梵字の刻まれた小さな鐘(未鑑定)
吟遊詩人のアリアは躊躇していた。
腕のいい鑑定士を探しており、行きつけの酒場の女主人に相談したところこの店を紹介された。何でも凄腕の鑑定師がいるという話だ。
だが店の前までやってきたところで、おかしなものに遭遇してしまった。
軒先にいる全身甲冑を装備した戦士だ。見覚えのある人物で、『死の足音』という二つ名を持ったかなり腕利きの探索者のはず。
大鬼と拳で渡り合うことができ、性格は凶悪凶暴、冷酷無比。ダンジョンで彼の足音を聞きつけ、後を追ってみると、点々とモンスターの死骸が転がってたことからその二つ名がついていた。
もし出会ったら絶対に話しかけるなと知り合いからも警告を受けている。かつてベテラン探索者十数人が酔った勢いで絡んだあげく、まとめてのされてぼろ雑巾のようにされたという事件があったのだ。
だがそんな恐ろしい『死の足音』が、何故か目の前でフリルエプロンをつけ、どういうわけか花壇に水やりをしている。おまけに上機嫌らしく鼻歌まで聞こえてくる始末だった。
「ど、ど、ど、どうしよう」
一体何をしているのだろう。
何か恐ろしい予感がした。全身甲冑と、フリルエプロンと、花壇。どう考えても不釣り合いな光景である。普通に水やりをしているだけのはずがない。まさか栽培を禁じられているような危険な植物を育てているのだろうか。店の前にいるという事はこの店の関係者という可能性もありえる。
いずれにしろ店に入るには、この恐ろしげな甲冑の怪物の前を、横切らなくては行けないのは確かだ。挨拶もしないで通り過ぎれば最悪、惨殺されるだろう。こんなプレッシャーはダンジョンのなかでもそうそう味わうことができるものではなかった。
「よ、よし」
アリアは沸き出してきた脂汗と、恐怖を何とか頑張って抑えると、深呼吸した。
それから拳を握りしめ、勇気を振り絞って全身甲冑の元へと向かうと声をかける。
「あっ、あのっ、すいませんがっ」
◆
何と言うことはない。
全身甲冑は店の従業員らしい。声をかけるとあっさりとかつ丁寧な対応で、店内まで案内してくれた。
噂と違い、かなりいい人そうだ。
だが何故、全身甲冑を着たままなのだろう。
店のカウンターで待っていたのはフジワラという眼鏡の青年店主だ。
人の良さそうな人物だったが、線が細く、正直頼りなさそうな印象がある。
頬に居眠りをしていた跡がついているのが分かった。
本当にこの人が凄腕の鑑定師なのだろうか。
当の本人はぼんやりとしていたが、アリアが持ってきた箱から例のものを取り出してみせた途端それに食いつき、「ほおおお」と変な声を漏らしたり、気持ちの悪いうっとりした顔をした後、客そっちのけでしげしげと観察し始める。何というか楽しそうである。
「……」
「成る程、作製されたは『古き良き魔術師たちの時代』初期のようですねえ。こんなに古い『目覚めの鐘』は拝見したのは初めてです。それもなかなか良い品のようだ」
アリアは驚いた。
確かに自分が持ってきたものは『目覚めの鐘』と呼ばれる付与道具だ。
付与道具は鑑定が難しい上、素人では識別できないのが探索者の間での常識である。例え鑑定士といえども一瞥ではまず判別は不可能。専門の機材を使って時間をかけてようやく鑑定できるもののはずだ。
だが彼は触れてすらいない。
ただ観察していただけ。それなのにこのアイテムが何かをすぐに見抜いてしまった。
しかも品質までも言い当てた。
「何故品質まで分かったんですか?」
「これはどこで買われたものですか?」
店主はにこりと微笑みながらと逆に質問してくる。
アリアが購入した店の名を告げると、嬉しそうに頷いた。
「そこは『商会』の傘下のお店です。『商会』は、品質が『高級』以上のものは、必ずこの桐の箱に入れて扱うようにと指導しているんです」
アイテムを入れていた木箱は、店で購入した際に付属していたものだ。
言われるまで気が付かなかったのだが、木箱には確かに『商会』のものである事を示す『商』という文字が入っている。
「成る程、そういう事だったんですか」
「すごく不思議に思えたり、一見不可解に思えることでも、種を聞いてみれば案外大した事ではなかったりするものですよ」
確かにそうなのかもしれない。
なんだかこの店主が急に頼もしく見えてきた気がした。もしかしたら自分の抱えている悩みも、同じように簡単な解決方法があるのかもしれない。
そして、それを教えてくれる気がした。
「お願いします。どうかこの付与道具の使い方を教えて下さい」
◆
「ふむ。付与道具の使い方自体は御存じですよね?」
「ええ知っています」
アリアは頷く。
付与道具というのは、特定の魔術を行使することがアイテムの事をいう。
起動する為には血液に含まれる魔力を伝播させなければいけないのだが、素人はそうする技術がない。だから皮膚を浅く切ったりする必要があった。
「でもどういうわけか起動しないのです。いや正確には発動しているみたいなんですが、何故か音が鳴らず、効果が発揮されないんです」
もしかしたら壊れているのかもしれない。
だがアリアにはどうしても、これを使いこなしたい大切な理由があった。
眠り鼠。
それはダンジョンのような『魔力』の濃い土地に生まれてくるモンスターだ。生涯の大半を眠って過ごしているが、一度起きると赤い目を光らせて、身近にあるものに手当たり次第に噛みつき食べ始める。鋭く尖った前歯には眠りの毒が宿っており、噛みついたものに捕食しやすいように、強烈な眠気を与える能力を持っていた。
その大群に、ダンジョンで襲われたのはもう二週間も前の話だ。
仲間のうち前衛職だったミサンガだけが、重症を負い、未だに施療院の寝台で眠り続けている。
怪我の方は大したことはなかった。司祭の『治癒』祈祷によって瞬く間に癒やされたから。
だが眠りの毒が全身に巡ってしまっているらしく、『解呪』や『解毒』でも残念ながら容態の回復は見られなかった。薬も一通り試したが結果は同じ。
そして、このままの状態が続けば、体力を消耗し近いうちに死ぬだろうとも警告されていた。
「でもこの『目覚めの鐘』ならあるいは、と思っているんです……」
『目覚めの鐘』は覚醒を促す付与道具だ。
この鐘の音を聞けば、例え泥のように眠っている者であっても立ちどころに目が覚め、眠気が消え失せるそうだ。薬品や魔術などによる強制的な睡眠、催眠状態にも効果があるらしい。
それを知って、アリアは借金をして購入することにした。
「ミサンガさんは、あの人は、逃げ遅れた私を庇ってくれた。だから――」
気づいたら涙がこぼれていた。
「お願いです。どうかこの鐘の鳴らし方を教えて下さい」
◆
「畏まりました」
フジワラは黒エプロンのポケットに眼鏡をしまうと、代わりに髪止めを取り出し長い髪を纏めた。
白手袋を取り出し装着し、単眼鏡をはめる。
「まずは鑑定してみましょう。何か分かるかもしれません」
早速、鑑定対象へと目を向ける。
それは小さな黄金色の金属製の鐘。お碗を逆さにした形状をしており、木製の握りがついている。
握りには掠れていたが梵字が刻まれている。確かそれは厄除けを意味する文字だった。
フジワラはその握りにそっと触れると、『伝達』の呪文を小さく呟く。魔力を放出する極初歩的な魔術だ。すぐに鐘の表面上に、青白い血管のような、亀裂のような線が走り、広がり、枝分かれし、奇妙な模様を描いていく。
魔術回路だ。
魔術文字によってのみ構成された複雑怪奇な抽象画。身振りや手振り、呪文などを介在させない代わりに文字のみで『世界』と有償契約を果たすための契約書。
これが少しでもかすれたり途切れるようなことがあれば、道具としての機能を果たさなくなるのだが、見る限りではその心配はなさそうだ。勿論、それは偉大なる過去の魔術師たちの創作物である以上、簡単に壊れるようにはできていないのだが。
なら問題は魔術回路の内容のほうだろうか。
求められる『資格』や『代償』などの条件を、使用者が達成できなければ付与道具は起動しない。
フジワラは、入り組んだ言葉の迷路を解読するべく鐘の表面に顔を近づけてようとし――。
「そういえば……」
ふとある事に気がつき顔を上げ、単眼鏡を外した。
カウンターの周りを見回してみるが、やはりそこにあるはずのものは存在しない。
木箱をひっくり返して確認してみたが見つからなかった。
もしかして元々、『目覚の鐘』以外のものは入っていなかったのだろうか。
「あの……どうかしましたか?」
「貴女がお持ちになったのはこの鐘のみですか?」
「ええ」アリアが怪訝そうな顔で頷く。
成る程。もしかしたらこの件は、依頼人が勘違いをしている可能性がありえる。
解析も行うがまずは彼女にそのことを確認する方が先だろう。
「すいませんが、この鐘を一度鳴らしてみて貰ってもいいですか?」
◆
結局、最後まで鑑定を終えることなく、アリアの悩みは解決してしまい『ありがとうございます、ありがとうございます』と何度も礼を述べながら去っていった。
「結局どういう事だったのだ?」
マグカップを載せたお盆を持ってきたアネモネが、訊ねてくる。他の仕事をしていたせいで、顛末を聞いていなかった彼女には何のことかサッパリだろう。
鳴らない鐘をどのようにして、鳴らせるに至ったのかを知りたがっていた。
「要は、使い方が間違っていたんです」フジワラは珈琲に口をつけながら説明する。
「使い方?」
「ええ。ただそれには、まず鐘というものが二種類ある事を知らないといけませんね」
フジワラはマグカップを置いて、一旦立ち上がる。
それから在庫置場から持ってきた二つの道具をカウンターに並べてみせた。
どちらも小さな鐘だ。
形状は互いに似ており、お椀型を逆さにし持ち手がついた仕様のものである。
「このふたつは見た目は、似ていますが、それぞれ別のアイテムです。ひとつが『眠りの鐘楽器』。もうひとつが先ほどと同じ『目覚めの鐘』。材質も大差ありません。ですが両者は全く違うもの。前者は、西国で造られるタイプで、使用人などを呼びつける卓鐘や鐘楽器などと呼ばれます。後者は、東国で造られるタイプで、寺院などで起床や食事の時間を知らせる喚鐘というものです」
「どちらも似ているが、造られた場所が違うのだな」
「ええ。何より両者には決定的な違いがあるのですが……そうですね。アネモネさん、実際にそれぞれの鐘を鳴らしてみて貰えますか?」
西国出身であるアネモネは、ふたつの鐘をそれぞれ『振って』鳴らそうとする。
『眠りの鐘楽器』はカラカラカランと気持ちの良い音を鳴り響かせた。
だが一方で『目覚の鐘』は当然ながら、全く音がしない。
「……?」アネモネは首を傾げて、『目覚めの鐘』をひっくり返す。
「壊れているようだな」
「そんなことはありませんよ?」
「だが見てくれ、この鐘はなかが空洞になっているではないか」
「東国の鐘は『舌』がついてないのが基本なんです。ちょっと貸してみて下さい」
フジワラは鐘を受け取ると、「こうやって」とエプロンのポケットに隠していた撞木で打ちつける。すると――コーン。眠りを揺り動かすようなゆるやかな響きが木霊した。
「このように東国の鐘は『打ち鳴らす』ものなのですよ」
結局のところ、アリアが鐘を鳴らせなかった理由はこれだ。
国の文化など違いを知らないが故に陥る罠だ。理由さえ分かっていれば簡単な話で、『舌』がついていない以上すぐその違いに気づきそうなものだ。
だがおそらく彼女は『目覚めの鐘』が付与道具であるが故に、魔力を込めれば音がするものだと勘違いしていたのかもしれない。
突き詰めていけば、商品についてろくな説明もせず、槌も用意しないままに売りつけた店側の落ち度もある気もする。
「まあ何であれ彼女の悩みを解決できたことは喜ばしい事ですね」
「ところで店長」
「何でしょう?」
「あの客は『彼』だ」
「……嘘でしょう」
フジワラはぎょっとした。
すこし線が細くか弱いあの美少女が男性だとはとても思えなかった。
「本当だとも。喉仏があったし間違いないだろう。残念だったな」
肩を落としていると、アネモネがからかうように手を置いてくる。
「そして私が推理するに眠っているお仲間は女性だろう」
「……何故そう思うんです?」
「無論。眠りを覚まそうとするのが男なら、眠っている相手は姫君と相場が決まっているからだ。そしてこの場合、物語は幸福な結末を迎える」
アネモネの推理を聞いて、叶わないなあ、とフジワラは苦笑する。
確かにあの客はうまくいくだろう。
今頃は施療院だろうか。
『目覚めの鐘』は使いどころの難しい道具ではある。だが眠りを醒ますことだけには特化している。
きっとお仲間も手遅れにならないうちに回復するはずだった。
◆
『目覚めの鐘(高級品)』
『汝、歌唄いに告ぐ、たおやかなる調べを捧げよ、さすれば世界は微睡みを喰らい、夢を貪り、仮初めの死を飲み尽くせ、クゾウサウトの舌の如く』
ダンジョンで年間死亡原因ワースト10(『組合』調べ)に毎回入るのが、野営中の敵襲だそうです。見張り役は慌てて、フライパンなどをガンガン打ち鳴らすのですが、仲間たちは疲れきっていてなかなか起きないのだとか。
そんな方々にお勧めなのがこの『目覚めの鐘』です。
一度打ち鳴らせば、鐘の音に含まれる強力な覚醒作用によって、泥のように眠っている者でも立ちどころに目が覚める事でしょう。勿論、眠気もどこかに吹き飛んでしまいます。
魔術や薬品(睡眠誘導剤、催眠剤問わず)などによる眠りすらも無効化にしますので、モンスターから攻撃を受けて仲間が眠ってしまったなんて場合にも有効です。
また例え耳を防いでいても、魔力を含んだ音そのものが身体に接触し、浸透していくものなので、耳栓などをしている場合でも効果は期待できます。
使用上の注意が二点程あります。
まず一点は、西国出身の方にはあまり馴染みがないと思いますが、この鐘は打ち鳴らすタイプのものです。魔力を込めた後、何かで叩き鳴らす必要がありますのでお忘れなく。
そして二点目、ダンジョン内で使用上する際には、周囲をよく確認する事をお勧めします。もし眠っているモンスターが近くにいた場合、確実に起こしてしまいます。仲間を起こそうとして、気付いたら大量のモンスターに取り囲まれていたなんていう事故を引き起こしかねないので、くれぐれも取扱に御注意下さい。
以上が、吟遊詩人アリアと『目覚の鐘』の経緯である。
仲間が深い微睡みから醒めるのはもうすぐ先の話だ
またこれ以降、暫くの間、アネモネはこのアイテムを気に入り、フジワラを起こすのに使うようになったのは言うまでもないことだ。
アネモネがカンカン鐘を鳴らしながら言う
「店長の居眠り癖もこれを使えば治るのではないか?」
「うー……音が響くので、止めて下さい」