何の変哲もない古ぼけた革鞄(未鑑定)①
「おや『古き良き魔術師たちの時代』へようこそ。
もしあんたが探索者で、ダンジョンから持ち帰った未鑑定アイテムがあったらここに持ってくればいい。
細剣、薬瓶、長盾、指輪、帽子、書物、革靴、御札、どんなモノでもすぐに鑑定してやろう。
……まあだが今日のところは面倒なので弟子に任せるとしよう。
たぶんあんたの手にあるそのアイテムも付与道具のはずだ」
じゃくり……じゃくり……。
椅子の上に座り、鷲掴みにしたタルトを貪る子供がいる。口元にクリームや食べかすをつけ、ひたすら咀嚼を続けている。
だがそれは見た目だけの話。
彼女こそ、この迷宮都市を統べる九姉妹のひとり。
齢百八十を越える魔女――モルガンその人だった。
じゃくり……。
モルガンは見た目にはそぐわない、険しい表情で咀嚼を続ける。
タルトの味に不満はない。わざわざ西国から呼び寄せた腕利きの菓子職人に作らせたものだ。ダンジョンでしか採取する事のできない希少な血みどろ苺をふんだんに使用したもので、癖のある酸味が、クリームと生地の甘味を引き立てた逸品だ。
問題は別にある。
彼女は今、窮地に立たされているのだ。いや彼女だけではない迷宮都市そのものが危機的状況に追い込まれていると言っても過言ではない状況だ。
都市経済の悪化。それがすでに、都市運営の予算に大きく響くまで深刻化している。
原因は言うまでもなく『百鬼夜行』だ。
死者が残らずアンデッドモンスター化してしまう現象のせいで、ダンジョンに溢れかえり遠因となって、都市の経済を締め付けているのだ。
都市機能が低下するのも時間の問題だろう。
そうなれば『商会』を始めとした厄介な連中の助力を仰がざるを得ない状況になる。それは都市運営に干渉される口実を与える事と同義。最悪の場合、実権を奪われるという事態にまで発展する危険もあり得る。
もちろんモルガンも何の対応策を講じていないわけではなかった。これまで『組合』を通じて三度の討伐隊をダンジョンに派遣している。
だがいずれも失敗に終わってしまった。優秀な戦士だった者たちは皆、返り討ちにあいアンデッドモンスターになってしまった。
じゃくり……。
次の失敗は許されないだろう。だから慎重かつ入念な準備が必要になる。
そして、その為の最重要課題は四つ。
まずは『僧院』の助力。
ダンジョン内のアンデッドモンスターどもを浄化させたり、死亡した仲間が敵になるのを阻止し二次被害を防ぐ為には、僧侶の力が不可欠だ。
勿論、『寺院』からはすでに百五十名の支援を貰える確約がとれている。彼らには十四年前の貸しがある。何より『彷徨える魂を救済する』という使命を持った立場上、彼らとてダンジョンに溢れかえる不浄どもを放っておくことはできないのだ。
じゃくり……。
次に、討伐隊を構成する精鋭。最低でも二百名は必要になる。
これについては『組合』で人員を募れば問題ないと考えている。仕事に飢えている探索者どもは腐るほどいる。十分な報酬と装備さえ与えれば、言うことを聞いてくれるはず。
ただ遠征軍のいる地下十四階まで辿り着くためには、『踏破の称号』をふたつ以上をもった者に限られるので、実地での教練が必要になるかもしれない。
じゃくり……。
問題は三つ目だ。
討伐隊を送り出す為に必要な装備――聖武器。これの入手こそが最大の問題だった。
「……モルガンお嬢様」
背後に控えていた老年の執事イゴールが眉をひそめ、いつも通りの忠告をしてくる。
「なあに?」
「僭越ながら、糖分の摂り過ぎは身体に毒でございます」
「もうお嬢様という年齢ではないのだけれども?」
大抵のものがモルガンを『お館様』とか『御大』などと呼ぶなかで、彼だけは未だにお嬢様扱いしてくる。それは嬉しくもありだが苛立たしいことでもあった。
「『おやつ』という年齢でもございますまい」
「あらひどい」
「仕えるべき主の健康を慮るからこそ、お控え頂きたいのです」
モルガンはわざと頬を膨らますとイゴールを睨みつけながら、ティスタンドに手を伸ばす。それからタルトを掴むと、口元へ運び、イゴールに見せびらかすようにかぶりつき、十分に咀嚼した後、飲み込んでから言った。
「い、や、で、す」
「……」
ノック。
イゴールが大げさ溜息をついてから「入りなさい」と許可を出す。そしてこわごわといった様子で入ってきた使用人に身だしなみに対して、いくつかの注意をした後、書簡を銀盆ごと受け取る。
イゴールは主人にも、使用人にも厳しいモルガン家の良識を司る人物なのである。彼がいなければこの屋敷は数日で、没落してしまうのではないかとモルガンは半分本気で思っている。
イゴールは老眼鏡をかけ、白手袋をはめた手で幾つかある書簡のうちひとつを開くと、それら目を通して顔を上げる。
「『商会』からのようです」
「聖武器の値を下げると言ってきているのでしょう?」
「前回提示した金額よりも下げると言ってきております」
「もちろん半額でも買うつもりはないわ」
手紙は前回同様、九姉妹全員に当てたものだろう。
だがこの件に関して、姉妹の間ではすでに意見が一致している。いちいちコンタクトをとるまでもないことだ。
イゴールが別の書簡を摘みながら「すで三女様がそのように返答をしておいでのようです」と答える。
『商会』が従順で、友好的なのは表向きだけだ。
彼らが端から協力するつもりがない腹なのは分かっている。そもそもの聖武器の品不足すら、『商会』が傘下の商店を使い、買い占めを行って引き起こしたものなのだ。
こちらが大枚を叩いたところで、手に入るものが使い物になる代物ばかりとは限らないし、そもそもこちらの望んでいる数の半分にも満たない。
彼らは決して討伐隊の成功を望んではいない。
彼らにとって金の鉱脈であるダンジョンを支配管理することこそが何よりの目的。だから手の込んだ嫌がらせを続けて、こちらが手も足もでなくなる機会を伺っているのだ。
だがそう安々と手綱を奪われるつもりはなかった。
勿論、モルガンにも手がないわけではない。
水面下で聖武器の調達を進めてはいる。
だが手配した『商会』の傘下にないいくつかの業者たちは、皆彼らに勘づかれ妨害を受けていた。
唯一頼りになりそうなつては、モルガンと個人的な交友のある商人だけだ。彼女だけは期日よりも早く、注文した数よりも多くの品を届けてくれることを約束してくれた。
だからモルガンは今、苛々しながらその報告だけを心待ちにする日々を過ごしているのだ。
「イゴール、退屈ね」
「……」
「何か面白そうなニュースはないの?」
「面白いかどうかは分かりかねますが『組合』からの報告があります」
イゴールは別の書簡を取り上げて、老眼鏡の位置を治してから告げてくる。
「どうやら探索者の『死の足音』氏が正体を明かしたようです。『太陽を見上げる土竜』亭という酒場で、姿と身元を公表したとのこと」
「あら、あの子ばらしちゃったの?」
『死の足音』というのは、密偵をつけていた重要人物のひとりだ。あの『遠征軍事件』を引き起こしたモラウ公爵の側近の妹である。彼女はこれまで兄の行方を探す為に、探索者に扮してダンジョンに出入りしていたのだが――。
「なんでまた?」
「お仲間を募っておいでのようですね」
「馬鹿な子、そんな事をしても不要な恨みを買うだけのなのに」
『百鬼夜行』の発端になった『遠征事件』の参加者を恨んでいる人は多い。彼女自身は直接的な関わりはなくとも逆恨みの対象になる可能性は十分にありえる話だ。
「いえそれが、概ね心良く受け入れられているようです」
「へえ」
「彼女の探索者としての実績と、兄の無念を晴らすという美談が良かったのでしょう」
「探索者は相変わらず気のいい馬鹿ばっかりみたいね」
「そのようで」
だが悪い傾向ではないかもしれない。
討伐隊の募集をかける際には、是非彼女をマスコットに起用させてもらいたいものだ。
ただ今はその時ではない。あまり目立たせすぎると、後々面倒な事になるだろう。『寺院』の面子もある。何より彼女が音頭をとって勝手に『百鬼夜行』の討伐に乗り出すようなことになれば、こちらの計画が崩れてしまう事にもなる。
杞憂かも知れないが一応、手を打っておく必要もありそうだ。
「それで仲間はできたの?」
「まだのようです」
「ならデネブとデボラのパーティーに加えるってのはどうかしら?」
「では、お嬢様方にはそれとなく進言しておきましょう」
ノック。
使用人がまた新たに書簡を持ってくる。
どうやら今日はニュースが多いらしい。
だがどうせ大した内容ではないだろう。
「……はあ」
モルガンは溜息をついて、口のまわりについたタルトのクリームを指で拭い、舐めとる。
苛々することが多いせいで、すでにホールをふたつも平らげてしまっていた。このままでは午後までに食べる分が足りない。だがこれまでの経験上、一日三ホール以上を食べると、『お体に障ります』と言われておやつを禁止させられてしまうのだ。
「お嬢様」イゴールが両手で持った書簡を恭しく差し出してくる。「『古き良き魔術師たちの時代』のアイネ・クライネ殿が帰還するようです」
「きたっ」モリガンは思わず椅子を蹴りあげ「よこしなさい」とイゴールの手から引ったくる。
彼女こそがモルガン独自のつて。待ちに待った朗報だった。
どうやら依頼した大量の聖武器を、商会に気づかれることなく調達するという約束を果たしてくれたようだ。
書簡は配下からの報告書だったが、いちいち目を通さなくても用件は確認することができた。何故なら汚い筆跡で走り書きが足されていたからだ。『ブツは用意できた。すぐ帰る』。これはたぶん彼女の字だろう。
「あれだけの物を買い揃える何て、一体どんな魔法を使ったのかしら?」
「購入はしていないぞ」
声とともに部屋の扉が勢いよく開き、使用人ではない人物がずかずかと踏み込んできた。
頭部にしっかりと帯状の布を巻きつけ、砂漠の民がするようなゆったりとした外套身につけている。見覚えのある褐色肌の女だ。
彼女こそ旧友――アイネ・クライネだった。
書籍化記念という事で、明日には次話を更新予定です。




