想いと囁き
昼休みが終わり、5時間目の授業が始まる。
だが真夏は、先程見た魔が憑いていた二年生が気になっていた。
『やっぱり、あの二年をもう一度捜そう。噂の出所を確かめる迄は瑞穂に言えないし。』
授業中もその事ばかり考えていた為、教師に質問されて焦る真夏。隣の海里に助言され、何とか切り抜けたのである。
「真夏、どうしたんだ?」
5時間目が終わり、あまりに授業に集中していない真夏に声を掛ける海里。
「あーっ、ごめん。トイレ行きたくてっ!」
だがまだ海里に真相を話す訳にもいかない真夏は、両手を合わせて謝罪するだけで教室を抜け出した。
『真夏の奴、変な事に首を突っ込んでいなけりゃ良いが…。』
毎放課に教室を出ていく真夏に、嫌な予感がしている海里である。
『真夏、帰って来ないじゃないか。また面倒に首を突っ込んだか?』
6時間目が始まり、教師が入って来ても戻らない真夏。
「…先生、少し肩が痛いんで保健室に行ってきます。」
そして海里は真夏を捜しに教室を出る事にしたのだ。
『ったく、退院初日から真夏を捜すのかよ。…俺って過保護かなぁ。』
自身に問い掛けながらも真夏の姿を捜す。
『魔が見えるだけで対処出来ない癖に、世話焼きなんだからタチが悪い。昼休みに魔の事を言っていたから、また憑いている奴を見付けたんだろうな。魔に関わるなって言ってるのに…。』
考えるだけで足が早まって行く海里は、それに気付いて立ち止まった。
『駄目だ、無駄に捜し歩いている場合じゃない。真夏を捜すんだ。』
呼吸を整え、意識を集中する。陸都に教えて貰った事のある、感知能力の力の拡げ方を思い出した。
水面に波紋が拡がる如く、自身を中心に薄く力を拡散させる。
「ん?…何と無くあっち。」
引き寄せられる様に向かう海里は、不思議と疑念を抱かなかった。
「化学実験室?」
やって来た場所は何故か化学実験室である。
「鍵も開いてるし…っ!」
扉を開けた海里の視界に飛び込んで来たのは、首を絞められている真夏の姿。咄嗟に近くに在った黒板消しを真夏に覆いかぶさる少年に投げ付けた。
白い煙りが舞い上がり、真夏から少年が飛び退く。上靴から察するに、二年の生徒だ。
「ゲホッ、ゲホッ…うーっ、死ぬかと思った。瑞穂、ありがとう。」
咳込みながら半身起き上がる真夏は、危機感をあまり感じさせない。
「馬鹿か、ったく…。一人で危険に首を突っ込むなよぉ。」
無事を確認して安堵の溜め息をつく海里だが、同時に少年に憑いている鬼に視線を向けた。
真夏が言っていたように、邪気が鋭くない鬼からは殺気は感じられない。しかしながら悪意を周囲に撒き散らし、心が乱される感じを受けた。
「…お前が瑞穂海里か。」
少年が口を開くと、鬼は囁く様に少年の耳元で何かを告げる。
「お前がいなければ、響子先生は俺の物だ。」
魔がさした初歩の状態。悪魔の囁きに惑わされ、己の欲求を満たそうとしているのだ。
「何言ってんだ?」
だが、海里には彼の真意が分からない。
「あのね、瑞穂。その二年生君は橘先生が好きで、仲良くしている瑞穂が邪魔だったんだ。それで瑞穂と俺の情事を学校中の噂にして、先生に近付かない様にってのを期待していたみたいよ?」
立ち上がった真夏が海里の方に歩み寄りながら説明するが、自分が噂にされている事に気付いていないので不十分だった。
「情事?…何だよ、それ。」
先程と同じく首を傾げて全く理解していない海里に、真夏は少し迷ったが耳元で噂の内容を告げる。
聞く程に顔が赤くなり、耳まで赤くなった。
「まぁ、そんな感じの噂がね。で、出所はこの二年生なんだ。話して分かるかなって説得しに来たんだけど、逆ギレされて襲われちゃった。」
魔がさした者へ言葉を伝える難しさを知る。
「…ったく…。魔除けのアイテム持っていたところで、自分から魔に近付いてちゃ駄目だろ。」
動揺を隠しきれない海里だったが、真夏がした事を責めはしなかった。
「お前さえいなければ…っ。でも響子先生は…俺の事っ。」
二年の少年は身体についた黒板消しの粉を払いながら、鬼の囁きと自身に葛藤している。
「あのさぁ、仮に俺を排除したところで何も変わらないよ。」
海里は真っ直ぐ二年生に視線を向け、揺らぐ心裏に話し掛けた。
「何故だ?」
「分かってるんだろ?悪魔の囁きに負けてない心がまだ残ってる。どうすべきか気付いているのに、分からない振りをしてるんだ。」
問い掛ける少年の心裏に訴える。少年の歪んだ欲求を喰らっている鬼は、邪魔な海里に牙を剥けた。
「伝えない気持ちは伝わらない。負けるな、自分に。」
気付き始めている少年に、魔の憑く隙がなくなって来ている。
「伝えたら…、壊れるかも…。」
自身の中で葛藤し、心が揺れている少年。海里と真夏は静かに見守った。
「伝えたら…変わるかな?」
ゆっくりと少年の心が前を向く。それと同時に、鬼が叫びながら少年から放れた。
「白。」
海里は小さく呟き、短剣サイズの白光の剣を鬼に投げ付ける。
「やった!」
喜びの声を上げる真夏だが、海里は表情無く鬼が黒い霧へと姿を変わるのを見ていた。
「あ、何かスッキリした。ありがとう、ごめんなさい。」
二年生は魔を払った事で素直に頭を下げる。
「それで先輩、どうするの?」
問い掛ける真夏は、次の彼の行動に興味があるようだ。
「…言ってみる。俺の気持ち…知ってもらいたいから。」
照れながら告げた少年は、晴れやかに立ち去って行く。
「…はぁ…。」
少年が去った後、大きな溜め息をついて座り込む海里。そして6時間目の終了を知らせるチャイムが鳴った。
「あ、終わっちゃった。」
大した事でない様な真夏の態度に、恨めしげな視線を向ける海里である。
「ったく、気楽なもんだなぁ。折角半日溜めた力がなくなったぞ。今は退魔出来ないからって、ちゃんと真夏に言ったよな?魔除けのアイテム持っていても、自分から近付いてしまえば狙われるんだぞ。俺が護ってやれない時に、一人で危ない事するなよ。世話焼きなのも…、何だよ。」
説教している海里だが、真夏の態度が喜んでいるのに気付き言葉を止めた。
「だって、そうやって瑞穂が怒ってくれているのは俺を想っての事でしょ?嬉しいのは当たり前じゃん。」
その笑顔を見ていると、海里は不思議と真夏に怒る気が抜ける。
「たまに態とじゃないかと思うよ…。まぁ良いや。松崎先生の所に行こうか、真夏。」
はぐらかされて怒る気が失せてしまい、立ち上がって職員室への移動を促した。
「失礼します。」
海里と真夏は、共に担任の松崎に歩み寄る。
「おぉ、来たか。これだ、二人の入院退院に関する書類。目を通して、空欄を埋めてくれ。」
呼び出しの用件は学校に提出する書類だった。内心ホッとする真夏。
「…ところで、お前等は一緒に住んでいるのか?」
松崎の何気ない問い掛けに、真夏は心臓が口から飛び出しそうな程に驚く。
「はい。俺が片手で不自由と言う理由で、色々と手伝ってくれています。」
だが真夏とは対照的に冷静な海里は、松崎の問い掛けに淡々と答えた。
「そうか、瑞穂は一人暮らしだったな。まぁ俺はどうでも良いんだが、五月蝿い奴もいるからな。気をつけろよ。」
噂は職員の耳に届いている。
「し、信じてくれるんですか?」
冷や汗を流している真夏は、松崎の意外な対応に驚きを隠せなかった。
「信じるも何も、恋愛は自由だぞ。」
「おいおいっ、そっちかよ。」
松崎の返答に思わず突っ込む海里。
「何だ、違うのか?」
独身30歳の松崎に春は遠そうである。
「違います。」
キッパリと否定する海里に、少し残念な気持ちがする真夏。複雑な心境に自身で驚くが、今はこれ以上騒がれる訳にもいかなかった。
「何だ、それはそれで面白くないな。」
「ちょ、何言ってんすか。」
残念がる松崎に噛み付く海里は、口にしないが真夏が危険な目にあった事もある為に笑い事ではない。
「そうか、分かった。まぁ、人の噂もなんたらと言う事だし。お、書けたか。じゃあ、これは俺が提出しておくからな。以上だ。」
深く追及も騒ぎ立てもしない松崎は、海里と真夏にとって願ってもない相手だ。
「失礼しました。」
二人して頭を下げて職員室を後にする。
「松崎先生で良かったよ。騒ぐ教師なら、下手したら停学とかだったよ。」
胸を撫で下ろす真夏だが、海里は表情が硬かった。
「…暫く学校が居づらいかもだぞ。真夏、気になるだろ。」
どうやら真夏を心配しての事らしい。
「大丈夫だよ、瑞穂がいてくれるなら。あ、頼むからもう家に来るなとか言わないでよ?そっちの方がショックだからね。」
真夏は海里の傷を見ている分、負い目に感じている部分が大きかった。
「はいはい、分かりました。まぁ、黙って無茶な事をされる方が困るからな。俺はこれから病院に行くが、真夏はどうする?このまま帰るなら、鍵を渡すけど。」
教室に向かう途中、海里は次の予定を真夏に告げる。
「勿論、一緒に行く。そういえば、瑞穂は魔除けって持ってるの?」
ふと疑問に思うが、先程退魔の力が零値なのを確認したばかりだ。
「無いぜ?基本、俺は退魔能力者だからな。」
事もなげに言うが、現時点で襲われれば無事では済まないという事である。
「ってか、確か今は零値だったよね?絶対俺も一緒に行く。」
強く言い切った真夏に海里はおどけた様に舌を出して見せると、何も言わずに教室の扉を開けた。
「わぉ、低級な悪戯だな。」
言葉程楽しんでいない海里の、冷ややかな視線の先を見た真夏は息を飲む。
前方黒板一面に書き記された、海里と真夏に対する噂の数々。怒りを通り越し、悲しくなってくる真夏だった。
「ったく、こんなにもチョーク無駄にしやがって馬鹿共が。」
海里は真夏の表情を読み取り、真っ直ぐ黒板に歩みを進めて消しに掛かる。
「俺も消す。」
唖然としていたが、すぐに正気に戻り真夏も黒板消しを手にした。
二人は無言で黒板を消し、漸く全てを終えたところで海里が口を開く。
「…ごめんな。」
視線をあわせる事のない海里の言葉に、どのような感情が乗せられているのか判断に迷う真夏。だが、努めて明るくその右腕にしがみついた。
「さぁ、病院に行こうか。早く治さなきゃ、怒りに拳を奮う事も出来やしない。」
真夏の言葉に頷くと、ニヤッと笑みを返す海里である。
「確かに。よし、片付けて行こうぜ。」
そして二人は下校準備をして鞄を手にした。
「あぁ、遅いから心配しましたよ海里君。また来なくなったかと思って、陸都君を呼ぶところでしたよ。」
病院に着くと、杉田医師が慌てて駆け寄って来る。
「来るって言いましたよ。いつもは約束しないじゃないですか。」
心外だとばかりに海里は言葉を返した。




