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ナンバルゲニア・シャムラードの日常 39

「エビか……」 

「どうしたのかしら?シャムちゃんはエビが嫌いなの?」 

 どことなくおかしな空気になってきたことを察したように春子の声が小さくなる。そのとき小夏が消えていった階段から長身の女性の姿が目に飛び込んできた。

「おう、アイシャ。サラも一緒か?」 

 明石の声に黙って頷くアイシャ。そしてサラもその後に続いて空いた鉄板に腰を落ち着ける。しかしその後ろにピンク色の長い髪が翻っているのが見えた。

「パーラ。来たのか?」 

 ランの言葉に黙って頷くと、パーラはそのままつられるようにサラの隣の座布団に腰を下ろす。

 沈黙が場を支配したことで察しのいい春子はこの沈黙の原因が自分の『新港』という言葉とパーラがつながっての出来事だと理解しているようにシャムには見えた。

「お母さん、ビール」 

「あ、小夏。ご苦労様。それと熱燗を一つつけてもらえるかしら」  

「え?……うん、いいけど」 

 シャムと馬鹿話をしたかったと言う顔の小夏が不思議そうな顔で階段を下りていくのが見える。春子はただ黙って突出しをつついているパーラの前にビールの瓶を持って腰を下ろす。

「女将さん?」 

「いいから、黙って」 

 春子の態度を見てアイシャがそっとパーラの前にグラスを置いた。仕方がないというようにパーラがそれを手に取る。春子は静かにビールをグラスに注いだ。

「みんなまだだけど、ランさん。いいわよね?」 

「ああ、パーラは今日は特別だ」 

 ランの頷きつつのつぶやき。それに促されるようにしてパーラはグラスを干した。

「いい飲みっぷり。じゃあもう一献」 

 軽くグラスを差し出すパーラに春子はさらにビールを注いだ。

「何も言わなくていいからね。何も」 

 そう言うと春子はそのまま大きく深呼吸をしているパーラを置いて黙って自分達を見つめていたシャムのところまで戻ってきた。

「どうする?シャムちゃん」 

 先ほどまでのパーラに対して使っていたしっとりとした響きの言葉が一気に気っぷのいい女将の口調に戻る。

「じゃあ新エビの三倍で!」 

「はい!じゃあ他の人もどんどん頼んでね」 

「女将さん。ワシの金や思うてあおらんでくださいよ」 

 ようやく重苦しい雰囲気が取れて安心したというような表情で明石が泣き言を叫んだ。

 さっそくメモを手に走り回る小夏。

「豚玉!」 

「じゃあ僕もエビでいいかな」

「イカで頼む」 

 要や誠、カウラの注文が続く。

 三杯目のビールを飲んだパーラが静かに視線を鉄板に落とした。

「とりあえず何も言わないで」 

 諭すような調子の春子。それを見ながら安心したように明石は突出しのひじきを突いている。

「女将さん、分かるの?」 

 シャムはつい気になって尋ねてみた。春子は首を振る。だがそれでもそんな春子に安心しているようにハーラは黙って春子を眺めていた。

「神前!女将さんの燗酒運んで来いや!」 

 気を利かせた明石の一言にはじかれるように誠が階段を駆け下りていく。

「ごめんね、明石君」 

「ええんです。ワシ等もいつもお世話になってばかりやさかい」 

 そう言うと明石は手元のビールを手に取りランの前に差し出した。

「おう、気が利くじゃねーか」 

 ランはさっとグラスを差し出す。なみなみとビールが注がれる。そして明石は今度は隣の岡部に瓶を向けた。

「これからもよろしゅうたのむで」 

「は、はあ」 

 サングラスの奥でまなじりを下げているだろう明石を想像しながらグラスを差し出す岡部。それを見ていたシャムの目の前にビールの瓶が現われた。

「シャムも飲めよ」 

 吉田がビールを差し出している。シャムは慌ててグラスを差し出す。

「まあエビがどんなのか……楽しみにするか……俺はお好み焼きはいいや。たこ焼きをお願い」 

 隣まで来ていた小夏にそう言うと手酌で自分のグラスにビールを注ぐ吉田。

 すでに明石も飲み始めている。あちこちでグラスをあおる顔がシャムからも見えた。

「私も飲むね」 

「勝手にしろ」 

 隣で黙って酒を飲んでいる吉田に笑みを漏らしながらシャムはビールをのどに注ぎ込んだ。

「お待たせしました!」 

 誠が颯爽と階段から現われると春子の前にとっくりを置く。

「ありがとね。それじゃあ飲みましょ」 

 そう言うと春子は手酌で熱燗をおちょこに注ぐ。ビールを飲みながらパーラはその様を見ていた。

「まあ春子さんの方が一枚上だからな」 

「なに?俊平何か知ってるの?」 

 静かに酒を飲む春子を見ながらの思わせぶりな吉田の言葉にしばらくシャムは首をかしげていた。

「あの人の前の旦那。小夏の親父のことはお前も知ってるだろ?」 

「ああ、今は留置所にいるんだよね。まだ裁判は結審していないんでしょ?」 

 小声でつぶやくシャム。春子の夫は四年ほど前まで東都の港湾部の難民居住区を中心とした地域でのシンジケート同士の抗争で四人の警官を射殺した容疑で逮捕されていた。離婚はすでに成立していたことはシャムも知っていた。上告はしているがおそらく一審で出た死刑が覆ることはまず考えられない。

「確かに浮気ぐらいなら全然かわいいところなのかもしれないね」 

 そう言うとシャムはグラスを干した。

「お母さん!お酒飲んでばっかりじゃなくて……」 

「小夏、ええねん。そこのでくの坊二人!」 

 階段から顔を出して文句を言おうとする小夏を制した明石は下座でビールをちびちびとすすっている菰田とソンに目をつけた。

「お前等今日はここの従業員や、ええな?」 

「え?」 

 明石の言葉にしばらく言葉が出ない菰田。助けを求めるようにソンがランに目を遣るが、ランはまるで言うことは無いと拒絶しているようにビールを飲んでいる。

「上官命令……OK?」 

 上機嫌の要の声にうなだれる二人。要はそんな二人を見て思わず隣のカウラを肘でこづいた。

「ああ、よろしく頼むぞ」 

 劇薬のようにカウラの言葉はよく効いた。二人ともカウラファンクラブ『ヒンヌー教』の幹部である。そのまま先を争うようにして階段を駆け下りていく。

 おもわず取り残されて呆然とする小夏だが、さすがに自分がいないと二人が何をするのか分からないのでそのまま階段を下りていく。

「効くなあ……おい。ファンがいるとはうらやましいねえ」 

「心にもないことは言わないことだ」 

 静かに半分ほど飲んだビールを一気に飲み干すカウラ。少しばかり酔いが回ってきたようで白い頬が朱に染まっている。

「本当に面白いね」

「まあいいんじゃ無いの?」 

 その様を見ていたシャムが吉田に声をかけるが吉田はつれなくそう言うとビールを飲み干した。



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