微熱を帯びたショートソード(未鑑定) ①
ソアラは小さくため息をついた。
地下ダンジョンの出入り口から迷宮都市へと出ると、雨が降っていた。
目の前の歩道は敷き詰められたタイルの色を青から黒へと塗り替えて、あちこちに水たまりをつくり始めている。
走って宿まで向かう気にはなれず、とぼとぼと覚束ない足取りで歩いていたが、雨足が強くなりはじめ仕方なく近くの軒を借りることにした。
すでに七十五回目の探索だった。結果は失敗続き。途中までは何事もなく順調に進めるのに、どうしても地下三階から先に進めなかった。
その場に座り込むと、同じ方向から賑やかな声を響かせながら数人が歩いてくる。
ダンジョン探索者だろう。
黒いローブの魔術師の少年と、巨大な槌を手にした戦士の青年、それから背の低い軽装をしたおそらくは盗賊の少女。
そのはしゃいだ声を聞けば、ナップザックや袋いっぱいに詰め込んでいる戦利品を見なくても、仕事がうまく言ったらしいことが伝わってくる。
ソアラは膝を抱えて俯き、彼らが通り過ぎるのをじっと待った。
惨めな気持ちだった。
彼らと自分で何が違うのだろう。
彼らと自分で何が足りないのだろう。
やる気はある。これまで探索者になる為の努力もやってきた。それだけなら彼らに負けない自信がある。
けれどもそれだけでは先に進むことができない。あそこの階に巣くっているモンスターを倒す事はできない。現実は甘くないのだ。
どうすればいいのか。
その答えはすでにソアラの手のなかにある。
ただ扱い方が分からないのだ。
同業者たちの笑い声が遠くなってもソアラは俯いたままで、ただ帯剣を腰から外して抱き抱えていた。
「誰か……だれかこの子の使い方を……」
「どこか調子悪いのだろうか?」
傍で女性の声が聞こえる。
誰だろうかと見上げると、そこには鉄兜があった。
「………!?」
「どこか具合が悪かったり、怪我をしているのか?」
奇妙な人物、いや人かどうかも分からない。つむじから爪先に至るまで全身を強固な鋼鉄で隙間なくよろい、人間らしさをどこからも露出させていない異様な出で立ち――全身甲冑がそこにいた。
どういうわけか可愛らしいフリルエプロンをつけ、こちらを覗きこむように腰を屈めている。
ソアラは驚いて声も上げられなかった。ただ首だけをぶんぶん左右に振って違うと身振りで示す。
「そうか何事もないなら良かった。突然声をかけてすまない」
鉄兜から漏れるのが、容姿とはかけ離れたすずやかな若い女性の声なのでソアラは自分の耳を疑った。
「君も探索者だね」
「え、あ、はい」
「なら説明するまでもないと思うが、このあたりには行き倒れがたまにいるから一応声をかけることにしているんだ」
その説明でソアラは納得した。
この場所はソアラが先程出てきたダンジョンの出入り口からかなり近い距離にある。
大けがをして、或いは病気や毒を受けて死にかけて地上に戻ってきた探索者が治療院にたどり着く前に力つきてしまうこともあるのだろう。
ちなみにダンジョンとは、この迷宮都市に存在する地下迷宮のことだ。大昔に強力な力を持った魔術師たちが建設したものらしいのだが、何故、どういう意図による施設なのかは未だに明らかにされていない。
内部にはモンスターや罠など数多くの危険が待ち受けている代わりに、どういうわけか玉石混交のアイテムが落ちている。
探索者はそのダンジョンアイテムを回収、売却して、生計を立てる者たちの総称で、ソアラはまだろくな実績も出せていない駆け出しだった。
「ところで申し訳ないがすこし右にズレていただけるかな。店を閉めるのでそれをしまいたい」
全身甲冑さん鈍色の人差し指で背後を示したので振り返ると、看板がある。
軒を借りていたこの場所は何かの商店だったらしい。雨が降り出してきたので、閉店作業を行おうとしているのだ。
……ということはつまりこの人物はこの店のスタッフなのだろうか。
ともあれ場所をとっている自分は明らかに邪魔だった。
「すぐ立ち去ります」
「いや雨宿りくらい遠慮しなくてもいい」
全身甲冑さんはで、空を見上げた。兜は視界を確保する部分だけがわずかに露出していたが、そこから伺えるのは暗闇にそっと輝く双眸のみ。
最初はゴーレムの亜種やワンダリングアーマーなのかと思ったが、ちゃんと血の通った女性がなかにいるようだ。
「よし思いついた」
突然、全身甲冑さんがガシャンと篭手で手を打った。
「店のなかで雨宿りしてもらうのはどうだろう。止むまでの暇潰しくらいにはなるだろう」
「いえ、それは――」
「今ならもれなく珈琲を出そう」
「苦いのは苦手で」
「ならばカフェオレにしよう。お砂糖は幾つ必要だ?」
「三つ……いやそうじゃなくて」
全身甲冑さんがぐいぐいくる。
何かを買わせようという魂胆なのかただのおせっかいな人なのか。
どのみちソアラには耳を傾けている余裕はない。おかげで顔をあげるきっかけは掴めた。身体が冷えてきたし風邪をひかないうちに宿に戻って、明日また鑑定士を訪ねてから、ダンジョンにも潜らねばならなかった。
立ち上がりその場から離れようとして、ふと全身甲冑さんが小脇に抱えている店の看板が目に入る。
「『古き良き魔術師たちの時代』……?」
「ああアンティークショップだ」
「骨董品屋さんなんですか?」
「黴が生えたのだとか、埃が積もったのだとか、ガラクタがたくさんある。見てるだけでも面白いぞ?」
全身甲冑さんが嬉しそうな声で言った。
見掛けによらず骨董品が好きなのだろうか。セールストークとしてそれは如何なものだろうと思ったが、その口振りにはすこし興味をそそられる。
だがソアラが足を止めた理由は別にあった。店名の右下に手書きで小さく書き足された『鑑定やり□』という文句が気になったのだ。
「ここって鑑定もやってるんですか?」
「困ったことに店長が変態なんだ」
「へ、変態ですか」
「そう。朝御飯よりも昼御飯よりも夕御飯よりも、鑑定が好きな困った人なんだ」
全身甲冑が首を左右に振り、溜息混じりに言った。こんな格好の人が言うからには相当なのだろう。
変態と言われるような人物とはお近づきにはなりたくなかったが、聞く限りでは腕は悪くなさそうだ。
「あの、僕……実は腕のいい鑑定師に見て貰いたい物があって」
「なるほどでは歓迎しようではないか」
ぐわしと襟首を掴まれた。
全身甲冑さんは声とは裏腹にと言うべきか、見た目らしくと言うべきか、とにかくかなりの剛腕だった。ふいを突かれたとはいえ剣術の鍛錬を十年以上続けてきたソアラが抵抗すらできなかった。
「まあ騙されたと思って覗いていってくれ。店長の腕については私が保証しよう」
「あ、あのちょっと」
「いいからいいから」と抑揚のない声とは裏腹に、有無を言わさない力強さでソアラを引き摺っていく。
「あわわわわわわわ」
「一名様、ご来店だ」
こうしてソアラはかなり強引な形でアンティークショップ『|古き良き魔術師たちの時代』へと訪れたのであった。