真夏の力
辛い時に感情を押し殺す海里。
「瑞穂…。辛い時は、辛いって言って良いんだよ?」
真夏は海里に優しく告げる。
「ふん、言ってどうなるものでもないだろう。俺が退魔の力を持っているのは、何か意味があるのだろうからな。やれるだけやるさ。真夏は離れていろよ。」
海里も15歳の少年だ。強がってみせているが、不安も恐怖も感じない訳がない。
それでも、魔がさした者を救いたいと強く願う気持ちが海里を突き動かしていた。
「うん、気をつけてね。」
距離をとるにしても、真夏自身が魔に狙われている。海里の邪魔にならない様にしつつ、自らを守らなくてはならなかった。
「くそっ、必要以上に大きくなりやがって。残量半分の俺に何処までやれるか…。」
海里の力を示す首元のペンダントは、昨夜の三日月から半月程に回復している。
「殺す…殺す…殺す…。」
ブツブツと呟き、焦点の合わない視線を海里に向けた。
「はいはい、殺してみなよ。」
海里は白光の剣を肩で軽く弾きながら、魔を挑発する。
「殺すーっ!」
魔に憑かれた三年生が駆け出した。体格の良い彼の拳が振り回されるが、海里は最小限の動きでかわす。
二体の魔は憑いた少年より大きく、レスラーか相撲取りが隣に立っている様だ。
「無駄に体力使えないんだ、そんなに腕を振り回すな。」
魔は憑いている本体である人間の痛みは分からない為、過度な動きと力を発揮する。
100%の力を常に出していては人間の肉体が持たず、少年の身体は皮膚が裂けて骨が露出し出血していた。
「くそっ…さすがに二体いると、隙が見えない。」
攻撃を避ける事は容易だが、宿主を傷付ける訳にもいかない。海里は防戦一方になり、決定的なダメージを魔に与えられずにいた。
「瑞穂、危ないっ!」
真夏の叫び声が響く。
少年から放れた一体の魔が、勢い良く海里に飛び掛かって来た。
「…ぐっ!」
即座に白光の剣を突き出し、鬼の様な角がある頭部を貫く。だが魔は黒い霧となる前に、海里の身体を鎌の様な腕で切り付けていった。
「はぁ…はぁ…。ったく、やってくれる。学生服がもう駄目になったじゃないか…。」
海里は自身の状態を確認する。
胸元は大きく切り裂かれ、右肩から左脇腹付近にかけてエグる様に肉が削れていた。
「内臓に達する傷は…ない。肩が…一番酷いな。手は痺れがあるが…まだ動く。」
右手の開閉をする海里だが、出血が酷く学生服のスボンは色が完全に変わっている。
「み、瑞穂っ…。」
半泣きの表情の真夏に対し、海里はあくまでも冷静だ。
「うるさい、俺のミスだ。だけど、一つ困った事がある。攻撃手段がなくなった。」
肩で息をしている海里の手から白光の剣が消えていて、既に体力も精神力も限界を超えている。
「血…血…血…。」
もう一体の魔は、ブツブツと呟きながら攻撃方法を模索していた。
「ヤバいよ、凄い血だよ…瑞穂っ?」
周囲の魔を避けながら海里に近付くが、真夏が辿り着く直前にフラリと揺れる様に倒れる海里。
そしてそれを狙っていたかのように、魔は少年から放れて海里に飛び掛かって来る。
『その身体をもらうっ!』
魔が好むのは精神力の強い人間。退魔の力を持っている今の弱った海里は、最高の獲物だった。
「い…嫌だーっ!」
真夏は駆け寄って海里を抱きしめ、護る様に自身の背を魔に向けて叫ぶ。
魔が触れるその瞬間。真夏から朱色の光が放たれた。
時が止まった様な静寂に包まれる。
「…っ…痛…。」
意識を取り戻した海里は、周囲の状況把握に時間がかかった。
「…俺…意識を失っていたんだ。…おい、真夏?大丈夫かよ。」
自身を抱きしめている真夏に声をかける。
「んあ?…あ、瑞穂ぉ!良かった、良かったぁ。」
海里を確認した途端、強く抱きしめる真夏。
「いたたたたーっ、馬鹿っ!死ぬだろっ!」
拳を真夏の顎に当てた。
「ごめぇん。あれ、傷口が…。」
海里の胸元に視線を移して気付く。
「…消えてる?」
海里の全身を赤く染めていたエグれた様な深い傷が、服についた少しの血痕以外は跡形もなく消えていた。
「どうして?って、何で朱色の光に包まれて…魔が浮いたまま止まってる?」
真夏は自身の力に気付いていない。
「へぇ、攻撃補佐か。まだ偶発的な力の発生らしいけど、本当に覚醒したら便利だな。この朱い光が真夏の力か。傷も治ったし、俺の力もフルチャージされた。よし、いける。」
理解していない真夏を余所に、海里は楽しげに立ち上がった。
胸元のペンダントは満月の様に白く輝いている。
「青。」
海里は右手に力を集中させ、青銅色の球体を作った。
「はい、ゲームオーバー。」
そして真夏の朱色の光に触れて宙に停止している魔に投げる。
『覚えていろよ、退魔師!』
捨て台詞を残し、青の収縮と共に黒い霧に変化した。
「な、何か捨て台詞言っていったよ?鬼的な顔して完全に戦隊ものの悪役じゃん。ってか、黒い霧になってからどうなるの?」
魔の消滅と同時に真夏の朱色の光も消える。
「あ、真夏の光も消えたな。無意識の防御か…。あいつ等鬼は元から人と共にいる。人が生み出した邪気を吸収して成長するんだ。あの黒い霧は形をとる前の状態さ。」
学生服の埃を払いながら、ペンダントの残量を確認する海里。
「形をとる迄にかなりの邪気を集める鬼にとって、退魔の力は全てを無に帰すもの。で、俺の存在が疎ましいって訳。」
海里が幼い頃から魔に襲われ続けて来た理由だ。
「じゃあ、瑞穂は鬼を殺すんじゃないね。本来在るべき姿に戻しているんだ。…で、さっきの朱い光は俺?鬼の動きが止まっていたのも…。」
基本楽観的思考の真夏は、自身の事に理解がついていかない。
「真夏は回復と守護の力を持つみたいだ。俺の傷も力も回復した。さっき青を使ったから、今は残り半分だけどな。で、魔の動きを留める事も出来るみたいだ。」
ペンダントをちらつかせながら淡々と告げる海里だが、真夏に『瑞穂は鬼を殺すんじゃないね』と言われた事が内心嬉しかった。
「そっか、俺が瑞穂の助けになれれば良いな。あの三年生どうするの?大丈夫かなぁ。」
青の力の影響もあり、完全に魔から解放された少年を指し示す。だが倒れたまま動かず、肉体的ダメージも見て取れた。
「とりあえず、響子姉のところにつれていくか。俺等よりも教員の方が良いだろ。」
海里は三年生を起こそうと歩み寄る。
「うん、そうだね。けどこの三年生、体格良すぎじゃない?俺達で保健室に連れて行けるかなぁ。」
同じ様に少年に近付く真夏だが、明らかに二人より10cm以上背が高かった。
「仕方ないだろ。正直、俺もやりたくない。」
不機嫌そうに三年生を左肩に担ぎ上げる。
「あ、手伝うよ。そういえば、俺も瑞穂に保健室迄連れて行ってもらったんだよな。」
真夏も反対側から肩で担ぎ、二人で保健室に向かった。
「失礼します。」
保健室の扉をノックして入室する。すぐに響子と視線がぶつかった。
「何、またミーちゃんと成田君?あらあら、何か激しいわねぇ。」
響子は三人の状態を確認する。
「成田君の血痕は本人じゃないわね。三年生君はひどいなぁ。で、ミーちゃんはどうしたの?制服ボロボロだけど、怪我してないような…。」
三年生をベッドに横たわらせ、詳しく診ていった。
「そいつは鬼が二体憑いていた。意識ゼロ、肉体損傷も激しい。回復の見込みは20%ってとこかな。俺は真夏が治してくれた。まぁ、まだ偶発的だけどな。それより、学生服二着早急に欲しい。」
海里は自分の見立てと入学二日目にしてボロ雑巾と化した制服を注文する。
「うん、三年生君は応急処置して病院に行く事になるわね。で、ミーちゃんと成田君の制服はもう用意してあるぅ。奥の控室にあるから、二人共着替えておいで。」
保健室の奥を指差し促した。
「サンキュー、響子姉。行こうぜ、真夏。」
「あ、うん。ありがとうございます、橘先生。奥を借ります。」
海里は軽く手を挙げただけだが、真夏は深く頭を下げて礼を言って控室に入って行った。
「わぉ、凄くたくさんあるじゃん。五着ずつって、いくら俺でもこんなに…使うかも。」
控室のロッカーには、海里用と真夏用の制服がそれぞれ五着用意してある。
「瑞穂、中学生の時もこんなだったの?…何で言うか、橘先生の様な補佐してくれる教師がいたのかなぁ。」
新しい学生服に袖を通しながら、真夏が問い掛けた。
「…まぁな。俺はどちらかと言えば裏稼業だから、能力者の団体が何かと手配してくれるんだ。あの三年生もそっち系の病院に入るはずさ。…お、ちゃんと下着まで用意してあるじゃん。」
海里は出血の為に学生服は勿論の事、下着まで着替えなくてはならない。
「能力者の団体って…堅気な仕事じゃない感じだね。瑞穂…昨日も思ったけど、トランクスなんだね。俺はボクサーだけど。イテッ。」
下着姿をマジマジ見られ、海里は真夏に軽く蹴りを入れた。
「どっちでも良いだろっ!ったく、真夏は時々変な事を言う。」
ブツブツ言いながら着替えを済ます海里に、真夏は壁にもたれ掛かり首を傾げる。
「そう?俺は瑞穂の事気に入っているから、親しげに話しているだけだよ。…ってか、薄く傷痕残ってるね。」
そっと海里の胸元に手を差し出した。
「…これくらい大した事ない。ありがとうな、真夏の力のお陰だ。」
カッターシャツの前を開けたまま、真夏に照れた笑顔を見せる。自分の一瞬のミスが原因で受けた傷だからだ。
「あ、それ。俺ってどうやったのか、全く覚えていないんだよね。本当に俺なんだよねぇ?」
着替えを再開した海里に背を向け、控室の扉を開けて保健室内を覗く。
「まぁ、力は使えるに越した事はない。でも…覚醒してほしくない気持ちもある。」
着替え終わった海里も真夏の後に立っていた。
「何で?良く分からないけど、ちゃんと人の傷を治す事が出来るならあの三年生だって…。」
真夏は首を傾げながら振り返る。
「…普通の生活が出来なくなるからだ。」
瞳の奥に少し悲しげな光を見せる海里だが、すぐに背を向けて脱いだ服を纏め始めた。
「瑞穂が一緒なら俺は良いよ?まぁ、まだ鬼の姿に慣れた訳じゃないけどさぁ。」
あまり深く考えていないのか、海里の言葉の真意を問わない。
「力が合ってもなくても、真夏は真夏だろ。ただ、皆が俺の様な考えではないと言う事さ。ほら、行くぞ。」
既に脱いだ服を手にしている海里は、真夏に退出を促した。
「あっ、待って…って、これどうするのさ。」
血の付いた服を持ち上げ、慌てて海里の後に続く。
「いらないから焼却炉に持って行くんだ。知らない奴が見たら、何かと面倒だろ。」
「あ、そっか。」
そして響子に紙袋を貰うと、二人分の汚れた制服を詰める海里だった。