捕食者と
「もしかしてぇ…接触されたぁ?」
結界内に入れる程の強力な魔は、人間に接触するだけで精神力を捕食する事が出来る。
「…あぁ…。」
気まずそうに真夏に視線を向ける海里。まさか、真夏の姿をしていたとは言えない。
「そっかぁ、成田君の姿にでも見えたのぉ?…ふぅん、分かったぁ。んじゃぁ、報告を入れておくわねぇ。あ、今日も杉田先生の所に行くんでしょぅ?」
鎌を掛ける言葉に海里が赤面したのを確認して、然しながらそれ程にも強力な魔の存在を組織に報告する義務もあった。
「卑怯だぞ、鎌掛けやがって…。」
拳で赤面した顔を隠すようにしている海里だったが、響子は全く怯まない。
「あらぁ、そうじゃなきゃ警戒心の強いミーちゃんが簡単に魔に触れられる訳がないものぉ。あっ…それともぉ、成田君に抱き着かれて興奮しちゃったぁ?私はその方が面白いけどぉ。ねぇねぇ、何されたのぉ?」
完全に興味本位だ。興奮と言うより、真夏じゃないと分かっていても攻撃出来なかったのである。
「ちっ…、人事だと思いやがって…。ってか、元はと言えば響子姉が悪いんだぞっ。人ん家に夫婦喧嘩しに来やがってっ!」
最早売り言葉に買い言葉だ。
「あらぁ、ちゃんと私は真田君と仲直りしたわよぉ。ミーちゃんが気を抜くからぁ、結界内に侵入出来るような強力な魔に憑かれるんじゃないのぉ?」
「えっ?…海里、魔に憑かれてるんですか?」
響子の言葉に先に驚いたのは真夏である。
「うん。あっ…成田君、ミーちゃんをギュッと抱きしめてみてぇ?魔が見えるかも知れないわよぉ?」
「なっ?!」
今度の驚きは海里。話の展開が読めていなかった。
「はい。」
「うわっ!?」
素直に抱き着いてきた真夏に海里は何も出来ず、頭の中がバチバチと火花の様に弾けるのを感じる。
「あ…魔がいる。海里の身体に巻き付く様に、赤い蛇の様な…。」
触れ合う事で、真夏の視界にも魔の姿が認識できた。
「…っ、放せっ!」
苦痛に表情を歪める海里は、抱き着いた真夏を引きはがそうとする。魔が苦痛を感じているのか、海里の頭の中に電撃が走るのだった。
「放しちゃダメよぉ、成田君。貴方の能力に魔が苦しんでいるのぉ。ミーちゃんを助けたいならぁ、早くその魔に出て行ってもらうのよぉ?」
響子がその手に何かを集めている。恐らく、魔除けの力を集中しているのだ。
「け、けど海里が苦しそうっ!」
自分が抱きしめる事で苦痛を感じている海里を見ていると、思わず力を緩めてしまう。
「ダメよっ!?…ミーちゃんを引き止められるのはぁ、成田君だけなんだからぁっ!」
いつにない必死な響子の声に、真夏は歯を食いしばる海里の唇に己のそれを重ねた。
一瞬静寂が訪れる。
「っ!?」
次の瞬間、大きく痙攣した海里の背中から血の様な赤に染まった2メートル程もある蛇が抜け出した。
「成田君、退いてっ!」
すぐさま響子が駆け寄り、その手に集めていた能力を海里のペンダントに当てる。
キューンと高音の弦を弾いた様な音が頭の中に響いた。
「かはっ!」
吐く様に、海里の口から30センチ程の小さな赤い蛇が出る。
「あっ!?海里っ!」
フラリと崩れる海里を抱き留めた真夏は、逃げようとする赤い大小の蛇を朱色の能力で覆った。
「っ、逃がさないよ…。」
真夏が冷たく言い放つ。
「…俺が形を切る。白。」
抱き留められている海里が荒く肩で呼吸をしながら、その手に白い短剣を持って再び自らの力で立った。
だか今の残っている力では、短剣一つ作り上げるのが精一杯だった様である。
「海里…っ!?」
ふらつきながらも何とか立っている海里は、身動きのとれない赤蛇に白光の短剣を投げ付けた。
それは真っ直ぐ小さな赤蛇を貫き、大きい方に突き刺さる。
「…っ、後は…頼む…っ。」
再び意識を失って倒れる海里を抱き留めた真夏は、形を失って黒い霧になった魔を朱色の結界の中で光に変えた。
「凄いわねぇ、ミーちゃんと成田君のコンビネーションはぁ。」
事の成り行きを見ていた響子は、ゆっくりと二人に歩み寄る。そして海里の額に手をあてて状態を調べるのだった。
「大丈夫なんですか?」
心配で仕方ない真夏は、海里を抱き留めたまま響子の言葉を待つ。
「そうねぇ…少し強引に魔を抜いたから、自然回復なら時間がかかりそうだけどぉ。成田君、ミーちゃんを回復させられるぅ?」
「あ、はい。…けど海里はもう、俺の力で痛みを感じませんか?」
先程の状態に不安が残っている真夏は、海里に対して能力を解放する事に抵抗があった。
「大丈夫ぅ。もう魔は抜けたからぁ、成田君の力に拒絶反応を起こしてしまう事はないわよぉ。元々ぉ、ミーちゃんと成田君は対の能力者だからねぇ。」
真夏は海里を抱き上げベッドに運ぶが、響子の言葉に首を傾げる。
「対って…、何ですか?」
響子に問い掛けつつ、ベッドに寝かした海里の衿元を緩める。制服を脱がすか迷った真夏は、視線を響子に向けた。
「あっ、ハンガーあるわよぉ?」
手近にあったハンガーを真夏に見せながらも質問に答える事はなく、響子は上手く海里の半身を起こしながら上着を脱がす動作を見ている。
「上手いものねぇ、慣れているのかしらぁ?」
「変な感心の仕方をされても困ります。いくら俺でも、男にこんな事をするのは海里が初めてですよ。」
上着をハンガーに掛けて、海里のベッド横に腰を下ろす真夏。そして布団から出した右手を両手で握り締め、祈る様に額に当てた。
「ふぅん。…私には見えないのよねぇ、成田君の能力ぅ。」
空気が暖かくなったのは感じる響子だが、二人を包む空気が朱色に染まっている事を認識出来ない。
「…杉田先生にも言われました。あ、陸都さんには分かったみたいですけど。」
海里の回復が進んでいるのは、胸元のペンダントを見れば知る事が出来た。
「陸都君は高レベルの感知能力者だからねぇ。じゃあぁ、始業ベルが鳴る前に担任の松崎先生に伝えて来るねぇ。」
軽く手を振りながら保健室を出ていく響子を視線だけで見送る。
「海里…、早く起きてよ…。」
海里の意識が戻るまで、真夏の不安は完全に拭い去る事は出来なかった。
始業ベルが鳴り、辺りが静かになる。
「あ~あ、始まっちゃったね。海里も俺も、またサボりじゃん。1時間目って誰の授業だっけ?松崎先生ならプリントやらなきゃかなぁ。」
海里の右手を握ったまま、話し掛ける様に真夏が笑みを向けた。
既にペンダントは丸い純白を湛えている。
「…いっそ、眠り姫なら…。」
意識のない海里を見ていると、このまま目を覚まさないのではないかと不安になる真夏。そっと顔を近付け、優しく口づけをした。
「…っ?」
意識の戻った海里が重い瞼を開くが、自分のおかれている状況が分からずに瞬きを繰り返す。
ゆっくりと目の前の影が放れた。
「あ。」
真夏も海里に気付き、互いに動きが止まる。だがすぐに真夏はいつもの柔らかい笑顔を浮かべた。
「良かった、起きたんだね。」
安心したのもつかの間、海里の表情が硬い。
「…怒ってる?」
一言も口を開かない海里に、恐る恐る真夏は問い掛けた。
「…何のつもりだ。」
抑揚のない声。冷たい瞳が向けられている。
「あ…えっと…。」
真夏の全身に緊張が走った。この感じは、あの時の海里。
「俺とヤリたいのか?」
硬直している真夏をよそに、海里はゆっくりと半身起き上がる。
ガタッ。
「っ!?」
パイプ椅子に座っていた真夏は、突如凄い力で海里の寝ていたベッドに引き倒された。制服の胸元を捕まれ、逃げたいのに身体が動かない。
そして荒々しく噛み付く様に海里に唇を覆われた。
「っ!?」
放れた海里の唇から赤い雫が落ちる。
「へぇ…、強暴なのは支配欲が刺激されるな。牙を剥く正しい相手を教えてやるよ。」
変わらず抑揚のない声と冷たい瞳が真夏を縛りつけた。
「こらっ、カイ!成田君から放れなさいっ!」
職員室から戻った響子は、二人に異変を感じる。押し倒されている真夏に、跨ぐ様に押さえ込んでいる海里。唇から出血していた。
「何だ、響子か。相変わらず人の邪魔をしてくれるな。それとも、お前が相手になってくれるのか?」
体勢を変える事なく、顔だけ響子の方を見る。口元だけが薄い笑みを浮かべていた。
「全く、カイは馬鹿ね。そんな事して何が楽しいの?後でミーちゃんが悲しむのを分かってて、それでも続きをするつもり?」
響子の話し方が鋭い。
「ふん、そんなの知った事じゃない。俺は俺だ。この身体をどう使おうが俺の自由だろ。それに、誘ってきたのはコイツだ。」
馬乗りになったまま、海里は真夏を顎で指した。
「馬鹿ね、カイを誘う訳ないじゃない。成田君が呼び戻したかったのは、ミーちゃんなんだから。早く戻らないと、痛い目見るわよ?」
冷たい海里の態度に怯まない。そしてその響子の言葉に反応する様に、パリパリと海里のペンダントが黄色い放電を始めた。
「…興冷めだ。」
チラリと自らのペンダントを見た後、詰まらなさそうに告げる。
「今日の所は返してやる。」
真夏に鋭い視線を向けると、フッとその意識を手放したのである。
「わっ!?」
胸の上に倒れて来た海里を何とか支えると、真夏は自身の半身を起こして膝の上に寝かせた。
「…橘先生…、どういう事か説明して下さいますよね。」
言葉で威圧する。
「何の事かしら。」
だが、響子はしれっと話を交わしただけだった。
「…ん…っ、あ…れ?真夏の顔が近い…って、何で膝枕っ!?」
我に返った海里は、物凄い勢いで真夏から離れる。
「あらぁ、ミーちゃんってば甘えん坊さんなんだからぁ。」
普段通りのんびりとした口調で口を挟む響子。
「何かなぁ…。いつもの海里ならそれで良いけど、とりあえず俺達は授業サボってるんだよねぇ。海里、覚えてる?」
溜め息をつきながら、真夏は自身で理解出来ている範囲を確認した。
「えっ、マジ?…まぁ、来て早々に保健室だったからなぁ。何か身体が怠いけど…、何かあったか?」
ボンヤリとした頭で思考を巡らすが、それよりも真夏の制服についた血痕に手を伸ばす。
「あ…、俺のじゃないよ。海里の…、ごめんね。」
それに気付いた真夏は、海里の口元に優しく触れた。




