神秘的な雰囲気を持った錫杖(未鑑定)①
「おや『古き良き魔術師たちの時代』へようこそ。
もしあんたが探索者で、ダンジョンから持ち帰った未鑑定アイテムがあったらここに持ってくればいい。
細剣、薬瓶、長盾、指輪、帽子、書物、革靴、御札、どんなモノでもすぐに鑑定してやろう。
……まあだが今日のところは面倒なので弟子に任せるとしよう。
たぶんあんたの手にあるそのアイテムも付与道具のはずだ」
『遠征事件』。
ダンジョン史上最大級の悲劇。
五百人弱の未帰還者をだした未曽有の大惨事であり、今も尚犠牲者を出し続け、迷宮都市を悩ませている『百鬼夜行』の原因であると言われている事件だ。
始まりは、西国王の崩御によって起きた世継ぎ争いから。
十七番目の王位継承権を持つモラウ公が戦略の一環として、ダンジョン探索の功績によって名をあげようと計画したのが『遠征軍』だった。
彼は精鋭五十名からなる騎士団と従者百五十名を引き連れ海を渡ると、迷宮都市を訪れ、腕利きの探索者約三百名を雇い、行軍を編成。地下ダンジョンへと降りた。
ちなみにこの前後の週は遠征軍参加者以外のダンジョンの立ち入りは禁止となっている。
モラウ公は西国の東南に領地を持つ公爵だったが、王家の血脈であること以外には取り柄もない凡庸な人物だった。王選において用意された椅子の数は二十あり、末席。殆ど数合わせのような立場にあったそうだ。
だが彼には野心があった。
ダンジョンの地下十五階まで何とか辿り着ければこの不利な境遇を覆せると考えていたらしい。そこで手にできる英傑の称号を、王選での手札にするという算段だったのだろう。
遠征軍は地下十三階までは順調に踏破できていた。
モンスター退治や罠の解体などは専門家に丸投げにし、安全な道筋を確保した後、三階層ごとに中継基地を設置。物資配備や増援手配などをさせながら進んでいったようだ。
通常、地下ダンジョンは、階層によって罠の張り巡らされた狭い地形を進む必要がある為、少数精鋭で挑むのが常識であったが、この攻略方法はその盲点を活かした画期的な攻略であった。
悲劇は地下十四階で起きた。
きっかけは探索者たちとの小さな諍いからだ。彼らが手に入れた戦利品を、モラウ公が強引に徴収しようとしたらしい。だが取り交わしでダンジョンで手に入れたものの所有権は、探索者にあると保証されているはずだった。
口論の末、モラウ公は騎士団に『探索者たちを皆殺しにせよ』という指示を出した。だがこの時点では何も起きなかった。一触即発の空気ではあったが両陣営にいた冷静な者たちが、協力し合い事態の収集に努めたからだ。
壮絶なる同士討ちが始まったのは、モラウ公が逃げ出して暫くしての事だ。殺されたはずの探索者が起き上がり、騎士のひとりに斬りかかったことが発端だった。そう。『百鬼夜行』が起きたのである。詳細は未だに不明だが、モラウ公が持ち去った『オルゴール』が関係している事が、調査団の調べで判明している。
そして堰堤は決壊した。
ダンジョンの至る所に存在する、あらゆる死者が、アンデッドモンスターとなり身近にいた、あらゆる生者に襲いかかった。結果、遠征軍は騎士団百名を含めた二百六十八名が死亡。帰還者は三十二名。
うち前線にいた者たちの中で生き残ったのは僅か二名のみだった。
◆
フジワラは読んでいた資料から目を離した。
入口の扉ががたがたと揺れているせいで、集中力が途切れたせいだ。硝子窓に雨が激しくぶつかる音も聞こえる。遮光幕の隙間からのぞく外の様子は真っ暗で良く分からなかったが、夕方頃から始まった雨の勢いは次第に増しているようだ。
天気が悪いせいで軽く頭痛もするし、今日はもう寝てしまったほうがいいかもしれない。
そう思い資料を片付けると、カウンターから事務所兼在庫置場に向かう。
「……あ」
途中で肝心なことを思い出す。立て看板をしまい忘れていたのだ。
万が一、腐ったり壊れたりするようなことになれば、師匠が戻ってきた際に説教されるに違いない。
フジワラは「やれやれ」とぼやき、仕方なく外に出ることにした。
◆
扉を押しあけた時の重みで、風の勢いを実感する。店内に雨が吹き込まないように気をつけながら外に出た。
すぐ傍で倒れている立て看板を拾い上げようとしてそれが目に入る。軒下に何かが置いてあるようだった。
何だろうと目を凝らしながら、近づいていく。
見覚えのあるものだった。
腰を下ろし膝を抱えた姿勢で佇んでいるそれは――全身甲冑。
「……」
暫く、黙って様子を見ていると、全身甲冑の兜だけがギギギと軋んだ音を立てながら動く。
そしてこちらを向いた。
「やあ」と左腕が上がる。
「……」
やはり彼女だったようだ。
「……来てたのなら何故声をかけないんです?」
「訪れたときにはすでに閉店していたんだ」
フジワラは言葉を喋る全身甲冑を、足の爪先から兜の天辺まで観察した。足元に荷袋を置いているところから察するに探索から戻ったきたばかりなのだろう。暗がりでよく分からないが、たぶん大きな怪我はしていない。
だが彼女はいつからここに座っていたのだろう。フジワラが店を閉め、明かりを落としてからかなり時間が経過している。身体は濡れ、冷えきっているに違いない。
「……」
「取り合えずなかに入りましょう」
フジワラは手を貸し、彼女を立ち上がらせると店内に入るように促した。
今すべき事は、彼女に温かい飲み物とビスケットを振る舞うことだろう。
◆
「タオルを持ってくるので待っていて下さい」
「いやそれには及ばない」
フジワラが事務所兼在庫置場に向かおうとしたところを引き止められる。
だがアネモネの全身甲冑からは雨水が滴り、床を濡らしている。中にいる彼女自身もおそらくずぶ濡れだろう。長時間雨風に晒されていたならば寒くないはずがない
「……風邪引きますよ?」
フジワラはそう言ってみたが彼女は「すぐに行くところがあるんだ」と言って首を横に振った。
せめて温かい飲み物でもと思い、カウンターに置いていた魔法瓶を手に取ろうとするが、飲みきってしまい中身がないことを思い出す。『太陽を見上げる土竜』亭の珈琲が品切れとなれば、代わりに用意できるものを考えねばいけない。
幸い彼女がいつ来店してもいいように山羊の乳は買い置き用意している。前回同様ホットミルクを用意すればいいだろう。
だが「ちょっと待っていて下さい」と言って、革袋を取りに行くと中身が空になっていた。表面が摩耗して穴が開いてしまっていたようだ。
何も今じゃなくても……。
フジワラは己のタイミングの悪さを呪う。
ちらりと彼女の様子を伺ってみるが兜をとる様子もないようだ。
何だというのだろう。他の客であればともかく彼女にしては、すこしおかしい気がした。
「ええっと探索の方は順調ですか?」
「あ、うん。今回でようやく地下十四階に辿り着くことができたぞ」
アネモネは事もなげにそう言った。
「調査団ですら断念した場所なのにどうやって……」
「何度か死にかけたが、まあ、あれやこれやで何とかなった」
「……」
たぶん力業で突破したのだろう。類い希なる加護持ちのなかでもとりわけ強力な能力を保有しているらしい彼女のことだ。ごり押しにごり押しを重ねて辿りつけたに違いない。
彼女はついこの前まで、地下十二階から先に進むのにも苦戦していた。ひとりで向かうには無謀過ぎると警告したのだが、結局独りで成し遂げてしまったらしい。
「それで目的は達成できたんですか?」
「……うん、実はその件で頼みがあってきた。ちょっと手に入れたいアイテムができたんだ」
◆
「はあ。どんなものですか?」
フジワラはとりあえず要件を聞くことにする。
アネモネから注文があるのは珍しいことだ。安請け合いはできないが、常連である彼女の為なら、ある程度融通を聞かせて用意しようと思った。
「『復活の杖』というやつだ」
「……」
フジワラは一瞬、聞き間違えたのかもしれないと思った。
もしくは彼女が何か別のアイテムの名前と勘違いをしている可能性もあり得えた。
「えっと……どんなものかは御存知ですよね?」
「死者に振りかざせば、膨大な魔力と引き換えに、生き返せるアイテム……だろう?」
「……ええ。概ねその通りです」
彼女の言うとおり『復活の杖』は、死者を蘇生させる付与道具だ。
司祭クラスの祈祷術である『蘇生』に相当する効果を得られるもので、ダンジョンのそれなりに深い場所まで潜らなくては手に入らない。故に魔術師御用達の『名状し難い不定形』横丁にある付与道具店などまで行かなければ置いていない代物だ。
勿論、この店にも在庫はあり、すぐに用意することはできた。
フジワラは嫌な予感を抱きながらも、在庫棚から商品を引っ張り出してくると、カウンターの上に置いた。
「こちらです」
布を敷き詰めた木箱で保管されていたそれはひと振りの杖。独特な形状でどことなく神秘的な雰囲気が感じられる品だ。
頭部には宝珠を模した輪が取り付けられており、遊環と呼ばれる輪が六つ通してある。振ると音がするのだが、これには悪霊を払うという効果があると言われている。
いわゆる錫杖。僧侶専用の杖である。
だからこのアイテムに限っての正確な名称は『復活の杖』となるだろう。
「在庫はいくつかありますが、これは品質も悪くありません。資格はあってないようなもので大抵の人が使用可能。代償は血液九千滴分の魔力になります。使用した際は魔力欠乏症に陥る可能性がありますのでお気をつけ下さい」
「やはり高いものなのか?」
「いえ、お貸しするだけなら一万ゲルンでも構いません」
「本当か?」アネモネが勢いづいてカウンターに身を乗り出してくる。
勿論、貸すのは一向に構わない。粗雑に扱ったり、無理な使い方をしなければ品質に影響はない。
ただフジワラには確認すべき事があった。
「ええ。ただ教えて下さい。使用の目的は何ですか?」
これを求めるという事は、彼女にとって近しい誰かが死んだという事だ。貸すことで取り戻せる命であれば、幾らでも厭わない。だがーー。
「兄上に使いたい」
「……」
「地下十四階に兄上がいたんだ」
フジワラは心のなかで呻く。
予想した通りの答えだったからだ。
遠征軍の名簿の写しを確認した瞬間から、可能性のひとつとして想像はしていた。
彼女がどういった経緯で『復活の杖』について知ったのかは知らなかったが、この状況はなるべくしてなったものだろう。
「……助けに行こうと思ったのだが遅かったらしくてな。アンデッドモンスターになっていた……まあ二年も経過すればそうなるだろうな」
アネモネが笑い話でもするようにそう言った。『復活の杖』を借れたことで、肉親を生き返せる算段がとれ安心したという口ぶりだった。
「あれがなかなか頑固でな。引っ張ってこようとしたが抵抗された。もはやあれはグレだな。元々性格が良かった分一度非行に走ると手がつけられなくなるのと同じだ。取り巻きも面倒な連中ばかりで困ったものだ」
フジワラが黙っていることに気がついたのだろう。彼女は喋るのを止める。
「どうしたんだ?」
もはや彼女に杖を貸すことはできない。
フジワラができることは別の事だろう。
この杖で何ができて、何ができないのか、どう使うべきで、どう使うべきではないのか、それを正しく説明をする事だけ。
簡潔に言えば彼女に『この杖を使ってもその願いが叶うことはない』と告げる事だった。
「貴方にまず言わなければならないことがあります」
「うん?」
「死者蘇生には最低限達成しなければいけない条件が三つあります」
「……なんだ?」
「『死者がその場にいること』『死因を取り除くこと』『死後、約一日以内であること』です」
死体が目の前になければ、杖は効果を発揮することはできない。これは説明するまでもないことだろう。
死因を取り除かなければいけない。これは勿論、仮に蘇生に成功しても、病気や怪我を事前に済ませておかなければ、同じ理由ですぐ死ぬことになるからだ。
そして蘇生には厳しい期限がある。死後、肉体と魂はそのつながりを急速に失っていく。一日が経過すればもはや糸は途切れてしまい、蘇生の対象にならなくなるのだ。
「つまり貴方のお兄さんを生き返すことはでません」
遠征事件があったのは数年前の事だ。
その時に死んだ人物であれば、すでに魂は正常な形で肉体には宿り得ないし、肉体のほうも治癒すら受け付けない状態になっている。『蘇生』の対象にはなりえなかった。
「だが……実際、使ってみなければ分からないのではないか? 試してみるまでは万が一、という事もあるのだろう……」
フジワラは首を振る。
「先に述べた条件を前提にせず、成功させた例はありません」
正確に言えば効果がないわけではない。
何故なら彼女は兄がアンデッドになったと言っている。
であるならば、杖は『浄化』の効力を発揮することになる。使用すれば呪われた肉体を『灰化』させ、魂を天に帰させることになるだろう。
勿論それは彼女の望むところでないのは言うまでもない。
『復活の杖』には致命的な問題点があった。
それは大層な名前を冠している癖に所詮できることは『蘇生』の類――一時的に生命活動を止めてしまった人達に施す応急処置の延長線上にあるものでしかないという事だ。
いやそれだって大したことではある。
だが本来『復活』という言葉は違う。完全に絶たれたものを再生させるという意味のはずだ。
この言葉に過剰な期待を抱いて、根拠のない憶測や、歪んだ情報に振り回され、残念な想いをする客はこれまでにも何名かいたのだ。
「だが……だがな……それでは困るのだ。私は……私は……兄上を救おうと思ってここまで……きたんだ……」
アネモネはうろたえ、言葉を紡げずに、そして俯く。
「お役に立てずにすみません」
残念ながらこの世界でも死者は『復活』などしない。
亡くなった人たちが笑顔で戻ってきて、またいつもの日常が再会できることはない。
それができるのはお伽噺の世界だけーー。
「……すまん!」
アネモネはそう言って錫杖を引ったくるようにして掴むと、背を向けて駈け出す。
「どこへ行こうというのです」
問うが返事は返ってこない。代わりに扉を乱暴に開け放つ音。
アネモネはそのまま外に出て行ってしまった。
フジワラは、己の迂闊さを呪った。
どこへ行くのか?
そんなもの告げるまでもないだろう。彼女はダンジョンの地下十四階に向かったのだ。アンデッドモンスターとなった兄の元まで行こうとしているのだ。
叶いもしない望みを叶えるために。
自らの命も省みずに。
「……っ」
フジワラはカンテラを掴むと、彼女の後を追って、雨の降りしきる夜へと飛びだした。
えー。前回に引き続きいわゆる鬱展開?となっておりますが、次までです。
「重苦しいのは苦手ななんだよなあ」というはご安心下さいませ!




