第1章 最弱の少年
ウィーキー市は雨が上がり、日が強く差していた。この街はエイル王国首都ディケッドから遠く離れた田舎街で住民のほとんどが平民階級である。皮産業が盛んで、街の中心地は役場や商業施設が立ち並ぶが少し足を伸ばせば山や森などに行き着く、街と自然の並立するところ。
そしてこの街にも数日前にスキルの民主化の知らせが衝撃を持って伝えられたばかりだった。
そんなウィーキー市の中心地から大きく外れた森には木漏れ日が射し込み、木々の間から小鳥たちのさえずりが聞こえ、草木にまだ少し露が付いている。
するとどこから子供達の声がする。
背の低い草を踏み小石を蹴散らしながら2人の5歳の男の子が木の棒を剣に見立てて撃ち合っていた。
2人のうち金髪で背が高く体格のいい子がバーンズ
そして黒髪で背が低く痩せ型の子が、アーサーである。
アーサーの攻撃は全て打ち払われ、逆にバーンズの攻撃はアーサーを追い詰める。そしてアーサーはそのまま後ろの岩から落ちてしまった。落ちたと言っても彼の身長よりも低い岩からで且つ草がクッションとなり全くケガはなかった。
「いててて…」
そう言いながらアーサーがふと横を見ると小さな紫の花を見つけた。その瞬間彼は思い出した。そうだ、この花…。
だが次の瞬間、岩の上からバーンズが飛びかかり彼の頭を棒で小突いた。
「また俺の勝ちだー!お前これで通算100回目の敗北だぞ〜」
「100回は言い過ぎ!精々3回位だろ!それに今のはたまたま転んだだけ!」
「はいはい、わかったわかった」
彼らがそう言い合いながら森の出口まで向かう。
すると今度は1人の女の子が駆け寄ってきた。
「2人ともご飯食べるの速すぎ!食べた後すぐに動くとお腹痛くなるよ!」
彼女の名はラン。彼らと同い年で、透き通るような白い肌をしている。
「おっ、やっと食べ終わったか〜ランにも見せてやりたかったぜ俺がアーサーをボコボコにするところ」
「ボコボコになんかされてねぇし!」
「そんな酷いことしたの!?アーサーに謝って!」
「ハハハ、ごめんごめん。でもなんかこれからは皆にスキルが貰えるんだろ?」
「そうだな」
「でももしかして俺ってもう既に剣士のスキルあるんじゃね?」
「そんな訳無いでしょ」
「だって剣で誰にも負けた事ないし、負けそうになった事もないし!」
「お前はたまたま背が高いから俺に勝てただけで、しかも剣じゃなくてただの木の棒だろ」
「一緒だって!
魔獣って大体4,5体出てくるんだろ?俺だったら1人で勝てる気がするな〜」
「んな訳ねーだろ」
「どうかな?まぁアーサーには1体の魔獣すら無理だろうけど」
「なんで?」
「だってアーサーは『最弱』なんだから」
「なんだと!」
「バーンズ!もうやめてあげて!」
「ハハハ、ごめんごめん」
3人がそう話しながら森を出る。
「そうだラン、これあげる」
そう言ってアーサーは先程見つけた紫の花をランにあげた。
「えっ…ホントに?…いいの?」
「うん、ランこういうの好きそうだからさ」
「…ありがとう…!」
彼女の見せた笑顔はその花のように美しかった。
「でもよ、俺達も15歳になったらスキルが貰えるようになったんだよな…」
アーサーは2人に話す。
「あと10年か〜、なんかワクワクするよな〜。スキル貰ったらさ、俺達3人で世界中の魔獣を全部倒してやろうぜ」
「そうだな、そうしよう!」
「私もそうする!」
こうして3人は肩を組み誓い合った。
「よーし、じゃあ3人で約束だ!俺とランとバーンズで全ての魔獣を倒して世界を救うぞ!」
「おー!」
「アーサー、その頃にはもうちょっと強くなってろよ」
「うるせぇな」
「でも面白くなってきたじゃねーか!そうと決まればアーサー!ラン!早速明日から特訓だ!」
「よーし!!見とけよ~絶対お前より強くなってやるからな」
その日の夜はいつもの様にアーサーは母と2人でご飯を食べていた。
「今日はまた遅くまで遊んでたのね〜」
「そう、俺とバーンズとランで大人になったら全部の魔獣を倒すって決めたからその特訓」
「フフフ、それは頼もしいわね」
アーサーは誇らしげに母を見る。スキルの民主化以降彼は将来パーティに入ろうと日々邁進している。
「特訓は良いけど明日は隣町のチューズまで行くからね」
「えっ!明日もバーンズと特訓するって約束したのに…」
「はぁー?前からずっと言ってるでしょ?最近牛皮の仕入れ先が変わったの。だから新しい所にウチで作ってる靴とかを持っていって打ち合わせしないといけないの」
「そんな〜それ明後日にできない?」
「できないよ。できたとしても明日やれた筈の事を明後日にやるとどんどん仕事が遅れるの。第一スキルの民主化が起きたから丈夫な革製品が売れるようになるの、だから…」
「いや!明日は特訓する!」
「アーサー!我儘言わないで!」
「我儘じゃない!」
「それ天国のお父さんが聞いたらどう思うかな?」
「お父さんはもういないって!」
その場が静まり返る。
「お父さんはもうどこにもいないよ…。家にも、天国にも…」
少し間が空いた後、母が口を開く。
「あれは事故だったのよ」
半年前アーサーの父は倒れた建築資材の下敷きとなり亡くなった。
アーサーは黙ったまま席を離れた。
翌朝アーサーは出かける準備をしていた。
「午後までには帰るのよ!」
母が呼びかけるもアーサーはムッとするだけで何も言わずに家を出る。
その後アーサーはバーンズといつもの森で棒を打ち合っていた。バーンズはアーサーを追い詰め、棒が強く当たった時アーサーはよろめき大きく後退した。そしてバーンズが近付こうとした時だった。
アーサーは靴を飛ばした。それは見事にバーンズの鼻に命中した。
バーンズはギャっと声を上げ後ろへ倒れた。
「まさか…そう来るとは…」
「…ちょっとズルだったかな?」
アーサーがそう言うといつの間にか隣にランがいた。
「あぁ、ラン、いたのか」
「うん…あのねアーサー、昨日はお花をくれてありがとう…それで…思ったんだけど、私アーサーの事が…」
「待って!何かいる…」
アーサーが森の奥を指差した。
「いてて…ほらよ」
バーンズも後ろからやってきてアーサーに靴を返した。それでもアーサーは森を注視している。
木々の間に確かに動く黒い影。風も吹いていないのに草木が揺れる。間違いなくこれは、魔獣。
アーサーが叫び声を上げると3人は悲鳴を上げながら走り出した。
それと同時に木々の影から1体のサラマンダーが飛び出してきた。
彼らは急いで逃げ出した。木々の間を走り追いつかれそうになったが2本の木の間に挟まり魔獣は身動きがとれなくなった。
町までなんとか逃げきったが、彼らの目には想像したこともない光景が広がっていた。
数十、いや数百を超える大小様々な魔獣が街を覆い尽くしていた。ここまでの種類と数の魔獣の襲撃は誰も経験した事が無い。
人々が悲鳴を上げながらあちこちを走り回っている。
気がつけばアーサーはバーンズ、ランとはぐれていた。
彼らの名前を叫ぶが周りの悲鳴に掻き消される。
彼は自分の家に向かって走り出す他なかった。幸いにもここからは遠くない。
角を曲がると後ろから声が聞こえた。
「アーサー!」
彼は腕を掴まれた。驚きながら振り返ると彼の母がいた。
そのまま手を掴み2人で家まで走り出した。
だが彼は気付いてしまった。後ろからケルベロスが追ってきている事に。
母もそれに気付いた。家はもうすぐだがこのままでは家に入る前に追いつかれる。母は咄嗟に彼を抱きかかえ地面に伏し、自らを盾とした。
そして魔獣が母の肩に噛み付く。
母はその瞬間自分よりもアーサーの事しか考えられなかった。アーサーはこの状況から助かるのか?襲撃が収まった後は誰がこの子の世話をするのか?騒動が落ち着いてからの生活はどうなるのか?何に興味を持ち、何を学ぶのか?将来はどんな仕事に就くのか?私の仕事を継ぐのか?それとも新しくやりたい事を見つける?スキルの民主化が起きてからは漠然とパーティに入りたいと言ってたっけ。本当にパーティに入るつもりだろうか?
そして、どんな人を生涯の伴侶とするのか…
自分がアーサーの将来を見届けられない悔しさは肩に喰い込む魔獣の牙よりも痛かった。そんな苦痛と悲哀を滲ませながら母は最後に声を振り絞った。
「…ごめんね…」
母はケルベロスに引きずられた。
あの時自分が我儘を言ったからこうなった。素直に母さんの言う事を聞いて隣町まで行っていればこうはならなかった…。本当に謝らないといけなかったのは僕の方なのに…。
そんなアーサーの中に2つの選択肢が現れた。
真っ直ぐ前に進み母を助けに行くか、反対方向へ走り家へ避難するか。
母の姿がもう遠くに見える。そして他のケルベロス達が集まり喰らおうとしている。
身の危険を感じアーサーは家を目指して走って行った。
そして家に入り扉を閉める。
家の中では、けたたましい音を立てて沸騰した水が鍋の蓋を揺らしていた。ご飯の準備の最中だったのだろうか、それはあまりに日常的な光景だった。いつもの台所、いつもの皿、いつもの料理。母はいつもの食事の準備をしてくれていた。喧嘩の直後なのに。
アーサーは分からなくなった。
自分の選択は本当に正しかったのだろうか?助けに行くべきだったかもしれない。でも助けに行った所で自分も食われるだけ、なら行かなくて正しかっただろう。
でも自分の所為で母は魔獣に襲われた。だったら危険を覚悟で助けに行くのが正しかったのか?
アーサーは自分の選択が間違っている気がしてきた。
だが迷う間もなく家の扉が破壊された。
アティアグが家へ侵入してきたのだ。
魔獣はアーサーを見つけると体の半分ほどもある大きな口を開けて咆哮を上げた。壁を壊しながら家の中へ侵入する。彼は慌ててテーブルの下に逃げるがアティアグはそれを払い除けその衝撃でテーブルがバラバラに砕けた。今度は急いで絨毯の下に潜るが魔獣は爪で絨毯を引き裂く。
隠れるところもなく走って逃げようとするもすぐそこは壁で逃げ場はもう無かった。アティアグはアーサーの顔の前まで近づいた。そしてもう一度大きな咆哮を上げた。
耳を塞いでも聞こえる声は骨にまで響き渡る。その音圧は髪を揺らし、その息の臭いは鼻を突く。
アーサーの視界は魔獣の牙の並んだ口で埋め尽くされた。




