14|『運命の魔法使い』
黒き太陽の上にそびえる塔の中。
キロシュタインと未来のノアは、かつて交わした約束を、
オルデキスカ――魔女の祈りをもう一度、結び直す。
その約束は、どんな運命にも負けない、
二人の心をつなぐ『魔法』となる。
時空という壁を越えて。
運命の輪は、再び、静かに回り始めるだろう。
14.『運命の魔法使い』
未来のノアは、キロシュタインの手を引き、歩き出す。
向かう先は、広間の中央に鎮座する、巨大な石の扉。
それはまるで、おとぎ話の中で語られる、
――物語の始まりを告げる門のようだった。
キロシュタインは、何も問わない。
この先に何が待っていようとも、進むしかないのだ。
導きの先へ。進め、進めと、心が歌っていた。
…………
……
「キロちゃん――もう、後戻りはできないよ。それでも……」
「大丈夫。覚悟はできてる。……この世界に来てから、ずっと分からないことばかりだった。でも――あなたのことは、信じたいって思うの」
「だって、あなたもノアだから」
そう言って、キロシュタインが微笑むと、
未来のノアはいたずらっぽく笑う。
「この扉の向こうが地獄だったとしても?」
「地獄なら大歓迎よ。
わたしの知的好奇心は、奈落の果てまで尽きることがないから」
「ふふっ……やっぱり、キロちゃんはそうでなくちゃ」
未来のノアはそっと扉に手を当て、呟いた。
「リーウェム・レイ・サンクラェ・サラニ――」
すると。
扉の表面に、魔法陣が浮かび上がる。
そして魔法陣は、黄金色の輝きを帯びながら、
静かに――歯車のように回り始めた。
まるで、凍りついた時間を動かすように。
石の扉が、
ゆっくりと、
開いていく。
タタタッ、と足音が響き、キロシュタインは振り返る。
そこにいたのは、竜人族の少女・ラルカだった。
頬をぷくっと膨らませながら、ラルカが言う。
「キロ、オレを置いていくなよ〜」
「先に行けって言ったのは、あんたでしょ」
「……まぁ、それはそうだけどさぁ」
そんなやり取りを見守りながら、
未来のノアは、やさしく微笑んでいた。
そして三人は、扉の中へと歩みを進めていく。
…………
……
闇の中を、ガタガタと音を立てながら何かが通り過ぎた。
落ちて、また落ちて……ただそれを繰り返す。
海ではない海の向こう、
泡のように弾けて消える光の先へ。
それは、安らかに呼吸をしながら、彼女を待っていた。
*
扉の中には、果てしなく広がる真っ白な空間があった。
「あれって……アカシア?」
キロシュタインは、
そこに“在る”存在を見つめながら、呟く。
あの日――
水没した地上世界で訪れた、
砂時計の形をした人工天体・アカシア。
それが今、真っ白な空間の宙に、静かに浮かんでいた。
「そう。私とキロちゃんが出会った場所――」
「世界記憶天体・アカシア」
一拍置いてから、未来のノアは静かに告げた。
「あの中にはね、英雄戦争アストラマキアで亡くなった九十億人の意識が、いまも眠っているの。水没した地上世界が、いつか人類の手に戻る――その日を、静かに待ちながら」
「ねぇ、キロちゃん。あなたは偶然にもアカシアの巫女である私と出会ってしまった。あの日から、運命の輪は回り始めたんだよ。停滞していたこの世界を、再び動かすために」
キロシュタインは、戸惑いながらも問いかける。
「……ノア。わたしは、何をすればいいの?」
未来のノアは、オルデキスカのサインを額に当て、
静かに、遠い時代の詩を口ずさむ。
“神代に晴れ。オルデシカの民よ。”
“我は運命を導きしアカシアの巫女。”
“魔女の祈りによって、回り始める世界に、”
“再び太陽は目を覚ますだろう。”
「――解き放て」
その瞬間。
キロシュタインの左目を覆う、
青い蝶の眼帯が光を帯びる。
「――あああああああああ!!」
キロシュタインは、叫んだ。
だがその声には、苦痛や恐怖の色はなかった。
彼女の左目に流れ込んだのは、
痛みではなく、祈りだった――。
燃えあがるような、意志の奔流。
――心臓が、早鐘を打つ。
やがて眼帯は、一羽の蝶へと姿を変え、
黄金の鱗粉を舞わせながら、空へと飛び去っていった。
「キロちゃん。さあ、目を開けてみて」
未来のノアが、やさしく声をかける。
「……う、うん」
キロシュタインは、ゆっくりと瞼を開く。
覚醒。
――失われていたはずの左目が、
白銀色に輝きながら、確かにこの世界の輪郭を捉えていた。
「おい、キロ! 大丈夫か!」
「平気よ……ありがとう」
ラルカに支えられながら、キロシュタインはゆっくりと立ち上がる。
その左目には――《運命》が、色づいて見えていた。
路地裏の十字路、赤い電話ボックス。
そして。キロシュタインの背後に立つ、黒い影。
その黒い影は、キロシュタイン自身の姿をしていた。
ゆっくりと、彼女が呼吸をすれば、影もまた、遅れて息を吸う。
まるで、鏡のなかに置き忘れた、運命そのもののように。
「ノア……今、わたしが見ているこの景色は……なに?」
「それはね、前の世界線でキロちゃんが迎えた最期の光景だよ」
「キロちゃんは、“ファトゥムの弾丸”に撃たれたの」
「ファトゥムの……弾丸?」
「“ファトゥムの弾丸”――、それは世界の意志であり、宿命。
決して逃れることのできない結末……」
「でも、キロちゃんなら。その左目を持つ、今のあなたなら……」
「そんな理不尽な運命さえも、きっと変えられる」
そう言って、未来のノアは少し目を伏せ、静かに微笑んだ。
「何があっても、止まらないで。キロちゃん」
「オルデキスカ――約束だよ。
私は信じてる。キロちゃんのことを」
「……ノア」
「もう、時間だね。夢はもうすぐ終わる」
「ねぇ、ノア……」
「わたし、また……みんなに会えるかな」
「大丈夫だよ。キロちゃんなら、きっと大丈夫」
「だって――あなたは、すっごく強い人だから!」
――意識が、遠のいていく。
赤い電話ボックス。
背後に立つ、自分と同じ姿をした“影”。
その影が握るピストルを――
キロシュタインは、そっと地面へと落とした。
カン――という金属音が、時間を引き裂くように響く。
その瞬間、黒い影は動きを止め、
ゆっくりと煙のように溶けていった。
運命の輪が、再び回り始める。
「ラルカ。キロちゃんのこと、頼んだよ」
「やれやれ。ノア様にお願いされたら、断れねぇな」
「……わかったよ。あいつのことは、オレに任せろ」
「ありがとう、ラルカ」
「あいよ。――じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい。ラルカ。キロちゃん」
キロシュタインの足元に、新たな道が現れる。
光の粒が足元から舞い上がり、どこか遠くへ導いている。
見上げた空には、青い蝶が一羽――、
彼女の目を覆っていた蝶が、まだ漂っていた。
キロシュタインは深く息を吸い、歩き出す。
物語は、いま――新たな章へ。