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迷宮都市のアンティークショップ  作者: 大場鳩太郎
第一話 遠征事件
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蛙の飾りのついた長い針(未鑑定)②

 アネモネが事務所兼在庫置き場(バックヤード)のソファにどっかりと腰を下ろすと、テーブルに木製のボウルとマグカップを並べ始めた。それらはアネモネ専用の食器類である。彼女が店を訪れた際には、『太陽を見上げる土竜』亭のビスケットを振る舞う事を約束してから持ち込んできたものだ。


「今日のは何味なのだ?」

「ええっと、定番の味が幾つかと、新作がふたつ。片面にチョコレートが塗ってあるやつと、南瓜が混ぜ込んであるやつです」

 フジワラは返答しながら、紙袋を探して持ってくる。

 なかには『太陽を見上げる土竜』亭で買い込んだ、アネモネの好物――ビスケットが入っていた。フレイバーが店主の気分によって変わるので、毎回違った味を楽しめる商品なのだ。

 袋を傾けて、彼女の目の前に置かれた木製のボウルへと、中身をざらざらとこぼしていく。

 アネモネが満足げな顔をしながらその様子に注目している。

一瞬餌付けをされている犬のように見えたが、勿論、口が裂けても言葉にはしない。


「ふふふふ」

 彼女は盛られたボウルを抱え込むと、じゃらじゃらと掻きまわし始める。どれから口にしようかと品定めしているらしい。普段はむすっとした顔の多い彼女だったが、この時ばかりは幸せそうだった。


「ああ。そういえば」肝心なことを忘れていた。

「なんだ?」

「すみません。『太陽を見上げる土竜』亭で、豆を切らしちゃったらしくて珈琲が少ししか手に入らなかったんです」

「ふむ?」

「なのでカフェオレが作れなくなりました」

「じゃあ珈琲は入れなくていいからカフェオレを作ってくれ」

「いやいや珈琲を入れないと作れないんですよ?」アネモネの不条理な要求に、慌てて突っ込みを入れる。

「むう。あれがないとビスケットが食べられないではないか」

アネモネが整った眉を寄せる。彼女が抱え込んだボウルから取り出して食べているものが何かについては敢えて言及はしないでおこうと思った。


 だが確かに乾きものだけを出して、飲み物を出さないというのも酷な話である。

 せめてお茶があればいいのだが、残念ながらこの店にそんな上等なものはなく、あるのは専ら薬品か酒類ばかりだ。


 フジワラは身近にあるものを確認しながら考える。

「ええっと……うーん。温めた山羊の乳とかならご用意できますけど?」と苦し紛れの提案をしてみる。

「ホットミルクは嫌いじゃないぞ」

「畏まりました」

 フジワラは早速、用意をする事にした。


 まだ革袋のなかに羊の乳が十分残っている事を確かめると、小鍋に移して、オイルランプを用いて温める。本当は調理用の石炭焜炉があるのだがわざわざ火をおこすのが面倒なので滅多に使用することはない。軽く湧いたところで、マグカップに淹れる。

 羊の乳の独特のくさみを消すために、師匠のコレクションから(ラム)酒を引っ張り出してきて少量だけ加えて風味づけしてみる事にした。勿論、甘党のアネモネの舌に合うように多めに砂糖を入れる。


「ちょっと飲んでみて下さい」上手く出来たのか分からなかったので、とりあえず味見してもらう。

「ん」

アネモネはマグカップを受け取ると、ふうふうと息を吹きかけ冷まし口元に運ぶ。

「……うん。美味しいぞ」

「それはよかったです」

 大した仕事ではないが、美味しいと言われれば嬉しい気持ちにならないでもない。

 何よりこれで残り僅かである珈琲を、遠慮せずに独り占めする事ができたのでフジワラは満足だった。

治療したり、飲み物を用意をしたり、果たして自分は何をしているのかと疑問が湧かないでもなかったが、それはひとまず在庫棚の木箱にしまっておく。



「……ふうむ」

 カウンターで店番をしていたフジワラは欠伸をかみ殺して、大きく伸びをする。

 窓の外は真っ暗だ。日が沈んでからだいぶ経った気がするし、そろそろ閉店にしても良い頃だろう。


 結局あれから店を訪れた客は数人ばかりだった。

 ただの冷やかしできた者と、魔法薬を数点買った者。

 それから鑑定依頼をしてきた者もいたが、ダンジョンから持ち帰ったというアイテムは見るまでもなく粗悪品だった。


 百鬼夜行のせいで、ダンジョンの浅瀬までしか潜れず、しょっぱいアイテムを手に入れるのが精いっぱいな探索者が増えてきていた。おかげで生活が立ち行かなく路頭に迷う者もでてきているようだ。 

近頃では窃盗事件や、つまらない喧嘩が増えていると聞く。

 この先のことを考えるとすこし不安になるので、早く解決して欲しいものだと思う。


「……そういえば彼女のことを忘れていましたね」

 妙に静かだがどうしているだろうか。

 先程までは事務所件在庫置き場(バックヤード)から、ビスケットを鷲掴みにしてぼりぼりむしゃむしている音がしていたが、今ではそれもなくなっている。


「……」

 そっとのぞいてみると、アネモネはソファに横になっていた、瞼は閉じられており、ゆっくりと胸を上下させている。眠っているようだ。

 ここに訪れた時点でかなり疲れている様子だったのを思い出す。

仲間のいない彼女は、ダンジョンの野営中は見張りを立てられない。まともに眠る事は殆どできないはずだった。今回の探索もかなり過酷だったに違いない。


「……兄様」そういう呟きが聞こえてくる。

 寝言のようだ。兄弟がいるのだろうか。


 最近、アネモネが伸び悩んでいるのは明らかだ。

 あれから三カ月近くが過ぎていたが、未だに十三階より下の階にはたどり着けずにいる。代わりに怪我や装備品の消耗度合いが徐々に増えてきていた。

 店に顔を出す度に怪我や、毒、麻痺、呪いなどの状態異常を負っていたし、甲冑の一部を破損させていたりもする。彼女が何を求めているのかは分からなかったがあまり無茶はしないで欲しかった。


 フジワラは彼女が抱えていたビスケットのボウルをそっと回収し、代わりにもってきた毛布を掛けてやる。それからビスケットを食べながら、適当に閉店作業を終えて珈琲を入れると、再びカウンターについた。


「……さて」

 フジワラは首と指先の関節を鳴らすと、残りの仕事を片付けてしまうことにした。

 まだアネモネがダンジョンから持ち帰ってきた未鑑定のアイテムが山のように残っているのだ。

腕のいい彼女の事だから、今回も価値のありそうなものを拾ったきているに違いない。

 鑑定作業が楽しみだった。



「では手に入れた品は、すべて売却しよう」

「畏まりました」

「それで、本当に借金は返済できるのだな?」

「ええ勿論。こちらの証文は破棄させて頂きます」


 当初、半年程はかかると思われたアネモネの借金は、これで完済。数ヶ月足らずで返し終えてしまった。

今回アネモネが持ち帰ってきたアイテムに、付与道具が二点もあり、査定額がかなり高額になった為だ。


「これからは稼ぐ一方ですね」

「いや、そうも言っていられないな。そろそろ攻略に集中するつもりだったからな」

「そうなんですか?」

 アネモネは脱ぎ捨てていた甲冑を身につけながら、「暫くは顔を出す事はないかもしれないな」と笑う。

「それは寂しいですね」

「それ、思ってもないだろう?」

「そんなことはありませんよ。治療代をぼったくれないと、懐が寂しいんです」

 フジワラの冗談に、アネモネはしかめっ面になり力いっぱい舌を出してくる。

それから彼女は兜を被った。


 何故、彼女がダンジョンに潜るのかをフジワラは知らない。

金や名声の為ではない。他の者たちとは毛色が違い、もっと使命感や執着心のようなものを抱いているのは確かだった。

 


「アネモネさんは……その、どこまで進むつもりなんですか?」

常々、客に対しては余計な詮索をすべきではないと思っているフジワラだったが、つい尋ねてしまった。


「地下十四階。そこに用があるんだ」

「それは……無謀ですね」


 あるいは一昔前ならば、彼女の実力ならそれが叶ったかも知れない。

だがそこは今はもう、実力のあるパーティーでさえ赴こうとはしない場所。『遠征事件』以降、辿りつけた者自体は数えるほどしかおらず、更に言えばその先を進めたものは未だ存在しない。


 理由はふたつある。


 ひとつは『百鬼夜行(パンデモニウム)』のせいだ。現在ダンジョンではあらゆるものが死後、アンデッド化する現象が起きている。そのせいでダンジョンはアンデッドで溢れかえり、先に進むこと自体が困難になっていた。


 もうひとつは地下十四階に、恐るべきものたちが待ち受けているせいだ。それはかつて『遠征軍』と呼ばれダンジョン攻略へと赴いた百名の精鋭たち。だが今や彼らは生きとし生ける者たちを抹殺する亡者の軍勢と化している。もはやそこは足を踏み入れる事自体が自殺行為である危険な領域となってしまっていた。


 彼女の何がそうさせるのかは知らなかった。

ただこれ以上先に進みたいのであれば、いや生き残り続ける為には、このままではいけないだろう。


「せめて」

「ん?」

「せめて仲間をつくるべきです。酒場でくすぶっている探索者たちは何人もいます。貴方のように実績があればすぐに人は集まるでしょう」

「……」

「もし良かったら知り合いを紹介しますよ。きっと快く仲間に迎え入れてくれ

る――」

「申し訳ないが遠慮する」

 アネモネは言葉を遮るようにそう言った。困ったような笑顔をしていたが、その声には頑とした強さがあった。


 彼女はそう遠くない将来、自滅する。

 これまで単独踏破という快進撃を続けてきたせいで、どこか感覚が麻痺していたのかも知れない。だが本来ならばこれまでの間、よく生還し続けることができたと驚くべきなのだ。

 彼女自身だってそれに気づいていないはずがない。

今でさえ苦戦しているのだから、先に進めば状況は更に厳しくなる。

どんなに強力な加護を持っていようが。どんなに硬い甲冑を装備しようが。

たった一人でダンジョンに潜ること自体が無謀な行為なのだ。


 だがフジワラはそれ以上、言葉を続けなかった。

どれだけお節介を焼こうがどれだけ説得しようが意味が無いからだ。

彼女が考えを変え、望まない限り、仲間というものは作ることができないからだ。


「今まで迷惑をかけた」

 頭を下げて、礼を言ってくるアネモネ。いつでも尊大なはずの彼女がそんな態度をとるのは珍しいことだった。

 それはまるで別れの挨拶のように聞こえた。

だからこそフジワラは普段通りに「また来て下さい」と答える。

 それから、店を出ていこうとする孤独な探索者の背中を見送りながら、彼女の無事を祈った。



『黄金の縫い針(無印)』

『汝、すべての樹木と草花に仕えし使徒に告げる、血を千七百十五滴捧げろ――さすれば世界は、塵を熱へ、砂を血へ、そして冷たき岩を肉へと戻せ、トレパニッサの木漏れ日もりのごとく』


『「このまま石になり永遠に苦しむくらいならばどうか、どうか、一思いにわたしを殺して下さい」蛙は一心に懇願しました。「……わかりました」哀しみの涙を流していた娘はとうとうそう言うと、母親の形見である縫い針で、唯一の友人の喉元を刺しました。するとどうでしょう――』

 両親を亡くした口の利けない娘が、唯一の友である雨蛙を救う童話『アマリリスのあまやどり』がこのアイテムの原点だとされております。


 突けばちくり。多少の傷みを伴いますが、石化を解除することができる状態回復系の付与道具です。

魔術回路の記述からも分かる通り、この商品の使用者は、森林信仰徒(ドルイド)に限られています。また治療する際に必要とする魔力も決して少ないものではありませんが、魔法薬などの消耗品に頼るよりもよほど効果を期待する事ができるでしょう。


 現存するものの多くは、全長が子供の指先から肘までの長さがあり、王冠を被った蛙の意匠が握りの部分に取り付けられている為、針というよりはむしろ小型の細剣のような形状です。

 またその多くが名前に反して、素材がただの鋼に鍍金をしただけだったり、針穴が存在しなかったりします。それ故、これの造り手である古き良き魔術師は、『原典を読んだ事がないのでは』とか『吝嗇家なのでは』とか『裁縫の経験がないのでは』という疑惑がかけられています。


 実は童話に登場するものと同じ、本物(・・)の『黄金の縫い針』も実在したようです。使えば、たちどころに石化どころか万病を治すことができ、更には岩自動人形ストーンゴーレムを一突きで砂に戻すことが、できるなど、非常に強力な効果を持っていたそうです。

 何故過去形なのかと言うと、そちらは正真正銘の「金製」の「縫い針」だそうで、小さなただの縫い針にしか見えないため紛失したきり、その行方が分からないそうです。もしかしたら御自宅に裁縫箱に紛れ込んでいるかもしれませんので、みなさんも確認してみるといいかもしれません。


 ……そう考えると、他の針が名前通りの仕様でないのは、その辺りが理由なのかもしれませんねえ。


以上が、アネモネと『黄金の縫い針』についての経緯である。

彼女と遠征軍との因縁にいつては、もう間もなく語られることだろう。

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