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迷宮都市のアンティークショップ  作者: 大場鳩太郎
第一話 遠征事件
23/74

棍棒のかたちをした刻印(未鑑定)②

 ミケランジェロは首元のナプキンを外そうとして、床に落としてしまった。

 彼は慌てた様子で、卓の下に屈み――。


 何故かそのまま姿を現さない。


「ここにゃ」

 背後から声。

 首筋がちくりとした。

 いつの間にかすぐ真後ろに回りこんできていたミケランジェロが、食事で使っていたフォークの先を突いていた。


「……!」

 絶句。

 ほんの少し視界から消えただけだ。円卓の下を潜って移動したようには見えなかった。


 ソアラが身を引いて避けようと思った直後、足払いを受ける。

 視界が反転。


 転がって受け身をとりながら、手をついた床に落ちていたそれを握りながら起き上がる。

 汚れたテーブルナイフだ。


「オマエは駅馬車で乗車を断られていた探索者だにゃあ?」


 ミケランジェロがまるで細剣を扱うかの如く腕を真っ直ぐに伸ばし、フォークで鋭い突きを仕掛けてくる。

 避ける事もできたその一撃を、ソアラは敢えてテーブルナイフの切っ先で受け留める。


 ナイフの切っ先がフォークの谷間にぶつかり、擦れ、ぎちぎちと嫌な金属音を立てた。


「それがどうした!」

 ソアラはフォークを振り払うようにして撥ね退けた。

 剣術ならば負けるつもりは毛頭ない。

 

 ミケランジェロが更に突きを放ってくる。

 その軌道を見極めながら、ソアラはナイフで的確にさばいた。

 何度きても弾き返してやるつもりだった。


 だが――。


 ミケランジェロの腕は伸縮自在の蛇のような動きを見せながら、まるで限度を知らないかのように次第にその動きを速めていく。


「それに、けけけけ……この酒場で宿をとろうとして断られていたにゃ?」

 ミケランジェロは嫌らしく笑いながらそう聞いてくる。先程のカウンターでの店主とのやりとりも目撃していたらしい。


 ソアラは額に汗が滲むのを感じた。


 次第にさばききれなくなっていくフォークの連続突きは、それでもソアラ自身には掠りもせずに、テーブルナイフに向かってぶつかっていく。ソアラにはミケランジェロがわざとそう仕向けているのが分かった。


 そしてついに受け止めきれなくなりテーブルナイフがソアラの手元から弾け飛んでしまう。


「……ちっ」

 ソアラは負傷を覚悟で、ミケランジェロのフォークを持った手に掴みかかろうとした。。


「愚策にゃ」

 だがあっさりと身をかわされて、逆に自らの腕をとられてしまう。

 腕をねじり上げられながら何故か袖を捲られた。猫人族キトカニアが身体能力に長けていることは知っていたが、手も足も出せなかった。


「ちなみに吾輩は、馬車に乗ることができたし、ここが満室でも宿泊できたにゃあ」 

 顔を上げると、そこにミケランジェロの嘲笑うような表情があった。

 ふつふつと怒りが湧いてくる。

 釈然としなかった。一体、この猫人族キトカニアの男とソアラたちでは何が違うというのだろう。

 世の中はなんて不公平なのだろうと思った。


 そしてミケランジェロがこちらの心を読み取ったかのように口を開く。

「この違いは何だと思うにゃ?」

「……」

 一瞬だけ、この性格の悪そうな猫人族キトカニアの男との違いを真剣に考える。

 それから馬鹿らしくなって止めた。

 性別。年齢。着ている服。種族。どの点で御者と店主が区別したのかは知らない。ただそれを知って何になるというのだろう。


「肉球があるかないか……だってててててて」

 ソアラの捻り上げられた腕に、力が加えられていく。

 みしみしとしなりを上げる音が聞こえた。どう抵抗しても抜け出すことはできそうにない。


「吾輩とオマエらでは『強さ』が違うにゃ」

「きゃっ」

 リンネが小さな悲鳴を上げる。


 ミケランジェロが、背後に忍び寄り杖を振りかぶろうとした彼女を尻尾でいなしたのだ。そのまま振り返りもせずにひっくり返った彼女のいる位置に正確に、テーブルナイフを向ける。


 二対一にも拘らず、まるで相手にならなかった。


「世間は、人を見かけだけで判断する。年齢、性別、出身、種族、容姿、着ているものの良し悪しで態度をその決めるにゃ」

 ミケランジェロは周りを指し示すように顎をしゃくる。


 他の客達は無関心を装いながら各々食事や会話を続けている。それがやり込められているソアラたちを助ける価値もないと見なしてのことか、ミケランジェロに逆らわない方いいと判断してなのかは定かではない。だがその光景が彼の言葉を表しているようにも思えた。


「だが、この迷宮都市においては何よりも『強さ』こそが評価されるのにゃ」

「……ぐっ」

 みしり、みしり、みしり。腕が限界まで曲げられて軋む。


 あとほんの少し力が加わるだけで、肩が外れるか、骨が折れるかするだろう。

 そうなれば暫くは剣を振るえなくなり、リンネとダンジョンに行くことができなくなる。


 失敗した。考えなしに行動しちゃった、とソアラは今更になって思った。

 後でリンネに謝らないと。

 それから目を閉じ、歯を食いしばって、これから訪れるであろう激痛に耐える。


「……?」

 だがその時はいくら待っても訪れなかった。

 それどころか腕が軽くなる。


 どうしたのだろうと思って目を開けると、ミケランジェロがそこにいた。彼は中腰になって、鋭い瞳でこちらをじっと覗きこむように見つめていた。



「……」

 どういう風の吹き回しなのだろう。

 よく分からなかったが、ミケランジェロがこれ以上の危害を加えてくる様子はないようだった。

 代わりに服の袖をまくり、前腕の内側を見せてくる。


「よく見るにゃ」

「……?」

 ミケランジェロが何を考えているのかは読めなかった。

 ソアラは仕方なく言われるままに近寄り、彼の腕をみる。

 

 白く薄い毛並みに覆われたその肌には、奇妙な形をした痣のようなものがあるのが分かった。ひとつは♣でひとつは♠だ。


「これが『強さ』の証だにゃ」

「……あかし?」

「この左の棍棒みたいなのは、吾輩がダンジョンの地下五階を切り抜けた時に手に入れたもの。こっちの右の剣みたいなのは地下十階を乗り越えた時に手に入れたものだにゃ」


 その痣のようなものが何なのかは分からない。

 だが話が本当だとすれば、ミケランジェロがダンジョンの地下十階以上を踏破した証という事なのだろう。

 彼が恐ろしい程に強かった理由が、ソアラにはようやく理解する事ができた。


「この左の証で、吾輩は『人』になれたにゃ」

 彼の言っている意味がわからずソアラは首を傾げる。


「……」

 リンネが恐る恐るこちらにやってきて隣に座りこんだ。


「んで右の証で、吾輩を白い目で見てきた商人たちは媚びへつらうようになったし、大抵の店でツケがきくようになったにゃ」

 ミケランジェロがその証とやらを手に入れた事で、商人たちの対応が変化したという事らしい。


 そういえば優秀な探索者が、商店などから優遇されるという話は耳にしたことがある。彼らが非常に金払いが良い客であり、同時にダンジョンから質のいいアイテムを仕入れてきてくれる業者でもある。だから贔屓にして損のない相手なのだ。


 ソアラは考える。

 もしかしてミケランジェロが、あの馬車に乗れたり、満室なのに宿をとる事ができたのは、その証とやらを見せたことで、腕のいい探索者であることを証明したからなのだろうか。


「……どうやって手に入るんですか?」

 ソアラは、その証が欲しいとおもった。

 何故ならそれがあればもう御者に乗車拒否もされないかもしれない。宿泊先も確保できるし、商店でふっかけられたり、邪険にされたりもしないかもしれない。これ以上、惨めな思いをしないで済むならば是非、手に入れたかった。


「知りたいにゃ?」

 ソアラは頷いた。つい今し方、腕を折られかけた相手だったがそんなことはすっかり忘れていた。


「よし。その耳を貸すにゃ」

 ミケランジェロが周囲を見回してから手招きする。

 ふたりは誘われるように顔を寄せた。そして一句逃すまいと固唾を呑んでいると――。


「GUEEEP!」

「「!」」

 耳に飛び込んできたのは、彼が胃に溜め込んだ空気だった。

 むせ返った。あまりの臭いに涙目になる。リンネは目を回してひっくり返っている。


「ふん。ちみらは探索者なのにゃ? ならば道は自らで切り開くにゃ」

 ミケランジェロは吐き捨てるようにそう言うと、立ち上がる。

 そして卓には戻らずに、何故かカウンターのほうへと去ってしまう。


「最低だ」

「鼻がまがった」

 ソアラとリンネは、彼の背中に向けて小声で悪態をついた。

 そして同時に何事もないまま彼が居なくなる事に安堵したのであった。



 馴染みの客--ミケランジェロがカウンターにやってくる。


 先程までの騒動を肘をつきながら、にやにやしながら見物していた店主は慌てて居住まいを直し、揉み手をしながらそれに応じた。

「な、何でございやしょう、ミケの旦那」


 ミケランジェロはこの店の得意客だ。

 彼のおかけで店主も大したトラブルもなく店を経営することができていた。問題が起きたり、面倒な客がいた場合、彼の名前を借りるだけで大抵の相手は文句を言わなくなるからだ。


 彼はこの界隈では名の知れた探索者だった。

 これまでダンジョンの地下十四階までをたった独りで踏破してみせた猛者でもある。細身の体にも拘らず、大鬼程度であれば細剣だけで難なく仕留めることができるらしく、この辺りのゴロツキどもは皆、彼に頭が上がらないのだ。


 今し方、ミケランジェロは、客の小娘たちでひと悶着あったようだが何か気に触るような事でもあって文句を言いにきたのだろうかと思い、内心動揺していた。


「お勘定にゃ」

 そうではなかったらしい。


「ええっと……もういいんですかい?」

 尋ねたのは彼の円卓に残った料理のことだ。


 ミケランジェロの好物である香草焼きの載った皿がまた半数以上も手付かずのままだ。普段の彼であれば、あの程度はぺろりと平らげてしまうはずだったが残すつもりらしい。


「小猫がみゃーみゃーうるさくて食欲が失せたにゃ」

「そうですか」

 ぶっきらぼうにそう言うミケランジェロだが、そのわりに普段より機嫌がいいようにも見えた。

「あの餓鬼どもは、ミケの旦那にどんな無礼をしたんですかね?」と興味本位で訊いてみた。


「別に。ちんちくりんの分際で、探索者をやってるらしいからちょっと誂ってみただけにゃ」

「もし邪魔ならようなら、おいらが追い出しやしょうか?」

 店主はご機嫌を取るために袖を捲ってみせた。


 こう見えて、酒場の主任になる前は、探索者をやっていて四階までは登り詰めた事がある。小娘程度追い払うのは大した仕事ではない。


「主人じゃたぶん返り討ちに遭うにゃ」

「そ、そうなんですかい」

 どうやら小娘たちはそれなりに腕が立つらしい。


「それよりも、今のうちから恩を売ってたほうがいいかもしれんにゃあ?」

 ミケランジェロが顎に手を当て、彼女たちを値踏みするように遠目で見つめながらそう言った。

「そりゃあどうしてです?」

「ちんちくりんだがゴミではないにゃ。伸びればそれなりの階層まで踏破するようになるはずにゃ」

「ほう……」

 小娘たちは卓につき、しょぼくれた顔で料理を待っている。

 店主の目にはそこらの小娘と変わりがないように思えたが、このミケランジェロが言うのであればかなり将来有望な人材ということだ。


 ならば是非、得意の客になってもらいたい。

 店主は頭のなかにある算盤を叩きながら、早速、どうやって彼女たちにとり入るべきかを考える事にした。


「……ああそうだ。旦那、部屋で飲み直すんならいい酒がありやすぜ?」

「いんや。今晩は戻らんにゃ」

「さいですか……」

 どうやら別の場所で飲み直す気らしい。

 そうなると彼のために空けた部屋が無駄になってしまうなと店主は思った。


「お代にゃ」

 ミケランジェロが差し出してきた金貨数枚を、恭しく受け取る。

 お釣りを返そうとすると「とっとくにゃ」と言われ、いつものように「へい」と言って懐にしまうことにした。


 猫人族キトカニアは祖先が猫であるせいか、少数民族であるせいか、まともに『人』として扱わない者も少なくなかった。彼らを侮蔑する者は人間だけではなくドワーフやエルフにも少なからずいる。


 故にミケランジェロにとって駆け出しの頃は、不遇の時代だったらしい。

 金もなく飲食店に入ることも許されずに飢えて死にかけた事が日常的にあったそうだ。

 店主自身は気まぐれで与えた残り物のスープをよく彼に食べさせていた。昔の飼い猫に似ていたという、ただそれだけの理由だったが、ミケランジェロの方はそれで命を救われたと思っているらしい。


「またくるにゃ」

「へいっ、またのお越しを!」

 主人としては、そんな事で贔屓にしてもらって有り難いやら申し訳ないやらだが、ぶっきらぼうな彼なりの気持ちが嬉しくもあったりした。




 ソアラたちが卓に戻った後、暫くして目の前に鮭の香草焼きが載せられた皿が現れた。持ってきたのは酒場の主人で、彼は「他の客が残したものなので、お代は要らないから、食べてくれ」と言ってきた。


 ソアラは断ろうとした。

 その料理がミケランジェロの残したものである事は分かりきっていたからだ。自業自得とはいえ、あの性格の悪そうな猫人族キトカニアの男には酷い目に遭わされたのだ。彼の残したものに手をつけたくはなかったからだ。


 ――だが。

「ソアラちゃん美味しいよ?」がいつの間にかリンネが食べ始めている。

 ぐうぅ、とお腹が鳴った。


 ソアラは目を瞑り、意を決する。

 食べ物に罪はないのだ。

 目の前に並んだ料理は温め直されたものらしく湯気が立っており、香ばしい香りが漂っている。

 ナイフは使わず、フォークで刺して、そのまま思い切り齧り付いた。


 口のなかで、香草の風味が広がっていき、脂ののった熱々の身がとろけていく。数日ぶりにありつくことのできたまともな食事は、悔しいがとても美味しかった。うっかりすると、これまで起きた腹立たしいことをすべて忘れてしまいそうな程で、それもまた悔しいと思った。

 悔しさと美味しさとが一緒に混じった味を噛み締めているうちに視界が少しだけ滲んできた。

 ソアラはもっと強くなりたいと思った。

 もう負けたりしたくないと思った。

「ふがふが……あっつつううう……」

 慌てて詰め込んだせいで舌を火傷した。

 でも食べる手は止まらない。


 じたばたしているとリンネがくすくす笑いながら、そっと水の入ったコップを差し出してくれた。


 ソアラたちが食べ終わった頃に、店主がやってきて「部屋が空いたので宿泊してはどうか」と告げられた。

 急に対応が良くなった気がしたが、そんな事はもうどうでもよくなっていた。お腹が満たされた彼女たちにはもはや眠気しか残っていない。


 それから二階の部屋に案内された後、ふかふかのベッドに倒れこむように横になり、そのまま泥のように眠った。


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