眠り姫の目覚め
「彼女がジュリアマリアです……」
私は、泣き崩れるジョン様のご両親への挨拶もそこそこに、可愛らしくもすっきりと纏まった女性らしい部屋の中に案内されていた。
自分のベッドに寝かされたジュリアマリア様は、間違いなくヒロインだと断言出来る程の美しさだった。
ジョン様の白藤色の髪より紫色の強い藤色の美しい髪がゆったりとベッドの上を波の様に広がり、閉じた瞼を縁取る睫毛は影が出来そうな程に多く長い。
両手を組んで寝ている様は、まるで眠り姫の様だった。
……どうか、この蘇生薬が問題なく効きます様に……!!
いわばこれは、イベントだ。
だがしかし、人の命が懸けられたイベントなんて、身の毛がよだつ程に残酷だと思う。
黒の魔女の作る薬の効果は、相手への好感度で決まる、と従姉妹は言っていたけれど。
蘇生薬の効果の良し悪しなんて、好感度なんていうもので決められるものではないと、当事者になった今なら断言出来る。
きっと、黒の魔女はどんな状況でも最善を尽くしただろう。
手が震えない様にしながら、蘇生薬を霧吹きに詰め替える。
緊張で喉が渇いた。
暑くもないのに、汗が耳の横を流れたのを感じた。
そっとジュリアマリア様の身体をベッドから出す。
どうか、ジュリアマリア様の瞳が開きます様に……!!
ジョン様がじっと見ているのを感じながら、そう祈りを込めてジュリアマリア様の全身を蘇生薬で浄めていく。
ジョン様に手伝って頂き、ジュリアマリア様の前も後ろも、満遍なく蘇生薬を吹いていく。
白くほっそりした手足がしっとりとした潤いを復活させ、頬には薔薇色の赤みがさす。
青みがかった唇がふっくらとしたさくらんぼ色に変化する。
全身の硬直がとけ、胸が上下し出し、呼吸を取り戻した彼女は正しく眠り姫だ。
そして、ゆっくりと長い睫毛が持ち上がり……私は黄金の輝きとご対面した。
ジョン様のシトリンよりも、赤みの強いスファレライト。
目映い宝石の様な瞳が、何度か瞬きを繰り返す。
息を詰めるように見守っていた私とジョン様、どちらだろうか。
ほぅ、と息を吐いたと同時に耳に入る、落ち着きながらも透明感のある声。
「ジョナスお兄様……?あの、こちらの方は……」
「ジュリアマリア……!!」
「お兄様……?」
義兄であるジョン様だけならまだしも、自分の部屋に見知らぬ女がいる事に首を傾げながら、きつく抱き締め声を震わすジョン様の背中に手をまわす。
驚いて突き放したりせず、戸惑いながらも状況を理解しようと考えを巡らせている様子に、私は微笑みが漏れた。
そして無事に彼女が発声をしている事に安堵する。
「初めまして、ジュリアマリア様。私は……黒の魔女と呼ばれる薬師です。身体で何処か痛いところはございませんか?」
「は、はい……いえ、特には……」
「そうですか。……ジョン様、ひとまず私は廊下に出ておりますので、何かございましたらお呼び下さい」
「……ありがとうございます、黒の魔女様……、ジュリアマリア、本当に……本当にすまない……」
「お兄様?何のお話ですか?」
私は、二人を置いて部屋をそっと出る。
ベリアルも一緒に外に出て来た。
廊下に出た私は、その場で腰を抜かしたかの様にへたり込んでしまい、ベリアルが慌てて駆け寄ってくれた。
『ユーディア、お疲れ様。……大変だったね』
「……ありがとう、ベリアル。今になって、急に……」
ガタガタと、身体が大きく揺れ始めた。
自分で自分の腕を押さえ付けたが、どうにも止まらない。
怖かった。
イベントである限り、成功する確率の方がずっと高いと頭ではわかっているものの、もし蘇生しなかったらと思うと……怖かった。
彼女が息を取り戻すまで、何故あの時ジョン様を引き留めてしまったのだろうとか、失敗したらジョン様に期待をさせておいてまた絶望させるのだろうかとか、ずっと嫌な考えだけが頭の中を駆け巡っていたのだ。
これからだって、彼女にどんな副作用があるかわからない。
へたり込んだ私は、震えが止まらない自分の身体をコントロール出来ないまま、両手を回して抱き締めた。
何の感情なのかわからない涙が私の頬を流れていく。
一瞬、暗くなった気がした。
身体全体にかかる、圧迫感。
これをされたのは、何年ぶりだろう?お師匠を亡くしてから久しく忘れていた感触で、自分の身体を誰かもわからない人に抱き締められていると理解した時ですら、胸の中を占める感情は安堵だったかと思う。
その腕は、身体は優しく、けれども労るようにしっかりと私を抱き締めた。
深く俯いている私の瞳にうつるのは、あたたかな暗闇だけ。
仄かに、お日さまの匂いが鼻を掠めた気がした。
「……おやすみ、ユーディア」
「……、…?」
私はその名前を呟いた筈だったが、強烈な睡魔に襲われて声にはならなかった。
***
「ジュリアマリアは、ここ3年程の記憶が抜け落ちているみたいです」
ジョン様の報告を受け、私は身体を強ばらせた。
3年程の記憶喪失……!
それは、デビュタント等の大事な記憶ですら失ってしまった事を意味する。
青春真っ盛りの若い女性が、そんな大事な記憶を失ったら、ショックだろう。
「……申し訳、ありません」
私の謝罪を遮る様に、既に起き上がれるまで回復したジュリアマリア様が私の手を握りしめながら、首を左右に振る。
柔らかな藤色の髪が、豊かに揺れた。
「黒の魔女様には、感謝しかございません。話はお兄様から伺いました。本当に、私を助けて頂き、ありがとうございます」
目を合わせない様に俯く私の顔を下から覗き込みながら、瞳に涙を浮かべてジュリアマリア様は御礼を言って下さった。
気を失った私が気付くと、そこはルゴールデン家の客間に寝かされていた。
過度の緊張が解けて、倒れたのだろうとか。
いや、確か──
起き上がりながら、ぼんやりと考えを巡らせていると、透明感のある美しい声がおずおず、といった様子で部屋に響いた。
「黒の魔女様、お目覚めですか……?無理をなさらず、そのままでいて下さいませ。今ジョナスお兄様を呼んで参ります」
声がした方を見れば、藤色の髪が扉を開けて出て行くのが見えた。
扉の横の衣紋掛けに、真っ黒な外套が掛かっていてはっとする。
私は、外套を脱いだ状態で──黒髪を曝したまま、寝ていたのだ。
慌ててベッドから降りようとする前に、先程ジュリアマリア様が出て行かれた扉がノックされ、つい返事をしてしまう。
「はい」
開いた扉の隙間から一番にベリアルがするりと入り込んで私の膝の上まで軽快な動きでやってくる。
次いで、ジョン様とジュリアマリア様が入室された。
「黒の魔女様、体調は如何ですか?」
「もう、何ともございません。大変お手数をお掛け致しました」
私達は、そのまま客間のソファに移動した。
向き合いながら、会話をするが、外套を羽織っていないのがどうしても気になってしまう。
「この度は、ジュリアマリアの命を繋いで頂き、本当にありがとうございました」
二人に丁寧に頭を下げられ、恐縮する。
「今のところ、ジュリアマリアの身体は全く異変がございません」
ジョン様とジュリアマリア様は、優しく私に微笑んで下さった。
不吉な黒髪黒目なんて視界に入っていないかの様に、むしろ好意的な親しみを込めて。
良かった、と胸を撫で下ろした私に、ジョン様は「ただ……」と続けて下さった。
ジュリアマリア様の記憶喪失を、責めるニュアンスは一切ない、優しい口調で。