もふもふとした毛並みのキーホルダー(未鑑定)②
思わぬ客に食事を提供する事になってしまった。
「んー♪」
『死の足音』嬢がバックヤードのソファを陣取って次々に皿に盛られたビスケットを頬につめこんでは幸せそうな悲鳴を上げている。
ビスケットが美味しいせいもあるだろうがそれ以上に空腹だったのだろう。口元についている欠片も、兜で蒸れてもさもさになった髪の毛も、全身甲冑を脱いでいるので肌着のみという目のやり場のない格好をしているのも、全てお構いなしで食べ続けている。
「えっとお代わりはいりますか?」
いつの間にか彼女の前に置かれたティーカップが空になっていたので声をかける。
「ん」
「畏まりました」
フジワラは差し出されたカップを受け取り、魔法瓶から珈琲を注ぐと、客人用に買ってきていたものを足す。
山羊のミルクである。原液は匂いが強くそのままでは飲みにくいのだが、珈琲に混ぜると濃厚なバターの風味になるのでカフェオレに適していた。
フジワラからすれば『太陽を見上げる土竜』亭の珈琲に混ぜものをすること自体、冒涜的な行為ではあったが苦すぎて飲めないという以上、止むを得ない。
「どうぞ。まだ若干熱いですから気をつけて下さい」
「ん」
『死の足音』嬢は咀嚼しながら受け取ったティーカップにおそるおそる口をつける。それからかっと目を見開いた後、ぐいっと煽った。それから「……ふう」と一息ついたので満足したのかと思ったが、更にビスケットを頬張り始める。どうやらまだ足りないようだ。
紙袋いっぱいに貰ったはずだがこの調子だと底を尽きてしまいそうだった。まあ他にも色々食材を買ってきていたので簡単な料理を作ればいいか。ベーコンと卵があったから適当に焼けばいいだろう。
「……ところでその怪我、本当に大丈夫なんですか?」
「ん? もぐもぐ……ごくん……ああこれな」
彼女が忘れていたとでも言うようにだらんとさせた自分の左腕に目を移す。
前腕部が腫れて赤紫に変色している。陶器のように白い細腕なのでそこだけが異様な状態で、見ていて痛々しい。まず骨折していると見て間違いないだろうに何度指摘しても気にした素振りも見せない。
「もぐもぐ……これは人喰い虎に噛みつかれたのだ……もぐもぐ……命と引き替えにだが……馬鹿な奴だ……」
「すぐに施療院で手当をした方がいいと思いますよ」
「もぐもぐ……断る……」
「……」
フジワラは小さくため息をつく。
その理由は察しがついた。
彼女は自らの出自を隠しているのだ。施療院に行けば、身にまとっている全身甲冑を外して治療を受ける事になるだろう。元々探索者として注目株である『死の足音』が、その美しい素顔を晒せば、すぐに噂が広まり身元を探られることは必至である。
「もぐもぐ……それに行く必要が……もぐもぐ……ない……」
「どういう意味ですか?」
「もぐもぐ……ごくん……空腹が満たされた以上、私に怖いものはないのだよ」
『死の足音』嬢がビスケットの欠片を口元につけたまま、よく分からない説明をしてふふんと不敵に笑う。
そしてフジワラはある事に気がつく。
魔力を可視化して注意深く観察しなければ気がつかないような極ささやかな量ではあるが、彼女の身体からは人間にしては異様な程の魔力が溢れ出ている。それは明らかに強力な魔術行使に伴う現象。血中魔力が消費され魔法へと変換される途中で、その余剰分が溢れ出ている状態だった。
だが彼女は食事をしていただけで、魔術を行使したり付与道具を発動させるような素振りは見せてはいない。
「……もしかして貴方は『加護』持ちなんですか?」
「そういうことだ」
『加護』持ちとは、極まれにだが体内の一部に魔術回路を備えて生まれてくる者たちの呼称だ。彼らは特定の魔法を、まるで呼吸するかのように扱うことができる。勿論、自らの血中魔力を消費するのだが、魔術を行使する為の呪文詠唱、印契、身振り、媒介の一切を用いるどころか指一本を動かす必要もないのだ。
平和な今でこそあまり注目される事もなくなったが、『古き良き魔術師たちの時代』後期から『暗黒時代』においては、その驚異的な能力から、あちこちの戦場で歴史を塗り替えるような戦果をあげる者もいた。
大昔の寺院では『現人神』として崇拝の対象にしていた事もあり、『加護』持ちの呼び名の由来はそこからきている。
「ほらこの通り……な」
『死の足音』嬢が左腕を差し出す。
怪我が恐ろしい勢いで治っていく。目に見える速度で腫れが引いていき、赤紫の変色も薄くなりだしてほぼ元の肌の状態へと戻っている。そして数分後には骨が折れていたはずの腕を捻ったり、指を握ったり開いたりしてみせるのだった。
寺院の司祭が行う祈祷にも相当する程の回復力である。
「……」
フジワラはようやく飲み込めた気がした。
彼女が何故あのような化け物じみた筋肉と体力を、そして今目の当たりにした回復力を持っているのかが謎だったのだ。彼女の身体には肉体強化系の、それもかなり強力な魔術回路が刻み込まれているのだ。
ただ原動力が血中魔力である以上、空腹になれば魔法を行使できなくなるか抑制せざるを得なくなる。先程までの彼女の状態は、全身甲冑の重みで動けなくなるほど弱体化していたのはそれが原因なのだろう。
「でも、そんな重要な事を教えてしまってもいいんですか?」
自らが『加護』持ちである事を隠している者は少なくない。確かに一部の探索者ギルドでは好待遇で迎えてもらえるし、寺院でも入門者はもれなく即司祭の職を与えられる等、知られることで得られる特典は多い。
だが彼らにとって『加護』持ちであることを他人に知られる事で負うデメリットも決して少なくはない。利用しようと擦り寄ってくる輩が跡を絶たなくなるだろうし、能力を知られれば致命的な弱みを握られるとの同じ事になる。
「貴様には姿を見られた。これ以上、何を隠そうと無意味だろう」
「ですが」
「どちらにしろ貴様は他人に喋らないと言った。ならばそれで十分ではないか」
「分かりました」
フジワラとしても彼女の正体を誰かに漏らすつもりはない。
そうすることで得るような易もしないことで受ける損もないし、何より顧客のプライバシーを守るのは当然の事。
客商売をする以上、信用を得ずして儲けなど得られるわけがないのである。
「……ところでお腹の方はどうですか?」
「うん。いっぱいになった」
「満足して頂けました? もしまだお空きのようでしたら何か作りますけど?」
「いやもう十分だ。至れり尽くせりだな」
「そう仰って頂けて何よりです」
フジワラはそう言って、ごく自然な動作でテーブルの上に会計伝票を置いた。
「……うん?」
『死の足音』嬢は目の前に差し出されたものを凝視する。
「それでは今回のお会計の方に移らせていたこうと思います。ビスケット五十枚で、締めて千ゲルンになります」
だからフジワラもにこやかな微笑みで以ってそれに応える。
勿論、客商売する上で大事なのは信用だけではない。お客様が気持よくお支払いをして頂く為にはサービスもまた欠かせない要素のひとつであるといえる。
フジワラが空腹を我慢して給仕に徹していたのも、彼女がお代わりした三杯のカフェオレについては明細に含んでいないのも、すべてはそういうわけなのである。
「うん?」
『死の足音』嬢が、よく分からないといった顔をこちらに向けて、もう一度首を傾げた。
◆
これは決して不当な請求ではない。
この店においてビスケットはれっきとした商品であり、それを提供する以上、料金を請求するのは当然の権利なのである。金勘定には疎いくせに他人だけが得する事が何より嫌いな師匠の口癖を借りるのであれば『うちは慈善事業じゃねえ』である。
付け加えると、フジワラが以前に彼女に殺されかけたり、手を尽くし毒の手当をしたのに置きの手紙で脅迫された事とは無関係である。そもそもそんな些細な事で根に持つような意地の悪い性格ではないのだ。だからしてこれは復讐でもなんでもない。
そういうわけで、ここからがフジワラのターンだった。
暫く石像のように硬直していた『死の足音』嬢がようやく口を開いた。
「た……確かにここは店である以上、このビスケットが商品であり私はそれを食べた。故に料金が発生したことは認める」
「宜しくお願い致します」
よし。早速言質がとれた。
「だがビスケット一枚に二十ゲルンというのは余りにも暴利ではないのか?」
「何をおっしゃいますか。お客様は先程まで死にかけておりました。恐らくあのまま発見されなければ恐ろしいことに餓死していたことでしょう。そしてこのビスケットはお客様の命を繋いだ。なれば一枚二十ゲルンでも格安だと思います」
「だがしかし」
「宜しい。では憲兵を呼びましょう」
「なっ、脅すつもりか」
「お支払いして頂けない以上、それは食い逃げでございます」
フジワラは『死の足音』嬢に対して深々とお辞儀をするとバックヤードを抜けて店内の出入口に向かおうとする。勿論、演技である。
「はっ……払わないとは言ってないだろう。一枚二十ゲルンという金額が高すぎると言っているんだ」
『死の足音』嬢が平静さを失って、声を上げる。
彼女の言うことは至極最もである。
『太陽を見上げる土竜』亭で購入したビスケットの価格は五枚で一ゲルン。他の焼菓子の専門店やパン屋に並んでいるものでも恐らくはその程度だろう。だとすれば単価は百倍になる。
ちなみに千ゲルンといえばそこそこ高めの飲食店でかなりの量を飲み食いした時の額である。
フジワラは立ち止まり、眼鏡の山を人差し指で押さえ、暫く考えるような振りをしてからこう提案する。
「成る程。では五十枚全部で一ゲルンに負けてあげましょう」
「ぬう。何故、突然タダ同然に値を下げるんだ?」
フジワラは年に一度も出す事のないほこりの被った営業スマイルを引っ張り出すとにっこりを微笑んで見せる。
「わかりませんか?」
「意味が分からん」
「つまり貴方の命は道端に落ちていても拾う価値のない額という事です」
「うぬぬぬぬ……! いいだろう払ってやる! 払えばいいんだろう! 千ゲルンでも安いくらいだ! この陰険眼鏡が!」
プライドの高い彼女の事なのでこう言えば乗ってくると思ったが予想以上の反応。
売り言葉に買い言葉で、ぼったくりなビスケットの売買は成立した。
「毎度有難うございます」
フジワラは眼鏡をおさえながら、かしずくように深々と頭を下げた。
ふと以前に、師匠から『お前は怨霊並に執念深いから本気で引く』と言われた事があるのを思い出したがそれは勿論、根拠のない言いがかりである。
もふもふとした毛並みのキーホルダー(未鑑定)
の鑑定結果については次回になります!