7. ミルラの香り
「なるほど。そういう御縁だったのですね」
驚いているのはヴァランタン一人で、エスキベルは平然と頷いている。
リタは、ポケットから大きな鍵を取り出し、廟の扉を開けた。
もう他家に仕えている者に、一族の廟の鍵を預けることなど普通はしない。
リューネ夫人に、鍵を遺贈されたのだろうか。
重い扉の向こうは、ステンドグラスの光が差し込む小さな祭壇。
その周りの壁は作り付けになっていて、等身大のテラコッタの胸像がいくつもいくつも並んでいる。
胸像には名前と生没年を書いたプレートがついていた。
中に、故人の遺髪を収めているのだろう。
こんな葬り方を、ヴァランタンは初めて見た。
異様な空間だった。
老若男女取り混ぜた胸像は、彩色がほどこされた精緻なもの。
肖像画と違って妙な生々しさがあり、暗がりで見れば生きている人と見間違えそうなほど。
リタは祭壇ではなく、右手の壁の前に向かい、少年の像と夫人の像の前で香を焚く準備を始めた。
栗色の髪の、華奢で優しげな少年の像は、貴族学院の制服を着た姿だった。
本物の、黒い丸眼鏡をかけている。
遺品なのかもしれない。
「お願いいたします」
香に火をつけたリタは、エスキベルに頭を下げて後ろに回る。
ミルラの香りが漂ってくる。
では、とエスキベルは朗々と死者への祈りを唱え始めた。
リタが唱和し、ヴァランタンも後に続く。
唱和しながら、ヴァランタンはふと思いついて、リタのブローチを横目で見た。
丸いブローチは、栗色の髪と亜麻色の髪、二色の髪を複雑な幾何学文様に編み込んだ、喪の装身具だった。
少年の隣、リタが花束を捧げた夫人の像の髪の色は亜麻色だ。
「リタさん。そのブローチは、もしかしてエスタ家の方々のものですか?」
祈りが終わったところで、思い切って、ヴァランタンは訊ねてみた。
「ええ。リューネ様が亡くなられる前に、アレッサンドロ様のご遺髪とご自身の髪を手ずから編まれたものです。
『どうか、わたくし達を忘れないでほしい』と、私のような者におっしゃってくださって」
誇りをこめてリタは頷いたが、ふと眼を伏せた。
「実は、アレッサンドロ様は、お嬢様が最後のお見舞いにいらした時、同じように『自分のことを忘れないで』とお嬢様におっしゃったんです。
お嬢様は、その時は確かに『絶対に忘れたりしない』とお約束されたのですけれど。
喪が明ける前からご家族にあちこち連れ出されて、あっという間にアレッサンドロ様を思い出すこともなくなってしまわれて」
「あー……」
世の習いと言えば、世の習いだ。
当時、ヴィルジーニアは十代だったのだし、いたしかたなかろうとヴァランタンは思う。
だが、息子を失った母親には腹に据えかねることだったろう。
「エスタのお館様も後添いを迎えられ、アレッサンドロ様の弟君、妹君もお生まれになりました。
エスタ伯爵家はもう、新しい奥様を中心に回っております。
ですから……せめて私は、お二人のことを忘れずにいたいと、毎朝このブローチをつけ、できる限りお参りに来るんです」
ブローチに触れながら、悲壮感すらにじませてリタは訴えた。
「ご立派なことです。
女神フローラの花園におわすリューネ夫人も、アレッサンドロ殿も、さぞやお喜びでしょう」
エスキベルは、重々しく頷いた。
「痛み入ります」
リタは深々と頭を下げ、ふと視線を外にやった。
「あら。雲行きが怪しくなってきましたね」
開け放ったままの扉の向こうに見える雲は、だいぶ暗くなってきている。
遠くから雷鳴も聞こえてきた。
すぐに一雨来そうだ。
ヴァランタンはステッキ代わりにこうもり傘を持ってきたが、エスキベルとリタは傘を持っていない。
「今日はありがとうございました。
久しぶりに、リューネ奥様やアレッサンドロ様のお話をすることができて、嬉しゅうございました。
私はもう少し、お二人とお話して戻りたいと思います。
降り出す前に、ぜひ」
「え。お送りしますよ」
「いえ、どうせ通り雨でしょうし、雨が止んでから帰ります。
馬車で来ておりますので」
伯爵家の馬車が待っているのなら、まあ大丈夫か、とヴァランタンは頷いた。
三人で傘一本となると、一人は外れなければならないが、女性であるリタ、神官であるエスキベルを濡らすわけにはいかない。
といって侍女であるリタとしては、貴族の子息であるヴァランタンに傘を譲られるのは困るだろう。
「では、こちらを」
エスキベルが懐から名刺を取り出して、リタに差し出した。
「深い嘆きに寄り添い続けるのも、大変なことでしょう。
また、エスタ伯爵家の方々のことなり、レディ・ヴィルジーニアのことなり、誰かに話したくなったら、いつでもお訪ねください。
お待ちしております」
「まあ……お気遣い、ありがとうございます」
リタは、おずおずと名刺を受け取った。