ぜんまい仕掛けの奇妙な小箱(未鑑定)
「おや『古き良き魔術師たちの時代』へようこそ。
もしあんたが探索者で、ダンジョンから持ち帰った未鑑定アイテムがあったらここに持ってくればいい。
細剣、薬瓶、長盾、指輪、帽子、書物、革靴、御札、どんなモノでもすぐに鑑定してやろう。
……まあだが今日のところは面倒なので弟子に任せるとしよう。
たぶんあんたの手にあるそのアイテムも付与道具のはずだ」
※今回は、残酷、グロテスク、不道徳的な表現を多少含みますので、御注意下さい。
「生き残りは我々二人だけとなりました」
「そうみたいだね」
すぐ隣で道化が絶望のあまり肩を落とし、項垂れていた。
こういう時だからこそ気の利いた冗談のひとつでも欲しいところだとモラウは思った。
頼りにしていた召使たちが残らず死んでしまった。
彼らは元々戦奴だった。
モラウの身の回りの世話だけではなく、護衛任務も兼ねていた。
だがその鍛えぬかれた鋼の肉体は、転がる巨大な岩石や、ふりこ式の大鎌や、棘付き吊り天井などには無力だった。
この『伏魔殿』の攻略に関しては、城内に張り巡らされた罠の存在を甘く見過ぎていたのが誤算のひとつだろう。
「こうなっては『荒野』まで引き返すより他ないでしょう」
「うーん……」
確かに道化師の言い分は至極もっともだった。
生き残る道は、この建物から立ち去り『荒野』に戻る他ない。
恐らくはまだ待機しているだろう騎士団や探索者と合流する事ができれば、ダンジョンから地上に戻るまでの面倒くらいは見てくれるだろう。
だがそこまで辿りつくひとつ大きな問題があった。
「ねえ道化君……後ろの方から何か物音が聞こえてこないかい?」
モラウは人差し指を口元に添えてみせる。
道化師は促され、両耳に手を当てた。
そしてあの獣の息遣いや、恐ろしい唸り声を聞き取ったらしく、すぐに顔を青くして、これまで以上に狼狽した様子を見せる。
「あれは……一体何でありますか?」
「恐らく灰狼だろうね」
召使いたちの死体から漏れる血の臭いを嗅ぎつけたのだろう。
「八……いや十匹はいるみたいだねえ」
灰狼は巨大な獣の怪物だ。
これといって特異な攻撃手段はしてこなかったが、硬皮鎧程度なら簡単に噛み砕くくらい強力な顎を持っている。一匹でも無力なふたりには十分な脅威だ。
だが彼らが何より恐ろしいのは、常に飢えている事にある。
呪われた腸のせいで何を食べても強力に消化できる代わりに、何を食べても満たされる事を知らない。
故に獲物を見つけたら最後、どこまでも執念深く追いかけてくるのである。
「後戻りができない以上、先に進むしかないだろうね」
「ああ、何たる恐怖……何たる絶望……」
道化師はわなわなと震える手を組むと、その場に跪き、天井を仰ぐ。
「主よ、お助け下さい」
灰狼たちは今頃、召使いを平らげているだろう。
だから暫くの間は襲われる心配はないはずだ。
でも食事が終われば彼らはまた動き出す。
その嗅覚と足の疾さですぐに追いついてくる。
生き延びる為には、他にも餌を与えて、足止めを施す必要がある。
「……」
手が嵩張っていると、準備がやりにくかった。
日傘を折りたたみ、手にしていた『屍者のオルゴール』と共に床においた。
「ねえ道化君、ただ祈っても何も変わらないよ?」
そう声をかけてみるが、道化師は未だに顔をあげようとしない。
モラウはできるだけ音を立てないように懐から護身用の短剣を取り出す。
人を上手に刺し殺すコツは、なるべく肋骨に当てないよう深く刃を横向きにする事だ。
「ぐっ……」
道化は律儀なことに呻きながらも最後まで、両手を組んでいた。
そして脇腹に短剣の柄を生やしたまま、前のめりに崩れ落ち、血だまりをつくりながら果てる。
「……さて」
これで新鮮な血と肉ができた。
後はこれを灰狼が気に入れば良いのだが、如何せんやせ細った小男なので食いではなさそうだ。
期待しないほうがいいだろう。
◆
「ひそひそと♪ 鼠が囁きこう言った♪」
モラウはこうなったのは幼少期に歪んだからだ。
少なくとも自分はそう認識している。
愛していた母が流行病で死んだ後、やってきた継母は恐ろしい人だった。
連れ子である義弟に家督を継がせるために、モラウに『女の子』でいることを強要したのだ。
ドレスを着せられ、化粧を施され、可愛らしい仕草をするように躾けられた。
逆らえば待っているのは折檻だ。
気が狂うほどの恐怖と、拷問のような苦痛によって矯正されたモラウにとって、フリルドレスは正装だ。それ以外はありえない。
何故なら過呼吸に陥るからだ。
「お嬢さん♪ 貴方に薔薇は似合わない♪」
モラウはいつも逃げ隠れるように部屋にこもっていた。
そこにはたくさんの友達がいて、それは全て物言わぬ人形たちだった。
よくやったのは戦争ごっこ。
国と国とに分けて、殺しあう遊びだ。
首を千切り、腹を短剣で裂き、目玉をえぐり、局部を針で突いた。
敗戦国の指導者には処刑ごっこが待っていて、首を吊したり、斬首したり、その首を並べて晒したり、暖炉にくべて燃やしたりもした。
「だからきっと殺される♪」
人形では物足りなくなったのは、屋敷ごと継母を焼き殺した時からだ。
燃え盛る屋敷の前には、火に包まれ絶叫をあげながら、踊り狂う家族や使用人たちがいた。
彼らを見たときの幸福感は今でも覚えている。
「猫の旦那に舐め取られ♪ 犬の旦那に齧られ♪ 鳩のの旦那に啄まれ♪」
結局のところ遠征軍などという計画を立ち上げた理由もそれに尽きた。
ダンジョンを制覇し英雄として帰還する事も、王になることでさえ、ただ発言力を得るための手段に過ぎない。
軍国主義者や、厭世主義者の貴族どもの耳に、蜂蜜をたっぷりとかけた甘い夢を流し込んで戦を始める為だ。
侵略でも内紛でもどちらでも構わない。
剣でも、弓でも、魔術でも、棍棒でも、石でもいい。
男でも女でも老人でも子供でも貴族でも平民でも奴隷でもいい。
敵と味方のどちらでも構わない。
ただできるだけ多くの人に死んで欲しかった。
あちこちで悲鳴が上がり、多くの田畑が蹂躙されて、多くの建物に火の手が上がればそれでよかった。
「挙句にあっしがご馳走さん♪」
モラウはあの光景がもう一度見たかった。
ただただそれだけが生きがいだった。
◆
「……ふう」
大好物の糖蜜餅があって良かったと思った。
なければ今頃は苦痛にのたうち回っていたに違いない。
阿片の混ぜ込まれた甘く柔らかい食感は、心地良い痺れと、この状況を客観的に考えるだけの余裕をもたらしてくれている。
あれから半刻のうちにいくつもの罠に引っかかった。
腹部に毒矢を受け、唐突に動き出した甲冑に肩を斬りつけられ、引っ繰り返った大桶から湧いて出てきた鼠の群れに左腿肉を食い千切られた。
もはや半死半生の状態である。
そして死がそこまで迫っていた。
灰狼たちの荒い息遣いが、耳をすまさなくとも近づいてきているのが分かった。あれしきの肉では足りなかったらしく獰猛さを滲ませている。
彼らは血の匂いを嗅ぎ分けており、モラウがどれだけ分岐を進もうと正確に跡をつけてきていた。
勿論、モラウは自分がもう助からない事を理解していた。
灰狼たちに追いつかれ餌食となるか、傷口から止めどなく流れでる血で意識を失うか、罠に惨殺されるか。
遅いか早いかの問題はあれ、何れにしろ死の運命から逃れる術はない。
「……さて」
だからモラウは全てを諦めていた。
脚を引きずり逃げるのを止めて、壁を背もたれにして床に座り込むと、それを膝の上に乗せる。
悲願が叶わない以上は、もうこれに頼る他ないだろう。
それは小さな木製の箱だ。
樹脂が塗り込まれた艶のある表面のあちこちには、手彫りの魔術文字が刻み込まれている。
元は探索者がドロップアイテムとして発見したもので、モラウはこれを奪い取り、探索者と騎士団の両方から不興を買うことになった。
それは『屍者のオルゴール』。
紛れも無く禁忌品目録に記述されていたる呪われた付与道具のひとつだ。
記述によれば、この箱のなかには、ある呪われた楽曲が閉じこめられている。
それがどんな現象を引き起こすのかについてははっきりと明示はされていなかったが、あの魔女たちでさえ恐れるほどの未曽有の災いをもたらしてくれるのは間違いなかった。
小箱は施錠がされており、どれだけ力を込めても上蓋が持ち上がらない。
そしてその側面のどこにも鍵穴は存在しない。
だがモラウはこの小箱の解錠方法を知っている。
「この死にぞこないの命でよければ、喜んで捧げるよ」
血だらけの右手で撫でながら、箱に向かってそう告げる。
次の瞬間、激しい眩暈に襲われた。
気が付くと全身の力が吸い上げられている。
まるで身体ごと渦にのまれて小箱のなかに吸い込まれそうな勢いだ。
小箱からカチリという音がして、上蓋がゆっくりとせり上がっていき、その内部を晒け出しても尚、搾り取ろうとする。
「ヘッ、ヘッ、ヘッ、ヘッ、ヘッ」「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」「ガフッ、ガフッ、ガフッ、ガフッ」「フッ、フッ、フッ、フッ」
その最中、彼らが辿り着いた。
巨大な獣の群れ――灰狼である。
天井に届きそうな程高い場所から押し合うように鼻先をこちらに突きだして鋭い眼光を光らせている。あぎとからは溢れた涎をびとびとと床にこぼし、血生臭い吐息をまき散らしている。
だが彼らはあまりにも悠長だった。
すぐにむしゃぶりついてくるものと思ったが、こちらの様子を伺っていたる。
目の前の人間が危険ではないかを確認してから飛びかかるつもりだろうが、それでは遅すぎた。
故にもはやモラウの死の運命、足り得ることはない。
小箱のなかに隠れていたのは小さな人形だ。
両手を高らかにあげた姿勢の骸骨である。
そして彼はまるで踊るようにくるくると動き始める。
同時にその足元にある、金属製の円筒形が回転する。
その表面にはまばらに生えた凸が、別の金属部品――櫛の歯と接触。
その瞬間、涼やか音色が生まれた。
勿論、音は一つだけではない。
次々とまるで雨だれのよう音たちが、金属製の櫛から弾きだされていく。
そして設けられた音階はひとつだけではなく、また順序、間隔、強弱、長短などの変化を持っていたが為に旋律が形成されてく。
これはきっと禍々しい何かをもたらすだろう。
これはきっと人々を不幸にするだろう。
これはきっと災いを生み出すだろう。
そしてきっと自分の見たがっていた光景を作り出すに違いない。
モラウは死の間際まで笑みを浮かべていた。
灰狼に食いつかれ、肉を裂かれ、血を撒き散らしながらも、いつか訪れるだろう凄惨で幸福な風景を思い描きながら恍惚に浸っていた。
「……世界に災いあれ」
◆
使用者が亡き後も、小箱は楽曲を奏で続けた。
そして遅延性の毒のように少しずつ迷宫を狂わせていく。
やがてそれは『百鬼夜行』と呼ばれる悲劇の始まりである事を、この時はまだ誰も知らなかった。
◆
鑑別証『屍者のオルゴール(???)』
『汝、?????に告ぐ、その?????せよ――さすれば世界は??????????????』
かつて迷宮都市を治める九姉妹たちが編纂した禁忌品目録に掲載されているアイテムのひとつです。
ぜんまい仕掛けで動く自動演奏楽器で、あることは分かっておりますが、その仕組も、誰がどういう目的で造り出しのかも不明です。
またこのオルゴールが具体的にどういった効果を持っているのかも分かっておりません。
その謎を解き明かすには、その手にとり慎重な鑑定を行う必要があるでしょう。
以上がモラウ公爵と『死者のオルゴール』の経緯である。
迷宮都市史上最悪の悲劇『遠征事件』が訪れるのは、このすぐ後のことである。




