不気味な首飾り(未鑑定)②
フジワラは『死の足音』氏改め『死の足音』嬢をバックヤードのソファに寝かせると、鍵束を持って地下倉庫を訪れた。
師匠が買い取ったアイテムの多くのがこの場所に在庫として保管されている。
「確かこの辺りで見かけたような……」
無数にある木箱の中身を次々とひっくり返し引っ掻き回し目的の物を探す。以前訪れたときに見つけた付与道具が必要だった。
ここにあるものは在庫と言ってしまえば聞こえは良かったが、要は師匠が趣味で集めた物ばかりだ。彼女は飽きるまでいじり倒した後、適当に手近な木箱に放り込んでここへ置いていくのである。
おまけに整理整頓ができない人なので、用途別、アイテム別に仕分けすることはおろか鑑別証をつけることさえしないので、彼女以外の人間にとってここにあるものは全て未鑑定物でしかない。
というわけで当然、捜索は難航する。
「……何故、本と木靴が一緒に!? ……齧りかけの干し林檎がなんで!? ……紙屑!? ……ここはごみ捨て場か! ……ああもうイライラする!」
大体、師匠は何故こういう時に限っていないのだろう。
買付けなどと言っていたが、この迷宮都市が不況のさなかに売りつける相手がいるようには思えない。高笑いしながら遊び歩いている彼女の姿が頭に浮かんできて非常に憂鬱な気分になった。
「……あった」
木箱の底からようやく目的のものを掘り当てる。
それは首飾りだ。
銀製の鎖の先に円形の金属板がついており、そこには不気味晩餐の様子が描かれている。円卓を囲んで祝杯を挙げている人々は中央にいる中年を除いて全員が骸骨なのだ。
以前これを見つけた際、あまりに気持ちの悪い代物だったので師匠にどんないわく付きのアイテムなのか尋ねた事があったが、それがこうして役立つとは思ってもなかった。
フジワラは埃を払い、それを持って倉庫の扉も閉めずに階段を駆け上りバックヤードに向かった。
『死の足音』嬢の容態を考えるとあまり猶予はなさそうだった。
◆
彼女の身体を蝕んでいるのは『血啜り』という猛毒だ。
血に込められた魔力を汚し、血の巡りによってそれが全身に広がり、身体の機能を停滞させる。早急に血を洗浄しなければ呼吸すらできなくなり死に至ることになだろう。
どれだけの量を浴び、どれだけの時間が経過したのかは分からないが一度倒れた以上、もはや起きあがる事もできない程、症状が進行しているのは間違いない。
だがフジワラがバックヤードに戻って目にしたのは『死の足音』嬢がソファから抜け出している姿だった。理由は分からないが彼女は低いうめき声を漏らしながら懸命に立ち上がろうとしている。
恐るべき体力と気力である。
「何故、起き上がっているんです!?」
「……どこだ……?」
「ここは『古き良き魔術師たちの時代』という付与道具屋です。無茶しないで寝ていて下さい!」
「……甲冑は……どこだと……聞いて……いる……」
「それなら――」
店の前に置いてきたと言いかけてフジワラは口を噤んだ。
彼女の手にあるものがぶら下がっていることに気がついたからだ。
それはバックヤードに置いていた処分予定の長剣だ。すでに鞘が抜かれており錆びだらけの抜き身が鈍く光っている。
嫌な予感は勿論した。
そして目の前が一瞬だけ煌めき、突風が額にぶつかる。
ピシリと視界に亀裂が入り、黒く細いものがぱらぱらと空に舞って散っていく。
『死の足音』嬢がいつの間にか長剣を振り切った姿勢をとっている。
今、風だと思ったものは彼女の手元から放たれた剣撃のようだった。視認できない程、非常識な速度で半円の軌道を描いて通り過ぎた剣先がフジワラの眼鏡にかすり、前髪を切り裂いたのだ。
額と背筋にぶわっと汗がわいたのを感じた。
「ちょっ、何故いきなり斬りかかるなんて……軒先で倒れていた貴方を拾ってきたのは僕ですよっ?」
毒のせいで幻覚や錯乱の症状にでも陥っているのだろうか。
だが今回に限ってそれはない話だ。
確かにダンジョンには嗅ぐだけで悪意が沸きだし手近かの人間を襲い出すという恐ろしい毒も存在するが、軒先で毒霧の臭いを嗅いだ時点ですでにどのような毒かは鑑定はできている。
『血啜り』は症状は幻覚や錯乱などに類するものではなく全身が徐々に機能不全に陥るだけのものだ。意識が朦朧とすることはあっても錯乱するようなことはない。
二度目の煌めき。
次の微風が着用していた黒い作業用エプロンを揺らした後、腹部のポケットのあたりが横一線に裂けて常備している単眼鏡がぼてと落ちる。
あと半歩彼女の踏み込みが深かければ零れ落ちているのは内蔵だ。
「うわっ、ちょっ待ってください。恩人を殺す気ですか?」
「……られた……以上は……殺……す……」
一応、恩義せがましく言ってみたが聞く耳がないようだ。
もしかしたら『死の足音』嬢は逆上しててるのかもしれない。
理由に心当りがないわけでもない。
現在、彼女は肌着のみという大変目のやり場に困る格好をしている。
勿論、毒霧のこもった甲冑を脱がした結果で後ろめたいことではないが、見知らぬ場所に連れ込まれ、破廉恥な姿にされたとあれば勘違いしても仕方ないかもしれない。
だが百歩譲って誤解をしているとしても、目の前に現れた人間に状況を『敵』として断罪するのはどうだろう。またこの状況で理由を問うことも、こちらの話に耳を傾け応じることもしないのは筋に合わない。
というかひどいだろ。
「あのちょっとお話を……」
「……ま……れ……」
三度目と四度目。
テーブルの上に置いてあった客用の珈琲カップがガシャンと音を立てて粉々に砕け、魔法瓶がバイィンと鈍い金属音を立ててどこかに飛んでいき、負荷に耐え切れず砕けた剣身が壁にズンと突き刺さる。
『死の足音』嬢は手から折れた長剣を手放した。
彼女の振り乱した前髪の隙間から覗いたその瞳は濁っていない。怒りに身を任せているわけでも、怯えているわけでもないようだ。
ただ代わりにただ地下迷宮のモンスターが探索者を見つめる時のような殺意のみが宿っている。
彼女の行動の理由が分からない。
ふいに店先で『死の足音』嬢を見つけた時に感じた違和感を思い出した。
あの時、彼女は毒のこもっている甲冑を着続けたまま店の前で倒れていた。ダンジョンにいる間も、地上に戻ってきてからさえも、ひと呼吸するだけでも咳込むほどの毒霧をこもらせたまま兜すらも脱がなかったのだ。
それがフジワラには引っかかる。
『死の足音』嬢が駆け込んでくる。フジワラは距離をとろうとして一歩後退し、何かを踏みつけて体勢を崩した。
まさかの魔法瓶である。
「――ちょっ、わっ!」
肩から体当りを食らったかと思うと、そのままの勢いで押し倒される。生々しい熱を持った重みが腹部にのしかかっている。
「ぐは……っ」
フジワラの喉元に何かがかかる。彼女の細く冷たい指先だ。
それは毒にかかった人間とは思えないほどの握力で身動きどころか呼吸さえできなくなる。
「……殺……す……! ……殺……す……! ……こ……ろ……す……!」
すぐ傍に髪を乱した娘がいる。
耳元に聞こえてくるその荒々しい息づかいもまるで獲物に食いかからんとする野獣のそれだ。
けれどもこちらを覗き込む切れ長の目だけはなりきれていない。
葛藤で揺れる人間の瞳だ。
「……本当に……殺する気があるなら……そんなこと言いは……しません……」
「……くっ!」
『死の足音』嬢はこちらさえ見なければ殺しきることができるのだとでも言うように俯いて顔を隠し、力を込めるように唸り始める。
彼女が似つかわしくない全身甲冑を常に身にまとっていた理由。どれだけ喧しい音でモンスターを呼び寄せることになっても着用し続けていた理由。誰とも会話をすることも挨拶を返すことさえも避け、声を隠し続けていた理由。誰もその正体を、名前を、種族を知らなかった理由。毒のこもった状態の甲冑をまとい続け、ダンジョンのなかでも地上でも脱ぐことをしなかった理由。
それらはひとつの事実に集約される。
ならば言うべき言葉はひとつしかない。
「……安心して下さい……僕は……あなたのことを……誰かに言うつもりは……ありません」
フジワラの顔にふいに冷たいものが落ち、濡れる。
『死の足音』嬢の唸り声が嗚咽へと変わる。
そひて首にかかっていた指の力も緩んでいく。
詳しい事情は分からないが、彼女は自分の正体が世間に露見することをひどく恐れているらしい。
顔を見られようものなら殺そうと決意していたほどに。
『死の足音』嬢の身体が急にぐらりと揺れたかと思うと、そのまま倒れこんでくる。
フジワラは慌てて起き上がりそれを抱き止めた。その身体はまるで全身甲冑に入っていたことも、剣を振り回していたことも嘘ではないかと思うほど痩せていて軽い。
ぐったりとした状態で辛そうに呼吸をしている。一度意識を失うほど毒の状態が進行してもなお立ち上がるだけでも脅威なのだ。何事も無く動き回れるわけがない。
「……」
『死の足音』嬢がこちらの話を理解して受け入れたのかどうかはよく分からない。そもそも迷惑極まりない存在である彼女を助ける義理はない。
だがどれだけ考えても、自分がとるべき行動はひとつしか思い浮かばなかった。
◆
まず応急処置である。
倉庫から見つけてきた不気味な首飾りを彼女にかけてやる。これは耐毒の護符。身につけるだけで毒への耐性がつく。事前に身につけていればたいていの毒を防ぐことが可能な代物だ。
但し解毒効果は得られない。彼女の身体はすでに毒によって蝕まれており、それ自体を中和させることはできないのだ。
だがそれでも意味があるのだ。
『死の足音』嬢がうなされている。まるで悪夢でも見るように朦朧とした意識の状態で苦しんでいた。
この状態では付与道具を始動させることは難しい。そもそもこれを使用するにはどこか遠方の特定の地域の地主貴族だかでなければ使えなかったかと記憶している。
何れにせよフジワラがその役目を代行するより他ないだろう。
手のひらに握ったアミュレットに魔力を込めると、そこから溢れ出た淡い光の膜が『死の足音』嬢の身体を包み込んでいく。
「……ふう」
これで毒への抵抗力が強化されたはずだ。
あまり知られてはいないのだが毒を受けてからこのアイテムを使用しても免疫力を上げてくれるので毒の進行を抑えることに一役買ってくれるのである。毒そのものを浄化することはできないがこれ以上症状が悪化することはないはずだ。
唯一腹立たしいことがあるとすれば、この知識が師匠からの受け売りだという点である。
癪だがまあこの状況では仕方あるまい。
「さて」
問題は毒のほうである。
通称『血啜り』。この毒はダンジョン内の罠のなかで使用されることの多い比較的ポピュラーなものだ。肺から体内に侵入、血中魔力を毒素に変化させ、血管を通じて身体に広がる。最初症状は軽く体調不良になる程度だが、放っておくと眩暈、指先の痙攣、呼吸困難と次第に重くなっていき意識が混濁して死に至る。
アミュレットに魔力を注ぎ続けながら、フジワラは店内から物色してきた別のアイテムを取り出す。
硝子小瓶。それは解毒薬(高級品)だ。
栓を引き抜くとスプーンに緑色の液体を注ぎ、それを零さないよう気をつけながら彼女の口へと運んだ。それから鼻をつまんで口呼吸にさせてやり強引に飲み込ませてやる。
これはひと匙分飲むか、傷口にひと塗りするだけでたちどころに毒を中和してくれる優れものだ。
間をみて何度か飲ませてみたが症状が治まらず、繰り返しているうちに結局一瓶空にしてしまう。
それなりに値の張るアイテムなので勝手に使ったことがバレたら師匠に怒られるだろうが止むを得まい。おそらく常人の致死量をはるかに越える量の毒を吸い込んだのだろう。
ここまで耐えることのできる彼女の肉体はまさに驚異と言っていい。
「あとは……」
解毒が済んだところで次に魔力薬を与える。
これは消費された魔力を回復させる栄養剤のようなものだ。彼女の身体は『血啜り』によって毒素に変えられてしまったせいで魔力が損なわれたままだ。血中魔力は、魔術使用において使われるだけではなく生命活動において重要な役割を果たしてくれる。人間は体内を流れる血液の半分に相当する約四万滴分の魔力を失うと、著しい精神的失調に陥るかショック死に至るとされており、その更に半分の量でさえ健康状態を左右することになる。
だから補ってやる必要があるのだ。
手当ての甲斐があり、『死の足音』嬢の容態は次第に安定していった。濡らした手ぬぐいで額の汗を拭いてやる。顔つきも先ほどまでと比べてだいぶ安らいでいる。年齢は十七、八くらいだろうか。
少し頬こけているように見える。
ダンジョン探索がたたってのことだろうが、あの十階層まで独りで往復しておいて、よくまあこの程度で済んでいると言わざるを得ない。
「……もう大丈夫ですね」
フジワラは欠伸を噛み殺す。
このところの『古き良き魔術師たちの時代』はほぼ開店休業中だったので、久しぶりに忙しい思いをした。
とてもじゃないが安い給金には見合わない労働である。
この見返りとして『死の足音』嬢には是非ともこの店のアイテムを買って貰わなければなるまい。駆け出しなのをいいことに要るものも要らないものも押しつけるのも手だ。
そして師匠には是非とも昇給の要請をしよう。こんな大変な思いをしているのだから十倍くらい上げて貰っても文句はないだろう。いやむしろ店ごと貰い受けてしまってもいいのではないだろうか。そうだそうしよう。
などと考えていたらいつの間にかカウンターで眠っていた。
◆
目が覚めると『死の足音』嬢はあの甲冑ごと消え失せていた。
代わりにバックヤードには置き手紙があり、そこには『礼は言わない。貴様が勝手にやっただけの事。私の事は誰にも言うな。広まれば殺す』という文面だけがあった。
何ともまあ介抱しがいのあるお客だろうか。
腹いせにトリスタン老の賭けに乗るという案が頭をよぎらないでもなかったが、彼女の報復を受けるとも限らないので止める事にした。
何よりあの『死の足音』の正体について話をしても誰も信じてはくれないだろう。
「……やれやれ」
フジワラは小さく溜息をつく。
それからまだ目が覚めきっていないぼんやりした頭のままバックヤードから凹みのできた魔法瓶を拾ってくると店を出ることにした。
勿論、珈琲を買いに行く為だ。
ろくなことのない日々なのだからそれくらいの御褒美をもらっても罰は当たるまい。
◆
それがフジワラとアネモネとの最初の出会いだった。
◆
鑑別証『耐毒の護符(無印)』
『汝、アンヴィルの荘園の主に告ぐ、今より喰らうべき毒の比重1/2に見合うだけの血を捧げよ――さすれば世界は抵抗する力をその膚の下に貸し与えよ、咀嚼する力をその臓物に貸し与えよ、糧とする力を血肉に貸し与えよ、すなわちコークリープルの如くあれ』
言わずと知れたポピュラーアイテム。
付与道具のなかでもわりと入手しやすく、ダンジョンを歩く際には地味に役立つ品。
それがこれ耐毒のアミュレットです。
混乱と退廃を極めた暗黒時代、多くの王族、貴族が普段からこの耐毒のアミュレットを身につけていました。
文献によればこの時点ではまだ辛うじて耐毒付与の製造技術が残っていたらしくこだわりや好みに合わせた特注品も多く出回り、流行の一部になっていたようです。
例え日常的に身につけていない者であっても、ディナーテーブルには硫黄反応が分かる銀食器と共に護符を並べさせ、ナプキンをつける前に装着することがあったようです。
これらは言うまでもなく商売敵、政敵を亡き者にする手段としての毒殺が横行していたことが理由であり、耐毒のアミュレットは当時の世相を象徴したアイテムであったとも言えます。
さて使用するにあたっての注意事項はひとつだけ。
それは解毒のアミュレットとは別種のアイテムであるという点です。
耐毒アミュレットは身体の免疫力を強化させることで毒に対しての抵抗力を得る効果を持ちますが、毒そのものを浄化する作用は持ちません。その為、一旦、毒にかかってからこれを身につけた場合の効果についてはあまり期待できず、放っておけば手遅れになります。
施療院へはお早めに!
以上が、『死の足音』ことアネモネが、アンティークショップ『古き良き魔術師の時代』に初めて訪れた経緯である。
後に彼女は常連となり、やがて従業員として働くことにもなるのだがそれについてはまた別の機会に語る事としよう。