3.4人目は
その翌年の夏──
ヴァランタンは、母国の婚約者への贈り物を探そうと聖都の繁華街を歩いていた。
ちょうど昼公演が終わったのか、劇場から人々がわらわらと出てくるのを避ける。
「あ」
短い叫びに振り返ると、ヴィルジーニアだった。
背は低いががっちりした体型の、いかにも頑丈そうなよく日焼けした紳士と腕を組んでいる。
見覚えのある侍女も、二歩下がった距離で控えていた。
ヴィルジーニアが四回目の婚約をしたことは、先月、新聞の社交欄の隅に小さく出ていた。
相手は、カルロ・ラウリア男爵。
平民の出ながら海賊討伐で大活躍し、一足飛びに昇進し叙爵も果たして、去年の冬、話題になった海軍少将だ。
おそらく、この男性が四人目の婚約者なのだろう。
一瞬迷って、ヴィルジーニアは軽く会釈してきた。
間が悪いといえば悪いが、知らん顔するわけにもいかない。
「レディ・ヴィルジーニア。ご無沙汰しています。
ご婚約、おめでとうございます」
「ありがとうございます。
その節は、お世話になりました」
「いえ。なにもお役に立てず」
怪訝顔の婚約者に、ヴィルジーニアは手短に「去年、ルッジェーロでお世話になった方なの」と簡単に説明した。
それでロドルフォが亡くなった時に居合わせた者だと察しがついたようだ。
ヴィルジーニアの紹介で、男二人は名乗りあった。
カルロはいかにも船乗りらしい、気の良い人物で、少し話すと共通の知人がいることもわかって、改めて握手した。
「それにしても、お幸せなご様子でご同慶のいたりです」
「まあ。ありがとうございます」
少しからかいも籠めていうと、恥ずかしそうな笑顔を二人は浮かべた。
実際、ヴィルジーニアは見るからに幸せそうだ。
去年の夏、ロドルフォの隣で控えめに微笑んでいた彼女とはまったく違う。
カルロにそっと寄り添う様子、彼と見交わす視線、すべてが溢れんばかりの喜びに満ちている。
ヴィルジーニアはロドルフォのことを愛していたわけではなかったのだと、ヴァランタンは悟った。
本来のヴィルジーニアは愛情深く、感情も素直に出せるタイプの女性だったようだ。
去年の夏のヴィルジーニアは、伯爵令嬢としての仮面だったということか。
その仮面に熱を上げたロドルフォが気の毒な気もするが、人生にはよくあることだ。
「ヴァランタン卿は、今日はご用事でも?」
「いえ。国元の婚約者に、たまには贈り物でもと思ったのですが、なにがよいのかさっぱりで」
カルロは破顔して、わかるわかると頷いた。
「婦人への贈り物は、本当に難しい。
私なんて17の時からほとんど海の上で、陸の暮らしを忘れてしまったから、見当もつかない」
「あら。あなたが贈ってくださったもので、わたくしが喜ばなかったことがあったかしら?」
ヴィルジーニアがカルロを軽く睨んでみせた。
「いやいやいや。どんなものを贈っても君が喜んでくれるのはわかってる。
けれど、贈る側としては少しでも君にぴったりしたものを選びたいし、できることなら『こんな素敵なものを探してきてくれたの?』って驚いてほしいじゃないか」
「まったくもって、その通りで」
ヴァランタンとしては同意しかない。
「そうだ。この際、贈り物選びにご一緒するのはどうでしょう。
幸い、こちらは女性が二人いる。
少しは助けになるのではないですか?」
カルロの提案に、ヴィルジーニアも「よろしければ、ぜひ」と前のめりになった。
涼し気な淡いブルーのドレスに、つばの小さな洒落た帽子を合わせたヴィルジーニアはとにかく、地味なドレスに茶色の丸いブローチだけつけている侍女は戦力にならなそうだが、彼女も頷く。
「え。いいのですか?」
「もちろん。今日はもう、晩餐に間に合うように帰ればよいだけなんです」
「一緒に行けば、私もヴィルジーニアの好みを知ることができるしね」
ちゃっかりしたことを言って、カルロは笑った。
「ふふ。まずは、お相手がどんな方なのかお伺いしなくちゃ」
歩きながら、ヴァランタンは二人に根掘り葉掘りされた。
別荘が隣同士の幼馴染で、と説明すると、実はヴィルジーニアとカルロも知り合ったのは十年以上前なのだと言われた。
大地主の子で、身体を動かすことが好きだったカルロは、騎士を目指して騎士学校に入った。
そこでヴィルジーニアの下の兄と意気投合して、一夏、伯爵家の領地の館に招かれ、少女時代のヴィルジーニアと出会ったのだ。
その後、カルロの父が投資に失敗してしまい、家族を助けるために金のかかる騎士学校を辞め、戦功を挙げればどかんと稼げる海軍に入ったという。
そして、叙爵をきっかけに、いったん司令部勤務となったことから社交界にも出るようになり、ヴィルジーニアと再会。
トントン拍子で婚約まで整ったという。
不思議な縁だ、とヴァランタンは思った。
もし、カルロがそのまま騎士になっていれば、今頃はどこにでもいる若手騎士の一人だったろう。
伯爵家の長女であるヴィルジーニアとの結婚などありえない。
ヴィルジーニアの方だって、順調に行っていればとっくの昔に結婚し、今頃は子供だっていたはずだ。
そんな話をしながら、銀線細工の店に入ってみたがピンとくるものはなく、外に出て少し歩いたところで、ふとカルロが足を止めた。
「ちょっと失礼。古い友人があちらに」
おーい、と呼びかけながら、カルロはヴァランタン達から離れた。
そのまま、すたすたと狭い路地に入っていく。
自然、ヴァランタン達は路地の入口で彼を待つことになった。
この隙にと言わんばかりに、侍女がヴィルジーニアのネックレスが襟元の襞にひっかかって曲がっていたのをささっと整え直す。
ふと、ヴァランタンは違和感を覚えた。
両側にカフェや雑貨店が立ち並ぶ、小型馬車がやっとすれ違えるくらいの路地だが、本屋の店先を眺めている、貴族学院の制服を着た少年がいるだけだ。
カルロは一体誰に手を振っているのだろう。
カルロは、どんどん足早になりながら進んでいく。
そして、壁の修理でもしているのか、四階建ての建物を屋上まで包むように組んだ足場の脇を抜けようとした時──
「え」
誰もいない足場が、不意にぐらぐらと揺れ始めた。
「危ない!」
カルロが振り返った瞬間、足場は轟音を立てて崩れてきた。
濛濛と土埃が舞い上がり、彼の姿は見えなくなる。
ヴィルジーニアがつんざくような悲鳴を上げ、ヴァランタンは走った。
近くの店からも、驚いた人々が飛び出してきて、バラバラになった足場をどかすのを手伝ってくれた。
真っ青な顔で止めようとする侍女を払い除け、ヴィルジーニアも必死でカルロを探す。
やがて重なった丸太の下から、土埃で真っ白になり、うつ伏せになったカルロの姿が徐々に現れた。
「カルロ!」
眼を見開いたままのカルロの横顔は、ぴくりとも動かない。
最後の丸太を取り除けると、頭蓋骨が割れ、脳がはみ出しているのが見えた。
丸太をつなぐ金具が当たってしまったのだ。
ヴィルジーニアが悲鳴を上げた。
「嘘、嘘よ、こんなこと!
カルロッ! カルロお願い、目を開けて!」
ヴィルジーニアはカルロに取りすがり、「なぜ」「どうして」と切れ切れに叫びながら慟哭した。
狂乱、としか言いようのない有り様だった。




