6.悪意の靄のようなもの
というわけで、リタの案内で、エスキベルとヴァランタンは、彼女の旧主の墓へと向かうことになった。
彼女はカルロの葬儀に出ていなかったので、その様子を話した。
海軍軍人は、仲間の戦死は互いに覚悟しているが、陸の上の不慮の死にはめっぽう弱い。
出棺の時、彼を引き立てた提督以下、海軍つながりの出席者が皆男泣きに泣いてぐだぐだになりかかったのを、喪主を務めた老母がピシャリと叱りつけて整列させたりしたのだ。
「ところで、レディ・ヴィルジーニアはその後、どうされているんですか?」
「あの……お嬢様の話は、ここだけにしていただけますか?」
「もちろん」
エスキベルも頷いて、二人は他言しないと正義の女神ユスティアに誓う印を結んだ。
「お嬢様は、まだお食事も喉を通らないご様子で。
カーテンを閉ざした、薄暗い部屋で日がなお嘆きになっています。
先日は裁ちばさみで、御髪を肩の上でジャキジャキと切ってしまわれました」
「なんと」
ヴィルジーニアの黄金色に輝く見事な髪を思い出して、ヴァランタンは絶句した。
長い髪は、この国の女性の誇り。
たとえ農婦でも、そんな短い髪の者など見たことがない。
「上のお兄様がお慰めするつもりで、またそのうち求婚者が現れるから大丈夫だとかなんとかおっしゃいまして。
結婚など絶対にしない、人前にも二度と出ない、自分のことは死んだと思えと泣き叫ばれて」
「それはその、なんと言うか」
女心がさっぱりのヴァランタンにもわかる。
今の状況で、彼女に言ってはならないことだ。
エスキベルも、小さく首を横に振った。
「もしかして、レディ・ヴィルジーニアは本来は気性の激しい方なんでしょうか?」
ヴァランタンは前から気になっていたことを訊ねた。
「さようでございます」
当たっていたとしてもぼかすだろうと思っていたが、リタは即答した。
「お小さい頃は、とにかく活発で、お転婆で。
長じてからも、お兄様方を言い負かすことだって、珍しくありませんでした。
でも、奥様は淑女たるもの万事控えめに、殿方に守っていただくべきだというお考えが強くて。
身体の弱いお母様のために、お嬢様は外ではとにかくお人形のように、言葉少なに振る舞っていらっしゃいました。
あれだけのお美しさですから、きっと良縁に恵まれるに違いない、なんなら皇族方に見初められてもおかしくないと、皆様、期待されておりましたから」
そういうことか、とヴァランタンは腑に落ちた。
だからこそ、最愛の恋人を失ったばかりの妹に、兄は「まだ次がある」と言ってしまったのだ。
もしかしたら、男爵になったばかりのカルロとの婚約は、三人も婚約者に死なれた後だから許したものの、家族にとっては、本来ならもっと家格の高い家に嫁げたはずなのにと口惜しさが残るものだったのかもしれない。
「確かに、大変お美しい方ですからね。
そういえば、カルロ卿とは、少女時代にお会いになっていたとうかがいましたが、その頃からお二人は思いあっていらっしゃったのですか?」
リタは苦笑した。
「仲良くされてはいましたが、当時のカルロ卿には、そんなお考えはなかったと思いますよ。
お嬢様だけでなく、ご令嬢方を気にされるご様子は少しもありませんでしたし。
でも、お嬢様は、あの頃から意識されていたのかもしれませんね。
遠乗りでお嬢様が危ないことをされて、カルロ卿が叱りつけ、お嬢様がわんわんお泣きになったこともあったのですけれど、すぐに仲直りされて。
遠乗りにしても、ボート遊びにしても、カルロ卿と一緒がいいと言い張って、お兄様が『せっかく連れてきた友達を妹に取られた』と苦笑されるほどでした。
実を言うと、お嬢様と最初に婚約されたアレッサンドロ様が縁談を急がれたのは、そんな様子をご覧になったからだと私は思っております」
「え。最初の婚約者もカルロ卿をご存知だったんですか」
意外な展開に、ヴァランタンは面食らった。
「ええ。毎年、夏は一緒にお過ごしでしたから。
でも、アレッサンドロ様とカルロ卿も、仲が良かったんです。
アレッサンドロ様は内気な、人見知りをする方でしたから、カルロ卿のご人徳ですね。
こっそりお二人で英雄詩朗詠の練習をして、最後の夜に対詠で披露されたりしておりました。
お二人ともご立派に詠われて、皆様、拍手喝采だったんですよ」
「それは見てみたかったですね」
エスキベルがうんうんと頷く。
「本当に楽しい夜でした。
ああでも……こうして思い返してみると、やはりあの頃からお嬢様はカルロ卿をお慕いされていたのかもしれませんね。
お嘆きも、以前とは比べ物にならないご様子ですし」
リタはため息をついた。
「あの……レディ・ヴィルジーニアは、ご不幸が続いたことをどうお考えになっているんでしょうか」
ヴァランタンがおずおずと訊ねると、リタは首を傾げた。
「どうなんでしょう。お嬢様は、お心の内を見せないお方ですから。
でも、2人目のアミカルレ卿、そしてロドルフォ卿のときは、あまり驚かれないというか、不思議と受け容れていらっしゃる風ではありました。
いずれもご家族が喜ぶ縁談でしたが、もともと深くお慕いされている感じでもありませんでしたし。
亡くなられてよかった、とまでは言わなくとも、ほっとされていた部分は多少あったかと思います」
「そうなんですか」
やはり、ヴィルジーニアがなにか禁術でも用いたのだろうか。
しかしそれなら、なぜカルロまで亡くなったのだ。
「では、あなたご自身はいかがですか?」
エスキベルが軽い口調で口を挟んだ。
「私が、ですか?」
リタはきょとんとした。
自分の考えを聞かれるなどと、思っていなかった様子だ。
「ええ」
「なんと申し上げたらいいんでしょう……」
リタは口ごもって黙り込んだ。
エスキベルは辛抱強く待つ。
「……社交界に出るようになってから、お嬢様はほかのご令嬢方の妬み、そねみを受けられることが幾度もございました。
ロドルフォ卿もそうでしたけれど、令嬢方にちやほやされてきた殿方には、お美しくて容易にご自身になびかないお嬢様は、理想的な妻のように見えたようで。
でも、そういう人気のある殿方がお嬢様に熱を上げれば、当然、その方との結婚を夢見ていた令嬢方には恨まれます。
嫌がらせを受けたり、わざと悪い噂を流されたことだって、何度もございました。
その悪意の靄のようなものが、お嬢様の幸せを邪魔しているのではないかと思っていたんですが」
そこで言葉を切ると、リタは小道の突き当りの廟を示した。
「ああ、あちらです」
「え」
ヴァランタンは驚愕した。
さっき、エスキベルに連れられて来た、ヴィルジーニアの最初の婚約者、アレッサンドロ・デスタが葬られている廟だ。
「私、前デスタ伯爵夫人リューネ様に引き立てていただいた者なんです。
アレッサンドロ様が亡くなられた後、母君のリューネ様も体調を崩されて……
リューネ様がお亡くなりになる前、私の行く末をご心配くださって、ヴィルジーニア様にお仕えするようご紹介いただいたのです」
リタは淡いほほえみを浮かべた。