13|『導きの先へ』
13.『導きの先へ』
堕ちた神の眼――黒き太陽には、一頭の竜が骨と化してもなお、まるでその亡骸を護るかのように巻きついていた。その巨大な背骨は、螺旋階段となって、黒き太陽の頂へと続いている。小舟を降りたキロシュタインとラルカは、先導するウェクシルムのあとを追いながら、背骨の階段を一歩ずつ登っていく。
靴の裏から微かに伝わる熱は、
太陽と竜の命が、今もなおどこかで燃え続けているかのようだった。
キロシュタインは、隣を歩くラルカに問いかける。
「ラルカはどこまで知ってるの? この世界のこと……
それに、これから何が起ころうとしているのか、とか」
「未来のことなんて、オレにも分からないさ。
ただ――そうだな。この世界の名前なら、教えてやれる」
「教えて」
「『黄昏のアガルタ』。それが、この世界の名前だ」
アガルタ――。
その名を聞いたキロシュタインは、少し思案してから言った。
「……聞いたことのない名前ね」
「まあ、そうだろうな。普通なら、辿り着くことすらできない場所だ」
その時。
前を歩いていたウェクシルムが、
頭のランタンの炎を烈しく揺らしながら、叫ぶ。
「危なイ!! みナさん、急いデ!!」
空を裂く音。
クジラのような、低く長い鳴き声。
銀の雪――。
キロシュタインたちの横を、巨大な影が風のように飛び去っていく。それは、大雪焉をもたらした終焉の天使――ユハだった。
縦に連なる六つの目が、赤く輝いている。
明らかに、キロシュタインたちに敵意を向けながら。
――
「キロ、先に行け!!」
ラルカの声が、空に響いた。
叫ぶや否や、彼女は竜の肋骨を駆け出す。
風を裂き、命の燃え滓のような黒き太陽を背に、まっすぐに。
「待って!!」
キロシュタインの叫びは、もう届かない。
ラルカはすでに、肋骨の果て――宙へと跳び上がっていた。
ウェクシルムが静かに告げる。
「行きましょウ。キロシュタインお嬢様――」
「でも、ラルカが……!」
「ご安心を。あのお方は大丈夫デス。
なにせ、あのお方は『神殺しのラルカ』ですから」
「……神殺し?」
ボロボロの戦闘服が、翼のように膨らむ。
空を舞う彼女の姿は、もはや人ではなかった。
竜人族――流創・ラルカ。
その身が、伝承に語られる神竜のごとく、光を帯びて空を裂く。
左腕に装着された鋼鉄のガントレットが、魔力を脈打たせる。
青白い魔法譜が走り、詠唱の気配が空間に満ちる。
天へと突き上げたその腕に、じわじわと熱が集まり――
やがて、灼熱のガラスの塊が、虚空に生まれた。
それは、脈を打つ心臓のように震えながら、膨張していく。
周囲の光を喰らいながら、沈黙のうちに肥大化し、
やがて、一つの星のような、巨大なガラス球へと変貌した。
ラルカが右手をかざす。
その指先が、静かに空をなぞった。
次の瞬間――
空に、幾千ものガラスの剣が展開された。
夜空を模したかのように、剣は美しい軌道で整列し、
一斉に、その切っ先を天使――ユハへと向ける。
「ユハ。……オレには、お前の怒りが、少しだけ分かる。君を目覚めさせた者が誰なのかは知らない。でも、その報いは……必ず、受けさせてやるつもりだ」
ラルカの声は静かで、どこか慈しみさえ孕んでいた。
「だから今は――おやすみ」
言葉とともに、ラルカは拳を握る。
その瞬間、幾千の剣が起動し、
無音のまま、雨となって降り注いだ。
それは戦いというより、処刑のようだった。
いや、赦しの雨。そう呼ぶべきものだったのかもしれない。
剣がユハの背を貫くたび、赤い光がきらめき、
やがてその身体は、静かに灰へと崩れていく。
最後に残った天使の輪も、風に乗ってゆらゆらと落ちてゆき、
黄昏の空へと、溶けるように消えた。
――神殺し。
それは、たった数十秒の出来事だった。
◇
黒き太陽の頂――
そこへ、キロシュタインとウェクシルムはたどり着いた。
眼前に佇んでいたのは、
黄昏の世界に静かにそびえる、石レンガ造りの円柱の塔。
ウェクシルムが振り返り、キロシュタインに言う。
「ワタクシの案内は、ここまででス。
キロシュタインお嬢様。この先は、お一人でお進みくださイ」
そうして。
キロシュタインは、ただ一人で歩き出す。
地平線に沈んだ太陽の上を、まっすぐに。
その先に待つ、沈黙の塔へと向かって。
――この先に、何が待っているのだろう。
ノア、ラテルベル、ツキナ。
友達のもとへ、もう一度帰ることができるのだろうか。
(不安はある。……でも)
いまはただ、この胸の鼓動に、進む道を任せてみよう。
…………
……
塔の中は、どこまでも静まり返っていた。
円形の広間の中央には、巨大な扉が重々しく鎮座し、
その周囲を囲む壁面には、「二十二星天」のシンボルが荘厳に描かれている。
―― ◇◆◇ ――
二十二星天とは、
神話に登場する主要な存在の総称。
その数は「22」。
それを構成する存在は、以下の三つ――。
・【十一枝徒】の11人。
・【七大天使】の7人。
・【四大悪魔】の4体。
11+7+4=22。
それが、二十二星天と呼ばれる存在たちである。
―― ◇◆◇ ――
神秘と静寂が、時間をも止めていた。
そのとき。
「待ってたよ、キロちゃん」
声がして、キロシュタインはそちらに顔を向ける。
そこに立っていたのは
――未来のノアだった。
「あなたは……アカシアで会った……」
「そうだよ。覚えててくれたんだね」
未来のノアは、嬉しそうに笑った。
それから彼女は、
人差し指と小指を立てて“角”をつくり、額に軽く当てる。
オルデキスカのサイン。
キロシュタインもそれにならい、
同じように指を立てて額へと当てる。
「オルデキスカっ!」
二人の声が重なり、塔の中に反響する。
そしてまた、ノアは楽しげに笑った。
今のノアと、まったく同じ笑い方で。
まるでその先に延びた時間の果てにも、
ちゃんと“君”がいるのだと、
キロシュタインには、確かに感じられた。