小さな髪留め(未鑑定)②
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フジワラはあくびを噛み殺す。
珈琲も飲んだし、頭はだいぶすっきりしている。
寝落ちというとんだ醜態をアネモネと二人の少女に晒してしまったので汚名返上しなくてはいけなかった。
「さて」
鑑定は一通り終わっている。
残念ながらソアラたちが持ち帰ってきた戦利品の大半は品質としては鉄くず同然の品だった。
モスルドスライムの溶解粘膜による金属部分の腐食が散見されており、品質としては『役立たず』の烙印を押さざるをえなかった為だ。
ただそれなりの量はあるのでまとめてこちらで引き取るつもりではいる。業者に売り渡せばそこそこの金額にできるだろう。
まともなものはロングソードが一本とショートソードが三本、それから皮製のバックラーがひとつだけ。
どれも品質はまあまあで『無印』と言ったところだ。
こちらは店では取り扱いがないので引き取る事ができないが鑑別証を作成して、高く買い取ってくれそうな武器店を紹介する事はできそうだ。
「あとは……と」
問題はカウンターにぽつんと残っているそれだ。
小さな髪留めである。
餌場での収穫を詰め込んだナップザックの底にひっそり隠れていたもので、金属ではない為、ほぼ無傷の状態で残っていた。扱いからしてソアラたちはこれが価値あるものだと思ったわけではなく何となく拾ってきたに違いない。
摘み上げて観察する。
素材はサンダーエッグという鉱物の変種であまり珍しいものではない。
ただスライスされた断面には見事な意匠が施されている。
鶏卵大の白瑪瑙の中心に、六分割された円形の黒オニキスが鎮座しており、それをサードニクスの赤が薄く縁取っている。
小さな花弁のように見えるそれは工芸師の手によるものではなく時間と偶然が設計した結果。
そして人の手は、別の箇所に施されているようだ。
呪文を唱え指先から魔力を送り込むと、予想通りの反応が起きる。
艶やかな表面の全体に青く細かい筋のようなものが走り、広がり、模様を形成していく。単眼鏡を近づけ拡大してみたそれを構成するのは無数の魔術文字。
「ふむ」
疑いようもなくそれは付与道具だった。
◆
『汝、愛しき童髪の君に告げる、その長き栗毛を九つ捧げろ――さすれば世界は息吹け、蕾め、咲け、そしてたおやかに包め、ザンザミシカの花弁のごとく』
フジワラが魔術回路を読み解き、その内容について要約したものだ。
それは主に三つの約款によって構成されている。
すなわち道具の能力を使用するための『資格』、能力を使う際に支払うべき『代償』、世界から得ることのできる能力/魔法現象である『報酬』である。
まず『資格』についての記述は『汝、愛しき童髪の君に告げる』までである。
このくだりにある『童髪』は一部の地方において通過儀礼を果たす前の少女の髪形を示している。
つまり「未成年の女性」であればだれでも使用できると解釈すればいいだろう。
次に『代償』についての記述だがこれは『その栗毛を九つ捧げろ』となっている。
髪の毛を代償にすることはたまにある。そこに含まれる魔力は一本につき血液三十滴に相当するとされており、この手ものは使用後、捧げた分だけの毛が抜け落ちたり、白髪になるなどの副作用があったりもする。
このくだりで注意したいのは『栗毛』に含まれる魔力を捧げる事が条件になっていることだ。
つまり栗毛の持ち主でなければこの付与道具は使えないという事である。
そして『報酬』についての記述は『さすれば世界は息吹け、蕾め、咲け、そしてたおやかに包め、ザンザミシカの花弁のごとく』となっている。
前半の、世界に対する要求は独特の言い回しになっているが、要するに『バレッタ周辺に防御障壁』を展開させるという意味。防御障壁は魔力によって構成された、目に見えない物理的な壁である。
そして『サンザミシカの花弁』が表しているのはその強度。妖精が寝具として使っていた厚く柔らかい蘭の花弁は、あまり強度のあるものではなく硬皮兜を被った程度とされている。
おそらくこれは子のいる親による作品に違いない。
まだ自らの身を守る術のない子供の身を案じ、怪我をしないようこれを身につけさせようと考え作られたのだ。
正直あまり効果の強いものではないがある程度のモンスターの攻撃であればダメージを軽減する事ができる。
それに重量を感じさせない防具としてのメリットは大きいだろう。身軽さを武器とする盗賊や、魔術で細かい身振りを必要とする魔術師など装備できる防具が限られている職業にはおいしいアイテムだ。
勿論、付与道具である以上、売ればそれなりの大金にもなる。
そもそも駆け出しの探索者が付与道具自体を手に入れる機会はあまりないのだ。
どうするかは彼女たち次第だが、これは今回の地下五階の攻略に相応しい、立派な戦利品といえた。
◆
「結構、お金になったね」
「うん。品質の悪い剣も、引き取ってもらえてよかったね」
店長さんの鑑定によって幾つかの装備品は、期待以上の金額になった。
またダンジョンから持ち帰った殆どの金属類は、モルドスライムの粘液によって溶解しており鉄屑同然だと判明したが、同様に引き取って貰うことができた。
素材自体を再利用できるので専門の業者や鍛冶屋などが買い取ってくれるらしい。
結果として、今回の探索はこれまでにない収入になっていた。
リンネは、ソアラとともに『古き良き魔術師たちの時代』を後にして、都市の中心部にある商店街へと向かっていた。
目的は主に消耗品や、装備品の調達。
次のダンジョン探索の為にいろいろ買い込まなくてはいけなかった。
薬草よりはヒーリングポーションが欲しかったし、もしもに備えて鎮痛剤などの各種医薬品も揃えておきたい。糧食もできる限り栄養価が高くて、贅沢はいわないが味付きの物がいい。
でも大丈夫。
懐には幾分か余裕があるのだから。
予定よりも多少、質の良い物を購入しても問題ないだろう。
あと問題があるとすればひとつだけだ。
「これ、本当に貰って良かったの?」
リンネはローブのポケットから取り出して、何度目かの確認をする。
手にしているのは自分には身に余るような品――小さな黒い花びらの柄のあるバレッタだ。
一度は貰えないと断っているのだが、ソアラが「魔術師でも身につけられる防具なんだから装備しなきゃ損だ」と言って強引に渡されてしまったのである。
「だって六階に行けたのはリンネのおかげだもの」
「でも私だけじゃ三階にも辿り着けないよ。それにモンスターは殆どソアラちゃんが倒してくれたんだよ?」
これはただの髪留めではなく、付与道具『守りの髪留め』だ。
売ればそれなりの額にすることができる。
実際店長さんの提示してくれた金額は数ヶ月はそこそこ贅沢な暮らしができるだけのものだった。
リンネは姉の元で暮らしているので現在のところはお金に不自由してはいない。
だがソアラは故郷を出て、独り宿屋に部屋を借りて生活している。
あまり口にはしていないが生活がかなり厳しい事も薄々は知っている。だから本当なら少しでもお金があれば欲しいと思っているはずなのだ。
「ちょっとそれ貸して」
ソアラが手を差し出してくるのでほっとして、バレッタを渡した。
ようやく売る気になってくれたらしい。
今ならまだ『古き良き魔術師たちの時代』も遠くないので、戻って換金してもらう事も容易かった。
だがソアラはリンネの後ろに回わり込むと、髪を結い始める。
「……じっとしててね」
「え……あ……う」
「リンネに声をかけられたときすごく嬉しかった」
「……」
「……僕はね、君とパーティになれて本当に良かったと思ってる。だからそのお礼ができたらいいなって思ってたんだ……さっ、できたよ」
「ソアラちゃん」
「よかった。それすっごく似合ってる」
「……ありがとう」
リンネは頷いった。ソアラがそう言ってくれる以上、もうそれを外してお金に換えようなどとは言えない。
申し訳ない気持ちはあったけれど素直に貰っておく事にした。
代わりにリンネは手を差し出した。
「これからも宜しくね」
「うん。六階も頑張って攻略しようね」
そしてその手をソアラの手が優しく握ってくれた。
もう片方の手には市街地の地図があった。
そこには昨日の夜、姉たちにアドバイスをもらいながらチェックした雑貨屋や武器屋の位置や情報などが書いてある。
これからそれらの店へ回って買い物をするのである。
一緒のパーティになれて良かったと思っているのは自分も同じ。
今の自分は何かをお返しすることはできないけれど、せめて頑張ってソアラを道案内しよう。
リンネはそう思った。
ふたりでそのまま手をつなぎ、暖かい日差しの歩道を歩きだした。
◆
「えっと……この毒々しい色のビスケットは何でしょう?」
「『太陽を見上げる土竜』亭で焼いて貰ったんだ」
「はあ」
「食べればきっと頭がしゃっきりすること受け合いだぞっ」
フジワラがカウンターに置かれた皿に改めて目を落とすと、そこに盛られているビスケットはいつもと違いかなり原色に近い色合いをしていた。
またその匂いも甘い香ばしいものではなく刺激臭に近くお世辞にも食欲をそそるとは言えない。
そのうちのひとつを摘むと恐る恐る尋ねてみる。
「この赤いのは?」
「大量の赤唐辛子が入っている」
「この緑色のは?」
「青唐辛子だ」
「この青色のは?」
「ミントだ」
「この黒いのは?」
「胡椒だ」
「……」
「ん? どうした食べないのか?」
暫く経ってから『太陽を見上げる土竜』亭から売りに出されたそれらのビスケットが探索者の間で好評を博すことになる。
その用途は主に、ダンジョン探索中の眠気や混乱状態の回避としての気付け薬、または暇潰しの罰ゲームとしてという事らしかった。
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鑑別証『守りの髪留め(無印)』
『汝、愛しき童髪の君に告げる、その長き栗毛を九つ捧げろ――さすれば世界は息吹け、蕾め、咲け、そしてたおやかに包め、ザンザミシカの花弁のごとく』
魔術回路の記述にある宵春の胡蝶蘭にまつわるエピソードとしては童話『真夏の夜』が有名である。これは『古き良き魔術師たち』の時代よりも遥か昔にあったとされる出来事が元になっており、宰相の謀略によって城を追われ妖精女王の花園に逃げ込んだ小さな王子とその妹君を助けるために妖精たちが美しい蘭の花弁を巨大な盾に変えて、追っ手として召喚された七匹のキマイラによる侵攻を三日三晩防ぐという場面が登場する。
おそらくはこの付与道具はその物語になぞらえて作製されたのではないだろうか。小さな子供のために造られたものであることは魔術回路の解析内容からも明らかであり、署名すらない無銘のアイテムながら道具そのものの完成度も非常に高いことからも、造り手のこれを使う者への深い真心が感じられる。
さてこの付与道具を使用することで発生する魔術障壁についてであるが、残念ながら先に述べた逸話のような効果は期待しないほうが良いだろう。バレッタを中心に花の形をした小盾が出現し、その防御力は比較的弾力のある硬皮兜くらいの硬さである。巨鬼人の振りかぶる棍棒を防ぐことはできないが、全力で殴りかかってくる小鬼の攻撃ならノーダメージに抑えることができるはずだ。
以上が、ソアラとリンネが『守りの髪留め』を手に入れた経緯である。
結果的にこのささやかな付与道具がふたりの命を救うことになるのだがそれはまた別の話だ。