新たな力
「って…、デカ!」
建物を見上げて後退りする真夏は、その20階はありそうなマンションに口を開けたまま釘付けになる。
「そうなのか。まぁ、エレベーターが面倒だとは思っていたがな。」
事もなげに答えた海里は、そのまま入口をくぐった。
「おい、本当にここに瑞穂一人で住んでいるのか?」
真夏は一般的な個建て住宅に住んでいる為、エレベーター付きのマンション自体が珍しい。
そしてエレベーターに乗り、鍵を開けた場所は2007。
「最上階って、家賃高いんじゃない?って、何もないじゃん。」
室内を見回す真夏は、あまりの物の無さに海里の方を振り向いた。
「家賃はない、買ったものだ。橘響子が言っていた保証人とは、俺の親に対しての事だ。それに生活用品は揃っている。これ以上は無駄だろ。」
海里は真夏の質問に全て簡潔に答える。
「買ったって…、凄い金持ちじゃん。ってか、俺の家より断然広いんだけど。」
ありとあらゆる扉を開けて中を確認する真夏は、全5部屋と水まわりを全て制覇した。
「成田真夏、五月蝿い。真夏ってのは、本当にお前にぴったりの名前だな。暑苦しい感じがまさに。」
ソファーに腰掛け、バタバタと動き回る真夏に皮肉を込める。
「あ、うん。良く言われるよ、そんなに熱いかな?やっぱ俺って、情熱的なんだなぁ。」
真夏は海里の言葉を自分に都合良く解釈していた。
「アツイ違いだな。あ、窓は開けるなよ。退魔の結界が崩れる。」
海里は言葉を訂正しながらも、テラスへ出ようとしていた真夏を止める。
「えっ?結界…、スゲー。何か物凄いのがぶつかって消えてくよ。」
窓に張り付いていた真夏の目に、結界壁にぶつかり弾ける魔が見えた。
「何だ、見えるのか。成田真夏と言う肉に群がるハイエナだよ。結界壁を壊すつもりかただの馬鹿か、とにかく奴等はお前を欲しいらしい。行きたいなら止めないが?」
海里の言葉と初めて見る魔の姿に、手をかけていた鍵から慌てて身体ごと飛びのく。
「まぁ、それが一番面倒がなくて良い。真夏は好き嫌いはないな?」
真夏の対応を確認すると、そのまま台所に向かう海里。
「何、瑞穂って料理出来るの?」
制服の上からエプロンを身につけた海里に真夏は酷く驚いた。
「当たり前だろ。一人で生活するには必須のスキルだ。」
海里は冷蔵庫からたくさんの野菜を出す。
「へぇーっ…、手伝おうか?何作るの?」
対面式キッチンに入って行く真夏。キッチンに二人が並んでも、十分な広さがあった。
「今日はカレーライス。手伝いはいらない、一人で作る。」
海里は並べた材料を洗い始める。
「良いじゃん。カレーな、俺がジャガ芋剥く。」
真夏は強引にジャガ芋を手に取った。
「あっ!」
「あれ?」
「っと…。」
「痛っ!」
最終的に手を切った真夏。
「何やってるんだ、仕事を増やすなよ。ほら、こっち来い。」
海里に腕を引っ張られ、リビングに移動する。
「ごめん…。」
うなだれて反省の態度の真夏は、大人しく海里の治療を受けた。
「真夏は不器用なのか?ジャガ芋が元の形を残さない皮の剥き方は初めて見たぞ。後は俺がやるから、お前はここにいろよ。」
真夏に対して呆れてはいるが、少し楽しそうでもある海里。口調が心なしか和らいでいる。
「うん、瑞穂見てる。窓の外は何か怖いし。」
真夏が視線をテラスの方に向けると、やはり結界壁に当たって砕ける魔が見えた。
「まだ小物だぞ、あれ。真夏に憑いていたのは、もう少し大きな魔だ。青紫の…。何だ、本当に怖いのか?」
海里が説明しようとした途端、思い切り両耳を塞いだ真夏。海里は軽く溜め息をつき、そんな真夏の顔を覗き込む。
「…うん。だって、あれだろ?」
情けない顔をしながら、後ろを指し示す真夏だった。
確かに見た事がなかった分、この部屋からの景色は地獄絵図に近いものがあるかもしれない。
「ふん、俺は見慣れてるけどな。まぁ、真夏の心が回復すれば、簡単に魔に憑かれる事はないだろう。」
そしてキッチンに戻る海里。
手際良く真夏の散らかしたジャガ芋の残骸を食べれる状態にし、様々な材料と共にカレー鍋に入れたのだった。
「真夏は辛いの大丈夫か?俺はいつも少しピリ辛なんだけど。」
海里はスパイスを混ぜながら真夏に視線を向ける。
「あまり辛いのは得意じゃないけど、少しなら大丈夫。」
笑顔を返す真夏は、海里の手際の良さに感心していた。
「辛さ控え目にしておいたぞ。二時間くらい煮込むから、先に風呂に入るか?」
エプロンを外しながらキッチンから出て来る海里。
「二時間も?そしたらお風呂入る~。瑞穂、一緒に入る?」
ソファーに反対向きに座っていたが、海里の言葉に兎の様に跳ね起きた。
「ばぁか、親兄弟でも一緒に入らんだろ。」
軽くあしらう海里に対し、首を傾げる真夏である。
「そうなの?俺、小3の妹と今もお風呂に入るけど。」
真夏にとっての家族感。海里の考えとは違うようだ。
「俺は兄貴しかいないから分かんねぇ。けど、兄貴とも小学校入る頃には入らなくなったぞ。」
逆に不思議そうな海里だが、既にタオルやパジャマを用意している。
「真夏が先に入れよ。ほら、パジャマ。俺ので悪いが、体格もさほど変わらないから問題ないだろ。」
手にしたタオルを渡しながら、脱衣所に案内をした。
「ありがとう、んじゃ先に入らせてもらうよ。」
真夏は笑顔で返し、海里はそれを見届けてからキッチンに戻る。
「ぅわーっ!」
海里がカレーを掻き混ぜていると、突然真夏の悲鳴が聞こえた。
「どうしたっ!」
慌てて駆け付けた海里が目にしたのは、拘束されている裸の真夏。
「ふえっ…瑞穂ぉ。」
その身体には幾つもの脚を持った魔が絡み付き、真夏を喰らおうと巨大な口を開けている。
浴室の天井点検口が開いている為、結界をかい潜って侵入してきたようだ。
「ばっ…真夏を放しやがれっ、白っ!」
海里は胸元のペンダントから白光の剣を抜き出し、蛸の様に真夏に絡み付いた脚を切り落とす。
『消えてなるものかーっ!』
海里の攻撃を受けた魔は、その脚を真夏の口に無理矢理突っ込んだ。
「んんーっ!」
声にならない真夏の悲鳴が、海里の新たな力を呼び起こす。
「ふざけんなよっ!…青っ。」
海里のペンダントが眩しい程に輝き、手にしていた白光の剣を青銅色の球体に変化させた。
そして魔に投げ付ける。
『ぐあぁぁぁーっ!』
青は魔に触れた瞬間に稲妻を帯びた網状となり、魔を拘束した。
「真夏は返してもらう。」
海里の意思で稲妻の網は急激に小さくなり、中に閉じ込めた魔と共に消える。後には黒い霧が残っていた。
「大丈夫か?真夏、しっかりしろよっ。」
肩を揺すり、真夏の意識を促す。
「…っ!瑞穂、怖かった~!」
真夏は自我を取り戻すと、そのまま勢い良く海里に抱き着いた。
「あーっ、馬鹿っ!濡れちまうって、やめろっ。」
制服のまま浴室に押し倒された為、上下共に濡れてしまう。
「…あ、ごめん。瑞穂、待って!いかないでよ、俺一人で風呂入れないっ!」
放れた隙に浴室を出ようとした海里は、ズボンの裾を思い切り真夏に引っ張られた。
「あっぶねぇなっ、転ぶだろうがっ。んだよ、これ以上制服濡らすなよ。…ちっ。」
だが、その怒りも涙目の真夏に行き先を失う。
「一緒に入って?俺、マジヤバいんだけど。一人でトイレにも行けそうにない。」
両手を前に祈る様な真夏は、今回の魔は完全に視認出来ていたようだ。
「ったく…、待ってろ。とにかく服脱ぐから。」
少し濡れた髪を掻き上げ、苛立ちを抑えながらも了承する海里。
「…何だよ、閉めるぞ?」
浴室から出て扉を閉めようとするが、真夏の両手がそれを防いでいる。
「閉めないで?見てるから。」
真夏は恐怖のあまりか、少しの孤立も拒んでいた。
「っ!」
そんな真夏を軽く足蹴にして突き放し、海里は勢い良く浴室の扉を閉める。
『何で俺、顔が熱いんだ?』
海里は顔を押さえ深く溜め息をついた。
「瑞穂、酷いよぉ。」
服を脱いで浴室に入ると、真夏が足蹴にされたであろう状態のままこちらを見ている。
「うるさい。ほら、身体が冷えてるから。とりあえず泡を流して、一度浴槽に入れよ。」
呆れつつも、海里はシャワーで真夏の身体を流してあげるのだった。
「うん、ありがとう。でも目を閉じるのが怖いんだけど…うわっ、何するの?」
真夏の言葉の途中でシャワーを頭からかける。
「あのな、子供じゃないんだから我慢しろ。ほら、ついでだから洗ってやる。」
叫ぶ真夏に強引にシャンプーをし始めた。
「はい、終了。身体は自分で洗えよ。俺も頭洗うし。」
一通り真夏の頭を洗い終わると、海里もシャンプーをする。
「ありがとう、瑞穂。ここのお風呂は大きくて良いね!二人でも十分入れるし。」
笑顔で身体を洗う真夏は、仕切に話しかけてきた。
「うるさい、くっつくな。今回だけだからな!」
騒ぎながらも何とか洗い終え、二人して浴槽に入る。
「おぉーっ、デカイ風呂だっ。」
真夏は満足げだが、不服そうな海里。
「俺は出るぞ。」
無表情に告げ、早々に浴室を出た。
「あっ、待ってよ瑞穂!俺も出るぅ!」
慌てて出て来た真夏にタオルを渡し、海里は軽く拭いてタオルを腰に巻く。
「…焦げ臭い?」
脱衣所の扉を開けた途端、匂ったのは美味しいカレーではなかった。
「やっべぇ、火をつけっぱなしだった!」
海里は慌ててキッチンに走って行く。
「ミーちゃん、火がつけっぱだったわよ?あら、お風呂に入ってたの。…二人して…?」
キッチンから涼しい顔で答えたのは響子だったが、半裸の海里と真夏を見て動きが止まった。
「あ…いやっ…、そんなんじゃないって!」
海里はしどろもどろになりながらも、とりあえず否定する。
「何よ、そんなんって。私は何も言ってないわよ?」
薄笑いを浮かべながら、響子は海里の慌て振りを見ているのだ。
「っ、そうだよっ!風呂に入っていたのは事実だ。けど、それ以外に何もないからなっ。変な誤解すんなよ?」
赤い顔で怒る海里に、響子の興味津々な笑い顔は消えない。
「橘先生が何で…。あ…俺、瑞穂に何もされてないですよ?…あ、頭洗ってもらったくらいで…。」
その真夏の発言に大喜びの響子。海里の方はと言うと、脱力してうなだれながら頭を抑えていた。