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【同じ空の下で生きている】

友情の杯

作者: 小雨川蛙

 

 ヴァレンティウス・クレインは気づくと見知らぬ場所にいた。


 ――はて、何故ここに?


 そんなことを思いながら辺りを見回す。

 先祖代々から受け継いだ屋敷の中ではなさそうだ。

 つい先ほどまで自室でワインを飲んでいたはずなのに。


 ふと鏡があるのに気づく。

 ヴァレンティウスは映し出された自分の身だしなみを正す。

 白髪が自らの純粋さを表すように白々と美しく輝いている――なんて思ったと妻が知ったならばきっと笑うだろうと感じた。


 失礼でない格好になったと感じた頃、視線の先に扉が現れた。

 ――歩み寄り扉を開く。


「なるほど」


 ヴァレンティウスは呟いた。

 扉の先には大きなテーブルと椅子とグラスが二つにワインボトルが一つが置かれている。

 そして椅子の内の一つには既にマティルダ・フォン・ロエンシュタインが座ってワインを飲んでいた。


「あら、ヴァレンティウス……来たんだ」

「マティルダ」


 そう呼びかけながらヴァレンティウスは開いていた席につく。

 マティルダはくすりと笑うとこちらを見つめてきたのでヴァレンティウスもまた彼女を見返した。

 お互い随分と歳をとったものだ。

 こちらの髪の毛が白髪であるようにマティルダの髪の毛もまた真っ白だ。

 ――かつて多くの男を魅了したふくよかな身体つきも見る影もない。


「失礼なこと考えているみたいね」

「君もだろう?」

「ま、そうね」


 ヴァレンティウスがグラスを差し出すとマティルダは頷きワインを注いだ。


「乾杯する?」

「そうだな」

「はい。それじゃ、乾杯」


 ガラスの音が響く。

 二人の間だけに。


 しばらくの間、二人は無言だった。

 互いに重なる視線は外されず、口元に浮かんだ笑みは消えることもない。


 話したいことは山ほどあった。

 だが何から話せば良いのかだけは分からなかった。

 おそらくお互いに。


「私の贈ったワイン。飲んでくれたんだ」

「あぁ。君が私のワインを飲んだと知ったからな」

「あら、そうなの?」

「皆が止めたよ。毒が入っているに決まっているとな」

「ご明察」

「そうだな。考えることは同じだ」


 くすくすと互いに笑い合う。

 ヴァレンティウスはもう分かっていた。

 いや、薄々分かってはいたのだ。

 何せ、自分より先に死んだマティルダがここにいるのだから。


「君こそよく私の贈ったワインを飲んだな。なんでだ?」

「息子に監禁されちゃったしね。もうどうしようもないって分かったのよ」

「傾国の女狐の呆気ない最期だな」

「そうね。腹黒狸さん」


 ヴァレンティウスは肩を竦める。


 そう。

 二人は政敵だった。

 ――生前は。


 多くの血を流しながら陰に日向に争った。

 ヴァレンティウスの妻はマティルダに殺された――三人の息子もだ。

 同じくマティルダもまた夫と多くの子供を殺されている。

 そして親族に限らず友人や知人も数え切れないほど殺し、殺された。


 全ては相手を打ち倒し勝利するために。


「君が待っている気はしていたよ」


 ヴァレンティウスの言葉にマティルダは無言で頷いた。

 少しずつ思い出されていく――最期の記憶が。



 *



 マティルダがあっさりと死んだことをヴァレンティウスは静かに受け止めた。

 放っていた密偵から他ならぬヴァレンティウスの贈り物のワインを口にして死んだと報告を受ける。

 少しだけ面食らった覚えがある。

 同時に同情した。

 あんなにも血濡れた戦いをしていた果てが毒の杯を受けて死ぬなど――。


 そして、だからこそ。

 封を開けないでいたマティルダからのワインをヴァレンティウスは飲み干したのだ。

 あっさりと死した好敵手が何故死んだのかを悟ったから。


 つまり、もう自分達の時代ではない。

 少なくともヴァレンティウスはそう受け取ったのだ。

 マティルダ・フォン・ロエンシュタインの死に様を。



 *



「私達の時代に終わらせておきたかったのだけれどね」


 マティルダの言葉にヴァレンティウスは気を取り戻す。

 空になった彼女のグラスにワインを注ぎながらヴァレンティウスは頷いた。


「あぁ。せめて子孫たちにはこんな血塗られた道を歩んでほしくないと思っていたのだがな」

「あなたが中々死なないせいよ」

「それはお互い様だろう?」


 言い返されたマティルダは柔らかな表情で笑う。


「――思ったとおりね」

「何がだ?」

「私達、とても話が合いそう」

「……そうだな」


 二人はくすくすと笑い合う。

 生前、決して訪れなかった対談。

 会えば互いの腹を探り、離れれば互いに密偵や刺客を放つ。

 親しい人間を殺し、殺され、憎悪した果てに――全てが終わった今、ここに二人でいる。


 死後に待っていたのは妻でも、息子でも、友でもない。

 殺し合いの果てに『相討ち』となった宿敵か。

 地獄に落ちて相応しい自分達にとって丁度良い罰だろう。


 グラスは既に空になっていた。

 入って来た部屋の扉も、ここから出て行く扉もなかった。

 あるのは生前、憎しみ合っていた宿敵の姿だけだ。


 神が居るのならば、きっと罰として二人を永遠にこの場所に閉じ込めたのだろう。

 そう確信をした。


 だが、それでも――。


「悪くないものだな」

「何が?」

「友と飲む酒というものは」


 ヴァレンティウスの言葉にマティルダは笑った。


「そうね。私もそう思う」



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