表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/22

5|『忘却の姫と竜の少女』

 アルナゼリゼ城――玉座の間は、まるで額縁の中に収められた一枚の絵画のように、静止していた。その煌びやかな輝きのすべてが凍りつき、仕えていたメイドや執事、兵士たちもまた、ことごとく氷の彫像と化している。


 天井からは、一つの氷の棺が垂れ下がっていた。

 その透明な棺の中に横たわっているのは、呪いによって永遠の眠りに囚われた――アギルレギンの恋人、シグリッド。彼女の銀色の髪は一本一本が凍りつき、フリルのドレスもまた、風に揺れることなく凍りついたまま、時さえ止まっていた。


 そして――


 玉座に、鎧の男が座していた。

 オセ・ツァザルディオ。

 彼は頬杖をつきながら、アギルレギンを待っていた。




   5.『忘却の姫と竜の少女』




「オセ……ッ!! 貴様、シグリッドに何をした!!」


「――ただ、眠っているだけだろう?」


「ふざけるなッ!!」


 兜の奥で不敵な笑みを浮かべるオセに、アギルレギンは強く拳を握りしめた。


「アギルレギン。……お前に何ができる?

 人を、――傷つけることすらできない、お前に」


「――っ……!」


 爪が掌に食い込むほどに、アギルレギンは拳をさらに固く握り締めた。


 そう――彼には、ただ一つの「弱さ」がある。

 それは、人を傷つけることができないということ。

 人を、殺すことができないということ。


 その呪いは、生まれつきのものではない。

 ある出来事をきっかけにして、彼はこの“弱さ”を背負うことになったのだ。


 不殺生――それは、アギルレギンにとっての「枷」だった。

 



 //

 



 青の空。二本のひこうき雲が、

 決して交わることなく。

 どこまでも、どこまで続いていた。 

 

「――アギル。ねぇ、アギル、聞こえる?」


 果てしなく広がる海の上で、

 アギルレギンは意識だけの存在となり、漂っていた。

 

 その深い静寂の中で――愛しい君の声を、確かに聞いた。


 ――シグリッド。

 

 君は、僕の人生でたった一人、僕を心から愛してくれた人だ。

 どこへ行っても、元奴隷の僕は差別され、迫害されてきた。そんな僕が、今こうしてコミュニオンの主席魔導師になれたのは、すべて君と――君と出会えたから。


 そして、アギルレギンは思い出す。

 テイルソニア星央学院(セイオウガクイン)で過ごした日々を。


 成績優秀だった彼は、

 名誉ある〈星央生徒会〉の一員に選ばれて――選ばれて、それから……。


 ――何が、あった?


 ……思い出せない。

 

 忘れている。何か、かけがえのない「大切なこと」を。

 その正体は、いったい――何だ?


 アギルレギンは、空に向かって手を伸ばす。

 その先にあるはずの、シグリッドの声を探して――。


「シグリッド!! そこにいるのか!」


「答えてくれ……シグリッド……」


 呼びかけても、もう彼女の声はどこにもなかった。

 ただ最後に。アギルレギンには届かぬほど小さな声で、彼女は、そっと呟いた。

 

「お願い、アギル」



 ≫ 私を、忘れて。 ≪

 



 //

 



「シグ……、シグ……君の、名前は――何だ?」


 アギルレギンは、目の前に垂れ下がる氷の棺に眠る恋人へと問いかけた。だが、思い出せるのは――彼女が「大切な存在だった」ということだけ。名前も、共に過ごした日々の記憶も、すべてが霧の向こうに消えていた。


 思い出せない。思い出せない……思い出せない!!


 なぜだッ!!


「どうした、アギルレギン。もう終わりか?

 フン。くだらんな。所詮、その程度の器か――」


「……りじゃない」


「聞こえんな。はっきりと言え」


「終わりじゃない!!

 僕は主席魔導師・アギルレギンだッ!!」


 叫ぶように言い放つと、アギルレギンは魔法を発動――その手に「黄金の(ハサミ)」が具現化される。彼はその鋏を、氷の棺を吊るす糸へ向かって投げた。


 空中を滑る軌跡が、空間ごと裂けるように糸を断ち切る。


「すまない。君を――忘れることなんて、できそうにない!!」


 凍てついた大理石の床に足を取られながらも、アギルレギンは落ちてきた棺を全身で受け止めた。そのまま、彼はオセに背を向け、城門へと駆け出す。


 ある勇敢な王は言うだろう。

 真に勇ましい者は、決して逃げず、立ち向かうものだと。

 立ち向かわなければ、何も得られないと――。


 だが、アギルレギンは「逃げる」ことを選んだ。


 王としての矜持を捨ててでも、いまは生きることを――

 氷の棺に眠る恋人と、共に生きる未来を、選んだのだった。






 「追え」


 オセが命じると同時に、彼の背後に魔法陣が出現する。

 その光の輪から、青い甲冑を纏った騎士たちが次々と現れ、虚ろな瞳で、錆びた剣を携え、一斉に駆け出した。


 キィズ=アニマ領域:第Ⅻ契【召喚魔法】――。


 オセ・ツァザルディオは、召喚魔法を操る魔法使いである。彼の魔法契約書〈クラヴィス〉の表紙に記された本のタイトルは――『青騎士/アオキシ』。その力で呼び出されるのは、死してなお忠誠を誓う数千もの蒼き騎士たち。青い甲冑に身を包み、命なきその瞳で、ただオセの命を遂行するために動く。


 オセは玉座から一歩も動かず、頬杖をついたまま彼らを操っていた。


 その時――



「余裕ぶっこいてんじゃねぇよォ!!

 ――このヨロイ野郎ッ!!」



 豪快な声とともに、天井を突き破って舞い降りたのは、一人の少女だった。


 側頭部から生えた二本の「竜の角」――。

 無造作に切り揃えられたダークグレーのミディアムヘアと、深緑の瞳。――傷だらけの戦闘服に身を包み、左腕には重厚な鋼鉄のガントレットを装着している。

 

 その姿はまるで、戦場に現れた彗星のように。

 ――衝撃とともに、玉座の間に降り立った。


「お前は……」


「忘れたなんて言わせねぇぞ、このクソヨロイ野郎ッ!!」


「ああ……覚えているよ。

 まさか、生きていたとはな。――神殺しのラルカ」


 オセがそう呟いた瞬間、竜の角を持つ少女――ラルカは、わざとらしく手を打ち始めた。カァン、カァン、と。凍てついた空気に、金属音が混じった拍手が響き渡る。


 やがて彼女は、自ら突き破って空けた天井の穴を指差す。

 そこから粉雪が舞い落ち、玉座の間を静かに白へと染めていく。


 オセはゆっくりと顔を上げた。視線の先、天井の穴から――太陽が、古代都市を背にした竜が、ゆるやかに落ちてくる様が映っていた。


 ラルカは一歩、また一歩と玉座へと近づきながら口を開く。


「太陽が落ちてくるのはどうだっていいんだけどさぁ。

 ――あの竜、あれって『竜の背』だよな」


「……知らんな」


「はっ、シラを切るなよ、クソヨロイ野郎。

 あれはオレがずっと探してたもんだ。

 あいつが出てきたってことは……始まったんだな。『大雪焉(ダイセツエン)』が――」


 その問いに、オセは何も答えなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ