薔薇の髪飾りの乙女の指輪(未鑑定)②
◆
アネモネは鑑定の邪魔をしないように、デネブを肘でつついて小声で話しかける。
「おい、あれはあの時の指輪だろう」
「さあ何の事でしょう」ととぼけるデネブ。
だがアネモネは覚えていた。
あの指輪は、数年前、仲間たちとダンジョンに潜っていた際に見つけたもので間違いなかった。
指輪の内側にある『息を飲むほどの美しさを、貴方に』という魔術文字を解読し、女子垂涎のアイテムである『魅力の指輪』だと判明した結果、全員がモンスターそっちのけで争奪戦を始めたのは懐かしい思い出である。
結局、指輪はそのどさくさで紛失してしまったはずなのだが――。
「ちゃっかりがめていたのだな」
「人聞き悪い事を言わないで下さいまし、皆さんが喧嘩をするからしまっておいたんです」
デネブが口を尖らせ、小声で抗議する。
そういえばあの時、デネブは争奪戦をひとりだけ降りたのだ。
指輪に固執するあまり本格的にギスギスしかけていた仲間たちを、彼女は顔を真っ赤して怒った。そして『これ以上、続けるようなら野営時の食事係りは降ります。各自草なり石ころなりを食べればいいんです』という宣言を以って、喧嘩を制したのである。
今思うとあのまま諍いが続いていたら『仮面舞踏会』は解散していた可能性だってありえた。
そう考えると偉大な一言だったと思う。
「あれは昔の荷物を整理していたら奥から出てきたんです。それでまあ……ちょっとお見合いの時に借りようと……まあ結局は失敗しましたけども……」
「……うん。そうか」
アネモネはそれ以上の追求は止すことにした。
彼女がお見合いをかれこれ五年以上続けている事、そして未だに芳しい成果を得ることができていない事は、妹たちから散々聞かされている。
うまくいかない理由の大部分には、相手に求める理想が高すぎるからという、理由があるからなのだが……。
うまくいってもらいたいものである。
◆
「これは『粗忽者の指輪』のようですね」
フジワラは単眼鏡を外した右目をこすりながら、結論を告げる。
魔術回路を解析は、それを構成する無数に散らばった小さな魔術文字をひとつひとつ拾い上げて読み取っていく作業が不可欠となる為、目が酷使されるのだ。
「……えっと何という面白い名前のアイテムですね」
デネブが首を傾げながらそう言ったのは、聞き馴染みのないアイテム名を告げられたからだろう。
「デネブさんはこれ、いつ頃から身につけてらっしゃいました?」
「ええっと一週間ほど前からだと思います」
「ではアップルパイに失敗しちゃったのもこれが原因でしょう」
『粗忽者の指輪』は使用者の精神に影響を及ぼす厄介なアイテムだ。
身に着けるだけで、急にせかされたような気持ちになり、落ち着きを失ったり、集中力が乱れたり、手先の細かい作業が不得意になったりと様々な症状が起き、結果的につまらない失敗を多発させてしまうのである。
簡単に言ってしまえば名前通り『粗忽者』になってしまう代物なのだ。
どうりでお見合いがうまくいかなかったわけですわ、とデネブが小声で呟いたのが耳に入ってきたが聞かなかったことにしておこう。
「本来なら、生活に支障をきたすくらい失敗を繰り返してしまうのですぐに気づくものなのですが……デネブさんは魔術師ですか?」
「いえ。薬師ですわ」
「デネブは魔女の家系なんだぞ」
この手の有害な魔力は、意思と集中力を総動員することで跳ね除けることが可能だ。
そして優秀な魔術師としての素養を持つ場合、無意識にそれをやってのけてしまう者も存在する。
彼女は恐らくそれができてしまうのだろう。
故に指輪の効果が弱まり、原因の発覚が遅れたのだと推測される。
「このところ眩暈が多かったのは年齢のせいではなかったんですね……」
デネブは頬をおさえながらほっと息を漏らす。
彼女は呑気にそんなことを言っているがとんでもない話である。
魔力に抵抗し続けていれば、どれだけ耐性があったとしても少しずつ体力と精神力を消耗していくことになる。むしろ大きく体調を崩すこともなく、よく一週間以上も身につけることができたものだと感心する。
デネブがここを訪れた際に、名乗った家名は確かフェイだった。それはこの迷宮都市を統治する『九姉妹』の一角である大魔女モルガンと同じ姓だ。
もし彼女がその孫か曾孫であるとすれば頷ける話ではある。
「……」
フジワラは再び、手のひらの指輪に注目する。
外側の装飾と内側の魔術文字から考えて、この大昔--『古き良き魔術師たちの時代』に造られた指輪が、誰かを陥れる目的で造られたものなのは確かである。
そしてその誰かとは美しくなりたいと思っている女性だろう。
この製作者もしくは製作の依頼者には恋敵がいたのではないだろうか。そしてその人物の足を引っ張りたいが為に『魅力の指輪』に似せてこれを造ったのではないか。
勿論、単なる憶測でしかないが、その想いが、今もまだ誰かに迷惑をかけ続けていると考えるとなんとも罪深い指輪である。
このようにダンジョンには、探索者を陥れることだけを目的としているのではと疑いたくなるような、ろくでもないドロップアイテムが多数存在する。今回のように別のなにかに似せた外見や工夫が施されているものはざらだ。
ただ酒場に山のように転がっているような生半可な知識であたりをつけて使用した未鑑定品せいでひどい痛い目に遭う探索者の話のなかでは、不幸中の幸いであると言えるだろう。
「宜しければこの指輪はこちらで買い取りますが如何ですか?」
「えっ……こんな役に立たないものでも引き取って頂けるんですか?」
デネブが驚いた顔をする。
確かに多くの者にとってデメリットしかない付与道具なので意外かもしれない。
勿論、誰かを陥れようというつもりのある者に売るわけではない。
本来の用途とは別に使い道があり、それ故に欲しがる者はゼロではないのである。
実はこの指輪の効果を跳ね除けるという行為が、意思と集中力をコントロール強化する訓練として役に立つらしい。魔術を扱う者達にとって欠かせない素養を鍛えることができる数少ないアイテムなのだ。
ちなみにこの特性に気がつき、最初に売りに出したのはフジワラの師匠だった。『仮に抵抗し失敗しても被害も少ないから売ってみたんだが、案外儲かるんだな。あっはっはっは』と笑っていた時は正直耳を疑ったが、今では学院でも教材として導入しているくらいなので文句も言えない。
「折角、御提案頂いたのですけども……」だがデネブは暫く、考える仕草をした後ゆっくりと横に首を振り「これはとっておくことにします」と言った。
どうやら彼女にとって、大切な品であるらしい。
指輪が彼女の両掌のなかに大事そうに包まれているのを見て、フジワラは頷いた。
ならばこれ以上は出しゃばる必要はないだろう。
どんな役に立たないガラクタでも、使い方を変えたり、所有者の強い思い入れが加わることでってしまえば何物にも代え難い品になるのだから不思議だとフジワラは思った。
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「まともにお礼ができなかった上に、みっともないところを見せてまい申し訳ありませんでした」
また出直してきます、と言って頭を下げ店を出ていくデネブの後を「見送ろう」と言ってアネモネは追った。
久しぶりに友人と喋りたかったからだ。
「それにしてもフジワラ様は付与道具についてお詳しいんですね。しかもこんな短期間に魔術回路を解明してしまう方を初めて見ました」
「店長は馬鹿がつくほど鑑定好きだからな」
二人で都市中心部に向かう道を歩く。
この辺り一帯はダンジョンの近くという事もあり、洩れてくる魔力によってできた怪しげな霧が発生したり稀にだがモンスターが出現する事もあるので、民家や商店などはなくただ野原が広がっているだけだ。
「あまり存じ上げてなかったんですけど鑑定士という職業は、知的で堅実なお仕事なのですね」
「……うむ?」
アネモネは腕組みをしながら、そうだろうかと首を傾げる。
もし知的という意味に、大きな子供が難しい謎々を解いて遊ぶことを含めても良いのであればそれは間違いではないだろう。
だが堅実なお仕事かどうかは甚だ疑問である。
何故なら彼は物の価値が分かっても値段の付け方にあまり頓着しないし、売る宛もないような高額な品を興味本位で仕入れてきたりする時があるからだ。
今回はたまたま知識を商売に結びつけることができたので、そう見えたのかもしれないが店長はもっと適当な人なのである。
「素敵な方ですわ。私が落ち込んでるのを見て、アップルパイが失敗した原因を見抜いて下さったんですね」
「うん。それは絶対に違うと思う」
だがフジワラの普段の行いを見ていないデネブは明らかに勘違いをしている様子で、遠くを見ながらうっとりした顔をしている。
「も、もしかしてデネブは店長に興味があるのか?」
「いいえちっとも」
「そ、そうか」
「だって横恋慕も趣味じゃありませんもの」そう言って彼女は意味ありげな笑みをアネモネに向けてくる。
「……」
アネモネは勿論、その言葉の意味がよく分らなかったので無視する事にした。
三叉路まで辿り着き、デネブが立ち止まり「ここまでで大丈夫です」と言った。
「うん」
「今度こそちゃんとしたアップルパイを持ってきます」
「私はシナモンがたっぷりきいたやつが好きだ」
「林檎も甘いものより酸味の効いたほうが好みでしたね」
「うん」
それからアネモネは友人に別れを告げ、次に彼女が訪れる時を心待ちにしながら元来た道を引き返す。
彼女作るアップルパイは本当に美味しいのだ。
◆
今回『古き良き魔術師たちの時代』を訪れたのは、リンネの御礼の件もあったが、何よりアネモネの様子を伺う為だった。
だが彼女が思ったよりも元気そうにやっていたので安心した。
むしろ仲間たちの前では見せない態度が見れて嬉しくもあり、すこし悔しくもあるくらいだ。
ダンジョンに潜ることだけにしか興味のなかった彼女が、ああも変わるなんて驚きだ。いやもしかしたら自分たちが知らなかっただけなのかもしれない。
「ふふ……それにしてもさっきのアネモネさんの様子」
帰路を辿りながらデネブは先ほどの彼女の慌てふためいた様子を思い出して微笑む。
「こうなるとフジワラ様との関係がどうなっているのかが俄然、気になるところではありますね」
デネブはゴシップ好きな魔女の血が騒ぎ出すのを感じていた。
まあ人間関係については小動物並に慎重で臆病な彼女のことだから大した進展はないはず。
このままなま暖かく見守っておくのが良いかもしれない。
ただそれはそれとして、この件は間違いなく仲間たちには報告しておかなくてはなるまい。話題には出さないが、誰もが内心ではアネモネの事が気になって仕方がないはずなのだ。
次に店に伺うときが楽しみだった。
もし途中で馬車をつかまえることができたら、早速市場へ寄って、林檎を探さねばなるまい。この時期だからリデビア産も質の良いものが出回っているはずだった。
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鑑別書『粗忽者の指輪(良品)』
『汝、黒髪の乙女に告ぐ、常にその血を二滴捧げよ――さすれば世界は仮面に代えて貸し与えん、まばゆく煌めく眩暈を、割れ響く耳鳴りを、忙しない悪寒を、ゴルビラーナの恋患いのごとく』
お客様は『骨折り損のくたびれ砦』というお芝居を御存知でしょうか。有能で残虐な魔術師の指揮官が、占領した敵国の砦である指輪を拾ったことがきっかけで起こる騒動を描いた悲喜劇です。
これはそれに登場する指輪と同じものございます。
性格にも変質をもたらすとも言われている付与道具のひとつで、普段はどれだけ落ち着きのある段取り上手な人物であっても身につけるとあら不思議、急に何かにせき立てられているように心の余裕がなくなり、無計画に先走っては失敗ばかりを繰り返してしまいますのでご注意下さい。
劇中での指揮官も指輪の魔力によって、間者に機密を漏らしたり、伝令の内容を聞き違えたり、援軍を敵と勘違いし同士討ちをさせたりと、とんでもないヘマをしでかします。
そして終幕、偶然に偶然が重なり失敗を帳消しにできたにもかかわらず、彼は早とちりから自らの手で恐ろしい最期を遂げることに……。
彼と同じ道を辿ないとも限りませんゆえ、皆様も見慣れぬ指輪を見つけた際にはまずは鑑定を!
補足情報として、この効果に抵抗することが可能であることを明記しておきましょう。集中力と冷静さを総動員することで失敗は未然に防げるようです。
更にそれを反復することで、魔術を使用する際に不可欠な素養を養う訓練にもなるので見習い魔術師さんにはお勧めのアイテムかもしません。学院の教材としても利用されており、別名を『教練の指輪』と言います。
要は慌てん坊さんは魔術師には向いていないということかもしれませんね!
以上が、デネブと『粗忽者の指輪』の顛末である。
彼女以外のアネモネの知人についてはまた後日語られる事だろう。