プロローグ
暖かい日差しと心地よい風に包まれて青年はウトウトしていた。
確か今は古典の授業中だったはず。春はあけぼのだとか、ありより侍りとか、正直今は使わない言葉を習ってどうしろというのか。そんな授業に対する退屈感と昨日課題をするために夜更かしをしていたことも相まって、彼の眠気は最大を迎えていた。
ガチャ……
途切れかけていた意識を呼び戻すかのように、近くからドアの開閉音が聞こえてくる。その音で我に返り、青年は目を開けた。
澄み渡るような青い空を優雅に泳ぐようになびく旗。太陽の反射で眩しく輝く床の光に
思わず開けたばかりの目を細めてしまった。
(ここはどこだ?)
目に入ってきた景色を見て、彼は疑問に思った。
いた筈の室内の教室とはかけ離れて、彼が今いるのは屋外。なびく旗の中に見たことのある学校の校旗があったり、左手に見える見慣れた校舎があたったりから察するに、ここは学校の屋上だろうと思う。けれども、なぜ屋外に、しかも立ち入り禁止もはずのこの場所にいるのか、彼は不思議で仕方なかった。
「この世界って、いいなぁ……」
ふと、誰かの独り言が耳に入った。
驚きつつ、青年は辺りを見渡して声の主を探す。すると、離れたところに明後日の方向を見て物思いに更けている人影が見えた。
黒のウルフショートの髪形で、綺麗な蒼い目が印象的な女の子だった。背丈は低く、それに似合わない大きな黒いマントを纏っている。
そして、何よりの特徴が、彼女が手に握っている彼女の伸長よりか長いであろう大きな鎌だ。彼女の恰好とも重なってか、まるで死神のように見えた。
「ねえ君、ここで何しているの?」
勇気を出して彼は彼女に問いかける。だが、返ってきた沈黙だった。
「おーい!聞こえてないの?」
声量を大きくして再度尋ねる。しかし相変わらず返答はない。
(無視されているのか?)
まさかだとは思うが、こんなに声を張っているのに反応がないからするにそういう可能性がある。彼女を直接呼びに行ってみようと立ち上がろうとした。
しかし、その意志と反して体は動かなかった。まるで体が何かに制限されているかのようだった。
さっきまで動けていたのに動かなくなった。唐突の変化で少なからず彼は混乱し焦った。
「こんな平和な世界に生まれたかったな」
そんな彼をよそに、再び彼女が独り言を呟く。そしておもむろに屋上の端へ近づき始めた。
この瞬間ふと、青年の脳内に嫌な予感がよぎった。
「おい!待てよ!早まるな‼落ち着け!」
今までとは比にならないくらいに声を荒げて彼は怒鳴る。だが、引きずられている大鎌の乱雑とした金属音がそれを遮った。
彼女の歩む足は止まらない。動かない体を必死に動かして、青年は彼女を止めようと近づく。だが、彼と彼女の間の距離は離れていくばかりだった。
もう行く先がないところで彼女足は止まる。広がる壮大な景色を目の前に彼女は大きく深呼吸をし、後ろを振り返った。
「今日もここまでか。もっと見ていたかったな」
どこか震えているかのような声で彼女は話した。
どういう経験を経て彼女がこの決断をしたのか青年にはわからない。だが、だからと言って簡単に命を捨ててはいけないと彼は思う。今からでも遅くない。思いとどまってほしい。そう願って青年は手を差し伸べた。
「ありがとう。またね」
だが、彼の気持ちを無下に、彼女はそう言って後ろに倒れた。
その後ろには彼女の体を支えてくれるものや、受け止めてくれるものはない。あるのは死だけだ。
次第に自分の視界から消えていく彼女を諦めずに助けようと手を伸ばし掴もうとする青年。だが、彼が掴めたのは後悔と彼女の生きた温もりの残骸だけだった。
「なんで……、なんでそんな顔をするんだよ」
地面に突っ伏したまま声にならない声で青年は嘆く。
最後に彼が見た彼女の表情。それは潤んだ瞳で笑った悲しい笑顔だった。