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使者再び

自宅にたどり着き、普段より重たく感じるリュックをゆっくりと下ろす。

普段はベリアルと脈絡のないおしゃべりをしながら歩くから、一時間の道のりはさほど苦ではないけれども、こうして一人黙々と歩くとやはり遠く感じた。


私には10歳までお師匠がいたし、その後はベリアルがいてくれた。

しかし、もしベリアルがいなければこれが普通だった筈だ。

ベリアルがいない時は今までも何度かあったが、今日程辛くはなかった。

ベリアルの安否が気になっているのがこの気持ちの大半を占めるのであろうが、精神的に大分依存してしまっているのを感じ、ため息が漏れる。


今からでもベリアルを探しに行きたいが、無事に王都にいたらまず会えないだろうし、もし万が一街で捕まっていたとしたら、薬を精製しなければその命が危険に晒されるのだ。



──私は私に出来る事を、しなければ。


明日、早速劇薬の精製をする事に決める。

嫌な事は後回しにしても良い事はない。

精製と譲渡までは問題ないのだ。

街と黒猫達が助かるのであれば、そこまではすべき。

問題は、その先だ。

それを、食い止めなければならない。



しかし、今回の一件で、ジュリアマリア様を嵌めて事件を引き起こしたのがエリカ様であるとおおよそ予想が着いた。


いや、恐らくそうだろう、とは頭の何処かで感じてはいたが、信じたくなかったのだ。

乙ゲーのヒロインであるのに、他のヒロインを嵌めてまでヒーローを手に入れるなんて、考えられなかった。

普通、ヒロインは純粋であったり、素朴であったり、意志が強かったり、共感力が強かったり……何にせよ、美しい以外の美徳があるのがヒロインだと従姉妹から散々教えて貰っていたのに。


──もしかしたら、エリカ様も、そうしなければならない事情があったのかもしれない。


とは言え、ジュリアマリア様にした事は恐らく犯罪だろう。

街の件もそうだが、あの街はジョン様の治める領土にある街。

他人事という訳にもいかないだろうから、念のため一筆送っておこうと考えた。

これで、もしジョン様が動いて下されば、街の物流は再開して心配事はひとつ減る。



そう決めて、薬を在庫倉庫に戻してから、ゆっくりと夕食の準備をした。

一人で食べる料理はどうしても簡単な手抜き料理になりがちで、完成した味気ない食事をもそもそと口にする。

寝る前に、ジョン様へのお手紙を書き、ジョン様から預かった印鑑を封筒に押し付けた。


……こんなに早く、この印鑑を使う日が来るとは思ってなかった。


そんな事を思い苦笑しながら、印鑑を金庫に戻して、ベッドに潜り込む。

ランプを消せば、月の光がぼんやりと室内を明るく照らしてくれる。

ベリアルの重みや温かみを感じないブランケットを寂しく感じながら、その日は眠りについた。




***




翌日。


ドンドンドンドン!!


聞いた事のある乱暴さで、作業場のドアが叩かれる。

ビクリと肩が震えたが、目の前のビーカーを倒す様な事はなかった。

劇薬の精製をしている最中で、極力人目に付きたくなかった私は来訪者を無視する。

もう工程はほぼ終了しており、今は100ミリリットルになるまで煮沸させるという最後の仕上げの段階だ。


作業場の扉をいきなり叩かれる経験は初めてだったが、それは今までが逆に運が良かったのかもしれない。

いや、運が良かったのではなく、その為にお師匠は辺鄙なところに居を構えたのかもしれなかった。

調剤途中の薬によっては、触れられない程の危険な薬もある。



ドンドンドンドン!!

ドンドンドンドン!!



私が無視を決め込んでも、いると確信しているのか扉のドアの音は一向に鳴り止まなかった。

近所迷惑にはならないのでそのままにしてもこちらは問題ないのだが、このままだと扉を壊されそうな勢いなので、はぁ、とため息をつく。


今までベリアルが、作業場ではいかに空気に徹してくれていたのかが良くわかった。



扉は開けずに、声を張り上げる。


「どちら様でしょうか?」

「やはりいるではないか!!黒の魔女、ベアトリーチェ様がお呼びだ!!今すぐにお屋敷に向かうぞ、さっさと出てこい!!」


イライラした様な声は、いつかの公爵令嬢の使者のものだった。

そう言えば、公爵令嬢に手紙を出したのはジョン様がここにいらっしゃる前の日に街へ薬を卸した時の事だ。

手紙の返事は来ないかもしれない、と思ってはいたが、まさか使者を寄越すとは思わなかった。



変わらない従者の高飛車な態度に辟易してしまうが、相手は公爵令嬢。

単なる調剤師がお呼ばれされて行かない訳にはいかないだろう。

元々、ベアトリーチェ様には色んな話を伺いたかったのだ。



幸い、後少しで劇薬も完成しそうだ。

私は再び外に向かって声を張り上げた。


「畏まりました。後少しで終わりますので、もう少々お待ち下さい」

「直ぐに終わらせるんだな!」


使者はそれだけ言い放ち、ドアから離れた様だ。

恐らくせっかちな性格であろうから、もたもたしたら今度こそドアが壊されかねない。



急かされながらも劇薬の完成を待ち、金庫に保管した。

やはり、一度ドアを叩かれ、「早くしろ!」と怒鳴られる。


「ベアトリーチェ様がいらっしゃる場所は、どちらでしょうか?」

「王都だ」


王都までは、街から一日半程で着くとベリアルが言っていた。

材料が無駄にならない様にしっかりと倉庫を確認し、作業場を後にする。

自宅までの短い距離も、黒の外套をしっかり羽織って一応使者に声を掛けた。


「公爵令嬢様に失礼のない様、荷造りして参りますね」

「そんなもの……!……まぁ、失礼のない様にな。必要最低限で良いぞ」


これ以上待たされたくはない使者はさっさと出発したかった様子だったが、こちらの汚れた作業着を見て考えを改めたらしい。

私はさっさと自宅に戻り、ベリアルへの手紙を書いてテーブルに置いた。


恐らく私の方が先に帰宅するであろうが、もし万が一ベリアルが先に帰宅してしまった時、いらぬ心配を掛けない為だ。

黒猫なのに文字も読める事に、感謝しかない。



昨日ジョン様に書いた手紙を少ない荷物に忍ばせ、戸締まりをして外に出る。戸締まりをしても、裏庭側にベリアル専用の人間は通れない通路があり、それを使ってベリアルは室内へ入る事が出来る。



「大変お待たせ致しました」

「ああ。さっさと乗れ」

使者は、準備していた籠に私を押し込むと直ぐに出発した。

籠に揺られながら、私は荷物の中から催淫薬を取り出す。

ベアトリーチェ様の話を聞かないと、どんな状態の薬を渡せば良いのかわからないが、念のため、持って来たのである。


籠にゆらゆら揺られ、少し眠気が襲う。

ジョン様のお屋敷から夜に籠に揺られた時は、膝の上でベリアルが珍しく寝ていて、その背中を撫でながら帰宅した。

今日は、移動が昼であるのに、ベリアルのいた夜よりも寂しさが私にまとわりつく。


……ベリアル、今は何処にいるのかな……

早く、今までの生活に戻りたい。

ベリアルとの、平穏で長閑な、普通という(・・・・・)素晴らしい毎日を。




──この時の私は、黒猫のベリアルが二度とこの家に戻って来ない事を、知るよしもなかった──


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