もふもふとした毛並みのキーホルダー(未鑑定)①
「おや『古き良き魔術師たちの時代』へようこそ。
もしダンジョンから持ち帰った未鑑定アイテムがあったらここに持ってくればいい。
細剣、薬瓶、長盾、指輪、帽子、書物、革靴、御札、どんなモノでもすぐに鑑定してやろう。
……まあだが今日のところは面倒なので弟子に任せるとしよう。
たぶんあんたの手にあるそのアイテムも付与道具のはずだ」
『死の足音』ことアネモネは焦っていた。
ダンジョン地下七階。通称『小部屋』。
通路と扉に挟まれた無数の小部屋によって構成された階層だ。
目の前には袋小路の通路があり、その壁にはずらりと左右六つ、合計十二の扉が並んでいる。
「くそ……またドアか」
どの扉もそれぞれ小部屋に通じており、そこにはモンスターや罠、ドロップアイテムなどが配置されているはずだった。
それ以外にも洗面所、クローゼット、キッチンなどの使用者がいないはずの生活空間に出くわした事がある(この階のどこかで古き良き魔術師の生き残りが隠遁生活を営んでいるという噂は有名話だが今はどうでもいい話だ)。
「ドア、ドア、ドア……いい加減うんざりだぞ!」
扉を開けるまで、何が待ち受けているのか分からないというふざけた仕掛けになっているのだが、彼女が必要としているのは他の通路と繋がっている小部屋だけだった。
そこからまた更に無数の扉を開けての移動を繰り返し、最終的には上りの階段がある小部屋を見つけ出さなくてはならない。
「ちっ残された時間は……もって半日だろうな」
彼女にとって今の最大の敵は時間だ。
全ては連闘を続けながら探索しているうちにういつの間にかナップザックを落としてしまったことが原因だった。なかにありったけの携帯食料が詰め込まれていたのである。
あれから何も口にしないまま一日以上が経過している。常人であれば飲まず食わずでも数日は動けるだろうがアネモネは違う。体質がそれを許さないのだ。
すでに体が重い。
先ほど負った左腕の怪我も満足に治癒できなくなっている。
おそらく後半日が過ぎれば『英雄』の効果が完全に切れて能力強化、精神安定、属性耐性、その他諸々の効果が解かれることになるだろう。そうなれば彼女はもうモンスターと闘うどころか、甲冑の重みにも耐え切れず動けなくなるほど弱体化する。
大剣を振るい、扉を撃破して、一部屋ずつを確認していく。いささか乱暴ではあるがドアを開けている手間が惜しかった。
「私は馬鹿だ。油断なんてするからこういうトラブルが起きるんだ」
ダンジョンを進むことはさほど難しいことではない。
遭遇する大抵のモンスターは相手にならない。妙な魔術などを使われることさえなければ大剣を一二度振るうだけで倒すことができた。またふいをついた攻撃も全身甲冑の上からなら痛くも痒くもないし、仮に怪我を負ったとしても数時間もすれば完治してくれる。
単独ではここ何年も誰もたどり着けなかったという地下十階も彼女にとって難所ではなかった。
そしてこの調子ならすぐに目的の十五階にもたどり着けそうだと思った矢先に、大切な食糧を失くすという失態を犯してしまった。
以前に窮地に陥ったのも単独十階踏破を成し遂げたすぐ後だった。
あの時はうっかり毒のトラップにはまったのだ。全身甲冑に毒がこもった状態で咳込みながら半日以上歩き続けたあの帰り道は地獄だった。
どこで別の探索者と遭遇するか分からない。誰が見てるともしれない。だから兜を脱いで、姿を晒すわけにはいかなかった。
アネモネはこの都市の住人に正体を隠していた。
出自が知られてしまえばおそらくこのダンジョンに踏み入れるどころか、都市への出入りすらも立ち入りを拒まれるはずだ。
すべては悲願を叶えるため。その為なら自らの命を投げ出す覚悟ができていたし、障害となる全てのものを叩き切るつもりでいた。
「……」
ふいにあの時の青年のことが頭によぎる。
唯一彼にはこの姿を目撃されてしまった。それにもかかわらず殺す事もできず、あまつさえ命を救われてしまった。
礼も謝罪も言う事ができなかった。
あの時はただどうしていいのかも分からないまま、脅しの言葉だけを残してしまった……。
「いかんいかん。集中しろ集中」
とにかく今は余計な事を考えずに地上に戻ることに専念べきだ。
ここが峠。
階段さえ登ってしまえば後はさほど苦労することなくダンジョンから地上へ出ることができるだろう。
そしたら何かをお腹いっぱい食べればいいだけだ。
◆
フジワラはその日、午前中で『古き良き(オールド)魔術師たちの時代』を店じまいにして出かけた。色々と生活用品を補充したかったのだ。
市場で買い出しを済ませると、勿論帰りには行きつけの『太陽を見上げる土竜』亭にも寄る。夕暮れから明け方にかけては酒場なのだが、昼は人知れず喫茶店を営業しているのである。
彼はいつもここで心の安定剤である珈琲と軽食を買う事にしていた。
「いらっしゃい古道具屋さん」
扉をくぐるとカウンターの向こうでエールジョッキを拭いている眼帯をつけた女主人が出迎えた。
フジワラは首をかしげる。普段この時間は賑やかな三人組の老女たちが店番をしているはずだった。
「こんな時間にどうしたんです?」
「姪がおめでたでね。うちの婆さん連中が総出で世話を焼きに出ちまってるのさ」
なるほど家庭の事情というやつらしい。
このまま女主人は夜からの酒場も切り盛りするのだろうから働き詰めになるだろうに、いつものしれっとした顔で、休息という言葉など知らないとでも言うようにテキパキ、濡れた食器を片づけていく。
「ふんふん」
フジワラは鼻を鳴らした。店内に何かいい匂いが漂っているのだ。
何だろうか。
香ばしい。おそらく焼き菓子を焼いた後なのだろう。
「暇だからビスケットに挑戦してたのさ」
女主人はそういうと一旦作業の手を止めて、小皿にビスケット数枚を入れて持ってきてくれる。狐の毛皮のようないい色に焼けている。
一枚摘んでみると、まだ作りたてだったので温かい。
「む。美味しいですねこれ」
「ありがとよ」
お世辞抜きで美味しい。
子供には物足りない甘さかもしれないがそこが良いのだ。お茶受けにも軽食にも最適である。
この強面の女性は元々凄腕の探索者だと聞いている。
その腕っぷしはまだ衰えておらずここで探索者たちが乱闘騒ぎを起こそうものなら即座に喧嘩両成敗にされると専らの評判である。
だがこのように料理の方面でも有能だったりする。おそらくあの三人の祖母たちに仕込まれたのだろう。
「さてあんたの用事はいつもので良かったかい」
「ええと珈琲と……そうですね。そのビスケットを下さい」
「プレーン以外に胡麻と紅茶があるよ」
「じゃあ五枚ずつ」
「毎度あり」
女主人がさっそく包装紙にビスケットをくるみながら、思い出したように切り出してくる。
「……ところで古道具屋さん。頼みがあるんだけどね」
「はあ何です?」
「お守りを売って欲しいんだ」
「お守り……所謂護符とかですか?」
「いやそういうんじゃなくてさ。幸運を呼ぶお守りが欲しいんだ」
「商売繁盛の置物とか?」
フジワラは皿に盛られた残りのビスケットに手を伸ばしながら、尋ねる。
他の商店でも似たような依頼をされたことがある。
何故ならここ数年、迷宮都市はかつてない不況に見舞われていた。遠征事件の一件以来、ダンジョンがかなり危険な状態になってしまったからだ。おかげで探索者はろくなアイテムを回収できずまともに生計が立てられず、どこの商店も煽りをくらい売り上げが落ち、商品の入荷もままならない状況が続いている。
この都市はダンジョンによって経済が回っていると言っても過言ではないのだ。
「いや問題は商売のほうじゃないんだ」
「違うんですか」
「どうも姪のやつが難産になるみたいでね。私は店があるから、様子を見に行ってやれないだろ。せめて縁起物でも送ってあげたくてさ」
「なるほど」
思っていた依頼とは違ったようだ。
だがそういう話ならこちらも出来る限り何とかしてあげたい気持ちはある。
フジワラは眼鏡のやまに指を置き、記憶を辿る。
店内の陳列から倉庫内の在庫、果ては過去に売り買いした商品まで自分が把握している限りのアイテムのなかで要望に叶うものがないか探す。
「ちょうど良いモノが思い浮かんだのですが……残念ながら今は品切れですね」
「そうかい。じゃあ万が一、仕入れたら取り置きをしておいておくれよ。必ず買うから」
「分かりました。知り合いの店に在庫がないか確認してみます」
「頼んだよ」
フジワラが会計を済ませると紙袋が差し出される。
思いの外、かさばるので中身を覗いてみると注文したよりもかなり多めにビスケットが詰め込まれていた。
尋ねるよりも先に女主人が理由を説明してくる。
「実は失敗しちまってね。売り物にはならないけど食べられないわけじゃないから手伝っておくれ」
「有難うございます。でも……食べきれるかな」
「何でも酒の摘みにしちまう師匠もいるじゃない」
「あの人は西の迷宮都市まで出掛けているんです」
「おやおや。何かの用事かい」
「まあ。本人はそう言っていますけど、どうでしょうね」
師匠は、数ヶ月前に買い付けに行くとだけ言って出かけてしまった。何をどれだけ買うつもりなのかは知らないがこの不況のさなか、売りつける相手がいるとは思えなかった。
だから仕事はただの口実で、本当の目的は暇に任せた旅行ではないかと睨んでいる。
結局、フジワラは食べきれないほどのビスケットの入った袋を両手に抱えながら、礼を言って『太陽を見上げる土竜』亭を後にする事になった。
まあこれだけあれば当分は外に出なくても食べるものに困らないだろう。
◆
帰り道の事である。
店の近くまで戻ってき時、フジワラは道の先のほうで倒れている人影を見つけた。
この近辺にはダンジョンの出入口がある。長期間の探索を終え、疲労困憊で地上に戻ってきたはいいがそこで力尽きるような者がたまにいるのだ。
おそらくはその類だろう。
『積極的に恩を売って新規顧客の獲得に努めよ』というのが恩師の有り難い教えであり、店の方針である以上、助ける以外の選択肢はない。
だがある程度近づいたあたりから嫌な予感がしてきた。どうも見えてくるその姿に見覚えがあった。
倒れているのは異形の戦士だ。
まるで合戦場を連想させるような、旋毛から爪先に至るまで僅かな隙間すら鋼鉄で覆い尽くす全身甲冑を身にまとい、大鬼とも対等にやりあえそうな大剣を背負っている。
「……」
『死の足音』嬢である。
まだ駆け出しながら単独でダンジョンの地下十階を踏破し、二つ名を獲得した探索者である。世間では注目を浴びつつも、全身甲冑に身を包み、挨拶すら返さない寡黙さない為、性別、種族、年齢、名前その一切が不明とされている人物だ。
だがフジワラだけはその物騒な外見とは裏腹に、中にいるのが十七、八歳の女性である事を知っていた。
何故なら彼女は、以前にも猛毒にかかって店の前で倒れていたことがあり、治療の為に甲冑を脱がした事があったのだ。
その時に殺されそうになったのを思い出して憂鬱な気持ちになる。
だがこのまま彼女を放っておいても他の誰かが二次被害に遭うだろうし助けるほかあるまい。
溜め息をつき、それから諦めの気持ちで近づいた。
「……何だ。貴様か」
「開口一番にその言い草はひどいですね」
だがこちらの顔を覚えていたのはちょっと驚きだった。
「……ふん」
「また毒のトラップにかかったんですか?」
「私は一度したミスを繰り返したりしない」
「そうですか……」
覆われてその表情は確認できなかったが、『死の足音』嬢はきりっとした顔で言い放っている気がした。
だが大の字に寝そべった状態でそんな事を言われても、説得力も威厳も皆無である。
そう言えば彼女と会話をしたのはこれが初めてだった。前回の彼女はまともな状態ではなかったしろくな言葉を交わしていなかった覚えがある。
「ところで貴様……私のことを誰かに」
「言ってませんよ。誰かに話したら殺されるんでしょ?」
「そうだ。まだ生かしておいてやるから肝に銘じておけ」
「ええ、有難うございます」
彼女はこれまた偉そうな口調でふふんと言い放ってくる。
師匠といい、この人物といい、眼帯の女主人といい、自分の周りに気が強うそうだったり気位が高そうだったりする女性が多いのは何故だろうか。
「……」
『死の足音』嬢は依然として起き上がろうとする様子はない。
毒にかかってはいないにせよ彼女が何らかの事情で身動きがとれない状態に陥っているのは間違いないようだ。
だが普通に喋れるようではあるし、ここまでは歩いてきたのであれば麻痺や石化状態になったわけではないだろう。左の前腕部が僅かに歪んでいるのを見つけるが、これも怪我を負っているようではあったが動けない原因とは関係がなさそうだ。
「それで一体――」
ぐー。
きゅるるるる。
フジワラは彼女の状態を伺おうとして喋りかけ、盛大に鳴り響いたその音に遮られる。
そして全ての事情を察した。
「……」
「……」
暫くして「……くっ」という悔しそうなうめき声を上げる。
『死の足音』嬢は逃げ出したいのに身動きがとれないでいるのか身悶えているのかはよく分からなかったが、全身甲冑をカタカタと小刻みに震わせている。言い逃れようもないほどはっきりと生存欲求を宣言してしまったのだから恥ずかしい事この上ないだろう。
フジワラは兜によって隠されている彼女の表情が見えないのが非常に残念だと思った。
「ええと……珈琲とビスケットがあるんですが如何ですか?」と提案してみる。
ぐー。
きゅるるるる。
「……ぐすん……食べる」
涙混じりに肯定的な言葉が返ってきたので、フジワラは彼女を運ぶ台車を持ってくる為、急いで『古き良き魔術師たちの時代』に戻ることにした。
とりあえずこれだけ恩を売っておけば殺されることはないだろう。
「……さて今日はここまでにしておこうか。
なに鑑定結果がまだだと?
ふふん、ではそれをクイズとして出題してやろう。
Q弟子のやつが『太陽を見上げる土竜』亭から頼まれた依頼の品として用意しようと思っているものは一体何でしょう?
ヒントは『サブタイトル』だ。
ああ見えて弟子のやつは馬鹿真面目なので要望通り安産の御利益もありそうな品を見繕ってくるだろうな。
それでは次回までしっかり頭を悩ませてくるがいい」