予期せぬ来訪者
私は、声が震えない様に尋ねる。
「……理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「あら、私がこんなにお願いしているのに、引き受けて下さらないの?」
こんなに……どんなに?
頼まれたのは一回だけな気がするが、もしかしてご本人がこのカフェまで出向いた事を言っているのだろうか。
私は理由を尋ねただけであって、まだ断った訳ではないが。
エリカ様はショックを隠しきれない様子で見るからに意気消沈した。
横にいた護衛達が殺気立ち私に詰め寄ろうとするのを、エリカ様は手で制しながら優しく首を横に振る。
「それらの薬の材料の確保はとても難しいのです。理由によっては、精製出来ない場合もございます」
私はエリカ様の顔を真っ直ぐ見ながら口を開いた。
普段ベリアル以外の顔を真っ直ぐ見る事は、私はまずしない。
彼女からは、私の黒目がはっきりと見えた事だろう。
「理由につきましては、この国の要人が絡んでいるのでペラペラとお話できる内容ではございませんの」
「そうですか。では、また機会がございましたら」
暗に断り、話を打ち切った。
私は、マージェのパイを食べようとしないベリアルの皿からパイを半分貰い、口にする。
いつもはサクサクの生地とマージェの酸味と甘味が絶妙なパイなのだが、今日は口の中でパサパサしてあまり美味しく感じなかった。
しかし、ベリアルもやっと食べ出したので、ホッとする。
ベリアルにはサクサクの出来立てを食べて貰いたかったのに残念だ。
猫舌とやらはどこへやら、ベリアルはあたたかいものでも器用に食べる。
だが、別にこのカフェやパイがなくなる訳ではないし、また来れば良い。
こんな日もあるよねと、ベリアルの頭を眉間から後頭部にかけ人差し指と中指で軽く撫でた。
「そうそう。私、黒の魔女様が例え黒髪黒眼だったとしても、決して蔑むなんて事致しませんわよ」
「……はぁ」
どういう意味なのだろう。
首を傾げる。
ベリアルは、私の足元で美しい毛並みを逆立てた。
気にしてないからと、再びベリアルの頭頂部を撫で撫でする。
それでもベリアルはイライラが収まらないようで、長い尻尾をたしたしと地面に叩き付けていた。
人間だったら、人差し指で机の上をトントンと叩いている様な感じだろうか。
私の態度が変わらないので、ようやくエリカ様は諦める気になった様だ。
「……そうですの。まだ早すぎたのかもしれませんわね。では、御馳走様でした。またお願いしに参りますわ」
エリカ様は、にこりと大輪の薔薇が咲く様な笑顔を見せてから、護衛を引き連れてその場を後にする。
彼女が去った後には、甘ったるい香水の香りがいつまでも残っていた。
『ユーディア、もうあの女に関わらない方が良い』
「……うん、そうするね」
あちらから関わってきたので今回は仕方なかったが、これから見かけたら全力で避ける様にしよう。
私が、というより、ベリアルが彼女に腹を立てている。
普段温厚な彼がこうも敵意を剥き出しにするのは珍しかったが、ベリアルに対する態度を考えるとそれも仕方がないのかもしれない。
「パイ、半分こになっちゃってごめんね?」
私はベリアルを膝の上に抱き上げ、逆立てた後の残る身体の毛並みを掌全体で撫でて整えた。
ベリアルは気持ち良さそうに大人しくしている。
『パイの事で怒っている訳じゃないぞ?』
「ふふ、わかってるよ」
幾分機嫌を良くしたベリアルの鼻先に軽くキスをしてから、私達はカフェを後にした。
***
私達は、街で購入した材料を整理しに自宅から少し離れた作業場にいた。
私が材料を捌いていると、作業台の上で丸まったベリアルが話し掛けてくる。
『惚れ薬の精製はするのか?』
「うん。エリカ様にはああ言ったけど、念のため劇薬以外は全部作るつもりなの」
街の材料屋には、惚れ薬の材料も無事に売られていた。
五回行って、一回あるかないかの材料だ。
運が良い……というより、自分が既に何らかのストーリー通りに踊らされている感が否めない。
しかし正直、使った事のない材料を見るとかなりテンションがあがるし、作った事のない薬はチャレンジしたくなってしまう性分だ。
「本当は無関係でいたいけど、自宅を知られている以上逃げる事も出来ないし……大切なお師匠の残してくれた家と作業場だからね。だから、ベアトリーチェ様にもお手紙を届けて理由を伺おうかとは思ってる」
返事がくる事は、まずないだろうが。
『俺は、ユーディアがどんな選択をしようとそれを応援するだけだ』
「ありがとう」
ベリアルは、基本的に私の決断に反対をしない。
今はそれがとても有り難く感じた。
──黒の魔女が、誰の味方につくかでエンディングが変わってくる──
従姉妹の声が、脳裏に甦る。
私は、誰かの味方をする運命なのだろうか。
私の薬が、誰かの運命を決めるのだろうか。
人の役に立つ事は良いことだとは思うが、ことこの問題に関してはそれだけでは済まされないのだ。
誰かの役に立つ時……それは同時に誰かの評価を下げたり、思いもよらない障害になったりするのだろう。
もし。
もし、薬を渡す事があるなら慎重にしなければ……
私が改めて決意した時だ。
コンコンコン。
控え目に、作業場の扉が叩かれた。
つい先日の事を思い出し、私と使い魔である黒猫のベリアルは再び顔を見合わせる。
ただ、今回の叩き方からして、恐らく公爵家の使いの者ではない様な気はした。
「どちら様でしょうか?」
「……ジョンと申します。此方は黒の魔女様のお住まいでしょうか?作って頂きたい薬がございまして、失礼ながら勝手に伺った次第です」
ベリアルが作業台から飛び降り、扉へと向かった。
私はそれに着いていきながら、黒の外套をすっぽりと被る。
少しだけ扉を開ければ、ベリアルがサッとその隙間から飛び出して行った。
「街に薬を卸しております。そちらでご購入頂けませんか?」
「いえ、あの……街には売ってない薬を作って貰いたいのです」
『家紋付きだ。公爵並みに金持ちの貴族だが、護衛もいないのは珍しいな。……お忍びっぽいからジョンって言うのは偽名だろうが、家の中でも大丈夫そうだぞ』
「ありがとう、ベリアル。……ジョン様、汚いですがどうぞ中へ」
「失礼致します」
私は、作業場の木で出来た丸太椅子にジョン様を座らせ、自分は台所から二人プラス一匹分の水を持ってきた。
ガスなんてものもないこの世界では、火をおこすのも一苦労。
直ぐに温かいお茶を出したりするのは、貴族でないと無理だ。
「こんなものしかお出し出来ずに申し訳ございません」
とお詫びしてから、本題に入る。
ジョン様は、白藤色の肩下程の長さの髪をゆったりとくくった、シトリンの様に煌めく瞳に片眼鏡を掛けた理知的な感じの方だった。
「いいえ、連絡もなしの急な来訪、大変失礼致しました。……私の妹が、あぁ、妹と言いましても義理なのですが、とにかく妹が、最近大変な目にあいまして。人をつけてないと、自ら死を選んでしまいそうな程、ショックを受けているのです。どうか、記憶を消す様な薬……もしくは、滅入った気分を浮上させる様な薬は精製出来ないでしょうか?」
……これは、乙ゲーは関係のない案件だろうか?それとも……
従姉妹との会話にはなかった流れに、私はもう話を聞く以外、どうする事も出来ないでいた。