蝋燭の刺さってない燭台(未鑑定)①
「やあ『古き良き魔術師たちの時代』へようこそ。
もしダンジョンから持ち帰った未鑑定アイテムが御座いましたら是非、お立ち寄り下さい。
細剣、薬瓶、長盾、指輪、帽子、書物、革靴、御札、どんなモノでもすぐに鑑定いたします。
……おや。貴方の手にされているそのアイテムも付与道具かもしれませんよ?」
暗い部屋の隅で、何かが蠢いている。
それはうずくまるひとりの少女だ。
彼女は泣きそうな声で「見つからない」と呟きながら探し物を続けている。
彼女はいつになれば『大切なもの』とやらを諦めるのだろう。
これだけ探しても出てこないのだから、どこか別の場所で失くしたに決まっているだろうに。
「……はあ」
ホオズキは思わず溜息をついてしまい、慌てて両手で口を押さえる。
溜息は厳禁なのだ。
ちらりと見るが、どうやら少女には聞こえていなかったようだ。
彼女は一心不乱に瓦礫をどかして、その下に探し物がないかを確認している。
溜息は、寺院の教義上、禁じられている。
見つかると司祭様から『口から徳が漏れている』とお叱りを受ける事になるのだ。
「……ああそうか」
ホオズキは思い出し安堵する。
ここが、そもそも修道院ではないことを。
もう小言が趣味の司祭様も、密告屋の修道女たちもいない事を。
何故ならここは迷宫都市のダンジョン。
本来ならいるべきではない場所。
「……はあ」
ホオズキは自分が置かれた立場を思い返して、もう一度溜息をついた。
◆
つい先日のことだ。
十三になったホオズキは、晴れて修道院を出る事になった。
迷宮都市と呼ばれる遠い土地にある寺院に喚ばれたのである
彼女は喜んだ。
ようやくあの寺院の苦しい日々から解放されることを。
あのギスギスとした集団生活や、年上の修道女たちからの執拗な嫌がらせをやり過ごすだけの生活から抜け出せる事を。
だがそれは悲劇の始まりだった。
最初の日の朝、迷宮都市の年老いた司教様が微笑みながらこう告げてきた。
「まずは迷宮に赴き、徳を積んできましょう」
それは思いもよらない言葉。
落とし穴だった。
ホオズキは施療院に配属されるものだとばかり思っていた。
何故なら祈祷術に長けたものが配属されるのは通例だ。
そこで怪我人や病人の手当をしながら祈祷術の腕を磨き、徳を積んでいく事になっている。仕事は厳しいが、実績を積むことができれば数年で助祭の叙位を与えてもらえる。そしてゆくゆくは司祭になることも夢ではない。
もう人生は安泰だ、と思っていた。
「あの、私は怪我や病気の人を救う為に呼ばれたのではないのですか?」
ホオズキは当然の疑問を投げかける。
だが年老いた司教様はゆっくりと首を横に振った。
「貴方は今まで修道院という狭い世界おりました」
「……」
「故に未熟。施療院の配属はまだ早計であると判断したのです」
「そんな――」
そんなはずがないと、ホオズキは叫びたかった。
自分には才能がある。何より修道院で十年以上も祈祷の修行を続けてきた。
一周りも上の助祭にすら引けをとらない実力があると、自負している。
だから施療院に配属されても活躍できると思っている。
ホオズキにとって、祈祷術に秀でていることだけが唯一の心の拠り所だ。
これがあったから修道院で修道女たちからどんな意地悪をされようと、絶望せずに耐え続けることができた。毎日のように背の低さや、癖のある赤毛のことを馬鹿にされても、彼女自身を肯定する事ができた。
それを否定され、一瞬目の前が真っ暗になった。
「……」
「何か不満がおありのようね?」
司教様が、こちらの心を見透かしたように薄く微笑んでくる。
ただの人の良さそうな老婆にしか見えない彼女は、だが位の高い僧にしか身につける事の出来ない緋色の僧衣を身につけている。
彼女は間違いなく司教。
この迷宫都市における寺院の最高権力者だ。
階位すら与えられていない修道女風情が、その決定に逆らう事は不可能だった。
「いえ……」
ホオズキは悟った。
これは事実上の左遷だ。
理由はわからないが、自分は彼女に気に入られなかったせいで、施療院への道に門を落とされ、迷宮探索などという、益体もない仕事を命じられたのだ。
『あそこの寺院では、扱いに困った教徒を迷宮に送り込むそうよ、人参さん』
『厄介払いしなくても、魔物に殺されてくれるからなんだって、チリチリ頭さん』
『ふふふ、貴方もそうならないよう、精々気をつける事ね、オチビさん』
修道院を立つ前、嫉妬にかられていたはずの修道女たちがしてきた噂話を思い出す。
そんなものただの噂だと鼻で笑ってやったはずだった。
じっとりと汗で肌着が貼りつくのが不快だった。
風邪を引いたわけでもないのに寒気がした。
歯を食いしばらなければ立っていられない程、足腰が震えてきた。
もはやホオズキに出来たのは、震える手で印を切り、「……失礼します」と声を 絞り出すことだけだった。
◆
暗い部屋の隅で、少女がぶつぶつと呟いている。
屈んだ姿勢で何度も「見つからない」という言葉を繰り返している。
――お前は見つからないお化けか。
そう突っ込みを入れたくなるのをホオズキは辛うじて堪える。
そしていい加減うんざりした気持ちになって視線をそらした。
地面には醜い不定形なゼラチン状の塊が転がっている。
怪物。教義上、不浄として分類される存在。
念菌だ。
彼女はこれと闘っている際中に、『大切なもの』とやらを失くしたのだと言う。
最初はホオズキも付き合いで一緒に探していた。
だがどれだけ床を睨みつけても、ガラクタひとつ出てくる事がなく、半刻が過ぎたあたりで、いい加減くたびれてしまった。
大体、こんな薄暗い場所を、たったひとつのカンテラだけで探すだなんてうまくいくはずがない。
ホオズキは手頃な大きさの瓦礫に腰掛け、今は彼女が見つけるか諦めるのを待つことにしていた。
――そういえば。
――彼女の名前は何だっただろうか。
◆
そこは『宵闇に酔いどれ』亭という酒場だった。
まだ夕陽が沈みきっていない時間帯だが、円卓席は物々しい格好をした柄の悪そうな連中で埋まっている。誰もが陽気に騒いでいた。
ホオズキはそれを横目に、ジョッキのなかのものを飲む。
注文したものはただの水だ。
酒は不道徳的な飲み物だ。
心のたがを緩ませ、信仰心を溶かし、分別を喪わせるだけの害しかない不快な代物。僧侶でも果実酒ならば飲むことが許されているが、自分は生涯飲むことはないだろう。
この世から消えてしまえばいいとすら思っている。
「……ひっく」
木製のジョッキはやけに酒臭かった。
普段麦酒を注ぐのに使っているせいだろう、水は柑橘と草を混ぜたような独特の匂いが混じり、若干苦味もあって不快だった。
できればこの酒場にも訪れたくはなかった。
だがこの探索者御用達の場所で、同行してくれる探索者を見つけなくてはいけなかった。
何故ならホオズキひとりではダンジョンに巣食うモンスターとは戦えない。
剣として盾として前線で戦ってくれる有能な戦士たちが必要なのだ。
「……ひっく」
司教が、迷宮探索をやれというのであれば、言う通りに従う他ない。
そしてやる以上、誰も文句を言えないような実績を積んでやるつもりだ。差し当たり地下十階まで潜ればいいだろう。そこで得られる『証』とやらを僧侶が手にすれば、無条件で司祭としての地位が保証されると聞いたことがある。
そこまですれば施療院への配属を希望しても、文句は言われないに違いない。
「それでいつかあの司教を見返してやるわ……ひっく」
ホオズキは自分でも少し自棄になっている事が分かっていた。
それから何度か探索者たちに声をかけてみる事にしたが、結果全く相手にされなかった。
自分が祈祷術を修得していることも説明したが、まるで信じてはもらえず鼻で笑われる始末だ。誰もがこんな小娘をダンジョンに連れて行っても、役に立つとは思っていないようだ。
「祈祷術にゃら自信があります。仲間にしれ下さい……ひっく」
「ガハハハハ。酔っ払いの嬢ちゃんが僧侶か。そりゃあすげえな」
声をかけた、角兜の中年男も他と同じような反応だった。
大げさに驚いた素振りを見せるが、感心しているというよりは、誂い半分であるようだった。
大体、他人を酔っ払い呼ばわりとはひどい言い草である。
自分は水しか飲んでいない。
「そんなに達者だっていうんなら、腕前を披露して見せてくれよ」
「腕前ですか? 構いません……ひっく」
チャンスだと思った。
例え面白半分に言ってきたのだとしても、これで実力を認めさせればパーティに加えてもらえる可能性がある。そうでなくてもこの場で力を示してやれば、この酒場にいる誰かの目に留まるかもしれない。
「ああ。例えばだな。その蝋燭立てに火をつけるくらい簡単だよなあ?」
角兜が愉快そうに、ホオズキの荷袋を指でさしてくる。
そこからは寺院から持ち出した燭台が入りきらずにはみ出ていた。
「……ひっく」
ホオズキは燭台を睨みながら、何故かうまく回らない頭で考える。
角兜は簡単そうにそう言ってきたが、いくつか問題があった。
まずよく見ればわかるのだが、この燭台には蝋燭が付いていない。
何より僧侶は物質に火を出現させる術を持たない。
どれだけ鍛錬を積もうができないものはできない。
それは魔術の領分だからだ。
祈祷術と魔術の混同は、主への冒涜行為に他ならないのだがこの際、目をつぶる。問題はこの何も知らない角兜にそれをどう説明し、理解させるかだった。
「あの――」
だが、ホオズキは見上げながら気がついてしまった。
こちらに向けてくるその眼差しがよく知っている種類のものであることを。
それは修道院の修道女たちが嫌がらせでホオズキの靴や本を隠したりして様子を伺っている時と同じもの。
好奇、嘲り、悪意。
角兜が戦力として一切の期待を抱いていないだけならまだよかった。
つまり彼はホオズキが、僧侶が火を操れない事を理解した上で、誂っているのだ。
「どうした? できねえのかい嬢ちゃん?」
それから角兜は分かったというように頷いてみせると、酒場にいる客達に聞かせるように、大声で喋りだした。
「はーんっ。お嬢ちゃん、いくらなんでも嘘は良くねえなあ。おれたちは仕事で探索者やってんだ。それしきのこともできねーんじゃ、ダンジョンじゃ通用しねえよ」
「……!」
どこからか、どっと笑い声が上がり、ホオズキは下唇を噛む。
勢いに押されて何も言い返す事もできなかった。
今ここで挽回できる術があるとすれば、何か強力で、目に見える効果のあるような祈祷術を披露することだ。
はっきりと実力を示す事ができれば見直してもらえるはず。
だが魔術とは違い、祈祷術は比較的地味なことしかできない。
何より、何故だか頭がちゃんと働かず、視界もぐるぐるしてきて、呂律も回らない。
「ま。十年ばかし修行を積んで出直しねえ。そしたらおっちゃんが仲間にしてやらんでもねえぜ?」
角兜が満足そうに下卑た笑い声を上げながら、汚らわしい手で自分の肩を叩いてくる。それから陽気な鼻歌を歌いながら卓へと戻っていった。
「ひっく……ちっ」
ホオズキは失敗したと思った。
事実はどうあれ、この酒場の連中からは『何もできないお嬢ちゃん』という値札を貼られてしまったに違いない。たぶんもう誰に声をかけても、話すら聞いてもらえないだろう。
――こんな物さえ貰わなければ。
ホオズキは恨めしそうに荷袋からはみ出した燭台を睨みつける。重いだけで、何の役にも立たない。むしろこちらの足を引っ張るだけの無用の長物。
それはあの司教から渡された物だった。
◆
「貴方に、これを授けましょう」
手渡されたそれはずっしりと重みがあった。
真鍮製の蝋燭台。
台座からは三つの足が生えている。蝋燭皿に蝋燭がなく、代わりにそこから伸びた針が少しだけ長い。
ホオズキに迷宫行きを命じた後で、思い出したように司教様が渡してきたものがそれだった。
「……これは?」
「迷宮に赴く貴方へのせめてもの餞別です」
売るのも使うのも好きにすると良いでしょう。
ただ迷宮に持っていけば役立つかもしれませんよと、司教様は言った。
それはどう見てもただの部屋の備品にしか見えなかった。
迷宫を探索するには灯りが必要であることくらいはホオズキにも分かっている。
多少の役には立つのだろうが、こんなものよりもカンテラをくれたほうが重くて嵩張らないだけ実用的ではないかと思った。
「……」
本来はお礼の言葉を述べるべきだろうが、ホオズキにはそんな気持ちにはなれなかった。迷宮探索などを命じられた、今はただ自分のこれからの境遇について、考えを巡らすだけで精一杯だ。
地下迷宮。
あそこがろくでもない場所だという事は聞きかじって知っていた。欲に目が眩んだ者たちが怪物と殺し合いを繰り広げる不浄の巣窟なのだと。
大体そんな場所にいて溜まるのは徳ではなく悪業だろう。徳は善行を行う事によってのみ積み上げるものだからだ。
「あの司教様……迷宫へは何をしに行けばいいんですか?」
ホオズキは肝心な事を尋ねた。
怪物、特に彷徨える魂の不死者をこの世の頸木から解き放つ事は、僧侶たちの使命のひとつである。
だから骸骨を百体ほど浄化すればいいのかもしれないと思った。それなら大変そうだができないこともなさそうだ。
だが司教はただゆっくりと首を横に振る。
「それは自分で考えるのです。私が言えるのは経験と徳を積みなさいという事だけ」
「……」
「そこでしか耳にできないこと、見れないこと、出来ないことがあるはずです」
確かに、徳を積むのは大切な行いだった。
何故なら主は天にいまし、人々のすべての行いを監視している。
常に善行を怠らず徳を積み続けた者は死後天へと召され、払いきれない悪業を積んだまま死んだ者は、地獄に落とされ厳しく罰せられる事になるからだ。
だがこの際、そんなことは問題ではなかった。
彼女の言っている事の意味が分からなかった。
「私は……いつになれば私は施療院に行けるのですか?」
「時がくればまた呼び戻します。今はまだ余計な事を考える必要はありません」
「……!」
彼女の言い分は、遠まわしに地下迷宮で野垂れ死んでこいと言っているようにしか聞こえなかった。
――ふざけるな!
ホオズキは、目の前の年老いた司教に燭台を投げつけて、心のなかの淀みを残らず吐き出してやりたくなった。
「まずは広い場所に出て、祈り続けても変わらないものがあることを知りましょう」
だがそんな事をしたところで現実は変わらない。
ホオズキは下唇をきつく噛みしめながら「ありがとうございました」と頭を下げると、暗澹とした気持で礼拝堂を後にしたのだった。




