2|『暗転』
幕が上がる。
音楽祭が、始まった――。
瞬間。
観客が息を飲み、ホールが静まり返る。
しかし、そこにあったのは――音楽ではなかった。
舞台上には、異様な光景。
絢爛たる開演を待ちわびていたはずの楽団員たちが、その全員が、舞台上でぴくりとも動かずに倒れていた。緋色のカーテンがゆっくりと開かれ、中央へと光が差し込む。だがその光は、壮麗な演奏を讃えるものではない。そこに照らされていたのは、静まり返った演奏者たちの姿と、真紅の液体に染まる大理石の舞台だった。
観客席から、抑えきれぬ悲鳴が漏れ始める。
舞台に整然と立ち並ぶのは、漆黒の軍服に身を包んだ兵士たちだった。
その胸元には、金糸で刺繍された「XCiX」の紋章が輝いている。
音楽の代わりに――。
鳴り響いたのは、魔法光弾を連射するアサルトライフルの駆動音。
「――全員、伏せろ!!」
誰かの叫びも虚しく、兵士たちは躊躇なく、
観客席に向かって銃口を向ける。
――バババババッ!!
魔法光弾が弾幕となって放たれ、観客席の一角を、斜め一線に切り裂いた。――席を貫き、壁を焦がし、天井に反響するのは、人々の悲鳴と衝撃音。……アルナゼリゼ帝立歌劇場は、一瞬で戦場へと変貌した。
そして。
彼らは両手の指をU字型に組み――「蹄鉄の印」を形作る。すると空間に淡く光る魔法陣が浮かび、そこから放たれたのは、半月型の魔法波だった。
空気を引き裂くように放たれた魔法波が、観客席の中段を丸ごと吹き飛ばす。
シャンデリアの光が砕け散り、女神たちのフレスコ画が灰と煤にかすむ中、
芸術の殿堂は、もはや静かなる破壊の舞台と化していた――。
02.『暗転』
「――ヴァルシッド流鉄蹄術……?」
キロシュタインが顎に手を当て、低く呟く。
五階の上層席にいたキロシュタインとツキナは、咄嗟に身を伏せたおかげで、かすり傷ひとつ負わずに済んだ。――だが、攻撃が止んだわけではない。
「……キロシュタインさん。今は、逃げることを優先しましょう」
床に魔法譜を指で描きながら、ぶつぶつと考え込むキロシュタイン。
その手を、ツキナが迷いなく引いた。
――
「しっかり掴まっててください……!」
ツキナはそう言うと、キロシュタインを軽々とお姫様抱っこで抱き上げた。
「え、え? 待って、ツキナ!? どういう状況!?」
「階段は人で溢れていて逃げ道がありません」
「なので――」
キロシュタインを抱えたまま、ツキナは勢いよく走り出す。
――向かう先は、窓ガラス。
「あんたウソでしょ!!」
キロシュタインが珍しく大声を上げるが、ツキナは止まらない。
そのまま勢いよく窓を突き破り、外へと飛び出した。
まるで映画のワンシーンのように。
雪がしんしんと降り積もるアルナゼリゼの街、
その空を、少女を抱えたもう一人の少女が――飛ぶ。
「――射月」
ツキナの詠唱。
瞬間、二人の身体が空中でぐんと前方へ引かれるように加速する。
ホワイトアウト気味の視界の中、すとん、と着地したのは、大通りを越えた向こう側の建物の屋根の上だった。そうして、ツキナはキロシュタインをそっと降ろす。
「……アンタ、意外と力あるのね」
「……まぁ。これでも鍛えてますので」
どこか誇らしげに胸を張るツキナだった。
◇
屋根の上から通りを見下ろすと、武装した兵士たちが隊列を組んで進んでいるのが見えた。彼らは全員、胸元に「XCiX」の刺繍が施された軍服を纏っている。
そして――
雪のカーテンに視界を遮られながらも、空中には複数の魔法起動機兵〈カルディア〉が飛行しているのが見えた。その輪郭はぼんやりと滲んでいたが、街を制圧するかのように、各所に布陣しているのがわかる。
その光景を見ながら、
「……クーデター」
キロシュタインはそう呟いた。
そして、静かに続ける。
「この街を統治しているのは、エクシクス諸派のはず。――でも、さっき劇場を襲撃してきた連中は、間違いなくエクシクスの制服を着ていた……」
「XCiX」の金刺繍の紋章が脳裏に焼きついている。
隣で様子を見ていたツキナも、表情を曇らせながら言う。
「あの制服は、エクシクスの軍部で採用されているものですね。……以前、一度だけ目にしたことがあります。……それにしても、自国民にあれほど容赦なく攻撃するなんて……」
ツキナはそっと目を伏せ、握りしめた手に力を込めた。
◇
「ダメ。圏外になってて繋がらない……ツキナも?」
「……繋がらない、ですね」
キロシュタインとツキナは、アルスタを取り出して助けを呼ぼうとしたが、すでに電話もメッセージも一切使えない状態となっていた。
沈黙の中で、ツキナがふと思い出したように口を開く。
「そういえば……さっきキロシュタインさんが言っていた
“ヴァルシッド流鉄蹄術”って、何なんですか?」
「キィズ魔法体系の領域の一つよ」
「両手で蹄鉄みたいな、U字型の印を組んで魔法を発動するの」
「……劇場で見た、あれが――」
「そう。あれが、ヴァルシッド流鉄蹄術」
そう答えると、キロシュタインはそっとしゃがみ込み、降り積もった雪の上に指を滑らせた。白いキャンバスのような雪面に、彼女は迷いなく魔法譜を描き始める。
告式、術紋、触媒――すべてを、完璧に、丁寧に、美しく。
「これが、一般的なヴァルシッド流鉄蹄術の魔法譜――。
けど……劇場で使われていたのは、少し色味が違ったの」
「色、ですか?」
「そう。感覚的な話だけど……わたしには、あの魔法の色が青に見えた」
「たしかに……そう言われてみれば、そんな気もします」
キロシュタインは静かに頷き、指を止めた。
「――で、ここからが重要なんだけど」
言葉を区切り、一拍置いてから続ける。
「あの色のヴァルシッド流鉄蹄術を使うのは……オセ・ツァザルディオ。エクシクス諸派の初代主席魔導師と、彼が率いていた軍隊だけなの」
その言葉に、空気が凍るような重みが宿った。
…………、
……、
黄金街=アルナゼリゼの最北。
街全体を見渡す高台の丘に、アルナゼリゼ城はそびえていた。
無数の尖塔が天を突くように屹立し、青と黄金を基調とした荘厳な装飾は、魔導教エクシクス諸派の栄光を高らかに謳い上げていた。
――
その城門の前に、一人の男が立っている。
鋼鉄のような漆黒の鎧に身を包み、
魔力の奔流を纏うその姿は、まるで王の亡霊のごとく。
その名は――オセ・ツァザルディオ。
かつて、魔導教エクシクス諸派の初代主席魔導師として、その名を歴史に刻んだ男である。だが彼は、対摂理・ジェミニ計画を主導したとして、星礼院より除名・追放され、主席魔導師の座を剥奪された過去を持つ。
そのオセが、今――ふたたびこの街に帰ってきた。
奪われたものを、奪い返すために。
王座を――
取り戻すために。