様々な反応――舌打ちと、ささやき声と、嬌声と、驚嘆。
この時点で、誰であるのか、ダイスには大方の想像がついた。
目の前に進み出てきたのは、やはり全身甲冑に身を包んだ戦士だった。
彼女の名前を知らない探索者はもぐりだろう。
経験の浅い身でありながら、単独でこの地下十三階踏破を成し遂げた強者。遠征軍に参加していた兄を捜すためこの迷宮都市を訪れた西国貴族の娘。そして今、討伐隊において欠かすことのできない水先案内人。
『死の足音』アネモネである。
どうやら偵察任務から帰還したようだった。
彼女は恐ろしく働き者だ。
これまで単独でやってきたつけを払うかのごとく、討伐隊の仕事を積極的にこなし、今もまた、遠征軍の居場所を突き止める為、斥候役をやり遂げてきたのだ。
「よし早速で悪いが、報告を聞かせてくれ」
「ああ」
『死の足音』は兜の留め金を外し、得難い程の美貌を晒した。
屈み、腰巻き鞄から地図を取り出し、地面に広げる。
「彼らはこの野営地から東西に半里進んだ地点で、待機している」
その報告で、あちこちから安堵の声が上がる。
彼らが移動を行なっていないのは朗報だ。ここから半里も距離があるのであれば襲撃に怯える必要はなく休息をとることができる。見張りを立てれば、万が一こちらに向かってきても、準備を整える余裕すらあるだろう。
「規模は?」
「約千五百体。内訳は幽鬼が千四百体、ガストが八十体、ワイトが十四体、そして……デュラハンが一体といったところだ」
「お腹いっぱいだな」
やはり数の上では、敵のほうが圧倒的に優っていた。
いくらここにいるのが腕利き揃いだとはいえ、まともなやり方で勝ちを掴むのは難しいだろう。
「ふん。場所が、平地なのも問題だな」
ブルトンが腕組みをし、地図を睨みながら唸っている。
確かに遠征軍が待機しているのは、起伏の少ない地形のようだ。
喧嘩では、数負けしているのなら搦め手で出し抜くのが定石だが、この状況からでは奇襲をかけるのは難しくなる。
「……ちょっと待て。遠征軍は待機しているのか?」
「ああ」
『死の足音』は頷く。
だが以前にここを訪れた彼女が目撃しているのは『遠征軍がこの荒野をさまよえる怨霊を統率し、果てのない行軍を続けている』光景だったはずだ。
故に、
「今、彼らはただその場でじっと待機している。まるで我々を待ち構えているかのようだった」
「……」
彼らはアンデッドモンスターだ。
故にその行動原理はふたつに限られる。
つまり個々の生前の習慣や妄執に囚われてまるで生きているように振る舞うか、もしくは生命を持った者に対して嫉妬から襲いかかってくるか、だ。
遠征軍が、群れをなして行軍を続けるのは前者の理屈からだと思っていた。
だが飼い慣らされた犬のように、大人しくその場に留まっているのはどう考えても不自然な気がする。
酒場で少し前に耳にした噂が頭をよぎる。
何故、地下十階に限って、昇降機乗り場にアンデッドが密集しているのか?
誰かが、探索者に昇降機を使わせないようにしているのではないのか?
だとすればダンジョンに溢れるアンデッドには、飼い主がいるのではないか?
……だが、それはあくまで噂だ。
だが、しかし万が一、それが真実だとするならば、遠征軍は本能のままに動く烏合の衆ではないという事になる。
生きているものに対して、苦痛も恐怖も抱く事なく、罠がある事さえ気づかずにまっすぐ進んでくるボンクラではないという事だ。
なれば人員不足の件と合わせて、大幅な戦闘計画の修正を余儀なくされることになる。
なかなか頭の痛い案件だった。
◆
指折り数える程ではない、
だがろくでもない案件ばかりだ。お陰でダイスは残りの酒を飲む気を失っていた。
「あー……諸君らに、一応言っておくがね」
ダイスは不安そうな顔で近くの人間とぼそぼそ言葉を交わしている聴衆に向けて声をかけることにした。
「おれたちは所詮、雇われの身だ。だから命をかけてまで仕事を全うする義務なんてない。ここで引き返しても前金は貰えるし、誰からも文句を言われ筋合もないはずだ」
この辺りで進退をどうするのか、彼らの意志を確認しておく必要があるだろう。
そしてダイスは彼ら次第では、今からでも後戻りしてもいいと思っている。
遠征軍との戦いに勝てる気はだいぶ前から失せていたからだ。
『統括』としての責任などどうでもいい。知った事か。この尻ぬぐいは地上でぬくぬくとしている九姉妹と『組合』の連中たちでやればいいのだ。
役職を与えられた理由は知らないが、行使する理由ははっきりしている。目的を遂げる為ではない。
あの時、この場所で起きた後悔を繰り返さない為、ただ皆を生き延びる為にあるのだ。
だが聴衆からはこれといった反応は帰ってこない。聞いているのか、それとも聞いていないふりをしているのかよく分からなかった。
「おれはやるよ!」
そういう馬鹿の声がどこからか上がった。
「だってこんなチャンス滅多にねえもん!」
別の誰かが声を上げた。
「だな。勝てばおれたちゃ英雄になれる!」
「糞アンデッド共を葬った功績で、名前が刻まれる!」
「そうだ。逃したら後はねえ千載一遇の機会だ!」
「懸賞金だってガッポガッポ入ってくるぜ!?」
「笑いが止まんねえよな!」
更にあちこちから威勢のいい声が上がる。
「昇降機が使えねえ? 上等だ。凱旋てのは威風堂々歩いてこそだろうが!」
「人が足りねえ? じゃあおれが二十匹倒してやるよ!」
「おれは三十でもいいぞ!」
「吾輩は五十だ!」
「勿論、正面突破だよな!?」
「当たり前だろ。ステゴロで相手しやるぜ!」
急にあたりが賑やかになった。
さっきまで湿気た顔をしていた連中が、仮初めの楽観モードに染まってわいわいがやがや喋り始める。
『お前等は嘘つきだ』
ダイスは彼らにそう怒鳴り冷水をぶっかけたい気持ちにかられた。
どいつもこいつも馬鹿なのか?
イカれてるのか?
それとも死にたがりだけが残ったのか?
どこにそんな余力があるっていうんだ?
誰もが疲れているし、ろくに寝てもいないじゃないか。
良く見ればあちこちに怪我をしている奴らがいる。
帰り道も確保できていない。
人数も人材もろくに揃っていない。
その他もろもろ圧倒的に不利な状況。
そんな奴らが、化け物の軍勢相手にどう戦うっていうんだ?
だが――。
誰も彼もが、決意に満ちた目をしている。
見れば大鬼に仲間を殺された少女も、ブルトンも、パシミカも、グエムルも、『死の足音』も同じ目をしている。
引き返すつもりはない、と目が語っていた。
「……糞共が」
確かに『遠征軍』が起こした『百鬼夜行』の爪痕は大きかった。
多くの者が知人を、友人を、仲間を亡くした。
障害治りそうもない手酷い傷を負った者もいる。
何よりも狩場を荒らされ見入りを減らされた。泣く泣く探索者を辞めていった者たちも大勢いる。
ダイス自身だってそうだ。ここで多くのものを無くした。名誉だ、報酬だなどと浮かれて遠征軍に入った挙句、大事な装備や、利き手の指や、仲間たちや、そこで知り合った気の良い連中たちを――命以外の大事なものを置いてきてしまった。
気がつくとこの戦いに挑む価値ができてしまっていた。
今更もう後には引けなかった。
だからダイスにはこれ以上、彼らを、自分自身を、引き止める事はできなかった。
「だったら……だったら……是が非でも勝つからな!」
酒瓶を掲げて、言う。
彼らに大丈夫だとか、生き残れるだろう何て事は約束できなかった。
ただ約束できるのはひとつだけだった。
「そして是が非でも生き残るぞ! ……そしたら、おれたちは最高に美味い酒が飲めるんだ。ダンジョンの階段を駆け上り、太陽の降り注ぐ地上へと戻れた暁には、喉がひりつき灼けるような濃い美味い酒が待っているはずだかだ!」
たぶんこの瓶の酒は正直、あまり美味くはないだろう。一瓶しかない安酒だ。味も、量も、物足りない。
だが今はこれで十分だ。
「勝利の美酒を!」
「「「勝利の美酒を!!」」」
同じ言葉が合唱になって返ってくる。
ダイスは残りの酒を煽ると、口元を拭った。
最高に最悪なピクニックだ。
だが腹はくくった。
これ以上、弱音を吐くことはすまい。
今が百鬼狩りの時だった。
◆
鑑別証『遠見の水晶玉(高級品)』
まるで魔女が占いをする道具のようにも見えますが、これを覗き込んで見えるのは、どこかにあるもうひとつの水晶を取り巻く景色です。
このアイテムはペアでセット。同じ双子水晶から作りだされた水晶玉を持った相手と、手話や文字などによって情報のやりとりを行う為の付与道具です。
つまり、貴方がもし片割れだけを見つけてしまった場合、水晶に映る景色をヒントに、もう片方を探しに行かなくていけません。それは遙か遠く極東の古びた寺院にあるかもしれませんし、暗く深きダンジョンのなかで眠っているかもしれません。
ただ探してみる価値は十二分にあるでしょう。何故ならこれを欲しがるのは大商人や大貴族のような権力者たちばかりです。二つを揃えて、献上した暁には、彼らは喜んで大金を出してくれる事でしょう。何故ならこのアイテムによって、一瞬で引き出すことのできる遙か遠くの情報は、政治、戦争、商い、など様々な局面で利用できるからです。
さて余談ですが、『遠見の水晶玉』には、悪名高い『呪われた財宝水晶』と呼ばれるものがあります。それはどこかに眠る希少価値の高い古ギニョール金貨でいっぱいの宝物庫を映した水晶玉で、これまでにその片割れを探す為、幾人もの探索者が探しに出かけました。ですがその悉くが失敗。のみならず、関係者は漏れなくその数年以内に事故死、もしくは病死してしまいました。そして今では呪われた道具として、現在では迷宫都市の魔女たちが厳重に管理しているようです。
以上が、百鬼狩りが遠征軍と戦いを行う直前の物語である。
昇降機乗り場での『老頭児』と餓叉髑髏との一戦については、また別の機会に語ることとしよう。
◆
アネモネは兜被る。
ゆっくりと息を吐き、そして地平を見据える。
土埃が烟るその先にやがて人影の群れが見えてくる。
微かに揺らめく軍勢。
これから戦う相手だ。
そして遥か遠く、赤い旗を掲げる騎士の向こうには、あの人が待っているはずだった。
遠くの空に戦いを告げる鐘の音が響く。
アネモネはゆっくりと、大剣を抜き放った。
★御報告★
『迷宮都市のアンティークショップ』ご愛読有難うございます。
文庫版、電子書籍版(Kindle版、本日発売!)も地味に御好評頂けているようです。
で、絶賛二巻作業中です。
Twitter情報だと7月30日くらいに出版されるらしいです。
つきましては若干更新速度が鈍るかと……。
WEB版はこれから過去編が佳境にはいりますが、すいません!
あと感想のお返事できなくてすいません!
時間がとれるようになったら返します!




