その言葉を聞く者は、もう誰もいない…
※お詫び※
設定ミスにより【連載作品】の表示がされていますが、正しくは【短編作品】で【完結済】です。修正ができないため、ご了承下さい。
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「きゃああああああ!!!」
「ち、違う! わ、私ではない!!」
ホテルの部屋に入って来た従業員の目に映ったのは、血塗れで倒れている女性だった。
その女性はヴェンガード侯爵家当主の愛人であるシェリア・オッソ男爵令嬢。
その傍で、真っ赤に染まったナイフを手にして立っていたのは……他でもないそのヴェンガード侯爵家当主であるディスクルだった!
「だ、誰か来てええぇ! ひ、ひ、人殺しいいいいぃぃ――――!!!」
従業員は叫びながら廊下へ出て行った。
「わ、私がシェリアを殺したのではない!! 違うんだ―――――――!!」
ホテル中に響き渡るような尋常ではない叫び声を聞き、支配人と他の従業員たちも駆け付けた。
その者たちの目に映ったものは、血の海の中で絶命している女性とその傍らで服には返り血を浴び、手には血に染まったナイフを握っているディスクル。
「ち、違う…っ」
カランと乾いた音を立てながら、ナイフが床に落ちる。
その情景に、目を見開き固まる支配人と従業員たちに向かって必死に叫ぶディスクル
「わ、私ではない! 目が覚めたらこんな事に…っ 本当に私ではないんだ!!」
血塗れの姿で叫ぶ彼の言葉を信じる者が、果たしているのだろうか…
◇
その後、ホテルの支配人が通報。
ディスクルは、ほどなくやって来た警邏隊に取り押さえられ警保局へと連行されたのだった。
ディスクル・ヴェンガードは入り婿だった。
ヴェンガード侯爵家の一人娘であるナリスがコリス子爵家の三男であるディスクルに一目惚れし、結婚に至った。
最初義父は、爵位格差に難色を示していた。
たが義父は妻を早くに亡くしており、娘を溺愛していた。
結局、娘の願いを叶えるしかなかった。
先代が存命中は従順な婿の顔をしていたディスクルだが、一年前に義父が亡くなり当主になった途端、ナリスに対する態度が一変する。
(うるさい義父はいない。これからは自分が当主だ!)
しかし当主とは名ばかり。
仕事は執事に任せ、妻を蔑ろにし、愛人を作ると、日々情事に耽るようになる。
先代が築き上げてきた資産は、湯水のように愛人との享楽の為に使われていく。
妻は夫が愛人を作り、その後、身籠らせた事で心の病に罹る。
そんな妻をディスクルは煩わしく思うようになり、息子に押し付けた。
けど、身勝手に過ごしてきた時間は、そう長くは続かなかった。
(なぜだ! なぜこんな事になった! 1年前に義父が亡くなり、婿養子だった私がやっとヴェンガード侯爵家当主になれた。若い愛人を手に入れ、これからだというのに…!)
なのに今、ディスクルは殺人の容疑で取り調べを受けている。
「だからっ 私が部屋で目を覚ました時には、彼女はすでに死んでいたんだっ 何度もそう言っているだろう!? た、確かに、今夜あのホテルでシェリアと会う約束をしていた。いつもの部屋に入るといきなり口を塞がれ、気が付くと目の前でシェリアはすでに死んでいたんだ!」
ディスクルはホテルについてからの事を繰り返し話していた。
「だったら、身体中に浴びた返り血と手に持っていたナイフをどう説明するんです?」
「そ、それは、その、私の口を塞いだ人間が…」
「…あのホテルの出入口は二つだけ。客が出入りする正面入口と従業員専用の裏口。正面玄関は客がくれば常に支配人や従業員が対応する。裏口を出入りする際は、常時鍵を使って開閉する必要がある。よって裏口から外部の人間は入れないし、正面から不審なヤツが出入りすればホテルの者が必ず気がつく。だがあの部屋へ入ったのは、貴方と愛人だけだと従業員たちは証言しているんだよ。そして部屋から女の叫び声があり、駆け付けた従業員が見たのがあの現状だ」
「さ、叫び声? け、けど、私が気が付いた時には彼女はすでに…」
「女は貴方の愛人だった!」
バン!!
取調官の怒鳴り声と机を叩く音に、ディスクルはびくりと身体を強張らせた。
「そして妊娠していたそうですね。その事で貴方は子供を堕ろすように迫り、さらに別れ話を切り出したが話が拗れた末の犯行なのではありませんか? 貴方は入り婿だ。奥様にバレ、離婚を告げられたら侯爵邸を出るしかない。いままでの優雅な生活も地位も名誉も金も全て失う。だから…」
「ち、違うっ 違う!」
何度否定しても、取調官はまともに取り合ってくれなかった。
はなからディスクルが犯人だと決めつけている。
それでも彼は否定する事しかできなかった。
それにディスクルには疚しい気持ちがあった。
本当はシェリアが妊娠した事で、ディスクルは妻と息子を事故に見せかけて葬った後、シェリアを後妻として迎え入れるつもりだった。
そんな事をシェリアと先日画策していたばかりだったのだ。
だから、自分にはシェリアを殺す理由はなかった。
けれど、そんな事言えるはずもない。
ディスクルは、自分が潔白である証明をする事ができなかった。
「死んだ愛人…16歳でしたっけ? 自分の息子の年とさほど変わらないでしょう? ハッ! 貴方の中に道徳心ってヤツは備わっていないようですなっ」
取調官の苛立たし気な声に、ディスクルはごくりと生唾を飲み込む。
「わ、分かっています…私は妻と息子を裏切り、若い愛人を囲っていたどうしようもない男です…けれど、私は彼女をあ、愛していましたっ け、決してシェリアを殺したりしていません!」
ディスクルは必死に容疑を否認した。
しかし、物的証拠も状況証拠も揃っている。
全ての状況が、ディスクルが犯人という事実を物語っていた。
何よりもホテルの従業員に、死んでいる愛人の傍らで、凶器のナイフを持って立っているディスクルを目撃されているのだから。
愛人の死、そしてその容疑者にされた自分の現状に、恐怖を覚えるディスクルであった。
◇
「素直に罪を認め、猛省している事を述べて下さい。そして、愛人を殺害したのは、妊娠した事をネタに妻にバラすと脅されて追い詰められて殺さざるを得なかった。自分は婿養子なので、妻にバレたら離婚される可能性が高い、そうなると失うものが大きかった。だから…」
取り調べが終わり、国選弁護人と今後の事を話していた。
若い弁護人に多少の不安を覚えたが今、ディスクルが頼りにできるのは彼しかいなかった。
だがディスクルは、その弁護人から素直に罪を認めろと言われいた。
「ちょ、ちょっと待って下さい! わ、私はシェリアを殺していない! 殺していないんです!」
(冗談じゃないっ やってもいない罪を着せられてたまるか! 私は無実だ! なのになぜこんな事に…っ)
弁護人はディスクルが殺害した事を前提に話しを進めている。
それに気が付いたディスクルは慌てて容疑を否認した。
しかし弁護人は二言目には
「物的証拠と状況証拠が揃っているんですよ」
そればかりを繰り返した。
まるで取調官と話しているような気持ちになり、苛立ちが募るディスクル。
(弁護人のくせに、依頼人を信じないとは…っ!私が犯人だと決めつけている。有罪と分かり切っている事件に無罪を主張するつもりはないようだ。……クソ!)
ディスクルは心の中で弁護人に悪態をつきながらも、何度も無罪を主張した。
「あなたが返り血を浴び、血塗れの凶器を手にして愛人の側で立っていた姿はホテルの従業員に目撃されています。血の付いた服もナイフも被害者の血液型と同じ型だ。被害者の身体にあった複数の刺し傷とナイフの形状も一致しています。そして貴方には保身のために、愛人を殺害する動機がある。罪を認め、反省している姿勢を示す事です。そうすれば極刑から終身刑に情状してもらえる可能性があります」
「きょ、極刑!? 終身け…っ じょ、冗談じゃない! 何度言えば信じてもらえるんですか! 私は殺していないんですよ!」
「……よく考えて下さい」
溜息をつきながら、面会を終える弁護人。
「わ、私は無実なんだああああああ!!!!」
部屋を出る弁護人の背中に向かって叫ぶディスクル。
そしてディスクルの訴えは虚しく、後日裁判所は彼に対して極刑の判決を言い渡した。
◇
「面会だ」
裁判が終わり、刑の執行を待つ日々を欝々と送っているディスクルの風貌はすっかり変わり果てていた。
黒かった髪には白い物が混じり、精悍な顔つきは頬がこけ、目は窪み、口元には無精髭。
以前の面影は見る影もない。
そんな彼の目の前に、息子のカウレが立っていた。
(私と同じ黒い髪、ブルーの瞳を持つ一人息子。まだ14歳だが、もう私とほぼ変わらない身長になっている。いつの間にこんなに大きく…)
ディスクルは愛人宅に入り浸り、家庭を顧みなかった。
久しぶりにあった息子の成長に、彼は驚いていた。
狭い部屋の中、金網を隔てて向かい合う親子。
カウレは、『最期に父と二人きりでゆっくり過ごさせて欲しい』と監視員に訴えた。
いくばくかの金を握らせて…
だから、通常なら立ち会うはずの監視員も今はいない。
静寂の中、そこにいるのは父と息子のみ。
「カ、カウレッ いろいろ迷惑をかけてすまないっ だ、だが私は無実なんだっ 彼女を殺したりしていないっ 信じてくれ! 頼むから控訴してくれ!!」
頼みの綱は息子だけ。
最後の糸に縋るかのように、カウレに自分の無実を訴えるディスクル。
そんなディスクルを見て、カウレは穏やかに微笑みこう言った。
「……もちろん、わかっているよ。殺していないって」
「カウレ…!」
(やはり私の息子だ。この子は私の事を信じてくれている)
ディスクルはカウレの言葉に涙した。
そして、一縷の光を見出した気がした。
しかし、その光は次の言葉で胡散する事となる。
「だって、あの女を殺したのは僕だから」
「―――――――――――え……」
…い、今何て…?
あの女って…シェリアの事…か?
こ、殺した……?
シェリアを…カ、カウレが…!?
予想もしなかった息子の言葉に、ディスクルは戸惑うばかり。
「な、何を…何を言って……!」
「僕が殺した、あんたの愛人を。あんな売女の血を引いた異母兄弟なんて冗談じゃない。何よりあの女の存在が母上を苦しめ悲しませ、そのせいで心が壊れてしまった。そんなヤツを許せるはずがないだろう?」
「……ば、売女…? カ、カウレ?」
こんな粗暴な言葉遣いをするような子では……
突然態度を豹変させた息子に、ディスクルは戸惑うばかりだ。
「そして許せないのは――――――― あんたも同じだ」
「!!」
「あんたを嵌めたのはこの僕だよ」
「……カ、カウレ? い、今なんて…」
嵌めたって…カウレが私を?
殺人犯にするために嵌めたと言うのか……!?
「言ってもいいよ、愛人を殺したのは息子だって。自分を殺人犯に仕立てたのは息子だって。けど、そんな証拠はどこにもない。全ての証拠があんたを犯人だと示している。さらに目撃者はあんたが犯人になる証言しかしないだろう」
「え?」
「目撃者とされる従業員はウチの使用人だ。あのホテルにはウチの使用人を数人、従業員として働かせていたんだ、気づかれないように変装して。あんたたちの動向を探るためにな。
あのホテルがあんたたちの定宿という事は調べがついていた。
いつも同じ部屋を案内されていただろ?
あの部屋の隣は従業員用の部屋になっている。
そこであんたらの言動を逐一報告させていた。
母上と僕を殺して、ヴェンガード家を乗っ取るつもりだったんだろ?
あのバカ女を侯爵夫人に据えるって…面白い事、考えたね」
カウレの口元が上がる。
その表情に、背筋から嫌な汗が流れるのを感じたディスクル。
「あ、あれは…っ ち、違うっ 本気じゃない! シェリアの話に合わせていただけだ! お前たちを殺そうなど…「黙れよ」
カウレが被せるようにディスクルの言葉を遮る。
初めて聞く息子の低い声に、知らない男と話しているような恐ろしさを感じたディスクル。
そして、見たこともないような冷ややかな瞳で話しを続けるカウレ。
「わかってんだよ、あんたから提案した計画だって。だからヴェンガード家を守るために、屋敷の者は協力してくれたんだ。あんたを追い出すためにな」
(協力って…屋敷の者が全員、私を殺人犯に仕立てるためにカウレに協力したというのか!?)
「皆、お祖父様の代から仕えてくれている者ばかりだ。
お祖父様が亡くなり、爵位を継いでから母上を蔑ろにし始めたあんたには、皆、悪意しか持っていなかったんだよ。気がつかなかったのか?
女に入れあげていたイロボケ親父に、周りの空気を読むなんて配慮、持ち合わせてないだろうけどな。
それにあんたの言葉を信じるヤツ、いない思うよ?
そもそもあんたの素行が悪すぎる。
仕事は執事任せ、しまいには自分の子供とさほど年の変わらない若い女を愛人にし孕ませた。
逆に妻と息子を殺害しようと目論む非道ぶり。
そんなあんたの味方になろうなんて人間、誰一人いないよ。ははは」
「……カ、カウレ……」
「僕はあんたの服を着て、あの部屋で女が来るのを待っていた。何も知らないバカ女はあんたとの逢瀬を楽しむために嬉しそうに部屋に入って来たよ。
僕を見た時、一瞬驚いた顔をしていたが…あの女、何て言ったと思う?
『一緒に交ざる?』だとさ!
まずは腹に、次は胸。あとは…何度刺したかな?
気が付いたら足元に転がっていたよ。その後、やって来たあんたに睡眠薬を染み込ませた布で口を塞いだのがホテルの従業員として働いていたウチの使用人だ。
その後、眠ったあんたに返り血のついた服を着させ、ナイフを握らせた。こんな事ひとりでできる訳がないだろ? 協力者がいなくちゃな」
(だからこのホテルにわざわざ屋敷の者を…いつも同じ部屋を案内されたのは前から計画されていた事だったのか…っ)
「そ、そんな…っ」
息子の言葉に絶望するディスクル
「いつから…いつから…っ!」
「いつから? そんな事言ってる時点で終わってるね、あんた。
入り婿の分際でお祖父様がご存命中から娼館に出入りしていただろ?
お祖父様は気づいてたけど、母上には気づかれないようにしていた。
母上はあんたを愛していたからな。
けれど、お祖父様が亡くなりあんたが当主を継いだ途端、母上を顧みなくなり、自分の子供のような若い女を愛人にし身籠らせた。
そのせいで心を病んだ母上をあんたは疎ましく思った。
本当に…救いようのないクズだな」
「ク、クズ…っ お、おまえ…ち、父親に向かって…っ!!」
ディスクルは怒りで震える手で、金網を握り締めた。
「父親?」
ガン!!!
カウレは金網を殴りつけた。
「あんたを父親なんて思ったことなど一度としてない! こっちはあんたが愛人に感けて、母上を傷つけていた事しか記憶にないんだよ!」
「カ…」
本当に目の前にいるのはあの息子なのか?
いつも母親を気遣い、父である私に逆らうような事はなかったのに…
怒りに満ちた瞳で見据えられ、自分が実の息子にこれほどまでに憎まれている事を初めて知り、ディスクルは愕然となる。
「ずっと考えていた。あんたを破滅させるにどうすればいいのかってな」
腕を組みながら、自分の父親を殺人者に仕立てる計画を立てていた事を話すカウレ。
「この国は15歳が成人年齢とされている。14歳の僕は今はまだ未成年だから家門を継げられないが、例外としてやむを得ない事情で当主が不在になった場合、未成年でも後見人を立てれば当主に付く事ができる。
通常なら、犯罪者を出した家門は廃絶になっても仕方がないけれど、幸いにもあんたは入り婿だ。あんたを除籍し、侯爵位から伯爵位に降爵して、僕が当主になり、後見人を付ける事で家門を守る事ができる」
「カ…ウレ…」
「あんたの実家であるコルタ子爵家はあんたを見捨てたよ。なんせ平民落ちになったからな。自分たちの事で手一杯で、あんたを助けようと思う人間なんていないよ」
「……そ、そんな…っ…」
「もう二度、あんたと会う事はない。……父上」
「カ、カウレッ 待ってくれ!」
「地獄で愛人が待ってるよ」
「カウレ――――――ッッ!!!」
ガッシャン!!
閉じられた鉄の扉の向こうでディスクルの叫び声が微かに聞こえる。
だが、その言葉を聞く者は、もう誰もいない。
カウレは満足げに微笑み、その場を後にした。
◇
「おかえりなさいませ、カウレ様」
屋敷に戻ると、執事と侍女、そして使用人たち全員が待っていた。
「…みんな、協力してくれてありがとう。心から感謝する」
カウレは執事、侍女長、使用人たちの前に立ち、首を垂れた。
「お、お止めくださいっ カウレ様! 私たちは先代である大旦那様から仕えておりました。奥様のお小さい頃から仕えている者もおります。あんな男のために奥様は心を病んでしまった。仕事は人任せ、大旦那様が築かれたものは愛人なんかのために使われていく…っ 許せませんでした! その気持ちはここにいる者たち皆、一緒でございます!」
執事が思いの丈を吐き出す。
「本当にありがとう。これからもお祖父様が守って来たヴェンガード家を支えて欲しい」
執事の言葉に微笑むカウレ。
「無論でございます」
皆、笑顔でカウレの言葉を受け止めた。
「あなた、おかえりなさいませ」
カウレの母親であるナリスが階段を降りてくる。
「…ただいま…」
「最近お帰りが早いから、一緒に居られる時間が増えて嬉しいわ」
ナリスは息子であるカウレの顔を見て、幸せそうに笑う。
夫の裏切りによって心を病んだナリスは、息子を愛する夫と思うようになっていた。
カウレは泣きそうな顔で言う…
「……ああ……いつもそばにいるよ………………は…上」
カウレは涙に気づかれないように、そっと母を抱き締める。
数日後、ディスクルの刑が執行された――――――――
【終】




