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2/8

2.3人目は

 翌朝──


 気楽な男同士の飲み会が楽しくて、なんだかんだで飲みすぎてしまったヴァランタンが、目覚めたのは昼前だった。

 朝食を持ってきてもらえる時間は過ぎていたので、ロビーに隣接するラウンジでコーヒーでも飲もうと降りる。


 降りてみると、妙な雰囲気だった。

 ロビーの隅に、ヴィルジーニアとその母、侍女がひとかたまりなって、不安げになにかを待っている。

 他の客も幾組か、ロビー周辺に佇み、ひそひそと言葉を交わしていた。


「なにかあったんですか?」


 近くのソファに座っていた、いつ見ても物凄い速さでレース編みをしている未亡人に、ヴァランタンは声を潜めて訊ねた。


遠足エクスカーションの磯釣りで、事故が起きたとかで」


 魔法のように編み針を操りながら、老夫人は小声で教えてくれた。


 滞在客を飽きさせないよう、このホテルは日替わりで遠足を行っている。

 確か今日は、早朝から船を出し、陸からは行きにくい岬の先の岩礁に連れていくとかなんとか言っていたが、それか。


 そこに、滞在客の一人、某国の副騎士団長だったという矍鑠かくしゃくとした老人がやってきた。

 沈痛な面持ちで、足早にヴィルジーニア達のところへ向かう。


「ロドルフォ卿が、見つかりました。

 しかし、見つかった時にはもう……

 残念です。まことに残念です」


 ヴィルジーニアの母が、短い叫び声を上げてよろめいた。


「お母様!」


 ヴィルジーニアが母を抱き支え、老人も手助けして近くのソファに座らせる。

 気付け薬はどこだとか、医者を呼べとか、皆、右往左往した。


 不意に、ヒステリックな高笑いが響いてきた。


「わたくしの言ったとおりじゃないの!

 やっぱり呪われてるんだわ!」


 クロチルドだ。

 炯々と光る眼でヴィルジーニアを睨みながら、おろおろしている夫を従えてこちらへやってくる。


 一瞬、ヴィルジーニアの眉が不快気に歪んだのをヴァランタンは見た。

 母親を侍女にさりげなく押し付けると、自分から足早に進み出ていく。


「人殺し! あなたがロドルフォ様を殺したんだわ!」


 ヴィルジーニアは、クロチルドを指差して叫んだ。


「は?」


 ここぞとばかりにヴィルジーニアを糾弾するつもりでやってきたクロチルドは、思わぬ反撃に固まった。


「ロドルフォ様は死ぬ、きっと死ぬ、殺されてしまうと、相手構わずしつこく言って回って。

 あなたの言葉どおり、彼は亡くなった。

 これが呪いだというのなら、呪ったのはあなた。

 あなたが彼を殺したのよ。

 あなたのような人、百年前なら、火刑台で生きながら火炙りにされたでしょうに」


 かつてこの国には「魔女」と呼ばれる、名も知れぬ闇の女神を奉じて邪術を遣う者がいた。

 魔女は発見され次第狩られたが、邪魔な者を蹴落とすために、魔女狩りを悪用した例も相次ぐこととなった。

 それを憂いた当時の大聖女が、「魔女かそうでないかを見分けられるのは、女神フローラの代理人であるみずからだけであり、勝手に裁くことは許さない」という教書を出し、魔女狩りは終息した。

 もし誰かを魔女だと告発して、大聖女が「この者は魔女ではない」と判断したら、大聖女すなわち女神フローラをたばろうとした極悪人となってしまうからだ。

 それでも、しばらくは魔女の仕業ではないかと騒動になった事案はあったが、それも昔話だ。

 とはいえ、現在でも魔女だと疑われて社交界で遠ざけられることもなくもないようだが──


「なんて恐ろしい人。

 ロドルフォ様に捨てられたからって、呪い殺すだなんて」


 ヴィルジーニアは吐き捨てるように言った。


 「振られた」ではなく「捨てられた」。

 つまり、クロチルドはロドルフォと関係を持っていたということだ。


 だからヴィルジーニアを執拗に攻撃していたのか。

 人々のクロチルドへの視線の温度が、がくんと下がった。


「な、なにを言っているのよ!?」


 真っ赤になったクロチルドは、ヴィルジーニアに掴みかかろうとした。


 まずい、とヴァランタンが動きかけた瞬間、ぱん、と乾いた音がして、クロチルドが頬を抑えてへたりこんだ。

 その手の下から、血が流れるのが見える。

 ヴィルジーニアがクロチルドを平手打ちしたはずみで、頬が切れてしまったようだ。


 わっと泣き伏すクロチルドに、慌てて夫が駆け寄った。


 二人に構わず、ヴィルジーニアは、皆に見えるように右手を軽く上げ、薬指の婚約指輪を撫でてみせる。

 大粒のイエローダイヤモンドが光る指輪は、ロドルフォから贈られたものだ。

 あの指輪が、クロチルドの頬にひっかかりでもしたのだろうか。


「ああ、ロドルフォ様も怒っていらっしゃるのね。

 『呪い』というものが本当にこの世にあるのなら、きっとその傷は治らない。

 膿んで、ただれて、腐って、二度と人前に出られなくなればいい。

 あなたは彼を殺したのだもの」


 朗々と、どこか芝居がかった調子で言うと、ヴィルジーニアは、クロチルドの夫を憐れむような眼で見下ろした。


「よりによって、こんな恐ろしい女を娶ってしまっただなんて、お気の毒に。

 身内の方がおかしな亡くなられ方をしないよう、お気をつけあそばせ」


「え」


 夫は顔を上げて、固まった。

 なにか思い当たることでもあるのか、視線が泳ぐ。


 ヴァランタンの後ろで、先代子爵夫人が急死されたとかどうとか早口でささやき交わす声が聞こえた。


 いくらなんでもやりすぎだ。

 このままでは、本当にクロチルドが魔女だということになってしまう。

 というか、これでクロチルドの傷が膿んだら、ヴィルジーニアも魔女だということになりかねない。


 ヴァランタンは、わざと足音を立ててヴィルジーニアに近づいた。


「レディ・ヴィルジーニア。お悔やみを申し上げます」


 ヴィルジーニアは、はっと振り返って、眼を伏せた。

 怒りにまかせて、人前で言うべきではないことまで口走ってしまったことにようやく気づいたようだ。


「……痛み入ります」


「とにかく、御母堂を部屋にお連れしましょう。

 それに、使いの者をお出しにならなければ」


「そうですね。そうだわ。あちらの家や父に知らせなければ……」


 悲劇を思い出したのか、急に顔色を失ったヴィルジーニアを支え、母親のところへ連れて行く。

 おろおろしていた支配人にとりあえず侯爵家と伯爵家に知らせるよう頼み、泣きむせぶ母親を侍女と一緒に慰めながら、ヴィルジーニアは部屋へと戻っていった。

 クロチルドも、自分の部屋へ連れていかれる。


 好奇と畏れがにじむ顔でひそひそ話をしながら、居合わせた者も三々五々と散っていった。


「ところで、どうしてロドルフォ卿は亡くなられたんですか?」


 ヴァランタンは、ロドルフォの死を告げに来た老人を呼び止めた。


「いや……それがよくわからんのだ」


 老人は声を潜めた。


「今日行った岩礁には、テーブルのように海に突き出した岩棚があってな。

 そこから落ちると、急な水流に引き込まれて危ないから、そっちでは釣るなと船頭に最初に注意された。

 ロドルフォ卿も言われた通り、離れたところで我々と釣っていたのに、ふらふらっとそちらに行って、制止する間もなく海に落ちてしまった。

 私はちょうど針をつけ直していたから卿を見てはいなかったんだが、卿が『危ない』とかなんとか言っているのが聞こえたから、誰かそっちで釣り始めたのを注意しにいったのかと思ったんだが」


「実際には、誰もいなかった、と」


 老人は深々とため息をつきながら、幾度も頷いた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] >滞在客を飽きさせないよう、このホテルは日替わりで遠足を行っている あー、あるねあるね。そういうの。 私が参加したのはオーストラリア(ワーホリ中)だったけど。ペンギンツアーとかワイナリー…
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