エピローグ
誘拐事件から1週間後経った日の朝、俺は実家の自室のベッドで上半身だけを起こし、特に何かをするわけでもなくただボーっとしていた。
あの日から5日間寝たきりだったらしいがまったく実感がない。ちゃんと理解できたのは詠未といっしょに暮らすのはもうできないんだろうなという事だけ。
「兄さん、持ってきましたよ」
黄昏ていると黒髪を胸の高さまで伸ばした少女がお盆を持ってきた。とても美人だけど表情は冷淡で何の感情も感じられない。
美人なのは詠未と一緒だけどあっちはかなり表情豊かだから結構対照的だな。
「あぁ、ありがとう陽菜」
妹は朝食を運んでくるとベッド横にある机に優しく、慎重に置いた。目が覚めた日から毎日ご飯は朝昼晩こうやって妹が持ってきてくれている。
使用人にでもさせればいいって何度も言ったがそのたびに頑なに固辞してくる。
罪滅しみたいな気持ちでやってんのは表情と仕草からよくわかる。自分が就職先をもっと吟味するべきだったとか思ってんだろうな、親父が学費払った時点でダメだったってのに。
「はは……」
「どうしました?」
「いや、美味しそうだなって」
「それは何より……と言えばいいのでしょうか?」
「いいんじゃない」
それにしても今日も病院食と懸け離れた綺羅びやかな食事。たしかに一つの点を除いては健康体だからコレでいいにはいいんだけど、もうちょっと何かがあるような気がする。
「足の調子はどうですか?」
「全然ダメ、力入んない」
「……そうですか」
労わるように、哀れむように陽菜は俺の足を見やる。眠りから覚めてもあの日から変わらず足の感覚がない。痛んでくれるならまだよかった。
家に呼んだ医者いわく本来なら時間経過で抜けるはずの薬が身体に滞留している状態、一応抗生物質を投与すれば治るらしいが薬の化学式が複雑すぎて作るとしたら途方もない時間がかかるらしい。
「私は許せる気がしません、あの人のことを」
「俺もそうかなぁ」
「何で被害者の兄さんがそんな態度なんですか」
皆川先輩が麻酔銃を撃たなかったらこうはならなかった。たしかにそれは事実だけどいつまでも恨んでも仕方ない。
あの後どうなったかは知らないけど法の裁きがあるだろうしこれ以上何かを思ったところで虚しくなるだけだ。
「まぁ、そういう人ですよね兄さんは……」
陽菜はふと窓の外を見ると何かを思いついたようにこちらへ振り返った。
「今日は天気がいいですし食事を終えたら散歩に行きましょうか。車椅子は私が押しますよ」
「あぁ、頼んだ」
そういえば帰ってきてから外に出てなかったな。詠未の事ばっか考えてて全然気づかなかった。
「……ありがとな」
敬語で他人行儀な態度に見えるけど優しくて、親に甘えてばっかな俺と違って礼儀作法も自主的に学んで……本当に陽菜は自慢の妹だな。
「えっ、急になんですか気持ち悪……」
自慢の妹なんだけど、なんだけどなぁ……。
*
「強くないですか、日差し?」
「大丈夫大丈夫。こんぐらいが落ち着く」
「少しでもきつくなったらいつでもおっしゃってください。日傘は用意していますので」
緑の平野が広がる庭の真ん中、温かい春の陽気が体を包んでくれる。久しぶりに穏やかな気持ちだ。
思えば本当にいろいろあったな、毎日メシ作って、風呂入る時は重力操作で身動き取れなくされて、夜は一緒にゲームして……本当に退屈な時間がなかった。
「兄さん」
詠未はどうしてんだろ。ちゃんと家族との時間を過ごせてんのかな、俺の今の状況とか知って気に病んだりしてたらどうしようか。
何もかも忘れてくれてもこっちは構わないけど、詠未ってそういう人間じゃないし心配だな。
「はぁ……兄さん!!」
「わっ!?」
「……心ここにあらず、といった様子ですね」
「あ、ごめん……」
呆れた声音に肩身が狭くなる。ここまでしてもらっておいて無視って人としてやっちゃいけないだろ。
「別に怒ってはいません。予想通りですから」
「……本当にごめん」
「なので気になることがあるなら何でもおっしゃってください。兄さんが眠ってる間に情報は受け取っていますので」
「え……」
用意周到というか優秀過ぎる。本当に何もしてこなかった自分と違っていろんなことを学んできたんだろうな。
そういえば何でもって本当に何でもなのかな。陽菜の事だし言葉に偽りはないだろうし、ずっと気になっていたことを聞くとするか。
「じゃあ……宮下くんたちって何で詠……楠見さんのお父さんに依頼されたんだ」
あの時は勢いとかもあって気にしなかったが宮下くんがどういう立ち位置だったか、本人に質問こそしたが詳しいことは全く知らされていない。
「民間警備会社を3人で経営しているんですよ。たしか社名は【YMMS警備】だったはずです」
「へぇー……」
「本社が近かったのと業績もそれなりだったので依頼されたのかと」
会社の名前の由来はすぐにわかった、わかったけど少し背筋が寒くなる。いや嬉しいには嬉しいんだけど何とも言えない恐怖を感じる。
本社が近いところにあったのも作為的なものを感じてきた。
「そ、そうだ……あの先輩の手下みたいな奴らってなんだったんだ」
「急に話を変えましたね、別にいいですが」
「う……」
「バイトの名目で集められた一般人が異能者鎮圧用の服を着せられていたそうですよ」
「それにしてはかなり容赦がなかったけど……本当に一般人なのアイツら。傭兵だったりしない?」
「だいたいの庶民は金銭欲のためなら手段は選ばないものですよ」
そう吐き捨てるように言うのを聞いて質問すべきではないことであった事を悟った。次の質問を飲み込みかけたが後に回すぐらいなら今したほうがいいだろう。
「皆川先輩はどうなったんだ?」
「逮捕されました」
「あぁそう……」
予想通りだし当たり前、とはいえちょっと悲しくはある。大して仲良くなくてやったことが許されなくても案外ショックなものなんだな。
しかし陽菜の声、かなりドライな言い方だったな。許せない存在にしても一言って……。
「あっ、そういえばと言うのもなんですが……」
「お、どうした?」
「その方が残したデータをもとに脳から異能だけを切り離せる、安心安全な技術が開発できたそうですよ」
「……真面目に仕事続けてたらそれでたくさんお金貰えたんかね」
向こう見ずに甘い話に食いついたのが命運の尽きか。頭は俺よりよっぽど良いのに金がないというだけでそこまで判断力が落ちるとは何とも悲しいものだ。
「それで……いや、どうしようかな」
「はい?」
「……詠未は元気?」
我ながらどうかと思う質問ではあると思う。俺には復職の見込みもなく、詠未はもう俺と同居生活を送る理由がなくなったのにいつまで引きずっているのか。
自分からしてもストーカーみたいな質問で撤回したくなってきた。
「それはご本人に聞かれたほうがよろしいかと」
「え?」
俯いていた顔を上げるとウルフカットの高身長な女性が目の前に佇んでいた。ピアスが日差しを反射して光っていた。
「……久しぶり」
詠未は挨拶こそしたが俺の足に視線を移すと俯いて顔を伏せる。
「……ダメなんだね、足」
「薬さえあったらいつでも治るし全然大丈夫だよ」
「いいよそんな嘘。全部、知ってるから」
詠未は申し訳なさそうにぎゅっと服の裾をつかむ。どんな言葉をかけるべきかまったく思いつかない、悪くないよなんて気休めにしかならない言葉をかける気にもなれず二人して押し黙っていた。
「あの……黙っているのならお聞きしたいことがあるんですが」
そんな静寂を破ったのは陽菜だった。車椅子から手を離して、無表情に詠未の眼の前に立った。
「……何」
「銃を潰したときのことを覚えていますか?」
妹は詰め寄り無機質な声で質問した。詠未もそれに珍しく気圧されて後ずさったが手首を掴まれ完全に逃げ場を奪われていた。
「……潰れろって力込めたからだけど」
「本当に?本当にそれだけだったんですか? 敵意があったからその銃は潰れたんじゃないですか?」
「あ……それだけ、じゃなかった気がする……コレ使うときってぶっつけだと絶対にうまくいかないから……」
「ぶっつけ? 具体的なイメージが必要ということですか」
続けざまに質問をする陽菜に対し詠未は完全に怯えている。チラチラと助けを求めるような視線をこちらに送ってくるがこちらにはどうしようもない。
「なら兄さんが歩いているイメージを楠見さんが思い描けばいいという事でしょうか」
「いや……それだと手で掴んで歩いているように動かすのと変わんないと思う」
「なるほど、では単純に力を込めるようなイメージはどうですか?」
「大丈夫なのそれ? 俺破裂したりとかしない?」
頭の中にあの潰れた麻酔銃の姿がよぎる。踏み潰さるた空き缶かのようなぺしゃんこぶり、人体ならどうなるかなんて想像もしたくない。
「それは絶対にありえません。楠見さんは兄さんの事を愛していますので」
「はぁっ……!?」
詠未は一瞬で茹でダコのように真っ赤になりピーンと背筋が伸びていた。それは俺も同じで顔に体中の熱が集まっていった。
「先ほどの話から発動のトリガーが具体的なイメージを持つこと、セーフティが根底にある倫理観だと考えられます」
「たしかにそれはそうだけど……」
「その考えに基づくなら敵と見做される可能性が皆無な兄さんに使用してもなんら悪影響があるとは思えません」
たしかにそうかもしれないけどなぜ愛の話になるんだ。まったく妹のロジカルがわからないぞ。
詠未も真っ赤なままだし、本当に意味のわからないことを言いやがって。
「……わかった」
「え、詠未?」
「じっとしてて理人」
じっとするも何も自力じゃ動けないんだが。反論する間もなく詠未は困惑する俺に駆け寄ってくる。そして呆然とする俺の手を握って目を閉じた。
もしかして今、まさに陽菜の言っていたことを実践しているのだろうか。
「っ……」
詠未の顔は紅潮していて手も熱い。その熱が掌を伝って俺の身体の奥の奥に沈み込んでくる。
日差しも関係ない、背中にじんわりと広がる熱が体中に染み渡っていくような感覚。心地よくてこのまま眠ってしまいたくなる。
「ねぇ、理人……」
詠未は耳元で吐息混じりに囁く。暖かい風が耳をくすぐってこそばゆい。
でも不思議と嫌じゃない。むしろずっとこうしてほしいようなそんな感じが……。
「返事は……?」
「……へ、返事?」
よくわからない言葉に戸惑って反射的に聞き返す。そんな間抜けな俺が面白かったのか詠未はニヤリと口角を上げると口を押さえて笑い出した。
「あははっ、やっぱわかんないよねー」
「な、何が!?」
「理人がバカすぎるって話ー」
「は、はぁ!?」
わかりやすい挑発にまんまと引っかかりおもむろに立ち上がる。詠未は一瞬驚いた顔をしたがすぐにこちらに背を向けて走り出した。
「知りたいなら捕まえてみればー?」
思ったより詠未の足が早くあっという間にかなり距離を離されてしまった。だが俺だって大人だ、負けっぱなしのままでは居られない。
絶対に捕まえてやるぞ詠未、今度こそ俺が勝つ!
「待て詠未ー! 返事ってなんの返事だー!?」
「いや兄さん鈍すぎ……楠見さんが良いなら別に良いですけど」




