第15章 長い夜
取り残されたアーサーだったが悲しみに耽っている時間は無い。まだ周りには魔獣がいる。
アーサーはとにかくサイクロプスの死体から這い出ようと格闘していると突如フードをオルトロスに噛まれサイクロプスから引き摺り出された。
どんどんと先へ進むオルトロスとそれを振り切ろうと藻掻くアーサー。すると上着が脱げてしまうがオルトロスはそれを噛んだまま走り去っていった。
その後ろ姿を眺める間もなく背後からまた別のオルトロスが3体現れ、アーサーは取り囲まれてしまった。
ランとヤーハンを乗せた馬車が立ち止まった。
「この先は馬車は使えない。ここで降りよう」
目の前に立ちはだかるのは鬱蒼とした木々。彼はランを馬車から降ろし歩き始めた。
暫く進むと木々を抜け視界が開けた。だがそれを見たランは怯えだし全身が震え、木に掴まりしゃがみ込んでしまった。
そこは川だった。それも対岸が見えないほど巨大で濃霧の立ち込める川。
「…あの……私…み、水が…苦手なんです…」
「あぁ知ってる」
声まで震える彼女に彼は淡白に応える。
「だがここを抜けなければ先へは進めない。そしてここから先はあの船を使うしかない」
彼の指差す先には二人乗りができる程度の小舟があった。
「それとも来た道を戻るか?一人で歩いて」
そして手を差し出すヤーハン。
小舟はヤーハンがオールを漕いでいた。ランは水への恐怖から船縁に掴まり目をぎゅっと閉じていた。沈黙の中オールが水をかき分ける音だけが続く。
どの位進んだだろうか、彼は漕ぎながら話し始めた。
「そんなに水が怖いか?」
「……は、はい…とても…」
「…そうか……。
この川を下っていけばそう遠くないうちに海へと辿り着く。そこから海岸線に沿って歩いていけばここから脱出できる。そうするか?」
ヤーハンの提案に対し意外にもランは首を縦には振らなかった。
「いえ、先に進みます………バーンズが待ってるかもしれないので……」
「…そうか……」
彼はオールを漕ぐ手を止めた。ランもそれに気付き恐る恐る目を開け様子を確認する。
「疲れてしまってな、少し休ませてくれ」
「…はい…疲れるまで…ありがとうございます…休んでください…」
ヤーハンは彼女をじっと見つめる。
「アーサーとは付き合いは長いのか?」
ランは唐突な質問に戸惑いながらも答える。
「そうですね…アーサーとは実家が近所の幼馴染で、いつ知り合ったのかわからない位小さい頃から仲が良かったです。地元は田舎だったのでよく森や自然の中で遊んでいました…。あの頃から変わってないですよ。そんなに力も強くないのに俺はパーティに入るんだ!とか言って勝てもしないのにバーンズに挑んでいったり…。
勉強も好きで、気になることがあったら何でも人に聞いたり自分で調べたり、解決するまで諦めない子でした」
アーサーとの日々を思い出し水への恐怖心が薄らぐラン。彼との日々が蘇る。
「色んな思い出がありますね。アーサーは覚えてないと思いますが、小さい頃私に花をくれたことがあるんです。
私それがホントに嬉しくて…。」
この話をしたとき彼女に笑顔が戻った。しかしすぐに消えてしまった。
「…でも……アーサーが、私に失望したと言ったなんて信じられません…本当にそう言ってたんですか?」
「………あぁ………そうだ」
「…そうなんですね……」
彼の言葉にまた胸を痛めるラン。そんな彼女にヤーハンは追い打ちをかける。
「アイツは君を裏切るような男だったということだ」
「……そんな………」
「私なら、そんな真似はしないがね…」
「………えっ……?」
「それに、今の君は、非常に美しい…」
ヤーハンの言ったことに困惑するラン。彼の表情は固いままだが瞳孔が見開いていた。船縁を握る力が強くなる。
すると彼は手を伸ばしランの髪に触れた。彼女は自分が水に怯えてるのか、それとも目の前の男に怯えてるのかわからなくなった。
「その顔も」
「止めてください…」
「その髪も」
「怖いです…」
「その目も」
「イヤです…」
「全て美しい」
気が付けば彼の顔が目の前まで迫っていた。
「お前、女になった事はあるのか?」
「………それは……どういう意味ですか……?」
「なければ、私が」
彼は彼女の顎を持ち上げ唇を近付けた。
彼女は咄嗟に杖で魔法をかけた。その瞬間彼は今まで見たことのない形相で睨んだがすぐに眠りについた。
彼女の呼吸は荒く乱れ心臓が破裂しそうだった。
アーサーがナイフを向け戦闘態勢になると3体同時に襲いかかってきた。
ナイフで斬りつけ、殴り、蹴りを入れるも全く怯む様子がない。アーサーは意を決し1体の口の中にナイフを突っ込んだ。オルトロスは叫び声をあげてアーサーの手を噛んだ。そこで思わずナイフから手を離す。オルトロスはすぐに口を開け逃げ去った。残すは2体。アーサーは成すすべも無く逃げる他なかった。
後を追うオルトロス。アーサーは咄嗟にラフレシアの花を生成した。その瞬間こそ怯ませたもののすぐに花びらを噛みちぎられた。
「ホントに役に立たねーなこのスキル!」
アーサーが怒りを露わにした時だった。2体は花の臭いを嗅ぐと一目散に逃げていった。
アーサーは何とか一命を取り留めたものの彼の失った物は余りに多い。上着とその中にあった暗黒都市の地図や傷薬、薬草、唯一の武器であるナイフ。そして、仲間。
見知らぬ土地、必要なアイテムは全て紛失、そこかしこから聞こえる魔獣のうめき声。
途方に暮れるしかできない。
一旦近くの空き家に避難するアーサー。今後この状況をどう切り抜ければいいか見当がつかない。ボロボロの椅子に座り割れた窓から外を眺める。
今の状態では今日明日にでも死ぬかもしれない。なぜランを失望させてしまったのか?なぜ自分は落ち着いた行動ができなかったのか?
ランの言ってる事は正しかった。もっと冷静になって皆に寄り添うべきだった。先の事を考えて安全対策を練るべきだった。
そしてこうなるならもっとはやくランに想いを伝えておくべきだった。
今更後悔しても遅い。だがアーサーは許しを請うように、想いを届けるようにあの日にあげた薔薇に念じた。
ランは眠ったヤーハンを船尾に置き自分でオールを漕いでいた。辺りはすっかり夜になり発光させた杖を船底に置いて船を照らす。
オールから伝わる水の感覚、そして川の流れる音。周りの環境全てが彼女の深層にあるトラウマを刺激する。
彼女は一旦漕ぐのを止め杖を持ち先を照らしたがまだまだ向こう岸は遠く見えない。
酷い落胆と無力感が彼女を襲う。
だが、川上に何かの影があるのを彼女は見逃さなかった。恐る恐る注視すると流れてきたのはアーサーからもらった薔薇だった。
ランは驚いた。そして水に触れるのを恐れながらも手を伸ばし薔薇を拾った。茎の真ん中で折れ、ずぶ濡れの薔薇。
だがその時、萎れてほとんど枯れていたはずの花びらが徐々に元の色へと戻っていった。
彼女は確信した。アーサーは自分の事を想ってくれている。
あの時ラン自身も取り乱しておりアーサーにキツく当たってしまった。
アーサーは彼の母が目の前で魔獣に食べられたのを見ている。その光景が重なったのだろう。だから捉え方が他の人とは違うはず。なぜそれに気付けなかったのだろう。
今更後悔しても遅い。だがランは許しを請うように、想いを届けるようにその薔薇を抱き締めた。
アーサーはふとズボンのポケットに違和感を覚えた。中にあるものを取り出すと、ランのくれた蛍石があった。それも光を放っている。何故だ?今は念じて光らせていないはずなのに。彼は不思議に思ったが光の色を見て気付いた。石は紫色に光っている。これはランが念じている。
彼は確信した。ランは自分の事を想ってくれている。果てしない失意の中に灯った小さな光。アーサーは喜びと共にその石を握り締めた。




