蝋燭の刺さってない燭台(未鑑定)②
◆
「あ、あの。だ、大丈夫だった?」
酒場を出た後で、突然声をかけられ、思わずきっとなって相手を睨んだ。
先程の角兜の仲間かもしれないと思ったからだ。
他人は一度でも弱みを見せれば砂糖菓子に群がる蟻のようにつけこんでくる。常にひるまず強気でいることは、ホオズキが修道院で学んだ処世術だった。
「何ですか貴方は?」
「ご、ご、ごめん。わ、私はベアトリスっていう」
黒い帽子付きの布服の少女だった。
浅く被った帽子から、くまの濃い三白眼を覗かせている。
猫背気味で、長く伸ばした黒髪には艶がなく、全体的に不摂生な生活を送っている様子が伺えた。
「さ、災難だったね。あの人、たまに駆け出しの探索者に絡むんだ。……私もからかわれた事があるし」
彼女は始終どこかおどおどしており、陰気な小動物という印象があった。
ホオズキは立ち話に興味はない。
だから追い払うつもりでわざと険のある視線を送り続ける。
「それで?」
「えっと……その……その燭台って何?」
だが彼女は困ったように視線をさまよわせた後、それでもなおも話しかけてくる。
「さ、さっきちらっと見えて気になったんだ。ほ、ほら、よく見ると普通の燭台と違ってるから、もしかしてダンジョンで手に入れたアイテムとかかなって思って……」
「知りません」
ホオズキは会話を打ち切るつもりでそう言うと、その場から立ち去ることにした。
何故、こうも面倒な輩に出くわしてしまうのだろう。
腰に下げている短刀と、こんな場所に出入りしているところを察するに、探索者なのだろう。
だが他に同行者がいるのならば話は別だがそれらしき人物は見当たらない。
彼女が単独探索者ならば尚の事、要はなかった。
自分が求めているのは剣にも盾にもなれる屈強な戦士なのである。
「し、知らないんだ? じゃ、じゃあ未鑑定なんだね」
彼女は後ろをついてきていた。
そしてこちらの返事をどう受け取ったのか、嬉しそうにそんな頓珍漢な提案してくる。案外ふてぶてしい性格なのかもしれない。
「も、もし鑑定がしたいならいい道具屋さんを知ってるよ? 教えようか?」
「……」
ホオズキは何と罵って、このうっとおしい帽子付きの布服の少女を追い払おうか思案していた。
だがふと彼女の話に乗るのは悪くない考えだと気がつく。
何故なら、燭台の扱いについてほとほと困っていたからだ。
荷袋には入りきらないし、重たいだけでなんの利益もない代物だ。大体こんな部屋の備品を持ち歩いていれば馬鹿か浮浪児に間違われるかもしれない。
さっさと厄介払いした方が身の為だろう。
道具屋なら、もしかしたらそれなりの値で引き取ってもらえるかもしれなかった。
「……じゃあその店、どこにあるのか案内してもらる?」
◆
「ふむ、これはなかなかいい品ですね」
眼鏡の店主が、そう告げてくる。
眠たそうな顔で、ふふふふと君の悪い笑みを浮かべながら、燭台を撫でてみたり、単眼鏡であちこち細部を眺めたりしている。
ベアトリスに連れられ訪れたのは『古き良き魔術師たちの時代』という店だった。
以前に彼女が世話になった道具屋であるらしい。
店の雰囲気は嫌いではない。片田舎の修道院では見たこともない、様々な品物で 溢れ返っていて、見ているだけで楽しい。
何故か、フリルエプロンを身につけた全身甲冑が動き出し、お茶の容易を始めたのには驚いたが、出されたカフェオレという飲み物は、これまでに飲んだどんなものよりも甘く、美味しかった。
だがホオズキは田舎者だと思われるのが癪だったので、何でもないような素振りをした。
「どうやらこの燭台は付与道具のようです」
隣で同じようにマグカップに口をつけていたベアトリスが、徐ろに立ち上がり、すごいすごいと、はしゃぎだした。
そして「ほ、ほらね。やっぱりだっ。お宝だよ。お宝っ。また『賭け』に勝った。私の直感はよく当たるんだ」などと意味のわからない事を言いながら嬉しそうに、こちらの手をとって笑う。
話を聞くと、燭台はかなり高価な品だったらしい。
世の中には付与道具という、様々な魔術を代行してくれるとても品というものがあるそうで、俄には信じがたい話だったが、この燭台はそのひとつなのだという。
ホオズキは査定の結果を聞いて、思わず飛び上がりそうになった。
それは数年分の食費に相当する額だったからだ。
「……」
だがそれは決して嬉しい事ではなかった。
何故ならそんな高価なものを処分するわけにはいかなかったからだ。
司教は売ってしまっても構わないと言っていたが、後でやっぱり返せ等と言われたら、取り返しのつかない事になるだろう。
だから結局、燭台は売らず、荷袋に戻すことにした。
「はい」
「あ、あの、えっと……これ?」
「せめてものお礼よ」
店を出た後でベアトリスには、謝礼を払うことにした。
彼女が店を紹介してくれなければ、今頃、どこかの古道具屋でただ同然の金額で引き渡していたのは事実である。
後で仲介料だなどと、大金を要求されるよりも先手を打って金を渡すべきだろうと考えたのだ。
だが財布から取り出した銅貨数枚を握らせようとすると、彼女は拒んだ。
そして次に彼女の口から出てきたのが、思いもかけない提案だった。
「お、お、お金は要らないから、代わりに仲間にして欲しいんだ!」
「……仲間って、一緒にダンジョンに潜るって事?」
「う、うんっ!」
「……」
彼女は恐らく盗賊の類だろう。
ダンジョンに落ちているアイテムを見つける目端の良さや、宝箱の罠を解除する技術を得意としているはずだ。
だが自分が求めているのは純然たる戦力だった。
階層を下り続ける推進力や、凶悪なモンスターを退治するような腕力以外に必要なものは何もなかったのである。
だからホオズキは正直、迷っていた。
先程の酒場の一件を考えると、同行者を簡単に作れそうにはない。だからこのまま独りでいるよりは、暫く彼女と行動した方がましなのかもと思ってしまったのだ。
「……構わないけど足を引っ張ったら承知しないわよ?」
「う、うん。やった。ありがとう」
だからホオズキは『取り合えず』と心のなかで前置きをして、ベアトリスと同行することを許したのだった。
◆
少女――ベアトリスはまだ隅にうずくまっている。
先程までのように瓦礫をどかす作業はせずにただじっとしている。
もう探しものはしていない様子だ。
ふと彼女の惨めな後ろ姿が、何故だか別の姿と重なった。
それは修道院に入ったばかりの頃、部屋の隅で泣いていたホオズキ自身の姿。
もしかして彼女も同じように絶望してめそめそと泣いているのかもしれないと思うと、気が滅入ってきた。
ああ、何故、自分はこんな薄暗く湿っぽい場所にいるのだろう。
何故、こんなくだらない子を同行者に選んでしまったのだろう。
何故、自分はこんな場所で足止めを食らっているのだろう。
「……」
ホオズキはここから立ち去る事に決めた。
もうこれ以上、彼女の事を待ってもただの時間の浪費だ。
ここで別れを告げて一人でもさっさと地上に戻ったほうが賢明である。
それからまた別の酒場に行って、今度こそ屈強な戦士たちを同行者に加えて、仕切り直しをするのだ。
それがいいと、瓦礫から腰を上げる。
だが――。
「こ、ごめん。待たせちゃった」
いつの間にかベアトリスが目の前にいた。
彼女は袖口で目元を拭いながら、何がおかしいのか微笑んでいる。
「た、たくさん待たせちゃってごめんね。そ、そろそろ地上に戻ろう」
「……探しものはどうしたんですか?」
「う、うん。もう良いかなって思ったんだ。実はそんなに大したものじゃなかったかもしれない」
彼女は指先を持て余したように弄り、視線を彷徨わせながらそう言う。
嘘だ。
それは子供でも分かるような嘘だった。
大切でなければあんなに時間をかけて探すわけがない。大体、そんなに目元を濡らし、赤くはらせているのは、泣いていたという動かぬ証拠だった。
「もういい、というのは諦めたという事ですか?」
「う、うん」
「大切な物なのでしょう?」
「……う、うん」
ホオズキには俯きながらへらへらと笑みを浮かべている、彼女のことが理解できなかった。
もし自分が立場が逆だった場合、間違いなく探し続けるだろう。
そして彼女の事を無理にでも巻き込むはずだ。探すのを途中でさぼるような事があれば厳しく咎めるかもしれない。そして例え彼女が怒って帰ったとしても、独り居残ってでも探すはずだった。
だが何故諦めたりするのか。
「何故かけがいのないものを、そう安々と手放すことができるんですか?」
その問いに、ベアトリスは何が恥ずかしいのか、頭を掻きながら照れたように笑った。
「う、うん。だって、君は仲間にしてくれた時『足を引っ張っらないように』って言ってただろ」
「……」
「そ、それにせっかく仲間ができたのにうじうじしたところを見せたくないんだ」
「……」
仲間。
それは非常に滑稽な言葉だった。
何故ならホオズキはベアトリスのことを何とも思っていない。
彼女の事を仲間というくくりで勘定していない。ただの同行者、もしくは厄介者だと思っているだけだ。
あまつさえ自分はこれから、大切なものを失くして困っている彼女を放置、見捨てようとしていたのである。
「私は嘘が嫌いなので正直に言います」
「う、うえ?」
「私は、貴方のこと『グズ』だと思っています」
「えっ?」
「おまけに探し物は面倒になって途中で放棄していました。それから今は見捨てて帰ろうとしています」
「えっと……」
「そんな嫌な奴ですよ私は? それでも仲間にしたいんですか?」
ベアトリスはその質問に対して慌てたように何度も頷いて、こう言ってきた。
「グ、グズなところは頑張って治すよ!」
「―――――!」
何故だか彼女の馬鹿さ加減が、無性に腹立たしかった。
それからふいに、あの司教の言葉が、ホオズキの頭に降ってくる。
――徳を積んできなさい。
ホオズキは足元にある荷袋を手に取ると、逆さにひっくり返して、荷物をすべてぶちまけた。
貴重品や食料などと一緒に、奥に詰めていた燭台が転がり出てくる。
それをどんと床に置いて、膝をつく。
印を組み、印を切る。
祝詞を囁き、詠唱する。
そして念じた。
『布施』の祈祷だ。
自分のなかに留まっている徳を還元し、魔力に変換、他者へ与えるものだ。理屈からいえば、これでこの付与道具とやらを起動することができるはずだった。
――徳を積めだと。ふざけるな。
――そんなつもりは毛頭ない。
確かに自分は、自分のことしか考えていない愚か者である。
だが例えそうだったとしても、これはそういう事ではない。
こんなどうしようもない自分に、仲間になりたいと言ってくれた彼女にこのまま何もせずにはいられない。
だからそうする、ただそれだけの事だ。
かくして燭台に魔力が伝わった。
蝋燭のないはずの燭台が、長く伸びた針を灯りを発し始める。
最初は頼りなくぼんやりと、だがしかし次第に、足元に何があるのかろくに分からない程、薄暗かったはずの周囲が目映い光で満たされていく。
そしてついには雲のない太陽の下にいるほどの明るさになり、部屋全体の様子が露わになる。
それからホオズキは腕まくりをした。
床に転がった瓦礫をひとつひとつ撤去していけば、失くしたものくらいすぐに見つかるだろう。これでも修道院では掃除係だったので、こういう作業は苦手ではないのだ。
「ベアトリスさん」
「は、はいっ」
「仲間にして欲しいなら、まずは大切な物を探してなさい。私はグズも嫌いだけど、物事を途中で放り出す人も嫌いです」
「う、うん。ありがとう!」
あの司教様が、自分にダンジョン探索を命じたことを許すつもりはなかった。
だからここ誰も文句が言えないような実績を積み、必ず施療院行きを志望する。そうする事で、復讐とするつもりだった。
ただ目の前の煌々と光る燭台をくれたことだけは、感謝しよう。
ホオズキは、そう思ったのだった。
◆
鑑別証『永劫の燭台(良品)』
『清貧を宣う使徒に告ぐ。その穢れなき血を百七十滴捧げよ。さすれば灯れ、仄光れ、そして目映く照らし出せ、メポラニオスの綿花如く』
幾ばくかの魔力と引き替えに、灯りをともせる燭台です
銀製でできており、実は非常に細工が細かく美術品の価値があります。ただ素人目には、真鍮製のごく一般的な部屋の備品と大差がなく見えるかもしれません。
台から逆さにのびた三本の脚、その各々に鈴蘭のような蝋燭皿がついております。蝋燭を立てる為の針が、少しだけ長いのですが、始動させるとそれ自体が眩い光を発するでしょう。
多少広い部屋でもこれひとつあれば、隅々まで昼間のように、明るく照らし出してくれるはずです。
大昔、裕福で位の高い僧侶ほど、この燭台を身近に置きたがりました。
何故なら寺院は、教徒たちに厳しく『清貧』であることを求めており、私欲を捨て、質素な生活を送ることこそ、正しい行いに繋がるのだと考えていたからです。
そしてこの蝋燭を浪費しない燭台を所有する事は、持ち主の清貧さを他に示すにはうってつけの装飾品でした。つまりこれを所有する事で、自らの裕福さを誤魔化す、都合のいい免罪符にしていたのです。
勿論、『永劫の燭台』自体は昼夜問わず何十年も灯りをともし続けなければ元が取れない程、非常に高価なもので、裕福な身分の人間しか買えないものでした。
ただ、寺院はやがてこの燭台を『虚栄心を満たすための嗜好品』であるとして、個人が所有する事を禁止、徴収するようになりました。そして今では、その多くが宝物庫などに保管されているそうです。
ところでお客様には、よくこれがダンジョン探索の道具として向いているかどうか、訊かれることがあります。
正直な話、微妙なところです。
そもそもが屋内の備品。重量があり、かなりさばるので荷物になるのは避けられません。背嚢などに詰め込む場合、破損する恐れもあるでしょう。また長時間持ち歩くのに適してはおらず、腕の力がなければ両手がふさがるのも悩みどころです。
故に使いやすさで言えば、松明やランタンのほうが断然上でしょう。これから荷物に加えようとされている方々は、十分に検討されることをお勧めします。
以上が、ホオズキとベアトリスの最初の探索の経緯である。
ベアトリスの大切なもの――『毒蛾の短刀』が見つかるのはこの後すぐのことである。




