生クリームのついた小剣(未鑑定)①
「やあ『古き良き魔術師たちの時代』へようこそ。
もしダンジョンから持ち帰った未鑑定アイテムが御座いましたら是非、お立ち寄り下さい。
細剣、薬瓶、長盾、指輪、帽子、書物、革靴、御札、どんなモノでもすぐに鑑定いたします。
……おや。貴方の手にされているそのアイテムも付与道具かもしれませんよ?」
空が青い。
日差しが穏やかだ。
リンネとしては、こういう日だからこそ、ゆっくりと家で香草茶を飲みながら読書に励みたい気持ちもあるのだが、今日に限ってはちょっとした徒競走の真っ最中だった。
「おそいよーう」
道の先の方で、相棒が呼んでいる。
リンネはあまり無茶を言わないで欲しいと思った。
剣士と魔術師では、足の速さも、基礎体力も違いすぎるのだ。ソアラの方こそもう少し足を合わせてくれても良いではないか。
「もう、わかったよーう」
立ち止まって息を整えていたリンネは仕方なくまた走り出す。
だがあまり文句を言える立場でもない。
何故なら、遅刻の原因は紛れもなくリンネにあった。
昨晩は遅くまで考え事をしていたせいでずっと眠れず、寝坊してしまったのだ。
このところリンネはある悩みを抱えていた。
それはこれからの探索についてだ。
このままでは駄目だと思っている事があって、それをソアラに告げるべきかどうかで迷っていた。
結論が出ないまま明け方頃に、うとうとし始めて、気づいたら太陽が空高く上っていた。
ソアラには『寝坊なんてどこかの店長さんみたいだね』と笑われてしまう始末で、早寝早起きを生活信条としているリンネとしては非常に不名誉な事だった。
「追い、つい、たっ」
何とかソアラの元までたどり着く。
息を整え顔を上げると、彼女が不思議そうな顔でこちらをじっと見つめていた。
「リンネ」
「えっ、なにっ?」
「また眉間に皺が寄ってる」
「嘘っ。嫌だっ」
リンネは慌てて眉間を擦った。
「最近、よくその顔してるけど、考え事してるの?」
「何でもない。何でもないよっ」
「そう。それなら良いけどさ」
「うー皺が消えなかったらどうしよう」
リンネの身内には、眉間にしわのある者が多い。
魔女である祖母たちもさることながら、普段優しい姉のデネブも、機嫌が悪くるなると極東にある般若面のように眉間に皺を寄せ恐ろしい顔になる。
正直、ああなったら嫌だなあと思っていた。
明日は我が身かもしれないと思いながら、ごしごしと念入りに眉毛の間の皮膚をのばす。
「あはは。さあもうちょっとだから頑張ろう」
「うんっ」
再びソアラが走り出し、その背中を追った。
目的の付与道具の専門店まではもうすぐそこだ。
今日のダンジョン探索はお休みで、アネモネと午後に店で待ち合わせをしていたのだ。
◆
「もぐもぐ……アネモネさんこのストロベリーケーキも美味しいですよ」
「もぐもぐ……ふむ! 苺の酸味がクリームの甘さを絶妙なバランスで引き立てているな。しっとりしたきめの細かい舌触りのスポンジもたまらないぞ!」
「もぐもぐ……アネモネさんこっちのミルクレープも美味しいよう」
「もぐもぐ……むむ! なんだこの贅沢なケーキはっ。何層にも重なった生地の間に、生クリームだけではなく薄切りにした果物まで入っているのか。しかも苺、葡萄、林檎と層毎に種類が違うぞ。店長、この緑色のやつはなんだ?」
「甜瓜ですね」
「むむむむむ知らん果実だ。いろいろ奥が深いな」
今日の付与道具専門店『古き良き魔術師たちの時代』は臨時休業。
代わりに店内ではケーキバイキングが始まっていた。
用意された円卓には所狭しと並べられた幾つものホールケーキに、リンネたちは次々と手を伸ばし、その味を確かめる。
ケーキの入っていた化粧箱には、屋根が溶けかけた小屋が描かれている。それは紛れも無く大通りにある『魔女のお家』の印。朝早くから並ばなくては買えないと評判の菓子工房の証だ。
「走ってきてよかったね」
「うん」
ソアラがストロベリーケーキを幸せそうな顔で頬張っている。
リンネも負けじと目の前のミルフィーユをフォークで慎重に切り崩し、口に運んだ。生クリームの舌触りの滑らかさと、果物の豊潤な味がこれでもかというほど、幸せな気持ちにしてくれる。
「べつに慌てて来てこなくても良かったんだぞ。ケーキはまだたくさんあるんだからな」
「あれ? 待ちきれなくて、迎えに行こうとしていたのは誰でしたっけ?」
「ばっ、店長は黙っていてくれないか」
「ははは……おやこれもなかなか美味しいですねえ」
いつもの全身甲冑を兜だけ外したアネモネが、恥ずかしそうな顔で睨み。
笑顔を浮かべた店主のフジワラが、肩を窄めガト―ショコラを口に運ぶ。
リンネが、マグカップに口をつけながら、ふたりのやりとりを微笑ましく眺めていると、ソアラが指で肩を突いてくる。
「……?」
彼女は自分のストロベリーケーキの上あたりをフォークの先で示してみせた。
そこにはチョコレートでできたメッセージプレートが乗っている。表面には文字らしきものは何も書かれていなかった。
だが代わりにひとつの模様が描かれている。
そこに描かれているのは紛れもなく一人前の探索者としての証。
ふたりが獲得したばかりの『踏破の証』と同じ印。
『♣』だった。
フジワラはただ『ケーキを食べないか』と声をかけてくれた。
アネモネは、急に焼き菓子を食べたくなったから、取り寄せたのだと言っていた。
だがそのメッセージを見れば、何故今日リンネ達が招かれたのか、その理由に気がつかないわけがない。
「後でお礼を言わなきゃね」
ソアラが耳元で告げてくる。」
リンネは嬉しくて、思わず泣きそうになりながら頷いた。
◆
「お代わりは如何ですか」
「有難うございます」
フジワラがそう言ってそっと差し出してきたマグカップを、リンネは受け取る。
口をつけると、砂糖も蜂蜜も入っていないただのカフェオレだった。
甘いものを食べ過ぎて味覚が麻痺していたので丁度、さっぱりしたものが欲しかったところだった。
嬉しい心遣いだ。
リンネはマグカップを置いて、ふうと息をついた。
目の前の皿では崩れかけたズコットケーキが待っている。刻んだナッツの入ったこの生クリームは、独特の食感があって非常に好みだが、半分まで攻略したところで手が止まっていた。
「もういいんですか?」
「私、お腹いっぱいかも……」
「僕もこれ以上食べたら胸焼けしそう」とソアラ。
「では程々にしておくのがいいと思います」
「もぐもぐ……店長も、もういいのか?」と頬に生クリームをつけたアネモネが訊いてくる。
彼女の大皿には幾種類ものケーキが、これでもかといった感じでうず高く積み上げている。
どうやら彼女のお茶の時間はまだまだ終わりそうにないようだった。
「ええ結構です。これ以上は、仕事に差し支えそうですからね」
「ふむ。だが困ったな……」
アネモネがふいに顔を雲らせてそう言った。
「そうなるとまだ残っているケーキはどうすればいい。早く食べないと、クリームも溶けてしまいそうだぞ?」
彼女は、まだ切り分けられていない方のケーキをちらちらと気にしている。このまま食べられない彼らの行く末を案じているという様子だ。
「ええっとアネモネさんはまだ入りそうですね」
「まあもう少しくらいなら入らないでもない」
フジワラが黙ってこちらを見てきたので、リンネとソアラは頷いてみせる。
「なら残りはアネモネさんが食べちゃえばいいのでは?」
「そうか。店長が言うならそれは業務命令だな。だったら仕方がないな。仕事ならば片づけないといけないからな。仕方がないな」
アネモネが言葉とは裏腹に嬉しそうな顔でそう言った。それからいそいそと残りのケーキをまとめて、手元に引き寄せて並べ始める。
彼女の様子を見る限りだと、彼女に任せればピースオブケーキなのだろう。
アネモネはいつでも健啖だ。
そして彼女が美味しそうにものを食べているところを見ているとこちらまで嬉しくなってくるので、不思議だった。
「……あれ?」
リンネはふいに気になるものを見つけてしまった。
アネモネがケーキを切り分けるのに使用している刃物である。
それはどう見てもケーキナイフではないようだった。
何故ならまず長さが小剣と言って差し支えない程度もあった。おまけに柄があり不気味な意匠まで施されている。小鬼か蝙蝠妖精のように見えなくもない痩せぎすでつり目の髑髏だ。
もしかしたら店の品物なのだろうか、と思った。
「――おやソアラさん、その怪我どうされたんですか?」
ふいにフジワラの声が耳に入ってくる。
見るとどうやらソアラが腕に巻いている包帯が、目に止まったらしい。
「これですか。ちょっと毒矢が掠っちゃって……あっ、でも店長さんの救急箱を使ったらあっという間に治りました」
救急箱というのは、この店で売られている常備薬の一式だ。
ダンジョン探索において実用性の高い薬品を、良心的な値段でまとめ買いできるので、探索時に重宝していた。
「それは良かった。念の為、毒消し草で作った湿布を貼っておきましょう」
「ありがとうございます」
ソアラが怪我を負った原因の半分は、自分にあった。
探索中にソアラがうっかり罠にかかってしまい、雨のような毒矢が降ってきた際、自分をかばったせいで矢を受けたのである。
ソアラが腕から包帯を外し、腕の肌が露わになる。
ほぼ治っているとはいえ、なだ薄っすらと赤い線のような跡が残っていた。
◆
「その革製の鎧もだいぶ傷が増えたようですね」
腕の手当を受けていたソアラは、そう言われて自分の鎧を確認してみる。
この迷宫都市を訪れた時に購入したものだったが、言われてみれば確かに大分みすぼらしくなっているようではあった。
「装備を整えなおしたほうがいいかもしれませんよ」
「新しい防具を、って事ですか?」
「ええ。うちにあるものならお安くしておきますよ」
「……でも僕はできれば新しい武器が欲しいなあ」
階層を下っていく毎に、モンスターの強さは確実に増している。
だが肝心の『炎の剣』は地下五階での激戦以来、役立たずなままだ。
だからソアラとしてはできるなら普段使いの剣を強化したかった。
資金も少しだけなら余裕があるのだ。
「手頃な値段の付与武器なんてありますか?」
付与道具がそんなに安い価格で手に入るわけがない事は知ってはいたが、駄目元で訊いてみる。
「……ふむ。それならこれですね」
フジワラは何を思ったのか、テーブルの上へと手を伸ばした。
そしてケーキの並んでいる付近に置いてあったあるものを手に取る。
それは刃物だ。
ケーキを切り分ける為に使っていたケーキナイフである。
これまで特に気にしないでいたが、しかし、よく見れば刃渡りが小剣ほどの長さがあった。
おまけに奇妙な意匠が施されていて、どう見ても台所用品ではないように見えた。
「『小鬼殺し』です」
フジワラのあっけらかんとしたその一言に絶句するソアラ。
リンネが残ったケーキを突いていたフォークを手から落とし、アネモネはケーキを頬張ったまま固まって動かなくなっている。
「かつて起きたといわれている小鬼戦争で量産されたもので、小鬼に対して絶大な威力を発揮しま――」
「……」
「……」
「……」
「――あれ皆さんどうしたんですか?」
「えっと……それ武器だったんですか?」
他の二人よりも早く、ショックから立ち直ったソアラが尋ねる。
「ええ勿論です」
どうやらこの店主は、店の備品をケーキナイフに代用していたらしい。
「あの……小鬼専用なんですか?」
「そうですよ?」
「ケーキ食べちゃった……」
リンネは可哀そうに、顔を青くしながら、自分の目の前の皿と、フジワラの手にある小剣を交互に見つめている。
「……店長」
同じように顔を青くしたアネモネが硬直したままの状態で口だけを開いた。
「はい何でしょう?」
「我々はそれを使ってケーキを切っていたんだが?」
「大丈夫です。綺麗に洗ってありますし。たぶんここ数百年は未使用ですから」
フジワラが事もなげにそう言った。
「そういう問題ではないぞ!」
「ケーキ食べちゃったよっ!」
「どうしてくれるんだ!」
「どうしてくれるんだっ!」
アネモネが怒鳴りながらばんとテーブルを叩き、リンネも続いて叫びながらテーブルを叩いた。
約二名から避難囂々だったが、フジワラは相変わらずのほほんとした笑みを浮かべて、首を傾げている。
この店主は普段から細やかな気遣いのできる癖に、たまにこういう無神経を平然とやってのける事があるから不思議だ。
「ソアラも何か言うんだ!」
「ソアラちゃんも言っちゃって!」
「……まあ僕は、美味しかったから別に良いかな」
「「えーっ」」
「そうです。二人ともソアラさんを見習って下さい」
「「店長(さん)が言うな!」」
ソアラはケーキナイフの件については割り切ることにした。
食べ物は美味しくて、お腹を壊さないなら、それでいいと思っている。
師匠と山篭りをした時には、もっと衛生上問題のある生活を送っていたせいで、きっと耐性がついてしまったのだろう。
今はそんなことよりも『小鬼殺し』の事の方が気になっていた。
新しい武器に加えるのなら詳細を詳しく聞きたかった。
それに付与道具としての能力もさることながら、剣そのものの相性を確かめるのも大事だろう。
「フジワラさん、その剣、見せて貰っても良いですか?」




