心裏の声
「で、響子姉はどんな感じ?そういえば真夏の魔除けって出来た?」
三年のベッド横に座っている響子に声をかけ、向かいに腰掛ける。
「この子の手配は終わったけど、私は力の回復より消耗が激しいの。今日もまたじゃない?ミーちゃんが来てから、私の裏の仕事量が増えたもん。」
頬を膨らます響子だが、サポート側の能力者ゆえだ。
「仕方ないだろ、俺だって好きで怪我して来ない。最近鬼が異常に多いのが原因で、これでも俺は被害者だぞ。」
人の心が荒んで来ているのか、形を成して鬼となった魔が徘徊する世の中である。
「それって、変な事件が多いのと関係ある?」
真夏にもはっきりと鬼が見える為、たくさん人に憑いている事が認識出来た。
「これだけ鬼がウヨウヨしていればな。その三年も鬼が二体憑いていただろ。」
椅子の背に倒れる様にして天を仰ぐ海里。一度に複数体を相手にする事が出来ない為、この様な症例が増えれば不利になる。
「うん、デカイのが二つもね。瑞穂って接近戦型だから、たくさんいるとキツイよね。けど、鬼は全部が人に憑くの?」
真夏が退魔戦を見た事があるのは海里のだけだが、能力者が複数いるのならば各所で繰り広げられているはずだ。
「心が弱っている子には、どうしても憑きやすいわねぇ。今は子供もストレス社会だから、自分を強く生きていくのが難しいのよ。」
悲しげに話す響子は、保健室に来る生徒達を思う。
「かと言って、部屋に閉じ篭る奴に同情しない。自分の居場所は自分で作らなきゃならないんだ。子供も大人も関係ない。」
海里自身、力がある為に孤立もしたし周囲との隔壁もあるのだ。
「瑞穂は強いな。けど、その強がっているところが護ってあげたいと思わせるんだよねぇ。」
「変態真夏。お前は言い方が嫌らしいんだ。」
軽く溜め息をつきながら告げる真夏に、横から冷たい視線を投げる海里である。
「うふふ、仲が良いわねぇ。ミーちゃん、成田君と何処まで行ってるの?」
至極楽しそうな響子は、二人を交互に見ていた。
「馬鹿がいる…。ったく、ありえないだろ。男同士でどうなるって言うんだ。」
怒りを通り越して呆れる海里である。額に片手を当て、溜め息をつきながらうなだれた。
「あら、男同士の恋愛もあるのよ?女同士だって勿論。恋愛に性別は関係ないもの~。」
遠くを見る響子は、その手の作り話が好みの様である。
「アホくさ、響子姉の妄想に付き合ってられない。真夏、帰るぞ。」
掌をヒラヒラと振りながら立ち上がる海里だが、真夏は動く気配がなかった。
「どうした、真夏。おーい、聞こえてるかー?」
「うわっ!?」
真夏の顔を覗き込んで海里が目の前で手を振っていると、突然我に返って驚き後に倒れる。
「何だ、失礼な奴だな。ん?どうした、顔が赤いぞ?」
海里が近付こうとすると、両手を思い切り振る真夏。
「な、何でもないっ。」
「ちょっと待て!」
逃げようとする真夏の両手を力強く掴むと、海里はその目を真っ直ぐ見た。
「…うん大丈夫、魔がさしてはいない様だな。ほら、行くぞ?」
瞳の奥を見る事で、真夏の心裏を確認する海里。心が弱っている今の真夏は、通常に比べて魔がさしやすいのだ。
「う、うん。…あれ?何だったんだ、俺。ちょっと待って、瑞穂。一度家に電話するからさ。」
昨日に続き、今日も海里の家に泊まる旨を伝えなくてはならない。
「あぁ、ついでに明日もって伝えておけよ。今の響子姉、いつになるか分からないぞ?真夏自身の心が回復すればもう、一人で出歩いても大丈夫なんだけどな。」
二人共立ち上がり、響子に視線を向けた。
「何よぉ、私のせいじゃないもん。それに、魔除けが無くてもミーちゃんがいるから大丈夫よ。」
にこやかに手を振る響子に、海里は後ろ手に手を振り返す。
「四六時中俺が側にいられないだろうが。んじゃ、響子姉は頑張って回復してくれよな。」
そのまま保健室を出る海里を、真夏は響子に会釈をしてから追い掛けた。
「橘先生が魔除けってのを作ってくれれば、俺はもう大丈夫なの?鬼の姿を見なくなるのかな。」
首を傾げる真夏。今までの生活に戻れるかの不安感が込み上げる。
「…真夏の目覚めは半端だから、もしかしたらって事もある。」
複雑な心境の海里は、真夏に表情を見られない様に答えるのだった。
「うん、そうだよね。あ、携帯貸してくれる?俺の電池切れてる。」
真夏は無理に明るい表情で鞄から携帯電話を出して開くが、すぐに閉じて海里に訴える。
「あぁ…っうか、充電しとけって。昨日は使えただろう。」
いつもの表情に戻り、すぐに真夏に携帯電話を差し出した。
「ありがとう。あ、瑞穂のと同じメーカーだから帰ったら充電器貸してねっ。」
笑顔の真夏は、少し離れて自宅に電話をし始める。
「…明日まで…かな?」
「何が?」
ボンヤリと空を見ていた海里は、突然真夏に声をかけられて目を見開いた。
「な、何だよっ。もう終わったのか?」
心臓を押さえながら問い掛ける海里に、思わず大笑いする真夏である。
「あははっ、瑞穂の驚いた顔…初めて見たっ。うん、親には電話したよ。ねぇ、瑞穂の携帯に俺の番号登録して良い?」
そして了解を得る前に海里の携帯をいじりだした。
「良いけど…って、もうやってんじゃん。」
「はい、ありがとうっ。んじゃ、瑞穂の家に帰ろうか。」
登録し終わった携帯を海里に手渡し、今にもスキップしそうな真夏である。
「何だよ、急に明るくなって。っうか、そっちは逆だぞ。」
鞄を肩に担ぎ、校門を出て反対側に歩いて行く真夏を呼び止めた。
「あ、こっちは俺ん家の方角だった。瑞穂の家はこっち…、鬼発見。」
振り返った真夏の視線の先に一体の鬼が歩いている。
「あぁ、徘徊しているレベルなら大丈夫さ。そのうち狙いを付けて人の後を付け出す。」
事もなげに答える海里は、鬼を見ても常に退魔する訳ではなかった。
「そうなの?けど、野良猫みたいだね。最近、街じゃ野良猫をあまり見かけなくなったけど。」
鬼を横目に見ながら、二人は通りすがる。
「あぁ。…あまりじっと見ていない方が良いぞ。他の人には見えないものだし、鬼にも好かれる。」
海里はただ前を見て歩いていた。不必要に鬼を見たくないと言うのもある。だが今は、真夏の護衛が優先なのだ。
「うん、なるべく気にしない様にするよ。…ねぇ、瑞穂の携帯は仕事用?」
マンションに到着し、エレベーターを待つ二人。少し言いにくそうに真夏が口を開く。
「ん?特に意味はない。ただこの携帯は、響子姉が不便だからって買って来たんだ。俺はいらないんだけどな。」
海里の携帯電話のメモリは、00番に響子が自身で登録した。そして01番は真夏である。
「だから、俺が01番な訳ね。でも何か嬉しいなって思ってさ。」
先程急に真夏が元気になった理由は、これだった様だ。
「何だ、それ。っうか真夏って、喜怒哀楽激しいよな。見てて面白いくらい、コロコロと表情が変わる。」
エレベーターに乗り込むと、ガラス越しに外の景色が下がって行く。
「そうかなぁ?瑞穂の方が分かりやすいけど。着いた、2007だったよね。」
にこやかに入口に立つ真夏。海里は視線を向けただけで、何も言わずに鍵を開けた。
「ただいま~、お帰り~。」
一人で楽しそうに部屋に入って行く真夏を玄関で見送る。
「元気なのは良いが、靴くらい揃えて行けよ。」
文句をいいながらも、真夏と自分の靴を揃えて中へ入った。
リビングへ行くと、真夏がソファーに猫の様に丸まっている。
「何だ、どうかしたのか?」
鞄を近くに置くと、その横にしゃがみ込み真夏の顔を覗き込んだ。
「…寝てるのか?」
海里が髪を撫でても起きそうもない。
「まぁ、初の力の解放は消耗が激しいからな。このまま寝かしておくか。俺も眠いが、真夏が起きた時に食事が何もないと可哀相だな。何か用意しておくか。」
海里は立ち上がると、荷物を部屋に片付けてからキッチンに向かった。
「…はい。」
携帯電話の振動に、画面を確認する事なく通話する。
「…分かった、今から行く。」
電話の相手は響子であり、仕事の依頼だった。
海里は用意した食事にラップをかけて皿ごと冷蔵庫に片付ける。そして真夏の側に歩み寄って状態を確認。
「行って来る。」
真夏にハーフ毛布を被せると、目に付く場所に置き手紙を置いた。
「ここか。もう警察が取り囲んでいるから、正攻法は駄目だな。んじゃ、上かな。」
海里は響子から連絡のあった上手駅のビル街に来ている。
マキタリ建築のビルに強盗が侵入、社長他社員五人を人質に立て篭もっているとの事だ。
「警察沙汰になると、一通り筋を通さなきゃだから面倒なんだよな。」
文句を言いながら隣のビルの非常階段を駆け登る。
「まぁ、銀行強盗じゃないからまだ警備が手薄だな。昼飯食べてないから、早く済まして帰りたいな。真夏が寝ているうちに帰れれば良いけど。」
ビルの屋上迄登りきると、すぐさま目指すマキタリ建築のビルへ跳び移った。
仕事上、あまり人の目にとまってはならない。
「潜入成功。さてと…。」
素早くビル内へ入り込み、少し身を隠して心裏の声を探す海里。
『…悔しい…、恨めしい…。何で俺が…、リストラなんて…。あんなに会社に尽くしてきたじゃないかっ。あんなに…、あぁ…苦しい…。』
魔がさした者の心の叫びだ。
「ったく…心で叫んでたって、皆に伝わらないだろっ。」
声の聞こえる方へ走り出す海里。
三階の奥にいるらしく、既に四階迄下りてくると人の気配を感じられる。
『警察はまだ、建物内に突入してはいないんだな。その方が都合が良い。ただでさえ人質がいてやり辛いんだ。』
立て篭もり現場である部屋の隣に移動した。
「…のかっ?誰が先に逝きたい?」
隣の声が聞こえて来る。犯人が人質に叫んでいるようだ。
「楽しいな、楽しいな。」
『嫌だよ、嫌だよ。』
海里には、心裏の声との二重音声になる。
「お前達にはここで先に逝ってもらって、俺はその紅いプールで泳ぐのさ。イヒヒヒヒッ。」
『嫌だ、人を殺したくない!』
はっきりと心裏の拒否が聞こえた。
「心裏が助けを望むなら手を貸そう。」
手にした白光の剣で壁を大きくくり抜き、中へ入る海里。
犯人も人質となった六名の視線も皆一斉に、壁を断ち切って入って来た者を見る。
だが突然放たれた精神波の光に、全ての人はその意識を失ってしまった。