卸せない薬といなくなった黒猫
午後になり、街まで一緒に来たベリアルと別れていつもの薬屋に向かう。
街はいつも通りなのだが、何となく普段の活気がなく落ち着いている様に思えた。
不思議に思いながらも、薬屋のドアを開ける。
「こんにちは」
「黒の魔女さん……!!ねぇ、何があったの!?どうしちゃったの??」
薬屋に入れば、いつも店番をしている元気なお嬢さんの「いらっしゃい」は頂けず、慌てふためいた様な反応にただ驚いた。
「どうしたって……まさか、卸した薬に何かありましたか?」
今までは幸いな事に調合ミスを犯した事はないと思うが、ダブルチェックが出来ない以上あり得ない事ではないと常々思っている。
顔色を変えた私に、薬屋のお嬢さんは両手を広げたまま振って「違う違う」と答える。
「この街の薬屋全店に、黒の魔女から仕入れるなって匿名の連絡来てる。それと同時に、この街への物流が一気に悪くなった。後……これは関係ないかもしれないけど、この街から部屋飼いしている以外の黒猫が消えたの。誰も初めは気付かなかったんだけど、街の知り合いがたまたま黒猫だけを捕獲している人相の悪い人達を見掛けて、気になって調べてみたら明らかに黒猫だけがいなくなったって」
「え……?」
彼女は、私を心配してくれていた。
しかし、意味がわからない。
誰が、何の目的で私の薬を買わせない様に手を回したのか。
そもそも、そんな権限のある人物なんて、ジョン様位しか思い当たらない。
「……何も、した記憶はないですが……」
この街で黒猫狩りが行われているなんて、知らなかった。
ベリアルは大丈夫だろうか?
悪魔であれば大丈夫だとは思うが、血の気が引く。
……あれ?
黒の魔女から薬を買うなという御触れと、街の黒猫狩りが同時に行われたとして。
街の知り合いは、皆黒猫のベリアルが私の使い魔である事を知っている。
であれば、街の黒猫をランダムに狙う事はまずない。
つまり、それを命じた人はそれを知らないという事で、考えられるとするなら──
キィ、と薬屋の扉が開く。
振り向けば、そこには冷たい笑みを浮かべたエリカ様がこちらを向いて立っていた。
「……薬を作る気に、なりまして?」
ラウンド型の、艶々としたつま先の可愛らしい靴をコツンコツンと響かせながら、エリカ様は私に近付いてくる。
酷く美しい笑みを浮かべていらっしゃるのに、歪んで見えるのは何故だろうか。
「エリカ様とお約束した薬なら、午前中に仕上げました。まだ副作用の確認がとれておらず……」
「劇薬の事よ」
「えっ……!」
私は驚きに目を見張る。
「ねぇ、黒の魔女様のお薬を買うなとこの街の薬屋全てに連絡は行き渡っているわよね?」
エリカ様はお店のお嬢さんに声を掛け、彼女はコクコクと頷いた。
「……ですって。黒の魔女様がこの街で薬を売れなくなったら、大変でしょう?そして、今この街の物流が滞っているのも、黒の魔女様のせいだ、と言われてますのよ」
「え?そんな噂はまだ……」
薬屋のお嬢さんが首を傾げたのを、エリカ様は一瞬睨み付ける。
「言われますのよ、これから。勿論、しばらくは我慢なさるでしょうけど……怒りの矛先が定まったら街の方々はどう動くのでしょうね」
にこにこ、と可愛らしく笑ってはいるが、これは……
思わず、後退る。
「……私に、どうしろと……?」
「簡単な事ですわ。私の為に劇薬を作ってさえ下されば、我が商会がこの街の手助けを致します」
出来れば避けたい、劇薬の精製。
私が頷かなければ、あの手この手で街の物流をストップさせて、完全に私を孤立させるつもりだ。
黒髪黒目の私のせいにはさぞかししやすい事だろう。
ここで頑なに拒否すれば、所謂魔女狩りの様なものまで事は大きくなるのかもしれない。
しかし、それでも……
私がなかなか頷かないのを見て、エリカ様は焦れた様だった。
「……ならば、黒猫達が毎日一匹ずつ、いたぶられた後に殺されるかもしれませんね?」
私の脳裏に、惨たらしい姿の黒猫の遺体の山が描かれてしまった。
エリカ様の瞳をそっと覗く。
……あぁ、駄目だ。
本当に、命じてしまいそうだ。
人命と、猫の命。比べるでもない。
しかし……
「……わかりました。劇薬を、お作り致します」
「そう?」
「……ただ、使用する際には私も同席させて頂けないでしょうか?」
「前にも言ったけど、私はプレゼントするだけなのよ。誰に使うのかは、その人が決めるの」
「劇薬を誰かで試す訳にもいかず、副作用の確認が取れません」
「あはは!そんな事……死刑囚にでも試すから大丈夫よ?それなら、最低二つは作っておいてね」
「……」
劇薬は、全て飲み干さなければ無効となるのだ。
ならば、同席させて頂いて、飲ませる途中で邪魔をすれば……と考えたのが、仇になった。
歯を食いしばる。
私の様子に気付いたのか、エリカ様は釘をさす。
「……きちんと、死ねる薬作りなさいよ?もし、中途半端な変な薬なんて作ったら……」
この街も、黒猫達も、どうなるかわかってるわよね?と彼女の瞳が如実に語る。
「……は、い……」
「それと、貴女」
いきなり話の矛先を向けられて、薬屋のお嬢さんはびくりと飛び上がった。
「わかっていると思うけど、他人に余計な話をするんじゃないわよ?もししたら……まぁ、この店は完全に潰れるでしょうね。貴女も、夜道に気を付けなきゃならなくなるわよ?身体はそれなりに大人なんだから」
エリカ様はクスクスと可愛らしく笑い、真っ青になった薬屋のお嬢さんはガタガタと震えながらコクコクと頷く。
私は、薬屋を後にし、重い足取りで何処にも卸す事の出来なかった薬を背負ったまま、材料屋に向かった。
「こんにちは……ヘイトバッドの皮は、まだありますか……?」
「いらっしゃい、黒の。あぁ、ヘイトバッドなら最後の一枚があるよ!……ってあんた、なんだい酷い顔しとるねぇ?」
どうやら店主は、黒の魔女の薬の卸しが禁止になっている事を知らない様だった。
確かに、噂話には疎そうな方だ。
「……そうですか?」
私は誤魔化して苦笑するしかない。
「何だか最近材料がめっきり出回って来なくて、街は大変な状態なんだがね。あんたも大変なんだねぇ」
「……アルンの葉と、ガボージの種は…」
「あれま、随分とあんたにしちゃ珍しい材料だねぇ。ちょっと待ってなぁ、ええと……」
店主は店の倉庫でゴソゴソした後、笑って言った。
「あるある。良かったよぉ、アルンは何枚?ガボージは何粒必要なんだい?」
「……あの、すみません。今日は薬が売れなくて、手持ちがなくて。今、家に取りに行くので取り置きしておいて下さいませんか?」
材料屋の馴染みの店主は、目を細めて笑う。
「黒のがそう言うのは初めてだぁね。ええよ、あんたはお得意様だから、次回にツケとくよ」
「ありがとうございます」
やはり、イベントで必要な材料は手に入った。
「そういや、今日はいつもの猫連れてないんだねぇ」
「あぁ……はい。今日は別行動なんです」
店主は、何となくそう言ったのだろう。
私はベリアルの安否が気になって仕方なかった。
ベリアルが自宅に帰宅するのは、1ヶ月以内。
それまで、私からはベリアルに連絡が取れない。
どうか、無事であります様に……
そう願いながら、行きより劇薬の材料の分だけ重たくなったリュックを背負い、私は我が家に一人で帰った。