0-A.聖暦1114年6の月3の日。僕の最期。【クエル視点】
――――「「奇しくもそれは、同じ日だった」」
……おなか、すいたな。
最後に食べたのは……二年くらい前、かなぁ。
どうしてそんなに空腹で生きられたのかは、まぁ自明かなぁ。
理屈は分からないけどね。
最後に食べた彼女が、とても栄養価が高かったんだよ。きっと。
もう、何も食べられないくらいに。
僕は命を、二つ持っているんだから。そりゃあ誰より長く生きるさ。
おなかは確かに空いてるけど。
でも僕はもう満足だから。
君におなかいっぱい、食べさせてあげたいな。
煮た黄土根を大事そうに食べていたのが……たぶん君の、最後の食事の記憶。
うどんの方が好きだったね。ストックお母さまのが絶品で。
ハイディお母さまのは、優しくて深みのある味で。
まだ覚えてるよ。
君との、光のような記憶。
忘れない。
二人が、みんなが。
魔物と結晶の力を持った奴らに、倒された日を。
昨日のことのように覚えている。
それから必死に君と二人で、逃げて。
どういうわけか、魔物が、消え始めて。
みんな、魔導が使えなくなって。
気づいたら、作物も何も育たなくなって。
この半島から食べ物が消えるのは、あっという間だった。
食べられたくない人は、海の彼方へ逃げた。
残った人は、少ない。
まともに生きているのは、もう僕だけ。
君がいなくなってから、二年。
結晶の連中は、全員念入りに砕いた。
この拳に、半島中の呪いを籠めて。
もう絶対生まれ変わることもできないくらい。
その魂に、苦悶と絶望を叩きこんだ。
だから、大丈夫だよ。
……何が大丈夫なんだろうね。
連中の、信じられないって顔は、確かに滑稽だったけど。
笑えなかったなぁ。笑い方忘れてたのもあるけど。
何が笑えなかったってさ。
連中の頭。あのかん……ぬい?だっけ。
何の目的も、なかったんだって。
ただ未来から連れてこられて。
事情のようなものを、怨嗟混じりに説明されて。
あとは無制限に、自分のできることをしてた。それだけ。
ばかみたい。
ゲームの世界だから、何してもいいって思ったんだって。
いくら崩してもいい、砂場みたいに思ってたんじゃない?
そこにいるのは粘土じゃなくて、人間なのに。
そういえば、面白いこと言ってたなぁ。
僕らは人間だけど、人じゃないんだって。
人間……人と魔物の間の何か、なんだってさ。
じゃあ人って何さって聞いても、わからないらしいんだよ。
お母さまなら、何か……思いつきそうだけど。
ちょっと僕にはわからなかったなぁ。
君ならどうだろう?
真実が見えるとは、言っていたけど。
いつも少し、辛そうにしていたけど。
ボクやお母さまたちをみるときだけ、少しほっとしていた、君。
社交的なのに、引っ込み思案だった君。
優しくて、朗らかで。花のよう。
会いたいなぁ。
記憶の中の君は、いつも声を返してくれるけど。
笑顔を向けて、くれるけど。
直接その声を聴きたいし、触れたいと思う。
君がいないのは。
文字通り、半身がないかのように、辛いよ。
僕、二年もよく耐えてるよね。自分でも感心するよ。
最近、あまり感覚がない。
そりゃあ、ここには砂と風と日差ししかないものね。
何かを感じる、意味がない。
おかげで、思考も安定しない。
大事な暇つぶし、何だけどな。
何も残ってないと、自身を保つのも大変だ。
あとこの半島にあるのは、ボクと――――
「……っ……ぉ」
こいつだけ。
まだ呻けるとは、驚きだ。
とぐ?トーグ……?なんだっけ。忘れた。
全身ボロボロで、動くこともままならないだろう。
ところどころ腐敗してるようにも見えるけど、蠅ももういないから静かなもんだ。
僕は何もしてない。
飢えて襤褸切れになったこいつを、見つけて近くにいるだけ。
ああいや、したか。脱出船に乗れないように、追いかけっこをがんばった。
ちょっとしつこいかな?ってくらいに、念入りに追い回して。
脱出の希望が見えるたびに、どつき回して。
逃がして。追いかけて。
まぁそのくらいだよ。
食べ物はずいぶん持ってて、最近まで食べてたようだし。
それにこいつ、死なないみたいだ。
そのことに気づいたから、追い回すようにしたんだけどね。
しかしまぁ、わからないなぁ。
そんな体なのに、わざわざ苦しい世の中作って、恨みを買って。
ほんと、何がしたかったんだろう。
僕の近くにいて、微妙に辛そうにしてるのは。
あれかなぁ。この赤い光かな?
お前の作った、この半島の呪いそのものだよ。そりゃ痛かろうさ。
僕は別に涼しいもんだけど。
ただ全開でそばによると、耐性ないとすぐ発狂できるくらいの代物ではあるみたい。
おかげで、敵を狩るのが楽だった。
近寄るだけで発狂するんだもんね。
理性を失った獣なんて、いくら強くてもおもちゃみたいなもんだ。
ああ、こいつがこんな状態なのにまだ呻けてるのは、それが理由か?
案外、ただの人間の身には刺激きついのかな。
浴びたやつが片っ端から発狂するから、聞けた試しがないんだよね。
ん……そんな大層なもんかねぇ。
勘、だけどさ。
たぶんストックお母さまには効かないし、ハイディお母さまは予想外の方法で無効化してくる。
君は……どうかな。乗り越えて、来そうだよね。
とても強かった、僕の姉妹。
自分は妹なんだって譲らなかった、先に生まれたはずの子。
お姉ちゃんなんて、ガラじゃないんだけどなぁ。
いつも君に助けられて。
だからできるだけ、お世話してた、つもりだけど。
おなか。すいたよね。ごめんね。食べ物、なくて。
僕をあげられなくて、本当にごめんね。
もしもう一度会えたなら。
僕の何もかもを、君に――――
「ぉ……」
何か、音がした。
……しばらく、自分でも気づかなかったけど、僕の声だ。
砂と風と日差し以外の何かを見て、発した声。
見えているのに、わからなかった、それ。
雪のような、白い光。
自分の目に、光が戻るのが、わかる。
やっと、きた。
ずっと待っていたよ。
少し、深く息をする。
立ち上がる。
乾いた体が、蘇っていく。
混濁した意識が回復し。
記憶が整理され。
力が漲る。
しんしんと降る、白い精霊を迎え入れる。
「喜ぶといい。どうせ死ねやしないが――ここからは、出られるよ」
声をかけたが、あまり反応はない。
まぁいいか。僕の自己満足だ。
では、最後の務めを果たそう。
「月の精霊、ルナ。
遠き日の約束を、果たし給え。
地球より『揺り籠から墓場まで』を通じ、この世界を観測する神。
そのうち、干渉に踏み切った邪神の一柱、神主・東宮を。
返し給え。祓い給え。
その滅びの先の煉獄に」
朗々と歌い上げる。
白い光が、そいつに集まっていく。
「堕とし給え」
光が、消える。
後には、何も残らなかった。
これでこの半島にあるのは……あと僕だけ。
残念ながら、奴は滅ぼせたわけじゃない。
精霊の片割れが、足りない。
僕は、奴の死に場所に、奴を送っただけ。
必ずこの手で、地獄の底に落としてやる。
待っているがいい。
驚くべきことに。
たぶん僕は、それから二年は生きた。
生きていたと、自信を持っては言えないけれど。
でも確かに動いて、鼓動して、呼吸して。
半島……大陸の東まで、歩き回った。
呼吸。
ミイラのような体に。
魂を宿らせ続けた、僕の息。
極めたなんて、烏滸がましくて言えない。
悟ったなんて、気取れる相手もいない。
でもこの、苦もない無常の彼方で。
やっと君と、二人っきりになれたような気がして。
だからずっとずっと、動き続けた。
君が僕の中から尽きるまで。
この身が涅槃の彼方に届くまで。
意味のある生だった。
良い人生だった。
でも、もうここはやだな。
君が、いないもの。
最後の息をし、立ち上がる。
天を向く。
…………体の中から、何もかもが消えて行く。
もう、おなかもすかない。
だいじょうぶ。
最後に、僕の中の君だけが残って。
これできっと、君に会える。
今行くよ、シフォリア――――。
赤い光が。
風に乗って、無限の彼方へ飛んだ。
それがどれほど遠い旅路でも。
必ず君の元に、辿り着けると信じて。
第三章、開始です。
続きます。
第三章、開始です。
続きます。




