16|『消えたキロちゃんを捜して』
――アルナゼリゼ音楽祭から十四日後。
世界は、完全に混沌と化していた。
南ビアンポルト地方に突如出現した終焉の天使・ユハが放つ魔力波によって、魔法起動式の乗り物や機器の大半が損傷。主要な通信インフラは機能を停止し、世界中の人々は各都市内に閉じ込められるような状況に陥っていた。
さらに、アルナゼリゼで勃発したクーデターは、
各コミュニオン間に緊張を走らせ、
その圧力は日に日に増していく。
混乱と疑心、そして不安。
不安定な情勢のもと、各都市の治安は著しく悪化。
世界は今、かつてない"停滞と緊張"の時代へと突入していた。
16.『消えたキロちゃんを捜して』
――宇宙空間。
重力も音も、ここにはない。
そこには、果てしない静寂と、幾億の星々が広がっている。
その黒き虚空に、一機のカルディアが浮かんでいた。
《O2‐VEiL:THE SUN》
燃え盛る炎のような赤き装甲、背部には円形の翼「太陽の王国」が展開され、そこから放たれる粒子状の残光が、宇宙空間に揺らめく尾を描いていた。
機体のすぐ下には、
ひときわ鮮やかな蒼の惑星――
アスハイロスト。
巨大な双星洋の海に覆われた球体。その周囲には、土星のように透明な結晶質の輪が何重にも回っていた。光を受けるたびに虹色のプリズムが生まれ、その美しさはまるで、神が設計した巨大な音楽装置のようだった。
O2は、その外縁軌道を静かに漂っている。
――
コックピット内部は、極めて静かだった。
内部の重力制御によって身体は安定しており、
柔らかなライティングが計器類と乗員の顔を浮かび上がらせていた。
二つ並んだ横並びのシート。
左側の操縦席にラテルベル、そのとなりにはノアが座っていた。
ラテルベルはヘルメット越しに、微弱な波形を観測する。
「……KL通信、回線確保。――ツキナさん、応答してください」
一瞬の間をおいて、
モニターに映し出されたのは――
「こちらツキナ。通信クリア、安定しています」
鬼の面をかぶったツキナだった。
*
南ビアンポルト地方の中央に位置する、黄金街=アルナゼリゼ。
都市の中心部は、
オセ・ツァザルディオ率いる軍隊「青騎士」によって制圧されていた。
一方、郊外ではアギルレギン派の兵士たちが避難所を設け、
生き残った市民の多くは、その避難所へと逃げ込んでいた。
だが、オセ派とアギルレギン派の争いは今もやまず、
アルナゼリゼは依然として戦いの渦中にある。
ユハが空から降らせ続ける「永遠の雪」は、
南ビアンポルト地方全域を凍てつかせ、
住民たちは都市外へ出ることも叶わず、
氷点下の過酷な環境下で、身を寄せ合うように暮らしていた。
その避難所の片隅。
雪に半ば埋もれ、脚部が破壊された一機のカルディアが、
静かにその役目を終えたまま、置き去りにされていた。
そのコックピット内部――
ツキナがいた。
モニターには、宇宙空間を漂うO2のコックピット内、
ラテルベルとノアの姿が映し出されている。
「それにしても、さすがですね、ノアさん。
こんな通信方法を思いつくなんて」
ツキナが穏やかな声でそう褒めると、
モニターの向こうでノアが照れくさそうに笑った。
「まぁねー。魔力波の影響を受けない高度までカルディアを飛ばしてさ、旧世代のKL通信を使えば、なんとか連絡とれるんじゃないかって考えたわけだよ。いや~、うまくいってよかった」
KL通信。
それは一昔前に使用されていた、
カルディア専用の通信回線。
既に廃れつつあったその技術が、
いま、再び希望の架け橋となっていた。
「そういえば、新たに分かったことがあります」
ツキナはそう言って、一枚の地図を取り出す。
それは、現在のアルナゼリゼの市街地図だった。
「そのバツ印は?」
地図の一点を、モニター越しにラテルベルが指差す。
赤いペンで記された、目立たない印。
場所は――どこにでもあるような、路地裏の十字路だ。
「この場所が、キロシュタインさんが消息を絶った地点です」
「うーん……見た感じ、特に変わったところはないけど」
ノアは顎に指を当て、地図をじっと見つめた。
ツキナが言葉を継ぐ。
「はい。この地図上では何の変哲もありません。
……ですが――」
一拍、間を置き、ツキナはさらに別の地図を取り出す。
「こちらを見てください。これは今から三十年前……、
英雄歴3040年頃に作成された地図です」
「あっ。都市の名前が違う?」
ノアがすぐに違和感に気づく。
「そうです。当時、この地は“トリウィア”という小さな都市でした。しかし、三十年前に起きた聖戦によってトリウィアは敗北。その後、エクシクス諸派の支配下に置かれ、今のアルナゼリゼへと改称されたのです」
「そうなんだ……。
で、そのトリウィアって都市が、この十字路とどう関係するの?」
ツキナは頷き、説明を続ける。
「実はこの十字路、
当時トリウィアを治めていたコミュニオンの主席魔導師――、
“アスアス”が処刑された場所なんです」
その名前を聞いた瞬間、
ラテルベルが驚きの声を上げる。
「それって……まさか!」
「はい。まさにそのまさかです。
十一枝徒の一人、至星者・アスアス――」
ノアは息を呑み、震えるようにその名を繰り返す。
「運命を司る枝徒、アスアス。
シンボルは――“運命の輪”――」
その瞬間。
ノアの目の前に――ひらり。
一羽の青い蝶が、舞い降りた。
それはまるで、言葉のかわりに。
ノアに何かを伝えようとしているかのようだった。