第四章「夜風の記憶」
夜が深まり、宿の灯りがひとつ、またひとつと消えていく。
静寂に包まれた町の外れ、澄花は風に誘われて小さな中庭へと出た。月の光が、しんと冷たい石畳を照らしている。
そこに、ひとりの影。
壁にもたれて夜空を見上げるユリオスの背中が、ぼんやりと浮かび上がっていた。
「……眠れないの?」
澄花が声をかけると、ユリオスは振り返らずに言った。
「……風が冷たくて、目が覚めただけだ」
その声は少しかすれていて、いつものような硬さがなかった。
澄花は彼の隣に立つ。
空は澄んでいて、星がやけに近く感じられた。
「今日の手紙、少しだけ重かったね」
ぽつりと澄花が言う。
ユリオスは少し間を置いてから、肩をすくめた。
「……まあ、ああいうのは、慣れない」
「……」
「――昔、俺も……手紙を出したことがある」
澄花は目を瞬かせた。
けれど、口を挟まない。ただ、彼の言葉の続きを待つ。
ユリオスはポケットに手を突っ込んだまま、前を向いている。
「剣ばっかり握ってたからな。言葉なんてどうやって並べるかもわからなかった」
「……それでも、渡した。けど……」
そこまで言って、彼はふっと笑う。苦笑、というより、自嘲に近いそれ。
「読まれなかったよ。封も、切られなかった」
風が、ふっと吹き抜ける。
「“そういうのは似合わない”って言われた。騎士は黙ってればいいんだとさ」
澄花はぎゅっと手を握った。
それがどれだけ痛い言葉だったか、想像に難くなかった。
「それで……それ以来、もう誰にも何も書いてない。書こうとも思わなくなった」
「届ける気も、伝える気も、なくなった」
星の光が、彼の横顔をかすかに照らす。
それは冷たく、でもどこか幼さを残していた。
「……でも」
ユリオスがぽつりと続けた。
「お前が、“届いてよかった”って言った時、少しだけ……なんでか知らんが、思い出したんだ。あのときの、手紙の中身」
澄花は、静かに息をのむ。
「きっと、俺は――あいつに、ただ、ありがとうって言いたかっただけなんだと思う」
それきり、言葉はなかった。
しばらくして、ユリオスが小さく肩を揺らす。
「……なんでこんな話、したんだろうな。わけわかんねぇ」
「ううん、うれしい」
澄花が、そっと微笑んだ。
「ユリオスが、誰かに“ありがとう”を伝えたかったこと。なんとなく、すてきだと思ったから」
ユリオスは照れ隠しのように、少しだけ顔をそむけた。
「……変なやつだな」
「よく言われる」
ふたりのあいだに、風が通り過ぎる。
けれどその風はもう、少しだけ、あたたかかった。